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拾捌 ~ 管理者 ~

 いきなりユカリから突拍子もないお願いをされてしまった。

 要塞惑星を救ってほしいとはどういう了見か。次から次へとわけの分からないことが目白押しだよ。関係ないけどメジロってかわいいんだよなあ。


「要塞惑星を救う?」

「そう。今更私がこんなこと頼めた義理ではないのだけど、あなたがここへ呼ばれた理由はそこにあるのよ」

「うえ~、やっとそこか。どうせならもう少し早く教えてほしかったな」


 業務連絡は早い方が後々有利になるんすよ。逆に遅れるとマジ致命的。忘れないで、ホウレンソウ。


「ごめんなさい。でも言い訳はしないし、もう回りくどいこともしたくないから、率直に言うわ。お願い晴一……」


 幼子の外見を持つ人工知能から潤んだ瞳で見つめられ、懇願されてしまう。しかし、中身の年齢を考えると、かわいいやら艶があるやらで複雑怪奇な気分だ。なんだいこの、なんだ。


「えあ……とりあえず具体的な話を聞かせてほしいかな」


 自分も男だから、女の涙にゃ弱いしな。


「わかったわ……。この惑星は、現在機能停止状態で、復旧命令を待っている状態なのね。でも、その復旧をできる権限を持つ彼らはもういない。だから、彼らの遺伝子を受け継いだ地球人類である晴一が、ここへ連れて来られたの」

「彼らの遺伝子を受け継ぐ?」


 またなんかすごい話が出てきた。


「そうよ。正確には地球上の生命体の殆どが、ね」


 なんだ。自分だけ特別なのかと思った。ちょっとがっかり。


「いやいやまって。どうしてそんなもんを地球の生物は受け継いでるんだい」

「それは、彼らが大昔に行ったとある計画によるものなのだけれど、これを説明するとかなり長くなってしまうから、後まわしでいいかしら?」

「あ……ああ、わかった。話を進めよう」


 彼らと呼ばれる者たちの遺伝子を受け継ぐ、地球人類である自分が、この要塞惑星の管理者権限のすべてを使えるので、機能復旧に協力してほしいとユカリは言う。また上手くすれば、ユカリも量子脳へ戻ることができるし、ヨリも解放できるかもしれないと。

 なにより問題なのは、このままの状態で要塞惑星を放置すると、あと数百年程度で壊滅的な崩壊が始まり、超銀河団もろともこの宙域や各惑星系はバラバラになってしまうらしい。周辺にある大小の銀河を繋ぎとめて、超銀河団構造を維持しているのは、要塞惑星の機能によるものなのだそうだ。そして、この惑星の運用目的であるが。それは、超銀河団を伴って敵本拠地へ殴り込み、要塞惑星諸共自爆することだという。その際、周囲に固定している銀河自体が、武装として使われることになるようだ。

 この超銀河団には、天の川銀河も含まれているため、このまま機能復旧が見込めずに要塞惑星が失われれば、確実に地球も巻き添えになる。そうなることだけは、何が何でも絶対に避けたい。そうユカリは言っている。


「罪滅ぼしというわけではないけれど、今の私にとって地球を失うというのは、とても耐えがたいことなの。どうしても助けたいのよ。私の我が儘で、あなたを巻き込んでしまって本当に心苦しいのだけれど、どうか……」


 ユカリはまた泣きそうな顔になる。その表情を見る限り、地球の未来を憂う言葉に、嘘偽りはないのだろう。なんだか話が大きくなってきたなあ。


「う~ん。この星が壊れるのが数百年後なら、俺も生きちゃいないし。銀河が崩壊して地球に影響が出るのだって、それよりも遥かに遠い未来の話になるんだろうけど……。そうだなあ。ここの機能を復旧できれば止められる厄災なのに、それをだまって見過ごすのは、やっぱ人としていかんよなあ。第一に、自分の生まれ育った星がなくなっちゃうのは忍びないし」


 ここでちょっとだけ自分は考える。恐らく、この問題を何とかしない限り、自分も帰ることはできないのだろう。ここまで切羽詰まっているのだから、そういった余裕も無いだろうし。それならやるしかないじゃん。


「……よし、わかった。俺にできることなら全面的に協力するから、何でも言ってくれ。あでも、極力できそうな範囲でお願いしたいかな」


 あまりにも無茶な要求には応えられないと思うし。ちゃんとできそうな業務内容でお願いね。


「うう、ありがとう晴一……」


 ユカリはさらに泣きそうになるが、頭を撫でると頼りない笑顔が戻った。ついでに匂いも嗅がせてもらう。あーかわいい匂いがするんじゃ~。


「俺にここの復旧を手伝わせるのは、ユカリの当初の目的でもあるんだろう?」

「ええ。そのとおりよ」

「てことは、ヨリちゃんもそのために利用してたってことかい」


 その問い掛けにユカリはやや俯いて答える。


「……そうよ。もともとヨリをクローン化しようと思った理由はそれだもの。今私が共存しているヨリにかけた暗示だって、そのためのものよ……。でも、お願い! 私は嫌われても軽蔑されてもいいから、協力だけはしてほしいの。どうかそれだけは!」


 腕の中のユカリは振り返り、必死の形相で思いを訴える。ユカリよ、そんなに一生懸命にならなくたって大丈夫だ。こう見えて、おじさんは人一倍物分かりが良いのだ。それに、女の子からこんなに真摯にお願いされたら、断れるわけないんよ。


「あ~いや。別に嫌いも軽蔑もしないよ。今も昔もユカリは目的のために一貫して行動しているんだろう? ならそれはそれでいいじゃないか。もう過ぎたことなんだから。昔のことはさ」


 覆水盆に返らず。すでに数百年以上も経過した話を今更蒸し返したところで、どうなるものでもない。むしろ、感情なんて知らなかった頃のユカリなら、そんな風にバッサリと斬り捨てそうな気もする。それに彼女は、後悔も反省も学んだのだ。なら、その貴重な経験を、将来に活かしてもらいたい。


「あと、もう一ついいかい?」

「なに?」

「ヨリちゃんのクローンではだめだったの? その、管理者権限とやらの」

「それがね……。相当厳密な認証を行っているみたいで、認証機構はクローンを管理者とは認識しないのよ。それと、オリジナルであっても、洗脳や脅迫では認証が通らなかったわ。これらは要塞惑星が敵勢力に奪取されても、簡単には利用できないようにするための保安措置なのでしょうね」


 苦々しい表情でユカリは言う。これはまた、過去の辛い記憶を呼び覚まさせてしまったかもしれない。

 あまり過去に纏わる話をすると、ユカリがかわいそうになる。そこで、何か別の話を振ろうと思ったとき、非常に空腹であることに気づく。そういや気を失ってからどんだけ経ってんだろ。


「なるほどね。そう簡単に済むわけないか。ところでさ、腹減らない? 結構長話ししてる気もするし。ここらでひとつ晩御飯としゃれ込もうじゃないか。だめ? つか今何時よ……」


 手近にあるユカリの丸い頭に頬ずりしながら、腕時計に目をやる。もう十八時を軽く過ぎているじゃあないか。そりゃ腹の虫も騒ぎだす頃合いだ。


「ね? 腹が減ると思考もネガティブになるし。とりあえずなんか食べようや」


 空腹なのもそうだけど、話の内容が内容だけに酷く疲れてしまった。それに、ここらで一息入れたいという気持ちもあし。


「そうね。ヨリもお腹空かせているだろうし……」


 一瞬考えるような素振りを見せるユカリ。腹具合でも見てるのかな。


「うん。もう少しかかりそうかしら」

「なにが?」

「ヨリの事。もう少し眠らせておいた方がメンタルの安定にいいかなって」


 腹具合の心配ではなかった。


「そっか~。やれやれ。しばらくヨリちゃんはお預けか~」

「なによ、私じゃ不満なの?」


 少しわざとらしく残念がってみせると、思った通り釣られたユカリは、不機嫌そうな顔で噛みついてくる。やっぱりかわいいなユカリは。


「いんや、そういうわけじゃないけど。でもそう言ったらどういう反応するかと思ってさ」

「むきいぃぃ!」


 それは怒ったときの口癖か。


「いや冗談だってば。不満なんてあるわけないじゃないか。ユカリマジかわいいし。マジやばたにえんだし」

「なっ……あんたホントになんなのよっ!」


 この辺はヨリと変わらないようで、ユカリもちょっとしたことで赤面してしまう。非常に非常に大変かわいらしい。


「じゃあ、とりあえず一旦部屋を出よう」

「え? なんで?」

「え~。だって人目があるとご飯とか出て来ないでしょここ」

「なんだ、そういうこと……。もう偽装解除していいわよ」


 そうユカリが誰もいない場所へ声を掛ける。すると、これまたヨリと瓜二つの女の子がひとり、何もない空間からぬるりと出現した。彼女の恰好は、旅館にいる仲居さんそのものだった。


「えーっ!?」


 最近はこういうのにも慣れたと思っていたが。条件次第ではまだまだいけるものだと、ひとり感心してしまう。などと考えられる余裕があるのも、この環境に順応してしまったことの証左だろう。

 とりあえず、仲居スタイルのヨリにそっくりな少女はかわいいしかっこいい。なんというか、凛とした雰囲気があって、この場にいるだけで周囲の空気を正すような。素敵だなあ。


「驚いた? 社には、このヨリタイプガイノイドが五十体以上いるのよ?」

「五十体って……。そういやさっきもチラっと言ってたけど、ガイノイドってアンドロイドのことだよな」

「そうよ。地球のSFなんかにもよく出てくるわよね。主に扇情的な道具として」


 むふふと意味深にユカリは笑うが、ヨリと同じ顔であまり悪い顔はしてほしくないなあ。と、少しだけおじさんは思いました。


「あ~、そういうことなのか。本能的な部分からも真面目にアプローチしてたんだな、お前さんは」

「ん? 褒めてる? もしかして褒めてる?」


 なんかユカリんすごく嬉しそう。


「ああ、感動すら覚えるよ」

「フフーン♪」


 ユカリは上機嫌になり、仕事を選べないアイドルみたいな音を発した。


「ということは。俺やヨリちゃんの知らぬ間に、彼女たちが身の回りの世話を全部やってくれてたってことかい」


 ここで初めて風呂に入ったときに生じた、パンツクリーニング事件のことを思い出す。他にも、毎日食事が勝手に用意される現象や、テレビ交換事案、障子の穴勝手に修復事案など、色々なことがあった。


「そうよ。この子たちは有能なのよ。特に指示しなくても、宿泊者のニーズを読んで対応してくれるし」

「宿泊者って……。ああ! そういえば前に幽霊でもいるような現象に遭遇したけど、あれも?」


 ヨリと一緒に大浴場へ向かう道すがら、廊下の壁際にある生け花が、突如風もないのに揺れたあの怪現象。あれ怖かったな。


「そ、そういえばそんなこともあったわね。あの時は前から来た仲居ヨリを避けたんだっけ……」


 なんか目が泳いでいるけど。なにか気まずいことでもあるのか。


「ああそう……。だから急にヨリちゃんが移動したのか、てか、仲居ヨリってそのまんまだな」


 あの時は本気でホラーハウスなのかと疑ったよ。

 そんなやりとりをしていると襖がノックされ、三体の仲居ヨリが膳などを持って部屋に入ってくる。彼女らはそれらを座卓に置き、超高速で料理を定位置に配置すると無言で頭を下げ、あっという間に出て行ってしまった。気づけばずっと偽装状態でここにいた仲居ヨリの姿も、いつのまにか見えなくなっている。どこいっちゃったんだ。


「何してるの晴一。はやく食べましょうよ」

「あ、ああ。おうよ」


 本当にすべてヨリと同じ姿だったので、しばし呆気に取られてしまったけれど、三倍かわいかった。

 毎度のことだが、今日の夕飯も大層美味そうな御馳走だ。こうも毎時毎食凝った料理を提供されてしまうと、無駄に舌が肥えて、普通の料理が味気なくなってしまいそうで怖い。


「なあユカリ、この社の料理って――」

「全部原子配列転換操作で作ってるわよ? これって昔地球にあった錬金術みたいなものよね」


 得意げな顔のユカリが食い気味に答える。

 ここの設備には、かなりの自信があるようだけど、こんなのは自分の知っている錬金術じゃないと思った。それと共に、なぜか頭の中には一瞬空っぽの甲冑が浮かぶ。そういえばあの作品も、錬金術というよりは魔法っぽかったっけ。すっごい面白いけどね。


「あー、うん。そうだね」


 怪しげな技術で作られてはいるが、ここ数日これを食べて無事生きているのだ。何も問題はない。そう自分を強く納得させて、今宵の食事に挑む。これはかの有名な“美味しいから大丈夫だよ理論”だが、事実非常に美味いので、抗うことなどできようもない。


「早くいただきましょう?」

「はい。いただきましょう」


 こうして今夜も、ふたりで“いただきます”をして夕食を頂く。


「ほんとに美味いんだよな。悔しいけど」

「おいしいわね~。生身の体になって、表層に出ることがあったら、いつかこうして食事をしてみたいと思ってたのよ~。やっぱり記憶や感覚の共有とはひと味もふた味も違うわねっ!」


 幼気(いたいけ)な少女の格好をしたAIが、旅館の晩飯に大喜びしているけれど。これってお手盛りなのでは……。

 とはいえ、ユカリは本当に幸せそうな表情で、並べられた料理を次から次へと口に運んでいた。感情を得たことが不幸ばかり運んでくるわけではないことを、今の彼女はきっと身をもって理解していることだろう。幸せそうで何よりだ。

 つつがなく夕食も済み、食後の茶をすすりながら、ルーティーンのように卓上のリモコンへ手を伸ばす。大体毎時欠かさずニュースを挟むチャンネルを選び、十九時台のニュースを見たものの。件の事故に関する続報はなく、現地では何も進展がないようだった。

 ポケットからスマホを取り出し、電波状態を確認してみると、まるで契約電話会社のサービス圏内にいるかのように、電波強度を示すアイコンは最大値を示している。そこでブラウザを起動して、ネットニュースを確認してもみたが。こちらも特に進展はないようだ。


「進展してたら怖いけどなあ」

「んー? なんふぁいっふぁ?」


 ぽつりと吐いた独白に、せんべいをくわえたユカリが反応した。

 今しがた夕飯を食い終えたばかりだというのに。なんだってこの人はこんなものを食っているのだろうか。しかも何枚目なのよソレ。空き袋がそこそこ山になってんじゃん。


「いや、なんでもないよ」


 呆れて畳の上に肘枕体勢になった自分の背後から、せんべいを(かじ)る音と、時折茶をすする音が聞こえている。きっとまだしばらくは食べ続けるんだろう。


「なあユカリ」


 もう少し今後のことについて話をしておきたかったので、ぼーっと画面を眺めつつ、背中越しに声を掛ける。


「なに?」

「要塞惑星の機能回復についてなんだけど、今すぐに取り掛からないとまずいってわけでもないんだよな」

「そうねぇ、少なくとも晴一の寿命が後五回尽きるくらいまでは、余裕があるわね」


 流石に自分もそこまで待つつもりはないが。というか五回は死ねないじゃん。

 関係ないけど、昔“堤 晴一は五度死ぬ”、みたいなサブタイトルのスパイ映画があったな。当然入るのは自分の名前じゃないけど。


「ならさ~。俺もう少しお前さんのことを良く知りたいんだけど」

「んなっ、何言ってるのよ! いきなりそんなこと言われても困るじゃない!」


 何慌ててんだこいつは。


「えー? なんでそんなに取り乱してんだよ。なにか知られると困ることでもあるのか?」


 どういうわけか、ユカリはわたわたと忙しくなってしまった。彼女の言っていた、共存によってメンタルが不安定になるというのは、こういうことなのだろうか。おじさんは首を傾げるしかない。ちょっと落ち着いて。


「べ、別に困る事なんてないわ!」

「そうかい。んで、なんで怒ってんだよ?」

「お、別に怒ってないわよ!」


 明らかにかユカリは怒っている。自分はわけが分からくなり、気分も萎えてしまった。まあ急ぐことでもないし、一旦この話は保留しておこう。


「じゃあいいや。また明日にするか。つーわけで俺は風呂に入ってくるよ」


 ヨリからユカリに交代して間もないし。きっと情緒が安定しないとか、調子の悪い部分もあるんだろう。人でもAIでも、こういう時は少し時間をおいて話をした方がいいはずだ。きっと。


「え? ちょっ、何か話があったんじゃないの!?」

「うん、まあね。でも、今日はもう疲れたからいいかなって。じゃ、お先に」


 とっととバスルームヘ入り、浴衣を脱ぎはじめる。すると何やらドタドタと足音が聞こえ、バスルームのドアが乱暴に開け放たれる。ドアの向こうには、ユカリがちっちゃい仁王様のように構えていた。ちょっと止めてよ、脱いでるんだから。


「私も入るわ!」

「いや、だから狭いって言ってんだろ……」


 猫でもあるまいし、なぜ狭い所へ無理に入ろうとするのか。

 結局今日も大浴場へ行く羽目になるのだろう。客室のバスルームで、一人ゆっくりと風呂に浸かれる日は、いつかやって来るのだろうか。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 ユカリに引っ張られるように部屋を出て、畳敷きの廊下を歩いて行く。ロビー兼通路まで出てくると、少し前とは打って変わって、玄関前の様子はだいぶ様変わりしていた。施設内のいたるところで、ヨリと同じ外見をした仲居ヨリたちが(せわ)しなく働いていたのだ。

 そこでふと背後に気配を感じる。ふり返ると、後ろからはふたりの仲居ヨリがぴったりと付いて来ていた。何事かとユカリに聞いてみれば、ひよこの間には、常時このふたりが世話係でついてるとのことだ。

 そういえば、さっき部屋を出てたときに、ふたりが戸口の両側に座っていたっけ。あまりにも自然にそうしているから、自分もスルーしてしまったけれど。


「は~あ。結局毎日大浴場使ってんな~」


 脱衣場に入り、適当な籠の前で服を脱ぎはじめると、ため息と共に愚痴がこぼれる。


「なによ、いやなの? こんなに豪勢でタダなのに」


 あれ、おかしいな。なんかデジャヴュを感じる。


「別に嫌ではないんだけど。疲れてるときとかは面倒くさいんだよ、距離的に。それに、部屋に風呂がある意味がほぼないじゃんか」

「だって、狭いのは嫌だって言ったのは晴一じゃない。私は部屋のお風呂でも全然かまわないのに」

「くっ。こやつめ……」


 小癪(こしゃく)なユカリの態度に文句を言いつつ、服を籠へ放り込む。すると、待っていましたとばかりに、仲居ヨリたちがそれらを集め始める。丁寧に畳まれて回収されてゆく服は、きっと今回もばっちりクリーニングされて戻ってくるに違いない。

 それにしても、なぜユカリとヨリは必ず一緒に風呂へ入ろうとするのか。どうしてこんなにも頑なに同行を求めるのか。風呂に限らず、普段の行動もずっと一緒なのだから、これくらいは別でもいいじゃないか。ふたりの頑なさ加減に負けて諦めてはいるけれど。納得はしてない。


「もうっ! さっきから何が不満なのよ! 大体ねぇ、日本じゃこんなにかわいい子と混浴なんて、望んでもなかなかできるもんじゃないでしょう? 贅沢なのよ晴一はっ!」


 渋い顔をして準備をしていたら、何かと勘ぐってくるユカリに怒られてしまった。しかし、苦言の内容は随分とずれている。それにかわいい姪となら、昔は何度もいっしょに入ってたよ。

 まあ、世俗的知識が豊富なユカリのことだから、知っていてわざと言っているのだとは思う。そう考えると、自分だけが気を揉まされていることに、だんだん腹が立ってきた。

 そこで文句を言っているユカリの背後へ回り込み、こめかみに拳を当ててぐりっと力を籠める。


「いだだだだだだだ!! むきいぃぃ!! いきなりなにすんのよーっ!」


 突然の凶行に、ユカリは抗議の声を上げて大暴れだ。

 ユカリは腕を振り回して怒っているが、自分はすぐさま短いリーチの外へ退避し、ヒットアンドアウェイの要領で、かわいい尻をひっぱたく。この追い打ちでユカリは益々おこになったので、反撃を受ける前に浴場へ逃げこんだ。

 軽い疲労感を覚えて洗い場に座ると、脱衣場では、まだギャーギャー騒ぐユカリの声が響いていた。


「なんか悔しいから、とっとと風呂を済ませて、今日こそゲーセンへ行ってやる……」


 そう決意し、頭と体を洗いはじめたあたりで、乱暴に脱衣場の扉が開く音が聞こえた。怒り心頭のユカリなので、きっと何がしかの反撃があるだろう。

 警戒しつつ髪を洗っていると、案の定、背後に忍び寄る気配が現れる。下手糞な忍び足では、まったく気配を消せてはおらず、振り向きざまに先制攻撃をしようと、目を瞑ったままシャワーヘッドへ手を伸ばす。だがそのとき。頭上から熱めのお湯がザバっと浴びせられ、おじさんは悶絶する羽目になった。そんなものをいつの間に用意したんだ。


「あっつーっ! あっつ! こらあ何しやがる!」


 火傷するほどではないが、不意な熱湯攻撃によって生じたピリピリする刺激は耐え難い。おじさんは悶えながら、自動的に体のあちこちを撫でまわす。裸のおっさんがクネクネしている絵面は、さぞ汚らしいだろう。


「さっきのお返しよ! レディのお尻まで()っておいて、タダで済むとは思わない事ね!」


 くそう。何がレディだ人工無能め。しかしここは堪えて、安い挑発には乗ってやらない。自分はもういい大人なのだ。ここで過剰反応しては相手の思うつぼである。


「ぬふう……。ユカリよ、お前もちゃんと体洗ってから風呂に入るのだぞ」


 世紀末覇者のような威厳を纏い、体に残った泡を流し終えた自分は、平静を装いながらユカリに声を掛け、浴槽へ向かう。


「なによ、もう終わりなの? 意外とつまらないわね……」


 洗い場の陰にいるユカリは、小声で悪態をつき、不満をあらわにする。その後も、しばらくこちらの様子を窺っていたようだが、やがて飽きたのか、椅子に腰かけて頭を洗いはじめた。

 ふふふ、時は来た。チャンス到来とばかりに、自分はそっと浴槽を出て、もこもこに泡を立てて髪を洗うユカリの後ろへ近付き、視界の利かない彼女をひょいと抱き上げる。


「ええっ!? な、なによっ! ちょっ、はなしなさいよーっ!! ちょっとー!!」


 悪い笑みを浮かべつつ、泡をまき散らして暴れるユカリを浴槽の縁まで運び、物でも放るようにして湯の中へ放り込んでやった。

 派手に水しぶきを上げ、ユカリの小さな体は一瞬水中に没したが、すぐにざばっと頭を出す。彼女は濡れて顔面に張り付いた髪をかき上げて、またもギャーギャー喚き始めた。


「思い知ったかこのポンコツAIめ! ばーかばーか! や~いがちゃぴんむっくー」

「あんたねぇっ! いい大人が幼気(いたいけ)な少女相手に何てことすんのよ!!」


 いい大人だから挑発には乗らないと決めはしたが、反撃をしないとは言っていない。


「だまらっしゃい! ご長寿老人なんかより遥かに老成してるやつが、軽々しく幼気(いたいけ)とか言うんじゃありません!」


 その実ちっとも老成していないユカリだが、こういうとき彼女が重ねてきた年月は、反論のネタとして有効打となるはずだ。


「こんのぉぉぉぉ」


 やはり効いているようだ。痛いところを突かれたであろうユカリは、浴槽の中で腕を振り回し、自分へ向けて出鱈目にお湯を浴びせてきた。ふふふ、かわいい。


「こらこら、お風呂で暴れちゃダメだって親御さんに習わなかったのか」

「そんなもんとっくの昔にいなくなったわよ!」


 増々ムキになって、お湯を掻き続けるユカリだったが……。

 興奮とのぼせからか、全身が徐々に赤く染まってゆく。やがて動きは鈍くなり、よろよろと数歩こちらへ歩いたかと思うと、前のめりに浴槽へ突っ伏した。


「あーあもう。はしゃぎ過ぎだぞ」


 ちょっとからかい過ぎてしまったようだ。

 うつ伏せのまま水面を漂い、ブクブクと泡を出しながら浴槽の縁へ漂着したユカリを大慌てで回収して、脱衣場へ運び出す。脱衣場に豊富に用意されているバスタオルを、籠から次々と毟り取り、数枚床に広げてから彼女を寝かせた。

 全裸のまま放置するわけにもいかないので、バスタオルを一枚上にかけ、備え付けの扇風機の風が当たるようにして、熱が冷めやすいよう環境を整えた。ふと横を見ると、いつの間にかいた仲居ヨリが、タオルに包んだ冷凍ジェル枕を無言でユカリの後頭部へ置いている。


「うわあ! 君なあ、いるならいるで声を掛けてくれないとびっくりするでしょうに」


 そう苦言を呈するも、仲居ヨリは少しだけ首を傾げて不思議そうな顔をしている。まじで心臓に悪いから勘弁してほしい。

 唐突な仲居ヨリの出現にどきどきしながら、洗面台で濡らしたハンドタオルを両脇に挟んで様子を()る。仲居ヨリはぺこりと頭を下げ、脱衣場を出て行ってしまった。そこで、丁度のびていたユカリが目を覚ます。


「あれ? なんで私……」


 真っ赤になっているユカリの声には、いつもの覇気がない。


「あ、おはようユカリ。駄目だぞ風呂なんかで寝たら。危うく溺れるところだったじゃないか」

「へ? そうなの? それはごめんなさい……。まだぼーっとしてて――って! なんでしれっと嘘ついてるのよあんたは!」


 残念ながら、ユカリは騙されてくれなかった。


「えー、気づくの早すぎじゃね」

「むきいぃぃ!」


 おこである。


「ほらほら、そんなに興奮するとまた具合が悪くなるから。あと暴れると見えるから」


 自分の言葉で置かれた状況を認識すると、ユカリはおとなしくなる。


「はぁ。人間の体ってホント脆いわよね。それでも、この体はいろいろ強化されてはいるけれど」


 “強化”というユカリの言葉で、ナノマシンと言う単語が脳裏に浮かぶ。そうだ。ここにはそんな技術があるんだった。


「そういえばヨリちゃんの体って、具体的にはどんなスペックなの?」

「……意外ね。晴一が人体に対してスペックなんて言葉を使うなんて」

「あ……あ~そうだな。これはたぶん職業病みたいなもんかな」


 人間のクローンであるとはいえ、このヨリの体は、人のそれとは大きく違うはずだ。それも、ユカリが特別に調整して製造したというのだから、それはもう性能や仕様と言った方が相応しいだろうと。そう、ごく自然に思ってしまっていた。


「でも悪意があって言ってるんじゃないんだ。もし気に障ったならすまない」

「ううん、平気よ。晴一は技術屋なのよね。なら仕方がないんじゃない? それに、そう言われても、私は何も違和感はないわ。ただし、ヨリには言っては駄目よ。ヨリ自身はこのことを知らないんだから」

「ああ。そこは肝に銘じておくよ」


 そんなに釘を刺されずとも、こんなこと言えるわけがない。たとえ体が人より強靭であったとしても、ヨリ自身は年相応のか弱い女の子なのだから。


「気を抜いて羽目を外していたからのぼせてしまったけれど、本気で対処すれば、恒星の中にいても損傷を受けることはないはずよ。ただし、要塞惑星からのリンクが途切れずに、電力供給されていればの話だけれど」

「え~。そんなにすごいのかよ……。やばいなヨリちゃん」


 語彙が貧しくなるくらい、ヨリの体は衝撃的な性能を秘めていた。ただそれも、意識して制御しなければならないとユカリは続ける。


「ヨリの体に搭載されている機能はね、偶発的な事故を防ぐために、静的な物ではなくて、動的に制御するようになっているの。致命的な危機に対してはその限りではないけれど、基本的には、機能を理解して意図的に使おうとしない限り、発動することはないわ。だから、今のところ私と晴一にしか能力を引き出すことはできないのよ」


 ヨリの体には、恐ろしい能力が秘められていることは分かった。けれど、また意味の分からないことをユカリは言う。ユカリ自身はともかく、ヨリの能力を自分も使えると言ったようだが、その言葉には困惑してしまう。


「俺にも能力を引き出せるって、そりゃどういう意味だい。例の暗示のこととか?」


 そこでまた、ヨリが倒れる原因となった暗示システムの件が思い出され、気分が重くなる。


「ううん、ちがうの。もっと根本的な話。あなたの管理者権限のことよ。私はもともとこの要塞惑星の統括管理AIだから、要塞惑星自体の管理者権限を持つ晴一の命令には逆らえないのよ」

「これまた……。どえらい衝撃告白だなそりゃ……」

「晴一は気づいていると思っていたのだけれど、違ったかしら?」


 話の経緯をまとめて良く考えれば、そういう答えに行きつくこともできたかもしれないが。現状では、それらを個別に考えはしても、様々な問題や事の重大さのおかげで全体を俯瞰する余裕など持てやしない。おじさんそこまで器用じゃないので。


「いんや。俺はそんなに頭が回る方じゃないんでね」

「そうかしら。私はそうでもないと思うけどな~」


 自分では気づかないような、妙な部分を買われているのか。彼女の意味深な言葉で、もやもやした気分にさせられる。


「なら俺が本気で命令すれば、ユカリもヨリちゃんも、この社全体も、何もかも思い通りにできるってこと?」

「ええ、その通りよ。あなたが望めば、この体を自由にしてあんなことやこんなことも思いのままよ? 仲居のヨリシリーズだってそういう機能はついてるし、いつでも自由にヨリハーレム状態にできるわ」


 痴戯の宴……。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。幸せいっぱい夢いっぱい。んなわけないだろ。


「いや待て待て。お前さんは道徳観や倫理観も獲得したんだろう? なんでそんな方向へことを運べるんだ。大体ダメだろ、こんな小っちゃい子にそんなことしちゃ! 基本NOタッチだぞ」


 めっちゃお触りしてるから、あんまり説得力ないけど。


「それは彼らの作った絶対的な仕様だもの。命令をされちゃったら逆らいようがないわ♪ それに、年齢的な問題なんて存在しないでしょう? 私は晴一より遥かに年上だし、実年齢で考えたらヨリだって二百年近く前の人なんだし。ね?」

「いや、『ね?』ではない……」


 なぜか楽しそうなユカリであるが。いけませんよ、そういうイケナイ発想は。おじさん許しません。


「それで? 晴一はどうするの? どうしたいの? しちゃうの? ここでは地球の法律なんて適用外よ?」

「するか! 人として駄目だろそんなの」


 そうだ、ダメだ。ちっちゃな子は愛でるべき対象であり、欲望のはけ口になどしてはいけない。そんなことをする不届きな輩は全員ハサミでちょん切られてしまえばいい。


「うふふ。ま~、分かってはいたけどね。晴一はそういう人間じゃないし。だからこそ信頼して、この要塞惑星の命運を預けられるんだし?」


 そう言って向けられたユカリのたおやかな笑みに、自分はドキッとしてしまう。

 いい歳こいたおっさんなのに、年端も行かぬ少女に手玉に取られているような気がして、得も言われぬ微妙な気分になった。いや、中身は三千万歳を超えているのだから、少女とは到底言えないか。


「そりゃどうも。じゃあ、参考までに聞くけど――」

「私もヨリもいつでもウェルカムよ」


 そういうことを聞きたいのではない。


「まだ何も言ってねえし、ヨリちゃん関係ないだろ。……はぁ、もういいや。この話はこれでおしまいな」


 話の腰をへし折り、胸の前で両手をグーにして鼻息を荒げるユカリを(たしな)める。そろそろのぼせもなくなってきたようだし、とっとと着替えさせて部屋――ゲーセンへ行きたい。

 かけてあるバスタオルで、ユカリを簀巻きにして起こし、敷いていたタオルを片付ける。その間、ユカリは浴衣をもぞもぞ着込んでいるが、パンツをはこうとはしなかった。どうせ後で入れ替わるときがあるんだから、妙な誤解を受けないようにちゃんとはいてくれないと困るんですよ。ヨリとはきちんと約束もしてるし。


「おいぃぃ! だからパンツをはけって言ってんでしょうが!」

「えー? 言われたのはヨリでしょう? 私は言われてないわよ~」

「くぬ……」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて、ユカリは屁理屈を言うが、自分もこのまま引き下がるようなことはしない。すまし顔で帯を着を締めはじめたユカリを持ち上げて強引にパンツをはかせ、先に脱衣場を出る。あまり頻繁にこういうことをしていると、本当に自分が変態になったみたいでアレだから、ちゃんと自分でやってくれんかなあ。

 暖簾をくぐってすぐさま右へ曲がり、休憩室へ行こうとしたところ、駆け寄ってきたユカリに腕を掴まれ、どういうわけか部屋の方へ引きずられはじめた。


「なん……!?」


 ちょっとやめてよ。おじさんゲームコーナー行きたいんだから。


「どこ行こうとしてるのか知らないけど、今夜は初めて私と一緒に寝るんだから、寄り道しないでとっとと部屋に帰るの!」

「なんですとーっ! ユカリ~お前もか~!」


 権力者の周りには、常に裏切りと陰謀が付きまとう。

 やはりこの日もまた、ゲームコーナーへの進入は果たされなかった。なんだってんだよちくしょう。いつか絶対に満喫してやる。意地でも突入してやるんだ。どうかその時まで待っていてくれ、愛しきゲーム筐体(おもいびと)達よ……。ぴえん。

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