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弐拾弐 ~ 前昼祭 ~

 目が覚めて時計を見ると、時刻は午前六時過ぎ。目覚ましに頼ることなく自然と目が開いた。覚めきらない頭で天井を眺め、昨夜寝る前にユカリが言っていたことを思いだす。


『明日の晩、ヨリが寝たらすぐに私と入れ替わるから、まず中央統括区画に行って現行の統括AIに会いましょう。アレは私が元二代目統括管理AIだってことには気づいていないから、それはこの先も伏せたまま行動するわ。これは絶対悟られないように気を付けてね』


 ユカリが素性をばらさないようにするのは、優位性を確保するための対策だと思われるけど、他にも理由があったりするのかな。もしそうなら、必要なタイミングで教えてくれるだろうけど。


「さて。いよいよ今夜か」


 これから、自分の身に降りかかる災厄などの可能性を考えると、やっぱり落ち着かない。戦闘なんてしたこともないのに、今日からはそれが日常になるかもしれないのだ。

 どの程度の脅威が待ち受けているのかは分からないが、自分などが生き残れる自信は、ほぼないと言って差し支えない。そんなこと考えながら、布団の中でもぞもぞしていると、右腕にしがみついている少女が目を覚まし、布団から頭を出す。寝ぼけ顔でもやっぱりかわいい。


「おふぁようごあいますはみはま」


 難解な挨拶を発して起き出したのは、約二日ぶりに目が覚めたヨリだ。

 愛らしい彼女の姿を見た途端、結晶体を口に含んだ彼女の姿がフラッシュバックし、胸が痛くなってしまった。さらに、ついうっかり我慢できずに抱きしめてしまう。ああ~、このかわいい感触ヨリなんじゃ~。おろろ~ん。


「ふえぇぇ!?」


 起き抜けに突然抱き締められたことで、ヨリは激しく狼狽(うろた)えてしまう。そんな彼女をしっかりと抱いたまま朝の挨拶をする。ここで警察に踏み込まれたら言い訳できない。


「う~ん。おはようヨリちゃん」

「な、はいぃ、おはよう御座います?」


 状況が呑み込めない彼女は、明らかに困っている。なぜ、自分は目覚めて早々神様に抱き締められているのだろう。多分そんな風に思っているに違いない。そのまんまだけれども。


「よーし。朝のヨリチャニウムの摂取完了」

「よりちゃにうむ? で御座いますか?」

「うん。ヨリちゃんをぎゅってすると滲み出てくる貴重な成分なんだ」

「ええーっ!?」


 もう長らく聞いていなかった気さえするヨリの口癖が聞けて嬉しい。


「起きるぞー、起きて顔を洗うぞー。さぁて何をしてやろうかな今日は! やっちゃうよ~!」

「はい! 私もお供しますー」


 ふたりで顔を洗い、朝食を済ませた後は、習慣のような腹の苦しさに悶える無様なおじさんが、畳の上を転げまわる。ここまでが朝のルーティーン。

 行儀の悪さをヨリに(いさ)められていると、ポケットの中でスマホのバイブが鳴動した。芋虫おじさんは、進化を迎えたかの如くすっくと立ち上がり、トイレに行くとヨリに伝えてバスルームに入る。ドアに念入りに鍵をかけて、今回もケツ圧で割れてしまいそうな便座の蓋に座る。ミシミシ。

 予想通り着信はユカリからのものだった。この予想は外れることはなく、百パーセント的中する。だって、ここに着信させる相手はユカリしかいないから。電話とネットは使えるけど、なぜか地球からの通信は入ってこないみたいだし。こちらから連絡することもできるようなんだけどなあ。まあいいや。

 画面をのぞき込むと、すぐにユカリはこちらに気づいたが、いつまでもバイブが止まない。何やら彼女は心なし不機嫌そうに見えるし。


「おはようユカリ」


 朝の挨拶をすると、ようやくバイブが停止する。なんなんすか。


「おはよう晴一。ヨリに会えて随分と嬉しかったようね。朝から早速セクハラしているし、おまけに顔もキモイわよ」

「キモくねえし。なんだよ朝からご機嫌斜めだな」

「別に。そんなことないわよ」


 いやいや。明らかに不機嫌でしょ。


「そんなことよりも。折り入って晴一に頼みがあるの」

「ハイヨロコンデ~。でも改まってどうしたの?」

「うん。ちょっと様子を見に行って欲しいところがあるのよね」

「おう……。で、どこに行けば?」

「部屋を出たら左へ向かって。そしたら右の列にある一番奥の扉まで行ってちょうだい」


 ユカリから指示された場所は、以前ヨリとふたりで調べたときには開くことができなかった部屋でもある。あの時は確か、玄関の引き戸と同じく時間軸固定構造体の感触がしていたはずだ。


「その部屋、前にも調べたけど開かなかったよ?」

「そうよ。あの時はまだ何も設定していなかったもの」

「はあ。そうなのか」


 とにかく行けばわかるのだろう。バスルームを出て、ヨリに気づかれないようそっと部屋を抜け出し、ユカリの指示通り目的の部屋へ向かった。相変わらず出口の両脇には仲居ヨリが待機しており、自分が出るとひとりついてくる。


「着いたぞい」


 部屋の前へ着いても、ユカリからは何の指示もない。スマホを見れば、画面は消えていて彼女の姿はなかった。おかしいなと思って、スマホを傾けたりひっくり返したりしていると、背後から声を掛けられる。


「なにをしているの?」


 突然背後にいた仲居ヨリに声を掛けられたため、スマホを落っことしそうになる。


「わあーっ! んだよおどかすな……」

「晴一。やっぱりあんた馬鹿でしょう? そんなのひっくり返したって私が出て来るわけないじゃない」


 (おっしゃ)る通り。(おお)せのままです。的確な突っ込みありがとうございました。やだなあもう、恥ずかしい。


「か、軽いギャグだぞ、本気でそんなことするわけないだろ」

「はぁ。どうだか」


 どうでもいいという感じで、仲居ヨリをオーバーライドした仲居ユカリが、自分の横をすり抜け、件の部屋の引き戸に手を掛ける。

 鴨居には、“空の間”と書かれた木札が掲げられていた。彼女が力を籠めると、引き戸はするすると音もなく開いてゆき、その先は近代的な建物の通路のようになっていた。そこでユカリは、敷居をまたいで中に入ったり廊下に出たりを繰り返し、何やら頷きながら一人で納得している。


「うんうん。ちゃんと繋がったようね」

「そんで。ひとりご満悦のところ申し訳ないが、こりゃなんだい? どこいけるの?」


 自分は、扉内の内装などを見回しながら、忙しそうなユカリにうかがいをたてる。


「ええとね、この通路の先には中央統括区画があるの。そして、そこには三代目の現統括管理AIがいるわ」


 ユカリはそう言いながら通路の壁を撫でたり、接合部の鴨居なんかを調べたりしている。


「こんな所から行けるようになってたのか……」

「と言うより、これは昨日の仕込み作業の時に繋げておいたのよ。それで、今日はその成果の確認をしに来たの。直通列車の発着場にも、この方法で移動することになるし。いざ出発となってから、実は機能していなかったでは困るでしょ?」

「確かにそれは困る」


 彼女の言う通り、行き当たりばったりはよくない。段取り八分(はちぶ)仕事二分(にぶ)。翌日の学校の準備は、帰宅したらすぐにしておくべき。誰しも朝っぱらから慌てるような目に遭いたくないだろう。毎朝バタついてたのがここにいるけど。


「とりあえずここはおっけー♪」


 ユカリはご機嫌で引き戸を閉じた。次に隣の引き戸を少し開いて中をのぞき込み、また満足そうに頷く。彼女は、戸を閉じてこちらへ向き直り、ヨリが心配すると言って自分の背中を押しはじめた。帰路の途中、ひよこの間の隣室前でしばし足を止めた彼女は、浮かない顔で入口を見つめていた。


「どした?」

「うん……」


 数日前の探索で唯一入れたのは、この隣室だけだった。室内にはこれといってめぼしいものはなかったが、唯一、誰のものとも知れない使い込まれたピッケルが、ぽつんと壁に立て掛けられていた。


「……俺の前にいた神様役の人?」


 ユカリの妙な様子が気になり、以前の神様候補のことを聞いてみる。


「うん。今から三十五年くらい前までここで暮らしてた……十年間を最後まで過ごせた唯一の人間よ」

「あ、この前海で言ってた例外ってその人か」

「そう……。晴一より年上のおじさんで……日本の冒険家だったわ」


 ユカリは彼と過ごした十年間のことを、少しだけ話してくれた。彼から学んだ沢山のことは、彼女にとって大変貴重な物であったこと。もしかしたら、感情を理解できるようになった切っ掛けを与えてくれたのは、彼なのかもしれないということ。そんなことを、寂し気な笑みを浮かべたユカリは話してくれた。

 結果は失敗だったものの、ユカリは彼の存命を望み、社での生活を提案したそうだが、彼はそれを拒否し、最後は自ら望んで死を受け入れたのだという。辛い結果にはなってしまったが、唯一彼についてだけは後悔をしていないのだそうだ。


「それは……凄い人だったんだな……」


 自分は、小学校の卒業アルバムの最後の(ページ)にあった付録を思い出した。過去に起きた近代の大きな出来事を、時系列で解説していたその付録には、海外の山岳地帯で消息を絶った冒険家の写真と、当時の新聞記事の引用が載っていた。世界に名をとどろかせた彼の遺体は、現在に至るまで発見されておらず、生存説さえ囁かれている程である。


「……その人の名前って何て言うんだ?」


 何となくではあるが、彼女の口から直接聞いておくべきだと思ったので、また背中を押しはじめたユカリへ、背後を振り返りつつ投げかける。


「うん……。忘れちゃった」


 やや寂し気にはにかむ笑顔を見せ、ユカリは言った。

 それ以上ユカリが前任者の話を続けることはなかった。自室の前に着くと、彼女は「また後で」と言い残し、扉の脇へ正座をしてから制御を仲居ヨリに返す。

 一瞬で素に戻った中居ヨリの様子を確認してから、そっと出入口の引き戸をくぐり、玄関口との仕切り襖を開けようとしたとき。手を掛ける前に襖がスッと勝手に開いた。戸の隙間からは、ヨリが疑わし気な顔を覗かせて、自分を見上げている。僅かな隙間から垣間見える彼女の整った顔立ちは、見る者を無言で威圧し、自分は戦慄する……。


「ヒッ! ……あ、いやあ……な、なかなか出なくてさ。いろいろと。おかげですっかりヒリヒリしちゃったぜ! はっはっは……は」

「どちらへ行っていらしたのですか?」


 やっぱりバレてた。てへぺろ。


「あはは~……えっと。実はその辺を……食べ過ぎた朝食の腹ごなしに、散歩などをしておりまして……。ええ。ハイ」

「……本当で御座いますか? また件の如何(いかが)わしいお部屋へ行かれていたのではないですか?」


 静かな口調で淡々と。抑揚ない声色で、ヨリは自分の不可解な行動を問いただす。胃が痛い。


「いやいやいやいや、今回は本当に行ってないよ? 本当だよ? 絶対に!」


 隙間からジト目で睨むヨリを前に、取り繕うのが精いっぱいの自分は、必死にゲーセンへは行ってないアピールを繰り返す。さらに、丁寧な虚偽の状況説明を加え、無様に弁解する姿を見せると、何とかヨリは誤解を解いてくれたようだ。

 それにしたって、なぜこんなにもヨリはゲームコーナーを認めてくれないのか。これはいつかユカリに問い正す必要があるかもしれない。

 あとヨリの怒った顔は心臓に悪い。


 ◆ ◆ ◆ ◆


「まいったなあ」

「どうかなさいましたか?」

「いやね。ごろごろしていたら突然ヨリちゃんが膝枕してくるし」

「ええっ! ご迷惑でしたでしょうか!?」

「いやいやそうじゃないんだけれどもね。すごく嬉しいし」


 昼を食べてしまうと、特に午後の予定はなく。テレビやネットをだらだら眺めては、今夜からの計画を思って消沈する。気晴らしに畳の上をごろごろしていたら、ヨリに捕まって膝枕までされてしまった。こうなると、どういう状況なのかと悩んでしまうが、そこでヨリが意外な思いを吐露(とろ)しはじめる。


「実は、昨夜のことなのですが……。眠る前に……その、何かすごく嫌な事があったような気がするので御座います。ですが、いくら考えましても、これといって思い当たる節もなく。胸がもやもやするばかりで御座いまして……」


 おいおいユカリのやつめ。任せておきなさいって言ったじゃないか。ヨリは、昨夜倒れた時の記憶が、無意識の(わだかま)りとなって残っているようだ。

 完全には消えないにしても、辻褄は合わせると豪語していたユカリに対する不満の声が、胸中にこだまする。


「神様もどこかお元気がない様子で御座いますし……」

「えっ俺? いや~、俺っちはいたって元気よ? ほらこの通り」


 横になったまま、非常口表示灯のピクトグラムの人みたいな恰好をしてみせる。


「うふふふ……」


 非常口の人は、ヨリの受けがいいようだ。新発見。きっとこれがユカリなら、鼻で笑われてしまうのだろうなと、勝手に遣る瀬ない気持ちになる。ため息をついて、元の通りに丸まったダンゴムシよろしく、敵の自爆攻撃で死んだ漫画のキャラめいた格好へ戻ると、ちょっと口が寂しくなった。


「ちょいとヨリちゃん、ポテチなんぞを取ってほしいのだけど、いいかな?」

「はい! ぽてとちっぷすで御座いますね」


 お願いすると、ヨリは卓上にある菓子籠を引き寄せてポテチの袋を寄こしてくれる。ごろごろしていないで自分で取ればいいのだけど、ヨリから膝枕をされてしまっては、そうもゆかず。彼女の真心を(ないがし)ろにはできないのでな。なっ。


「うう、ありがとう」

「どういたしまして。他になにかご要望は御座いますか?」

「はい、大丈夫です。ありがとうごぜーます」


 あ~ヨリコンになるぅ~。

 この掛け替えのない平和なひと時を守るためにも、おじさんは一生懸命頑張らねばならない。そう自分を奮起し、バリバリとポテチを(むさぼ)る。


「はいどうぞ。ヨリちゃんも食べるんだぞ」


 言いつつ、袋の開口部をヨリの方へ差し出してポテチを勧める。 


「あ、はい。いただきます」


 それにしてもやる事が無さ過ぎて間が持たない。こうしてごろごろしていると、色々と考えてしまって落ち着かないし。そこでおじさんは、貴重なヨリのひざ元を離れて、少しスクワットをしてみる。これもわかっていたことだが、結局は間が持たず、早々に飽きた。(かたわ)らを見れば、ヨリが心配そうにこちらを見ている。これではいけない。何か思いきり遊べるようなことはないものか。

 手持無沙汰過ぎて、おじさんはとうとう我慢の限界を迎えてしまった。結局また“IMAKUL”を起動して、いいおもちゃとなる乗り物を注文する。それからヨリを誘って外に出ると、お望み通りの軍用ATVが社前広場に鎮座していた。


「やったー! ネットで見てから一度乗ってみたかったんだー。ATVでディーゼルターボなんてなかなかないからなー」


 Porolis LZL-ATVを軍用スペックにブラッシュアップした全地形対応車、MLAZL(エムレイゼル)。ふたり乗り九百九十三CC。四ストローク三気筒ターボディーゼルエンジン搭載。変速機はCVTオートマチックで、セレクターは計五レンジ。車軸懸架ではないものの、足回りには前後ともロングストロークな独立懸架式緩衝機構を採用しているので、砂地での走破性も申し分ないだろう。なにせ軍用規格品だからな。

 以前バイクで島を周回した際に思ったことだが、この島の海岸線はほぼ平坦で幅も広く、途中岩場でふさがれているようなこともないので、二輪よりも四輪の方が楽しいはずなのだ。

 ひとり素敵なATVを舐めまわすように眺めていると、ヨリが寄ってきて、またですかみたいな顔で自分を見る。そんな彼女へ苦笑を返し、ひとつ提案をしてみた。


「今回はね、ヨリちゃんにもこれを動かせるようになってもらおうと思ってるんだ」

「えええーっ!?」


 多分今までで最大級の驚きなのだろう。彼女は自分とATVを交互にみて目を白黒させている。


「うん、その驚きはごもっとも。でも大丈夫。操作はすごく簡単だから。神様の国ではね、こういう乗り物をヨリちゃんよりも小さい子が乗ってたりするんだよ?」

「そ、そうなのですか!?」

「そうなのですよ。そういう競技が盛んに行われているのです」


 幾つか乗り物競技の例を話して聞かせると、困惑気味だったヨリもかなり乗り気になってきた。これも自分の期待に応えようとする、彼女の真心から来ているものなのだろうか。それは分からないけれど、彼女の高い順応性を踏まえると、意外とアクティブな部分を備えているのかもしれない。


「まずは俺と一緒に座って少し練習してみようか」

「が、頑張ります!」


 操作は普通乗用車とほぼ変わらない、ツーペダルのワンハンドルだ。直感的に操作がしやすい作りだから、呑み込みの早いヨリならば、自転車以上の習得速度を見せてくれるはず。

 そんな目論見通り、数回運転の見本を示してからヨリへ交代すると、恐る恐るではあるが指示した通りに操作を的確にこなし、みるみる感覚を物にしてゆく。小一時間程レクチャーを続けると、走る曲がる止まるといった基本的な操作を車速に合わせて無理なく行えるまでになった。流石に細かい車両感覚までは掴めなかったが、そんなものは時間の問題に過ぎない。


「流石だなヨリちゃん。神様感動だよ……本当に」

「いえいえ。やはり神様の教え方がお上手なのだと思います」

「そうかな~。これはひとえにヨリちゃんの才能だと俺は思うんだけどな~。というわけで、ヨリちゃんの運転でちょいとさき島一周旅行。行ってみよっか?」

「はい! 頑張ります!」


 それはいい笑顔で返された、元気のいい返事だった。

 ヨリにシートベルトを掛けて、固定具合を確認し、GOサインを出すと、ATVはディーゼル特有の低い唸りを上げて、ゆっくりと海岸を走りだす。ほどなく、インパネの速度計は、時速三十五キロメートル付近を指した。時折、深くなる砂に足を取られて生じる車体が流れる感覚は、とても楽しい。そのたびに各操作は忙しくなるので、ヨリは必死にハンドルとアクセルを駆使して、車体の直進を保とうとしていた。シートを目いっぱい前にしても、ペダルの操作にはギリギリ感があるが、それでも十分健闘している。後は座高がもっとあればベストなんだけどねえ。


「凄いな。姿勢の修正がうまい。それとも、ユカリが何かサポートをしていたりするのかな……」


 独り言を吐いても、エンジン音や走行音にかき消され、ヨリの耳には届かない。

 ヨリほどのセンスがあれば、ジュニアカートレースに参戦しても結構な成績を残せる気がする。あるいは走行会などで一緒にドリフトをしたり、ふたりで色んなモータースポーツを楽しむこともできるかもしれない。いいな。ちょっとやってみたいな。


「ヨリちゃんどうだい? 楽しいかい?」


 ルートが平坦になった辺りで、感想を聞くために耳元へ問いかける。


「はい! この乗り物すごく面白いです!!」


 ヨリはすっかりATVの虜になってしまったらしい。

 その後も三周ほど周回して社の前まで戻ってくると、額に汗を滲ませてへとへとになっていた。ぐったり気味のヨリを持ち上げて、助手席側に乗せ、四点シートベルトを掛けてドライバーを交代する。そのまま少し待つように言って、部屋からバイクで使用した保護具を持ち出し、ヨリの全身に装着した。自分はヘルメットとグローブ、ブーツを装着して車体へ乗り込み、座席を調整してしっかりとベルトを掛ける。

 出発の合図をジェスチャで送り、エンジンを始動させた直後、一気にアクセルを全開まで開けた。力強い加速でシートに押し付けられたヨリが悲鳴を上げ、唸りを上げるエンジンが全駆動輪をホイルスピンさせた。車体は大量の砂を巻き上げながら斜めになって走りだす。車体構造がRR寄りのMRのため、ほぼRRのような挙動をするこのATVは、あまり踏み込んでしまうと、すっぽ抜けたように舵が利き難くなった。ここはちょっと不満かもしれない。


「こりゃドリフトは止めといたほうがいいかな」


 そんな特性もあり、特に狙わずとも車体は終始ドリフトをしているのと大差ない挙動を取る。

 ディーゼルの高トルクで砂をかき分け、白い浜辺を疾走するのは本当に楽しい。途中速度を緩めてヨリにおうかがいを立てると、彼女はとても喜んでいた。気を良くした自分は、更に回し気味にして島を周回し続ける。そうして五周ほど島を回ると、大分(だいぶ)疲れてしまった。ちょっとはしゃぎ過ぎたため、車寄せのようになっている岩屋前へATVを駐車する。ヨリは終始大喜びしていたので、おじさんはとても嬉しい。

 車体を降りると、全身にかいた汗が結構な砂をひきつけていることに気づく。かなり車体を暴れさせたから、背中と首周りはざらざらになっていた。ヘルメットを脱いだヨリも、顎の方まで砂ぼこりが張り付いている。

 みすぼらしい玄関前で、着衣をバサバサして砂を落とし、社の中へ入る。駅で見るような大型コインロッカーめいた下駄箱へ、外した各保護具を放り込むと、そのまま風呂へ直行する算段となった。

 一時格納場所に悩んだヨリの自転車も、今は奥行きがやたらとあるこの下駄箱の一つへしまわれているけれど……。ヨリはいつも自分と一緒にいるから、これに乗って遊ぶ機会は少ない。早く彼女を呪縛から開放して、自由に暮らせるようにしてあげたい。きっとユカリも同じ想いでいるはずだ。


「ヨリちゃんも滅茶苦茶楽しそうで良かったよ」

「はい! すごく楽しかったです!」

「うんうん。今回は喜んでもらえてうれしいな。ヨリちゃん外で遊ぶこと自体は好きそうだもんね」

「そうで御座いますね。体を動かすのは好きで御座います」


 他愛のない話をしながら浴場へ入って洗い場へ直行し、お互いにシャワーを当て合いながら砂を落とす。

 あちこちを湯で流すと、床はざらざらになった。玄関先で払った程度では、やはり落し切れない。追い打ちをかけるように、ふたりで体の隅々までボディソープやシャンプーを塗りたくり、念入りに砂を落として風呂を出る。

 籠の前で体を拭き始めると、まだ夕飯前だというのに、ヨリが舟をこぎ出してしまった。激しい運転操作で、だいぶ体力を消耗したであろうヨリは、髪を乾かし終える頃にはすっかり熟睡モードだ。

 こういった事態にも、もう慣れたもので。慌てず騒がずヨリを抱いて部屋まで戻ると、夕飯と布団が用意されていた。このまま寝かせてあげようかとも思ったけれど、お腹が空いたままではかわいそうだ。まあ、起こすのもかわいそうなのだが、聞くだけは聞いておこう。


「ヨリちゃ~ん、ご飯食べないのかい?」


 ひとまず、ヨリを布団の上へ降ろして、軽く体を揺すりながら声を掛けた。どうしても眠気が勝るようなら、布団へ入れてあげよう。

 しばらく様子を見ると、ヨリはへなへなと起きあがった。半分寝ぼけたような状態ではあるが、「すみません、いただきます」と言いつつ座卓の向こう側へ座った。

 とうに限界を超えているヨリのことを考えて、早々に夕飯を済ませた後は、連れ立ってバスルームで歯を磨き、ふらふらの彼女を布団へ寝かせた。やっぱり、夕飯はやめにして寝かせてあげた方が良かったかもしれない。

 少しかわいそうなことをしたかと思いながらスマホを取り出し、例のアプリを起動して、早速ユカリを呼びだす。自分のお仕事はこれからなのだ。


「ヨリちゃん寝ちゃったけど、時間的にはまだちと早いんだよな」


 時計を見ると、現在時刻は十八時二十分。この微妙な時間に出発するべきか、あるいはもう少し待つべきか。ユカリへ相談を持ち掛ける。


「ん~、ヨリはもう起きないと思うし、出発が早い分には問題ないのよね」

「そっか。ユカリがいいって言うなら、俺はそれに従うよ。早く出れば寝る時間もとれるだろうし」

「そうそう。直通車両の中には寝台もお風呂もあるし、食事もできるから。それなりに快適なはずよ」

「ほう。そいつは助かるな」


 直通車両は、ただ単に移動で時間を稼ぐだけの酷い仕組みではなく。作業に携わる者に対して、しっかりと配慮がなされた設備のようだ。あるいは、椅子の上で眠るような窮屈な思いをする可能性も考慮していたため、これは非常にありがたいと思う。


「そう考えると、彼らっていうのはかなり人に近い形をした生物だったのかな」

「そうね。要塞惑星の設備は、人間と同じ形をした生き物が使用できる環境になってるわね。何もかもが」

「う~む、やっぱり人間と同じだったのか」

「うん……。記録が残っていないから確証は無いのだけど、ほぼ間違いないと思うわ」


 そう思うと、彼らという存在に俄然親近感がわいてくる。単純な話ではあるが、たったそれだけの事で、根拠のない希望さえも持つことができるのだから、自分も大概ちょろいと思った。


「じゃあ晴一。十九時出発ということにしましょう」

「わかった」


 いよいよ要塞惑星機能復旧計画、最初の二日間が始まろうとしていた。

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