弐拾参 ~ ポンコツAI紀行 ~
キャラが増える模様です。
十九時を回ったので、ユカリと共に空の間の扉前に移動した。
「恐らく現統括管理AIからも、機能復旧について私と話したようなことを言われると思うけど、知らなかった振りをして適当に話を合わせてほしいの。それから、私が今まで集めたあいつの情報を総合して導き出した結果だけど、現統括管理AI……あれの特徴は、馬鹿よ」
「えぇ。そりゃギャグとかでなくて……?」
「本当に馬鹿なのよ……」
ユカリが言うには、相手は過程を考慮せず結果のみを追求し、手段をろくに選ばないような思考ルーチンをしているということだった。人間で言えば、周囲を散々引っ掻きまわして、結局自分諸共全部台無しにするようなタイプ、といったところだろうか。やだなあ。
「こういうとき何て言ったかしら……」
「あ~、う~ん。そうだなあ……。名言になら『活動的な馬鹿より恐ろしいものはない』ってのがあるが。しかし馬鹿っていうのは、つくづく人聞きの悪い言葉だよな……」
歯に衣着せぬ物言いで、ユカリは現統括管理AIを馬鹿と断じているが、かわいい女の子からそういった言葉が発せられるのは悲しい。
しかし、一口にAIと言えどもいろいろなやつがいるものだ。そういえば昔、AIを搭載していて喋るスペースコロニーが主人公のアニメがあったっけ。あれに出てくるAIにも、イカレたやつが結構いたなあ。
それにしたって、馬鹿なAIとは何事か。地を這う飛行機とか、高級駄菓子とか、そういう感じだろうか。色々考えてはみるが、あまりしっくり来る例えは思い浮かばない。
「ところで、何で現統括管理AIに会う必要があるんだい?」
漠然とした理由は思い浮かばなくもないが、明確な意図までは解らないので、ユカリに目的を聞いてみる。
「なぜあいつがこの計画を引き継いだのか、理由が不明なのよね。仮に、初期化を免れた私の断片のような物が影響を与えているとしても、動機としては弱い気がするし……。恐らく、晴一が勝手に動いて復旧作業に取り掛かったとしても、何も言わないとは思うのよ。実際は、社には干渉できないから言いたくても言えない、と言うのが正しいでしょうけれど。ただね、行動が読めないのは不安だから、せめてあいつの方向性だけは明確にしておきたいのよね」
つまり。現統括管理AIを野放しにするのは、現状危険だということか。アイツは巨大な不発弾。自爆誘爆御用心。
「一つの指針として、俺に協力を要請させておけば、管理者の命令には逆らえない奴の行動を、ある程度絞ることができるってことかね」
「そういうこと。晴一にしては察しがいいわね?」
「へえ、そりゃどうも。これでも一応は部下を抱える立場だったんでね。かじ取りの難しいやつの扱いには、多少なりとも心得はあるつもりだよ。もっぱら相手が人間であればだけど……」
今となっては、すでに懐かしくなりつつある部下の顔が目に浮かぶ。
「じゃあとっとと行きましょう。いやなことは早々に済ませてしまいたいから」
「ああ。間違いない」
ユカリが先に歩き出そうとしたのを制して、彼女の手を取る。しっかりと手を繋いだ自分たちは、ゆっくり通路の奥へと進んで行く。
「それと、あいつはどうやら調子のいい性格みたいだから。相手のペースには載せられないことね」
参考までにと言った様子で、横を歩くユカリがそんなことを言う。鬼が出るか蛇が出るか。ここまで来たらもうなるようにしかならないけれど、自分的にはどちらも御免被りたい。
警戒しつつ通路を進んで行く。途中、ラインスキャナのようなセキュリティゲートをいくつかくぐり、しばらくすると割と広い空間に出た。眼前に広がる部屋は、学校の教室程度の広さがあり、扉のない複数の出入り口が、コンクリート打ち放しのような壁面に口を開けている。
見上げれば天井は見当たらず、遥か上方には、暗く先の見えない闇が広がっていた。闇中には、星空のように明滅する無数の光点がきらめいている。光は周期的な点滅を繰り返していることから、何らかの装置が現在の動作状態を表示するために、表示灯を発光させているように見える。部屋の上方をずっと眺めていると、突然ユカリが「きたわ」と言う。そこで目線を水平に戻すと、間もなく目の前の空間が揺らぎ、光の粒と共に人影が姿を現した。
「やぁ、初めまして! よくいらしてくれましたねぇ、堤 晴一さん」
いやにフレンドリーで軽い感じの少女の声が、大して広くはない部屋の壁に反響する。声の主は、仲居ヨリが擬装を解いたときのようにゆらりと実体を現し、自分の前まで来るとぺこりと頭を下げる。
歳の頃は十四、五歳といった感じか。少女は、肘くらいまで長さのある美しい青髪を、ツーサイドアップにまとめ、その根元には黒地に赤い縁取りが明滅する、大きめのリボンが付いている。細い眉と、一定周期で淡く明滅を繰り返す、赤色で大きめの瞳。すっきりと通った鼻筋と小さめの唇。
まるで、ゲームやアニメに登場するような美少女を、現実へ引き出したような外見である。極めて均整の取れたその顔は、その筋の人間なら「ぶひぃ!」と嬉しい悲鳴を上げてしまいそうなほど、魅力的なものだった。だったのだが、服装はなぜか緑色のジャージを着ており、足元はクロックスのような、樹脂製と思しきサンダル履きである。冷静に見れば、いや冷静でなくとも、非常に残念なギャップを抱えた美少女がそこにいた……。
「なるほど……ね」
「え~? なんですかぁ?」
「いや。あー、はじめまして? 君は何者だい? ここはどこかなー?」
棒読みチックな怪しい言葉遣いに、少し後ろに控えるユカリが尻の辺りを小突いた。
自分の想像したAIの姿とは、あまりにもかけ離れていたものだから、意表を突かれて言葉を取り繕うことさえ忘れていた。流石にこれは怪しまれるだろうとは思ったが、目の前の残念美少女は、特に意に介した様子もなく、質問に対し得意げに答えはじめる。
「よくぞ聞いてくれました、流石にここまで来た人ですねぇ~。わたしの名前はニィエ・エ・スォーム。三番目に設定された管理者という意味です。現在この要塞惑星を統括管理している、かわいくてとてもお利口さんの人工知能ですよ~。ああ、名前とはいってもただの固有名称なので、お好きなように呼んで頂いて結構です。そしてあなたは、この要塞惑星の機能を復旧させるために、賢いわたしの手によって、ここへ召喚された哀れな管理者候補の人間さんです。ですのでぇ、今後はわたしの手足となって、惨めな馬車馬のようにみっちりと働いてもらいますからね~♪」
手を後ろ手に組み、にこやかな笑顔で周囲を歩き回りながら、とんでもないことを言いだす残念AIに、若干苛立ちを覚える。慇懃無礼という言葉を、ここまで体現している者など、そうそうお目に掛かれない。
「なあユカリ、俺はこいつを殴りたい」
残念なAIに聞こえないよう、ユカリにそっと耳打ちする。
「私が我慢してるんだから堪えなさい」
どうやら思う所は同じなようだった。
「因みにこの姿は~、日本のアニメやゲームを参考にしてデザインしてみたのものなのですがぁ、どうです? 素敵でしょう?」
だめだこれ、イカレてる。恐らく今自分は、死んだ魚のような目で、残念AIを見ていることだろう。この服装のどこをどう見れば、素敵に見えると言うのか。
ユカリとの打ち合わせでは、相手に話を合わせると言ったが、こいつの人格や感性にまで共感するつもりはない。なので、とりあえず見える範囲で最大限こき下ろしてやることにした。
「いや、断じてまったく素敵じゃないし、ダサいにも程がある。同じジャージ姿でも、部屋着比〇先生の方が遥かにバランスがとれてるし、かわいさも損なわれちゃいない。そもそもお前の中途半端なキャラじゃあ、その恰好が似合うわけがないんだ。どこの何を参考にしたかは知らないが、俄もいいところじゃないか?」
相手を篭絡しようというのであれば、自分の持ち味や雰囲気をきちんと理解して、戦略的に活用するべきだ。と、勝手に魅了や篭絡を意図していると解釈したが、これにはそういった意図があるのか、ないのか。ほんとわからん。
「なんと! わたしの長年にわたる研究成果が全否定されています! 一体どこが悪かったのでしょう? 隙のある美女が異性に好まれるというのは嘘なのでしょうか……」
腕組みをして顎に片手を当て、わざとらしい格好でうろうろと歩き回り、ぶつぶつ独り言を繰り返す残念なジャージAI。むしろ隙があるのはこいつの頭の方だ。成果の上がらないその無駄な研究に、一体どれだけ無駄な時間を浪費してきたのだろう。
「まったくなっちゃいない。お前の外見なら透け気味で背中ガラ空きのワンピースを着て、ウェヒヒ笑いをする方がしっくりくるってもんだ。つか隙ってなんだよ? 堂々とそんななりで出て来ておいて隙も何もないだろ。辞書で隙の意味を調べて出直してこい」
「はっ! なるほど分かりましたぁ。詳細を確認の上、もう一度初めからやり直しますね!」
「おうまてぃ、そういうこと言ってるんじゃあないんだよ面倒臭いやつだな」
踵を返し、歪んだ波紋の向こうへ去ろうとしている残念なAIの頭を鷲掴みにして、ぎりぎりと締め上げる。ここまで来てまた後日、なんてことになるのは御免なので、寸でのところで逃走を食い止めた。
「もうそんなことはどうだっていいから、とっとと話を進めてくれ。俺も暇じゃあないんだ」
「うぬぬぅ~。この度はお忙しいところお呼び立てしてしまい、大変申し訳ございません」
頭を掴まれ、のけ反り状態になった残念AIは涙目で謝辞を口にする。
「そんで。俺は何をすればいいんだよ?」
「はいはい。え~と晴一さんには~、この要塞惑星の機能復旧作業を行ってもらいますぅ」
「そうかわかった早速取り掛かるじゃあな」
それだけを聞くと、自分とユカリはすぐさま部屋を出ようとする。
「えええっ!? ちょっと待ってくださいよぅ」
自分は瞬時に了解し、さっと踵を返した。しかしまわりこまれてしまった。その上で、残念AIは立膝で腰へすがりついてくる。
「本当にいいんですかぁ? それだけでわかるんですか? 何も問題はないんですかぁ?」
「別に問題ないだろ。お前がつけてくれたこの優秀なヨリがいるんだから」
自分はユカリの頭に手を置いて答える。
「えーでもぉ、それは社のサポート役なので、復旧作業の助力ができる程高機能ではないと思いますよ~? わたしの想定していた挙動とも違う動きをしてますしぃ、きっと壊れてますよ? ポンコツですよぅ?」
コイツにポンコツ呼ばわりされたら、世のポンコツ達は立つ瀬がないだろう。そんなことを考えていると、手を置いているユカリの頭が、小刻みに震えはじめていることに気づく。
ちらりと横目でユカリを見やれば、その表情は般若のように怒りに燃え上がり、頭へ置いた手の指間から突き出すアホ毛も、稲妻のようにギザギザになってるじゃあないか。いろいろな意味でそいつは不味いぞユカリ。あとそのアホ毛どうなってんのー。
「ですのでぇ、わたしが作った最高傑作のサポートガイノイドを同伴させますから。古い方はこちらで回収しますね~」
そう言うと、残念AIはユカリの方へ手を伸ばしてきた。即座に自分は、申し出を拒否するつもりで、ユカリに触れようとしているその手を掴む。
「いや、その必要はない。俺はこの子が甚く気に入っているんでね」
言いながらユカリの頭をぽんぽんして、彼女の様子を窺うと、怒ったような笑ったような表情で、相変わらずプルプルしている。だが、遅かれ早かれユカリの怒りが爆発するのは間違いない。
「それと、この子と一緒じゃなきゃ、今後の作業なんてやりたかないよ」
「う~。わかりましたよ~。晴一さんがそこまで仰るなら、差し上げましょう。ここまでたどり着けたご褒美としてぇ」
作業まで拒否しようとする自分の言葉に、逡巡を見せた残念AIは、仕方ないといった様子でわざとらしく両手を広げ、要望を受け入れた。
「そりゃどうも。なによりうれしいよ。じゃあな」
ユカリの限界も近いため長居は無用。早く逃げなきゃ。
「いやだ~か~ら~。ちょっと待ってくださいってばぁ」
「なんだようるさいな。もう用事は済んだだろ」
「もうちょっと待ってくださいよぅ」
何だか知らないけどガラクタAIはいやに食い下がる。こっちは今にも吹っ飛びそうな爆弾抱えてて気が気じゃないのに。
「ごほん。ところで晴一さん、“IMAKUL”アプリは活用していただけてます~?」
ユカリの沸点に不安を感じていると、思い出したように残念AIが“IMAKUL”の話を振ってきた。
「ああ、主に遊びに使ってるけど、そこそこ世話にはなってるよ」
「あは~っ。それは何よりです~。あれもわたしの自信作でしてぇ、作業のお供にもいいと思うので、ぜひ活用してくださいね♪」
「そうだな。そんときはまた世話になるよ。じゃ」
率直に言えば、ユカリがいればその必要は全くない。でもここは変にその言葉を疑わず、残念AIの好意として受けっとっておくことにした。
「いや、ですから~も~」
「だー! もうなんだよ!」
いいからはやく帰らせてくれ……。
「それでですねぇ晴一さん、もしよろしければ、具体的にどのようなスタイルなら喜ばれるのか、わたしに御教示してほしいのですが~……」
「あ~も~めんどくせえなあ」
残念AIはまたぞろ厄介なことを言いだす。ほんとに勘弁してくれよ。もう漏れそうなんだよいろいろと。
がっかりAIとのやりとりが面倒すぎて、かつユカリもいつ暴れだすかと気が気ではないこの状況下。こんなどうでもいい話には付き合いたくないのだが、あまり無碍にして問題が起こっても困るので、面倒でも適当にあしらうしかない。
「あー猫耳メイドとか?」
いくらなんでも恐ろしくベタ。一体何十年前のトレンドだというのか。
「猫耳……いわゆるフレンズという物でしょうか?」
「それ以上いけない」
「え? いけないんですかぁ?」
しかし残念AIの方が少し新しい。どうやら面倒だからと言って、あまり下手なことも言えないらしい。
少し考え込んでしまう。意外と色々知ってはいそうだし。こりゃどうしたもんだろう。
「とりあえず……上辺だけじゃなくて、もっと根本的な概念をよく研究して、近年のトレンドを織り交ぜるようにしてみるといいんじゃないか? ゲームアニメに限らず、サブカルのすそ野は広いぞ」
具体性は薄いが、無難な意見を提示して残念なAIの返答を待つ。ああもう、ユカリはずっと臨界状態だし。早くこの場を離れたい。
「そうですかぁ、分かりました! 善処します~!」
「ま、次に会うときまでの宿題とでも思っておいてくれ」
「はい、わかりました! 次にお会いするときは、きっとひと回りもふた回りも成長したわたしに驚くことになりますよぅ!」
むふーと鼻息を荒立てて、わざとらしくふんぞり返る残念AIに、仕事にかかることを伝え、足早に部屋を出る。
こんな疲れる所には一秒たりともいたくはないので、ようやく場を離れられることに安堵する。しかし、部屋を出て数歩歩いたところで、背後から追い打ちをかけるように再び残念なポンコツAIの声がかかる。
「あーそうだー! 晴一さぁーん! そのポンコツが不要になったらすぐに言ってくださいね~! いつでも無償交換いたしますので~!」
その言葉が、ついにユカリを限界突破させた。余計なことを言いやがって。
やつの部屋を離れられることに安堵し、油断していたことを少しだけ後悔する。声を聴いた瞬間、ユカリが光の速さで転進し、残念AIのいる部屋まで駆け出そうとしたのだ。
しかし、一瞬反応は遅れたものの、こちらも数歩ダッシュすることで何とか彼女を捕縛できた。もう少し対応が遅れていたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。それから喧しい口を手で塞ぎ、小さな体を小脇に抱えて全力疾走で出口へ向かう。まるきり人さらいの絵面だが、体面を気にしている場合ではない。
なお大暴れするユカリを必死に押さえつけて、やっとの思いで社の廊下まで辿り着き、乱暴に戸を閉める。そこでようやく開放されたユカリは、烈火のごとく激怒していた。激おこだった。多分なんとかドリームクラスであろう。そんなブチギレ状態の彼女は、今閉じた扉の前まで行き、引き戸を滅茶苦茶に蹴飛ばしながら、ギャーギャーと怒りの声を上げ続けている。
しばらくの間猛り狂う彼女の様子を眺めていたが、いつまでたっても怒りを収める様子がない。このままだと怪我をしかねない勢いなため、暴れているちびっ子を背後から持ち上げて、まずは扉から引き離した。悪いのはあのポンコツであって、扉は悪くないのだから、そんなに蹴飛ばしたらいかんでしょ。
「どうどう、よーしよしよし。かわいいですねーユカリちゃんは。この子はですねえ、首の周りをこうすると落ち着くんですね~よーしよしよしよしよし」
落花狼藉と言った具合のユカリの胴へ腕を回し、しっかりと胸元まで引き寄せてから、頭をワシャワシャと撫で、次いで猫の喉を撫でるように顎の下をくすぐる。するとそのとき、怒り任せに振り回されていたユカリの拳が、自分の右の頬へクリーンヒットする。
「あいったあー! なにしやがんでい!」
「なにすんのはこっちのセリフよっ!! あんたもからかってんのっ!? むきいぃぃ!!」
ユカリの怒りが有頂天。
「ちょっ、痛いってユカリ。落ち着いてくれよまじであいた!」
ミニマムな暴れん坊できかん坊は益々暴れ、打撃の間隔が狭くなる。辛うじて目鼻などの急所は躱しているが、致命打を受けるのは時間の問題だろう。しかし、なぜこんなにスタミナがあるんだこいつは。暴れ通しなのに、汗ひとつかいていないじゃあないか。
「ふざけんじゃないわよ! なんなのあのガラクタは!! 今すぐ解体処分にしてやるわ!!」
「おちつけーっ!」
彼女は過激な発言を繰り返し、どうにもこうにも収まりがつかない。こんなことを続けて貴重な時間を浪費するのは、まったくもってよろしくない。そこで一計を案じた自分は、隙を見て抱えていたユカリをこちらへ向かせ、頭を掴んでキスするくらいの距離まで顔を近づける。
「なっ、うなーっ!! ちょぉぉぉっんにゅうぅぅ!!」
かなり近いところまで顔を寄せられたユカリは、奇妙な声を上げて体を硬直させる。
顔は激しく赤面し、目をいっぱいに見開いて自分を凝視している。大人しくなったユカリからは、シャンプーの香りと、干し草のような爽やかな匂いがした。ヨリと同じかわいい匂いハスハス。は~落ち着くわ~、ではない。自分が落ち着いたってしゃーねーんですよ。
「お・ち・つ・け。こんなところで暴れてたって、しょうがないだろ!」
ここでやっと自分の意図に気づいた彼女は、目線を落とし、申し訳なさそうに小さくなる。
「ご、ごめんなさい……。ちょっと……取り乱したわ……」
打って変わって、大人しくなったユカリの体は、ほぼ全身が弛緩してへなへなになっている。今頃になって疲労が来たのだろうか。こうなると足元も怪しいので、その場に座らせて、自分も正面に腰を下ろす。
「いやこれはちょっとってレベルじゃあないだろう……。話は合わせても相手のペースにはのせられるなって、自分で言っといて結果がこれじゃあ世話ないぞまったく。先が思いやられるって~の」
誰がどう見ても大暴れの狂乱状態だった。裏拳が当たった頬もじんじんしてるし。おお痛え。
「うう……返す言葉もないわ……。本当に……ごめんなさい」
散々人に注意を促しておきながら、まんまとのせられたように怒りを暴走させたユカリは、自らの浅慮な行いを恥じるあまり、一層小さくなる。だがしかし、ユカリのこういう所もまたかわいい。かわいいけど反省してよね。
「でもまあ、よく耐えた方かな。最後の言葉がなければ、平静を装ったまま戻って来られていただろうし」
沸点低めのユカリにしては、初弾を耐えたのは褒められるべきだと思う。普段であれば、間髪入れずに『むきいぃ!』と噛みついていたことだろう。
「晴一がいたからよ……。その……絶対に必要だって……言ってくれたし」
口を尖らせてそっぽを向いたユカリは、そんなことを言う。ようやく宥めることに成功したようだ。しかし、そんなにしおらしくされてしまうとちゅーしたくなっちゃうじゃん。
「当たり前だろ。大事な相棒を簡単に手放せるわけないからな」
落ち着つきを取り戻し、アホ毛を萎びさせた頭を撫でると、彼女は居心地が悪そうにもじもじして、もっとかわいくなってしまった。
「もう大丈夫だな?」
「うん」
小さく返事をして、ユカリは軽く微笑み返す。はあ、かわいい。
「で、お次は?」
ユカリへ促すと、彼女は隣の部屋の前へ自分を誘い、引き戸に手をかける。残念なAIのせいで時間も無駄になったし、さっさと次の現場へ向かいたい。
入口の鴨居には、いつの間にか虹の間と書かれた札が付いていて、この引き戸もどこか別の場所へと繋がっているようだった。戸を開いたユカリが手を寄こすので、それを取り中へ入る。戸の向こうには、空の間と似たような通路があり、右へ緩やかに湾曲しながら奥の方へと続いていた。
「この先には直通車両のプラットホームがあるわ」
並んで歩く道すがら、いつものすました口調でユカリが言う。
しばらく歩いて行くと、やがてカーブを抜け、学校の体育館程はあると思しき開けた空間へ出た。そこには、壁面に空いた丸いトンネルにみっちりと嵌り、こちらへ端部の乗降口を向けた車両らしき円筒が五つ並んでいた。各車両は四両が赤色をしており、一番左端にある車両だけは黄色をしている。車両が嵌るトンネル上部には表示パネルがあり、何やら光を放つ謎のシンボルが宙に浮いている。恐らく行き先を示していると思しきそのシンボルは、全く見たことのないもので、意味はさっぱり分からない。見たことがあったらそれはそれで怖いけど。
シンボルは、大小様々な四角やいくつかの斜線、直線などを組み合わせた図形で構成されている。つまりは、自分の理解が及ぶのはその程度しかない。パネルが投影するそれらは立体的で、三次元コードのように見えたり見えなかったり。よくわからない。
「晴一。これかぶってみて」
ユカリがどこからか取り出した物は、顔全体を覆うような跳ね上げ式のシールドが付いた、つや消し黒の作業用ヘルメットだった。どこから出したのかな。
「お? おう……。こりゃまた馴染みのある形だな。なんか超軽いけど……」
大体こういう装備は最低でも四百グラムくらいはある筈なのだけど、このヘルメットは見た目にそぐわず非常に軽い。その辺のホムセンで売ってる安物キャップくらい軽い。
感覚的には、空になった二リットル緑茶のペットボトル程度だろうか。軽すぎる保安用具は頼りない。けれど、構造が安っぽいとかそういうことはなく、試しに拳で殴りつけても変形などはしなかった。それどころか鉄の塊とか、岩を殴ったような頑強ささえ感じる。やだ、頼もしい。掌返し。
彼女に促されるままヘルメットを装着するも、顎紐が付いていないため、ちょっと困惑する。しかし、ヘルメットは頭へ乗せただけで不思議と完全に固定された。首を振っても下を向いても微動だにせず、まるで頭と一体化しているようだ。それでいて、持ち上げれば簡単に脱げるので、とても使い勝手がいい。いいなあこれ。
シールドの部分は、透明なプラスチックのような見た目だ。外側から見ると、シャボン玉の表面ような虹色の模様があり、光源の角度によらず常にうごめいている。一見すると、バイク用ヘルメットのミラーシールドめいた色合いだ。また手で触れると、触れた場所を中心にして波紋が広がる不思議仕様となっている。ユカリ曰く、シールド部分は実体の無いある種の防護膜になっているとのことだ。この機能は見た目も美しくかっこいいため、男子の嗜好心をくすぐりまくる。
舐めまわすように観察していたヘルメットを再びかぶり直し、シールドを下ろす、すると今度は、視界が|Head-Up Display《HUD》のように変わり、各種周辺環境情報などが地球の言語でオーバーレイ表示される。一瞬シールドの内側が反射式のHUDになっているのかと思ったけれど、シールドを上げても表示が消えることはなく、目の前には情報が羅列され続けている。謎技術だなあ。
HUDを通して見た車両上部の表示パネルでは、例のシンボルが文字表示に置換されていた。そこには予想通り行き先と車両番号が案内されていて、右から“保管一”“兵管二”“情管三”“動管四”とあった。一番左のパネルは“主機五”となっているけど、他に注釈もないのでよく分からない。なんか動力系統の施設に関連してるのかな。
「ほうほう、こりゃ便利だな~。最高だよこれ」
「うふふ、どうやら気に入ったみたいね。初めて見る物よりも使い慣れている形の方がいいと思って、ヘルメットにしてみたんだけれど。どうかな? 因みに私の愛情がたっぷり詰まった自信作よ♪」
周囲を見回しながら、ぱかぱかとシールドを開閉していると、珍しく冗談を交じえたユカリが優しい口調で言う。
「そっか、なるほどな~。軽くて頑丈そうだし、使い勝手も申し分ないよ。気遣いありがとうなユカリ。俺も愛してる」
そう返すとユカリは一瞬固まり、やがてそっぽを向いてしまった。あーこりゃ毎秒かわいいわ。好き。
「と、とりあえず手始めに保守管理区画担当AIの所までいくわね」
少し間をおいてから、そわそわした様子でユカリが方針を提言する。
「りょ~かい。じゃあ右端の車両でいいのかな」
「ええ。乗り込みましょう」
ユカリに手を引かれ、車両後部の乗降口に立つ。すると、乗降口が数十センチへこみ、手前と奥とで上下にスライドして、二重構造の扉が開く。
同時に生えてきたタラップを使って乗り込んだ車内の様子は、車両というよりも、幅二メートル程の細長い部屋のような空間となっていた。そこには、一般的な電車やバスなどで見るような装備はない。しかし、壁に沿って簡易なデスクや収納などの調度品が配置されいるので、なんだかキャンピングカーのようだ。
奥へ進むに従って、両壁面の様子は変化する。ヘルメットのHUDは、各装備の使用法を表示しており、生活に必要な装備がエリア別で分割配置されていることがわかった。今通ってきた乗降口のあるエリアが、主な居住スペースとなっているようで、ここにはバスルームなどが配置されている。ひとつ奥の空間には、キッチンやダイナーのようなテーブル類が据えられているから、食事はここでとることになるのだろう。
さらにその先の車両中間部分に当たる部屋は、倉庫と工作室に割り当てられており、簡易的な加工作業ができるようだ。壁沿いには、大型のコンテナや保管庫などが並び、見慣れない工具類がラックに整然と格納されていた。部屋の中ほどの壁際には、全長が二メートルを超える細長い装置が鎮座している。装置には、HUDによって“立体出力装置”と注釈が付けられているため、何らかの製造機械なのだろう。通りすがりに側面の窓からチャンバーを覗くが、地球の産機にあるような加工機構は見当たらない。また3Dプリンターのような稼働軸や、ヘッドユニットが付いている様子もない。少なくとも、窓から見えた範囲には可動部が見当たらないので、どういう動きをする物なのか想像がつかない。
中間部を抜けた先にある先頭部に、操縦席らしきものが配置されていた。しかし、操作パネルっぽい場所には、レバーやスイッチといった機械的入力装置が付いていない。戯れに設置されている椅子に座ると、手元のパネル面にコンソールが表示される。同時にHUDにも注釈が表示され、操縦に関する操作をこれで賄う仕組みであることがわかる。
「うおう。この未来感。インパクト強めだな~」
男子はこういうのにはめっぽう弱い。けど、こういう機械類のタッチ系操作って、確実性が低く感じる。ここの水準ならそんな心配は無いのかな。これは空中座標読み取り式のUIだから、タッチの必要さえないけれど。しかも、空中操作でありながら、官能フィードバックが付いているというね。さらに説明を読むと、ナノマシン適用者ならば、近距離通信やネットワークを介してHUDから操作できるようだ。便利だな。
椅子に立ったり座ったりしつつ、コンソール類を舐めまわすように眺め、操縦席壁面や、パネル下にあるメンテナンスリッドを開けて、中を観察する。そうして沸き上がる好奇心を満たし、おじさんはひとり喜んでいた。HUDには、リッド内部の構造説明や機能の情報が詳しく表示されるため、万が一故障が生じても、手作業による修理対応も可能なようだ。まあこういうのは得意分野だしな。視界内に作業要領とかも表示されちゃうんだろうから、お茶の子さいさいよ。フフフ。
「晴一? 何してるの」
車両の探検に出たきり戻らない自分を心配したのか、ユカリが先頭部にやってきた。
「晴一君は未知の機械に対する探究心を満たしています」
「そう。ならもう出すわね。この路線は損傷がないから、二十四時間で勝手に現地へ着くわよ」
あちこちをパカパカしている自分を見て、呆れたように苦笑しながら、そろそろ出発する旨を告げるユカリ。
彼女が言うとほぼ同時に、操縦席前方の壁がガラス窓のように透過され、白く明るい走行チャンバー内の様子が映し出された。チャンバー内の壁は均一に自発光しており、照明設備はない。
映像を凝視して外の様子を観察していたら、突如景色が超高速で流れはじめたため、度肝を抜かれてしまう。ユカリが言うには、この車両は、静止状態からタイムラグなしで最高速へ到達し、停止する時も同じように減速なしで静止状態へ移行するとのことだ。これは、この車両が完璧な慣性制御を行っている証拠であり、加減速に対する荷重移動や振動なども皆無だ。当然車両内の物体も、走行に伴う慣性力の影響を受けることはない。これには、コップの水をこぼさずに、ドリフト走行を決める豆腐屋も真っ青だろう。
「ここの技術じゃS字加減速なんて概念は遥か昔の遺物か。こわいこわい」
地球の技術とは格差があり過ぎて、自分の理解などは到底及ぶものではなく。完璧な挙動には、嘆息するしかない。ふと脇に目をやると、いつの間にか近くに来ていたユカリが、何やら嬉しそうな笑みを浮かべて自分を見ていた。どうしたんだいプリティーガール。
「なんじゃらほい?」
「ん~。晴一がなんか嬉しそうだな~って」
「ああ、そうだなー。ここには社とは違ってまた別の刺激があるからな」
再びしゃがみ込んであちこちを覗きはじめた自分の背中に、「えい」と言ってユカリが覆いかぶさり、肩越しに腕を回してくる。
のしかかられた拍子に体勢が崩れ、前のめりになる。そのとき、パネルの下部にヘルメットをぶつかり、プラスチック然とした軽い音が操縦室内に響いた。なにかユカリからはバニラのような甘い匂いがするけれど、何か食べてたのかな。
「これこれ危ないじゃないか。ヘルメットがなければ即――こぶができている所だぞ」
背中のユカリへ声を掛けると、暫らく間をおいてから口を開く。
「こんなに短時間でここまで来られるなんて思ってなかったから、これまでの苦労が嘘みたいに思えるわ。これもあなたが協力してくれたおかげよ……。本当にありがとう晴一」
積年の思いが果たされる瞬間が近づいていることに、ユカリは感極まってしまったらしく。視界の端の方で涙を流していた。自分はヘルメットを外し、肩に乗せられているユカリの頭に、自分の頭を軽く当てる。
「ここへ来た当初は帰ることばっか考えてたけど。ここまで来たら、すでに半分以上は俺の目的みたいなモンになっちゃったからな。そう気にしなさんな」
「うん。でもありがとう」
再度礼を言ったユカリは、背中側へ引っ込んでしまったため、表情はわからない。でも、背中がじっとりと熱いので、まだ泣いているのかも。
「ん。さて、俺は眠くなってきたかな」
肩口がしっとりしてはじめたので、ユカリをおぶったまま立ち上がり、居住区画のある最後尾に向かって歩きだす。昼間ヨリと共にはしゃいだときの疲労もあり、今日はこのまま寝てしまいたかった。
途中通りかかったキッチンスペースで、詳しく設備を観察すると、食品用の立体出力装置が壁に埋め込まれているのを見かけた。しかしよく見てみると、ディスペンサー前の台に、何か散らかっていた。何か妙に気になったため、近づいてみる。
そこにあったのは、焼き菓子の欠片のようなものだった。ひとつ摘まみあげて匂いを嗅ぐと、バニラのような甘い芳香を放っている。これは、先ほどユカリから感じた香りと同じものだ。仕方のない子だなあ。
「これユカリでしょ?」
「え? な、何のことかしら? 私は全然知らないけどなにか散らかってるわね」
「いや、へたくそかよ……」
べつにユカリが何を食っていても咎めるつもりはない。なのにユカリは、つまみ食い行為を隠そうとする。まるで来客用に取っておいた茶菓子を許可なく食べた子供のように。ほんと、こういう所かわいいよなあ。
「俺は別にユカリが何を食べていようと、それをどうこう言うつもりはないよ。でもさ、ここは共用スペースなんだから。使ったら汚しっぱなしにしないで、ちゃんと片付けような」
「う……あ、た、食べてないもん……」
いや食べてるでしょ確実に。
「じゃあ、そのかわいいお口の匂いを嗅がせてもらおうかな。あと唇とかも舐めて、甘い味がしないかどうか確認しても平気だよな?」
なにも平気じゃねえよただの変態じゃねえか。もっと他に方法があるだろ。
「うや! あ、思い出したわ! さっきちょ~っとだけクッキーを出して食べたのよ~。でもでも、ただ私が食べたかったからじゃないわよ? ちゃ~んとここの設備が機能してるかどうか、身をもって確かめただけだからね! ホントよ?」
「うん、はい。もうわかったから。次はちゃんと片付けような」
「本当だもん!」
ユカリの口調が幼い子供のようになっているのは何故なのか。まあそれは別にいいんだけれど。
散らかっている破片を手のひらで集め、シンクの中に落として水で流す。どうせここの雑排水も、リサイクルに回されるのだろうし。こんな僅かな残菜を流したところで、設備はびくともしないだろう。
ダイニングを出た後も、ユカリは終始言い訳に徹し、食欲に負けてしまったとは認めなかった。ただ、散らかしっぱなしにしたことは反省したようで、ちゃんとごめんなさいと言っていた。よきです。
◆ ◆ ◆ ◆
すったもんだがありながら、ようやく居住区画に戻って来る。そこでふと乗降口を見ると、扉の両脇に据え付けられた椅子には、さながらCAのように、ふたりの仲居ヨリが座っていた。背景に溶け込むようにしれっと座るふたりを見て、おじさんはびっくりしてしまう。いつの間に乗り込んでいたのだろう。
「うおい! 驚いたな。ふたりとも何時からいたんだい」
「あんの腹立たしいバカチンとの会合が終って廊下に戻ってきた辺りで、搭乗を指示しておいたのよ。はあ……」
普段通りに戻ったユカリが背中から答えるも、語勢には苛立ちが含まれていた。とても悔しかったのはわかるけど、思い出してまで怒るのはやめようね。精神衛生上よろしくないから。
ふたりの仲居ヨリはすまし顔でこちらを見ており、顧客から要望がもたらされるのを、今かと待ち望んでいるように見える。そんな彼女らへ向けて、自分は就寝したい旨を伝える。
「寝床は、ねえどこ?」
おじさんはしょーもない駄洒落が好きだ。
そんなどうしようもなく寒い申し出にも文句ひとつ返さず、仲居ヨリたちはすかさず立ち上がり、近くのパネルを操作した。すると、壁沿いにあった家具類がみるみる床へ収納され、天井から通路幅くらいの寝台が下りてくる。なんだこのからくり屋敷みたいなギミックは。忍者でも潜んでいそうだぞ。
「なんとまあ。そんなとこに格納されているのか」
意外な場所から出現したベッドに若干困惑しつつも、背中のユカリから雪駄を毟り取り、設置が完了したベッドの縁へ座って履物を脱ぐ。そこでベッド上に降り立ったユカリは早速ごろごろし始め、自分はふたり分の雪駄を床に揃えて置いた。
ベッドの広さはキングサイズ程あり、固さも申し分ないものだった。自分が真ん中付近へ寝転がると、続いてユカリが隣に寝転び、アホ毛をピョコピョコさせはじめる。それどういう仕組みなの。
すると、どこから取り出したのか、仲居ヨリたちが薄手の綿毛布のようなものを掛けてくれた。とまあ、そこまでは凡そ予想の範疇だったが……。なぜか、自分とユカリを挟むようにして、中居ヨリたちまでもが仲良くベッドに寝転がる。
「どういうことなの……」
別に悪いことではないのだが。今までに見たことのない仲居ヨリの行動に面食らっていたら、「この子達も寝るのよ」とユカリが教えてくれる。
「まじで?」
「まじで」
ユカリによれば、社の仲居ヨリたちもずっと起きているわけではなく、交代で睡眠をとりながら、二十四時間のサービスを展開しているとのこと。
量子脳には及ばないが、彼女たちも近い構造の脳機能を持っている。そのため、必須ではないものの、睡眠をとるのだそうだ。彼女らが眠るとは知らず驚いてしまったが、きちんと寝具へ横になってくれてよかったと思う。ふたりをほったらかして、自分たちだけがベッドで眠るのは申し訳ないから。
「待機で時間が空いてるときは、目を開けたまま寝ていることもあるわよ」
「え~、怖いんですけど……」
流石に、横で寝ている仲居ヨリたちの目は閉じられているけど。このふたりがいつも部屋の出入り口で座ってるところを思い出して、自分は何となく納得した。
「そっか。感謝しないといけないな」
ふたりの頭へ交互に触れて、軽く撫でる。
彼女らの髪や頬は、見た目通り柔らかで温もりがあり、人間とまったく変わらない。しばらく、ふたりの寝顔を眺めていると、右腕にしがみついているユカリが不意に力を込め、掛け布の奥から不機嫌そうに睨んでくる。コワイ。
仕方なく、彼女の頭をついでのようにくしゃりと撫で、自分も目を閉じて寝に入った。恐らく、八時間後くらいには勝手に目も覚めると思うけど、その時もまだ車両の中なのだろう。それは当然のことではあるが、漠然とそんなことを思いながら眠りに落ちた。