拾玖 ~ 銀河鉄道? ~
気が付くと夜は明けていて、おじさんは布団の中で足と背中に力を入れて伸びをする。
今朝はすっきりと目が覚めて、気持ちよく朝を迎えることができた。これも昨夜ユカリに促されて早く寝たおかげだろうか。もしかすると、ここへきて一番爽快な朝かも知れない。
布団を出ようとすると、今朝も右腕にしがみつく少女がいた。今朝引っ付いているのは、ヨリの体に同居しているAIのユカリ。さっさとここを抜け出して、顔を洗いたいのだけれど、ユカリはひしとしがみ付いていて離れようとしない。嫌な予感がして、少し布団をめくって覗くと、彼女は全裸になっていた。またかよ。
「あのさあ。なんで寝る前はちゃんと着てたのに朝になったら脱いでんだよ」
彼女の頬っぺたを掴んでむにむにと引っ張るが、面倒そうに呻き声を上げるだけで、目を覚ます気配はない。しゃーないので右腕ごと体を揺すって、本格的に起しにかかる。
「おいユカリ朝だぞ、起きろ~。ほら起きなさあい。早く起きなさ~い!」
声を掛けながら二、三度揺すると、ユカリはようやく目を開け、ムスッとした不機嫌顔で自分を睨んでくる。この子は寝起きがあまりよろしくないようだ。
「おう、おはようユカリ」
「ふぁあ……んに。おはよう……晴一」
大きな欠伸をしてあいさつを交わすユカリに、再度現状を問いただす。まったく、いちいち脱いでんじゃないよもう。
「なんで起きたら裸なんだっつーの。止しなさいよそういうの」
「あら不思議ね。晴一がいやらしいことしたんでしょ?」
するわけないだろそんなこと。いやほんと何もしてないから。
「あほか」
馬鹿なこと言っているユカリにデコピンを入れる。
「あいったーっ!」
「はよう服を着て顔を洗うんだ」
付き合いきれないので、アクション映画のように横へ布団を転がり出て、顔を洗うためバスルームへ向かう。布団の方ではユカリがぶーぶー言っていたが、まるっと無視だ。
顔を洗い終えるころになってから、ようやく着替え終えたユカリがやって来て、入れ違うようにバスルームを出る。居間の座卓には、もう朝食の準備が整っていた。
「相変わらずの手際の良さ……」
普段はほとんど読まないが、今朝も朝刊が置いてあったので、適当に流し読みをして早々折り畳み、座卓の下へ放り込む。惰性でテレビをつけ、ぼーっと眺めていると、ユカリが洗顔を済ませて戻ってきた。ここでようやく“いただきます”をして食事に取り掛かる。
今回も、まさに日本の朝食といった模範的食事を終え、食後のお茶をふたりで飲むが、膝元のユカリは、またぞろ煎餅をかじっている。こいつはいっつも何か食ってるな。それはそれとして、何故胡坐の上に来ているのだ。
「まったくもう、この子ったらご飯を食べたばっかりなのに。いけない子だわ」
何となくお母さんみたいに言ってみる。深い意味は無い。
「お菓子はお菓子。ご飯とは別腹なのよ」
場所はどこであれ、女子は漏れなく別腹が多いのだろうか。あまり頻繁に間食していると、外側に向けて段々と別腹が増えて行きそうだが。
「調子に乗って食べてると太るぞ」
「ふふふ~ん、その心配はないわ」
「なんだと……」
なんだと。
「この体の成長は固定しているし、摂取カロリーも任意に決められるもの~♪」
「なんだってえ!? それは不正行為だ! ……ん? 成長を固定しているだと!?」
彼女の便利な身体機能には、羨望と嫉妬を禁じ得ない。そしてユカリは、またも、よくぞ聞いてくれたとばかりに自慢げな顔を見せている。ずる~い。
「そうよ。ヨリの体も、今の所はこのままで維持されるわ。嬉しいでしょ?」
満面の笑みを浮かべてユカリは言う。
「べ、別に嬉しかないやい!」
正直嬉しかった。
「まあいいや。てことは、永久に歳を取らないって意味かね?」
「んー、ヨリが望むならそうするけれど。固定を解除すれば普通に成長できるし、寿命も来るわよ」
これ見よがしに、せんべいをばりばりと勢いよく咀嚼するユカリが、事も無げに言う。延々と十二歳の体のまま生き続けるのは酷すぎるだろう。そう思ったが、普通に成長もできると聞き安心した。
「それに……ヨリを私の都合で永久に巻き込み続けるのは気が引けるもの」
「そりゃあ、そだな……」
確かに。ただでさえ、これまで壮絶な運命に翻弄されてきたのだ。これ以上ヨリが不幸になるような事態は、絶対に避けたい。
「そういえば晴一、自転車とかバイクとか、いろいろ持ち込んでたけど。あれどうやったのよ?」
突如意外な質問がユカリの口から飛び出した。自分はてっきり、スマホとの再会と“IMAKUL”アプリは、ユカリの計らいだとばかり思っていたのに。
「あれ? 俺のスマホユカリが作ってくれたんじゃないの?」
「なにそれ、知らないけど……。ちょっと見せて」
思い当たる節でもあるように、ユカリがスマホを寄こすよう言った。促されるままポケットからスマホを取り出し、彼女へ差し出す。
「あの……馬鹿……」
こら~馬鹿とは何だ~。
「なんだよ藪から棒に。馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞも~ぷんぷん」
出し抜けに馬鹿などと言われては、おじさんと言えどもおこぷんである。
「あーあぁ、これは晴一のことじゃないわっ! なんでもないの。えへへ」
含みのある笑顔で、ユカリはまるで取り繕うように言う。その態度には釈然としないものがあるが、一旦保留しておこう。あまり深く突っ込むなと、おじさんの危機回避本能が警鐘を鳴らしている。ような気がする。
「ユカリが知らないってんなら、そうなんだろうけど。自転車やらは、その“IMAKUL”ってアプリで注文したんだ」
彼女の持つスマホの画面を上から覗き込み、ロックを解除した後、“IMAKUL”を起動してみせる。
「これな。即日ならぬ即時配送でビビったよ。クッソ怪しいけど、実際便利なんだよ」
深く考えないでコイツを使い倒していたけれど、これらは此度の主犯であるユカリが用意してくれたものではないという。ならば誰がこんなものを寄こしたのか。
「……なるほどね。私はてっきり晴一が権限に気づいて何かやってるんだと思ってた」
「そいうやそんなこと言ってたな。買いかぶり過ぎだったけど」
しかし、この件がユカリの仕業でないなら、一体誰の仕業なのか。仲居ヨリ達が気を利かせて用意してくれた物だったりするのかな。
「仲居ヨリはニーズを先読みするくらい優秀なんだろう? ならそのスマホも仲居ヨリが用意してくれたとかじゃなくて?」
「うんまあ、そんなとこかなー。あそうだ、これに……」
何やらユカリは、自分のスマホのUSB端子に数秒舌を当てる。ちょっと、大事なスマホに悪戯しないでほしいのだけれど。
「おせんべいでは飽き足らずにスマホまで食べるのか……。おいしいの?」
「む。晴一って、ときどきどうしようもなくポンコツよね」
軽い冗談に対して、ユカリは本気で見下すような目線を向けて来る。しかし、可憐な少女のそういう視線、割と嫌いじゃない……。むしろ好き。大好物。
「なにをう!ポンコツとはなんだ失敬なっ!」
などと、わざとらしくおこぷんしたら、ユカリが何も言わずにスマホを返してきた。ホーム画面には緑色の漢字一文字で、“縁”というアイコンが増えている。
「ナニコレ? またアイコン増えてるし。緑って書いてあるよ?」
「縁よ! ゆ・か・り! あんたがあたしに付けた名前でしょうが!!」
おこである。
「おうふ。ちょいとボケただけじゃん。そんなに怒んなくても~。も~」
「あんた、人をイライラさせるって言われたことない?」
「う~ん、今ユカリに言われた」
「むきいぃぃ!」
駄々っ子パンチで襲い来るユカリを、適当に往なして捕縛し、無理やり頭をなでなでしてやった。ユカリちゃんかわいいでちゅね~。
「そうやってバカにしてぇ~っ!」
「こらこら暴れるんじゃあないよ。そんなに怒ると折角のかわいいお顔が台無しじゃあないか」
ちょいと宥めて容姿を褒めると、途端にユカリはぴたりと動きを止め、しおらしくなってしまう。あれ。もしかしてこのAIちょろいん。
「あんたが……晴一がすぐ私をからかうから悪いんでしょ」
ムッとした様子で視線をそらし、ユカリは胡坐の上におとなしく座りなおした。
「かわいい子はからかいたくなるんだよ、ユカリ超かわいいし」
頭から湯気を出してしまいそうなユカリを見て、やっぱりこのAIちょろ過ぎると思った。ちゅーしたい。
「そんで。このアイコンが意味するところは?」
「あ、うん。えと、それはね、そのアプリがあれば、ヨリが起きている時でも、スマホを介して私と会話が可能になるのよ。ちなみにテレビ電話よ」
ユカリんはもじもじしながら説明を続ける。なんだこれ、かわいい。いっぱいちゅーしたい。
「なんとそいつは頼もしい。いやまじで」
何か問題が起きた時に、的確なアドバイスをくれる相手とすぐに連絡が取れるのは、実際心強い。その相手が、元統括管理AIであるユカリでるならなおさらだ。
「今後復旧作業に就くことになるのだから、使える小道具は多いに越したことはないはずよ。それと、作業には仲居ヨリも二体同行させるわね。人手は多い方がいいし、遠隔操作ができる体がある方が、何かあったとき便利だから」
「ああそっか。そういうこともできるんだな。流石だなユカリは」
「ふふ~ん、そうでしょう。ちなみに社内の仲居ヨリを、全部個別に直接操作することだってできるわ」
持ち上げられたユカリは大層ご機嫌な様子。ヨリと同じ小さな体でちょこまかとした身振りを交える姿も、とても愛らしい。
そこでふと、彼らという存在に興味が湧き、少し聞いてみたくなった。
「そういえばさ。彼らって連中が運用してたAIは、皆ユカリみたいなやつだったの?」
「む、何よ『みたいなやつ』って……。でも、どうなのかしら。私が持っている彼らの情報って、実は殆どないのよ。あえて残していかなかったような感じもするし」
「ふ~ん、そうなんだ。ちょっと興味があったけど、分からないなら仕方ないか」
彼らに纏わる記録は、一切合切存在していないようだ。なんだかなあ。夜逃げでもしたみたいじゃないか。
「その代わりと言っては何だけど。昔自己分析のために閲覧した要塞惑星の仕様によれば、ここへは規格外に高機能を詰め込んでいたみたい。この要塞惑星自体、彼らの中でも独立した派閥が秘密裏に建造した物らしいし。私の生みの親ではあるけど、ほんとよく分からないわ」
ユカリが過去に戦術リンクへ問い合わせてみた所、自律兵器群にはユカリほど盛られた性能を持つAIは搭載されておらず、それらは極めてシンプルで、平均化されたものしかなかったそうだ。兵器であるのだから、当たり前と言えば当たり前ではあるが、この要塞惑星に限っては、ユカリと同クラスの量子脳で構成されたAIが、あと四基搭載されているらしい。そのため、復旧作業を遂行するには、現地へ赴いて各AIに対し、直接再起動作業を行う必要があるのだという。
何とも手の込んだフェイルセーフと、インターロック機構に辟易するとともに、設計者の徹底した安全志向には、技術屋として頭が下がる思いだ。何もかもが規格外で、採算度外視のようなスペックを誇るのがこの要塞惑星だ。銀河団を背負うのも納得かも。
「ふ~ん。ちょろいのに意外と金かかってるんだなユカリは」
「なにそれ、どういう意味よ?」
「は、ハイスペックだなーってさ」
思ったことがつい口を突いてしまうが、またユカリの機嫌を損ねては面倒なので、適当にお濁す。
「ふふーん、そりゃそうよねぇ。かわいくて賢い、完全無欠の存在なのよ、私は」
少し褒めるとユカリは簡単に増長して、機嫌がよくなる。とても単純な子らしい。とにかくちょろいことで有名になってしまえ。
「それで、復旧作業の話なのだけど……」
「うん、俺はいつでもいいよ」
いよいよユカリが本格的に動きだす様子なので、ここからは真面目に話を聞かないと。自分の今後の人生にもかかわるくらい大事な話でもあるわけだし。これが終わらないと帰れないからなあ。
「いくつか問題もあるし、恐らくだけど、簡単な作業にはならないと思うの」
「問題って言うのは?」
今までにないほど神妙な面持ちでユカリは話を続けた。
「まず一つ目は、現地までの移動手段ね。一度要塞惑星が機能停止してしまうと、セキュリティや防御の意味合いで、転送は使用できなくなるの。だから現地に移動するには、専用の直通列車で向かう必要があるわ」
なに列車とな。電車や地下鉄みたいなものだろうか。だが待てよ……銀河団の中にある鉄道ということは、それってつまり。
「無期限パスとか必要になるの? 車掌さんは透明人間とか? それともカムパネルラがのっていたりする?」
「ぜんぜんちがうわよ! もう、真面目に聞いて」
「あいすみません」
怒られてしまった。つい今しがた、自分でも真面目に話を聞かねばなどと宣っておきながらのコレである。
「直通車両は、要塞惑星のほぼ中央にある統括区画から四方にのびているのだけど、各路線は、現地への到着までに約二十四時間かかるようルートが設定されているの」
「それは、寝台列車か何かか……」
「ちがうけど、似たような物よ。各路線は距離にして約一万四千キロメートル。これは敢えて設定されているセキュリティ目的の距離ね」
移動に時間をかけるのは、そういう理由があるのか。侵入者が現れても、二十四時間移動しなければ、重要区画へは行けないのだ。つまりその間に、この星の管理者たちは、何らかの対抗措置を取るのだろう。
「大体時速六百キロくらいで移動するのか……。飛行機でもあるまいし。恐ろしい速さだな」
「車両は接地していないから、そういう意味では飛行機と大差ないわ」
なんと車両は飛んでいるらしい。それはやはり、ネジにされに行くような代物ではないだろうか。あるいは死出の旅を比喩した乗り物だとか言われたり……。いい加減しつこい。
「それで、その走行用のチャンバーなのだけど、数か所で断絶していることがわかっているの」
「え~まじで? 壊れてるのかい」
「ええ。要塞惑星の機能が停止して、数千万年経過しているから仕方がないのだけれど。それでも最低限の修復機構は機能しているのよ? それさえなかったら、この星はとっくに崩壊していたでしょうね」
多少壊れているにしても、数千万年単位で機能維持できているのはすごい。もし地球人類が作っていたら、数百年でも怪しいものではないだろうか。そもそも今の技術じゃ作れやしないが。
「すんなりいかないっていうのはそういう理由があるんだな」
「そう。でももう一つの方が厄介よ。どうしても直通ルートが使えない場合は、迂回ルートで向かう必要があるのだけれど。迂回ルートの方は、セキュリティ的に非正規扱いになっているの。もしそっちを利用することになれば、必ず戦闘になるわ」
やだーっ戦争反対。
「おいおいおい……。俺は軍人じゃないんだぞ? いきなり戦闘とか言われても困るって。サバゲーくらいしかやったことないし。まあ……、狩猟免許と散弾銃の所持許可は持っちゃいるけど、撃ち返して来ない相手しか撃ったことないしな……」
いきなり難易度が跳ね上がった。ただのメンテナンスだと思っていたのに、場合によっては戦闘までしなきゃならんとは。つい数日前まで一介のサラリーマンだった自分には、要求が無茶過ぎる。
「その、なんだ、管理者権限でなんとかならないのか? セキュリティ周りも」
「権限は認証が済んでいるエリアでしか有効化されないのよ。直通ルートはそれが確保されているから問題ないのだけど、迂回ルートとなると、統括区画からの支援も受けられなくなるし。かなり危険なのよね」
「まいったねこりゃ……」
いきなり問題が山積みで不安しかない。
「ここまで厳しい話だと、ほかの問題なんて大したことないんじゃないかと思えてくるよ」
「だと良かったのだけれど。もう一つの問題はヨリのことよ」
うっかりしていたが、これは差し置くことはできない大事な問題だ。惑星機能の回復と同じくらい大事。
「一度現地へ赴けばしばらく時間を取られることになるし、いつまでもヨリを眠らせておくわけにもいかないでしょう? 長時間眠っていると記憶にもズレが生じることにもなるから、それが大きな矛盾ともなれば、またメンタルにダメージが蓄積するわ」
それは心配だ。またヨリが倒れるようなことになるのは避けたい。この件に関して、ヨリは何も知らない被害者でしかないのだから、そもそも巻き込むべきではない。そして自分も被害者だが、事情を知ってしまった以上、最低でも事が済むまでは神様を演じ切らなければならない。またそれらは、すべて秘密裏に遂行する必要がある。なにがあろうと、ヨリに気づかれてはいけない。
「因みにさ、戻るのにはどのくらい時間がかかるんだい?」
「それは大丈夫。帰りは転送で帰還できるから。ああそれと、確保した地点にビーコンがあれば、途中でも転送できるようにはなるわね。誰かがビーコンを持っていて、且つ電力を確保できれば、転送自体は可能よ。車両内にも転送はできるし、チャンバー内やメンテナンス通路には、一定間隔で非常用電源盤が用意されているから、最悪そこからでも電力は得られるから何とかなるはずよ」
現場の確保とはそういう意味か。要は、インフラの確保とセキュリティの無効化をしつつ、キャンプを設置すればいいというわけだ。なんて、言うほど簡単じゃないだろうし、そのせいで戦闘になるとか、面倒なことになるのは避けたいなあ。
「わかった。なら社での日常を維持しつつ、復旧作業に当たることもできなくはないな。ヨリちゃんには悟られないように……」
「そうね……。晴一には無理をお願いすることになるけれど。その代わり、私にできることなら何でもするから。お願いね……」
「こら。女の子が簡単に何でもするとか言うんじゃないよ。本当に何でもさせるぞ?」
「い、いいわよなんだって。でもこの体はヨリの物でもあるんだから、丁重に扱ってよね」
自分はユカリの頭にチョップを複数回入れる。どんな要求されると思ってんだ。
「痛い痛い! いきなりなによ!」
「そういうとこだぞ。俺は見返りなんて何も要求しないよ。ユカリとヨリちゃんが仲良く笑っていられるなら、それだけで十分だ」
そうだそうだ。幼い女の子が泣いてる顔なんて見たくはない。いつでもにこにこ笑っていてくれればそれでいい。あと、ここの待遇は最高だ。このうえ何かを要求するのは、欲張り過ぎだと思う。
あ、でも帰還して無職になってたら困るなあ。そのときは、要した時間とか工数に対して、おちんぎんを出して欲しいかな。あと、仕事の世話もしてくれるとありがたい。
「と、とにかく。さしあたっての問題はそのくらいかしらね。まだ細かい問題点はあるけど、そこは臨機応変で何とかしましょう」
う~ん。端的に言うと、不明な点については行き当たりばったりということか。
「……AIの癖にちょいと雑じゃないですかね」
「むー。そんなこと言ったって仕方ないじゃない。回線が途絶してるエリアだってあるし、現状が把握できないんだから。それに、状況が分からないなら、不確定な要素が有利に働く可能性だってあるでしょ? 今はリソースも限られているし、足りないなりにどうにかやり繰りしていくしかないのよ」
「うん、まあ。それも分からなくはないが。不安いっぱいだなあ。やだなあ。かえりたいなあ」
「それは……私だって申し訳ないとは思っているわよ……本当に……」
自らの不甲斐なさを如実に感じているらしく、アホ毛を萎びさせたユカリは下を向いてしまった。普段は強気に振る舞ってはいるが、その実、意外と臆病で小心者なのかもしれないな。アホ毛はどうして動くの。
「らしくないな。昨日みたいに悪態の一つでもついてくれよ~。ユカリがそんなじゃあ、おじさん不安になるじゃないか」
胡坐の上に座るユカリを抱きしめて、丸い頭に頬ずりをするも、彼女は黙ってされるがままになっている。きっと自分以上に不安なのだろう。
むしろその不安という感情でさえ、つい最近までは知らなかったのだから、なおさらユカリの心中は穏やかではないはずだ。AIであることもあり、恐らく驚異的な学習能力を持っているのだろうけれど、それでも感情に左右されがちな精神面の鍛錬は、難易度が高いと思うし。
「しゃーない。じたばたしてもどうせなるようにしかならんしな。考えうる問題に対しては、できるだけ入念に準備をするしかないだろうさ。……まあ気楽に行こう」
「……そうね」
「でだ。どういうスケジュールならヨリちゃんの負担にならずに済むかね」
「それには考えがあるの」
ヨリが眠りに就いて、違和感を覚えるまでに至る時間は、二日が限度だということだ。それ以上間が空くと、いろいろ問題が出るらしい。なので、一日四十八時間として日時を偽装し、ヨリが寝た時点で行動を開始して、時間切れになる前に社へ戻る。という形でスケジュールを調整することにした。
テレビを見ることが多いヨリなので、二日遅れた放送内容をユカリに設定してもらい、新聞などの配達も止めてもらう。とにかく、日付がばれるような要因は、徹底排除するという方向で話は纏まった。まあこれも、目いっぱい時間を取られたと仮定しての話なので、作業自体が早く済むなら、普段通りの生活でも無理が生じることはないだろう。
ところで。ユカリとヨリが交互に起きているということは、脳はほぼ眠らないということになる。それについてユカリに尋ねてみたところ「何のためのナノマシンだと思う?」と返された。つまり何も問題はないらしい。流石ナノテクノロジー。科学の勝利である。
さて、大まかな方針が決まったので、装備などの下準備はユカリに任せることにして……。
「俺はゲームがしたかった」
「過去形なの? あきらめたのね」
「いや、今だってしたいよ」
「そう。別にいいわよ。行ってきたらいいじゃない。私は忙しいから付き合えそうにないけれど」
ユカリは空中に半透過状のコンソールのようなものを展開して、何やら表示とにらめっこしていた。見たこともない文字の羅列に、自分はめまいを覚えて不安がよぎる。この二次元コードみたいなのは文字なのかな。
「なあ。現地のシステムには文字やらなにやら表示されてるんだろう? 俺はそれを全く読めないんだけど。そういうのは大丈夫なの?」
「大丈夫よ。そのための仕込みも今やっているから。期待して待っているといいわ」
心配は杞憂で済んだようだ。ユカリが大丈夫だと言うならば、これ以上何も言うことはない。多分ね。
「ユカリんさすがだな。さすユカ! かわいい! かっこいい!」
「もーっ、気が散るでしょ」
つっけんどんなことを言いつつも、髪の間から覗く彼女の耳は真っ赤だ。膝元にちょこんと座り、作業に没頭するユカリの小さな背中が、今はとても頼もしく見える。
「そうして視覚から情報を入力するのは、人間と同じ仕様になってるのかい? AIとかコンピューターだと脳内でピピみたいなSF的イメージがあるんけど」
「これは肉体の雰囲気の味わいたさ半分と体の慣らし半分よ。あと、そのSFみたいなことも見えないとこでやってるわ」
「ほう」
なるほど……。ある意味モチベーション維持の意味もあるのかもしれない。
ならば邪魔しては悪いと思い、胡坐を解いて立ち上がろうとする。しかしユカリは一層もたれかかってきた。なんでやねん。
「……ねぇユカリん、俺っちゲームコーナー行きたいんだけど?」
「行ってくればいいじゃないって言ったわよ。でも胡坐は崩しちゃダ~メ」
とんちか何かな。
「いやしかし、キミしかし、胡坐崩さないとコレしかしゲームやりに行けないよ? アレしかしコレしかしおこるでしかし」
掛けてもいないエアめがねをクイクイしながら、おじさんは異議を申し立てる。
「じゃあ諦めることね。ゲームはしてもいいけど胡坐は解いちゃだめ」
これはいけず。とどのつまり、ゲームはさせないぞという意思表示に他ならないではないか……。
「意地悪が過ぎる。でも足がしびれそうだから胡坐は解いてもいいよね? これ、マジで辛いからさ」
流石に現実的な問題にまでは文句は言わないだろうから、そろそろ辛い足事情を膝上の姫君に具申してみる。一応断ってからでないと怒られたとき困るし。
「……仕方ないわね。いいわよ」
「恐れ入ります」
なんとか許可が下り、足を延ばすついでに腰も伸ばしたいので、そのまま仰向けに倒れ込む。するとユカリも一緒に倒れて来て、丁度股間の上に背中を置く形で自分の上に乗っかった。
「ねえユカリさん、なんか倅様が虐げられているようなので、すこしだけ退いてもらえないでしょうか」
ユカリが軽いとはいっても、ウィークポイントに荷重を掛けられてしまうと痛いので、その場からの退避を打診する。
「何よ倅って」
「背中に存在を感じるでしょ? 俺の大事な一人息子」
少し黙考した後。何かを察したユカリは、がばっと飛び退くようにして起き上がる。その後背中をさすりながら近くの座椅子に移動して、胡乱な目でこちらを睨んだ。かわいい一人息子をいじめられた挙句、なにゆえ睨まれなければならないのか。
「くっ。こんなとこにいられるか。俺はゲームして来る!」
「駄目よ!」
「何でよ!」
まじでなんでなん。
「わた……ヨリが寂しがるでしょ!!」
「ええ~? でもヨリちゃん寝てるんじゃ……」
「意識はなくても、ある程度感情はリンクしてるの。私が感じたことは眠っているヨリにも部分的に伝わるの!」
「へ~……」
ヨリを引き合いに出してはいるが、実際に寂しいのは間違いなくユカリの方だった。ちょっと反応が面白そうなので図星をついてみる。
「素直に自分が寂しいからって言えばいいのに」
「そ、そんなこと言ってないじゃない!」
「いやいや、言ってるも同じだけども」
意地っ張りな所はかわいいが、意地を張り過ぎるのは良くない。むしろ素直な方が得することは多いと思う。
やれやれと思い、ユカリの隣の座椅子へ移動して横のユカリを持ち上げ、再び胡坐の上に持ってくる。「止めなさい」とユカリは言うが、目立った抵抗はなく、大人しく足元に収まった。
「やるからには最後までちゃんと付き合う。ユカリも頼るべき所は頼ってくれよな……」
「……うん。わかってるわ。ありがとう晴一」
「礼なら問題が解決してから頼む」
「そうね……。じゃあよろしく?」
「うい。こちらこそ」
軽く笑みを浮かべながら、ふたりで拳を軽く突き合わす。なんだか繁忙期の残業よりも忙しくなりそうな気配だが、今はあまり深く考えないようにしよう。案外暇も多いかも知れないし。