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拾参 ~ 意外な再会 ~

 三日目の朝食を済ませた後。ヨリの首飾りを追加工しようと思い、クローゼットスペースにかけられている作業着の上着から定規(スケール)を取りだす。続いて、預かっている首飾りを取り出そうと、左足のサイドポケットに手を入れたとき。指先に違和感を感じて固まった。


「あれえ……」


 こちらのポケットには、ヨリから預かった首飾りしか入れていないはずなのだが。首飾りの紐の感触と一緒に、別の物体の感触があるのだ。

 そこで、先に首飾りを掴んで引っ張り出し、再度残った物を確認しようとポケットに手を入れて、何やら平たいそれをそっと掴む。まさかと思いながら取り出してみると、そのまさかである。愛用のスマートフォンがそこにはあった。


「うそだろ……。技研の管理部に預けたはずなのに」


 企業などの研究部署や一部の生産ラインなどは、情報漏洩を防ぐために、私物の持ち込みが制限されている場合が多い。

 件のL技研でも、当然携帯電話の類は持ち込み制限対象となっており、研究棟内へ立ち入る際は、従業員でさえも手荷物の検査を受ける程だ。それが外来の工事業者となれば、セキュリティはより厳しくなり、建屋内へ入る際に厳重な検査を受け、署名と共に入室許可証を受け取らなければならない。

 もちろん事故当日も、このスマホは技研側へ預けていた。だがどういうわけか、それが今自分の手元にあるのだからただ事じゃない。


「なんで……ここにこれがあるんだ」


 スマホを手にした自分は、困惑や疑念、あるいは喜びがまぜこぜとなり、心中は穏やかでなくなる。これは何かの罠なのだろうか。突然降って湧いたようにこんなものを渡されても、これまでのことを踏まえれば、素直に喜ぶことなどできるわけがない。どう考えても裏があるとしか思えない。


「もうずっと(もてあそ)ばれてる気がする……」


 いくら神をもてなす社という前提があるにせよ、この過度に至れり尽くせりな好待遇ぶりは、最も警戒すべき部分ではないだろうか。まるで付け入るスキを作るために、あらゆる手段を用いて篭絡を謀るような。そんなどろどろとした、悪意のようなものを感じる。そんな気がするだけだけど。

 そんなことを考えていた自分の脳裏に、一瞬ヨリの笑顔が浮かぶ。まさかヨリがそうなのだろうか。本当はすべてを知っていて、何らかの目的のために自分を利用しようとしているのだろうか。いや、そんなはずはない。

 確証はないけれど、これまでの様子から見て、彼女が何らかの企みを持って自分に接している可能性は薄い。というか無い。そもそも、自分にそんなことをしたところで、何の利益になるのか。そんなのはただの徒労でしかないので、むしろこっちが心配してしまう。とはいえ、それを完全否定する根拠が皆無のもまた事実。結局は何もわからない。わからない上に、どんどん良からぬ方向へ気持ちは傾いてゆく。


「あ~。やめやめ。確証もないことに偏見を持つのは危ないな。今は事実だけを冷静に見て、わかる範囲で考えよう」


 (かすみ)のように脳内を覆いつつあったネガティブな思考を追い払い、とりあえずはと、スマホの画面をフリックする。

 馴染みの操作に反応したスマホは、即座に画面を点灯させた。自分が行方不明になって数日経つが、待機画面の通知欄には、メールや不在着信といった記録は一切ない。四桁の数字を入力してロックを外し、メーラーを開いてみると、各履歴が全て空になっている。これは通話履歴に関しても同様で、全てきれいさっぱり消えていた。

 ホーム画面に戻り、ページをめくってゆくと、“IMAKUL”と書かれたどこかで見た事がある青いアイコンが勝手に増えている。こんなアプリを入れた覚えはない。

 そこでふと、これはただの同型機種なのではという疑念が沸く。ならばと思い、注意深く本体外観をくまなく調べるが、使い込まれた外装の状態が、間違いなく自分の所有物であることを物語っていた。納得はいかないが、一応疑いは晴れたと思えたため、再び画面に目を向ける。


「いやあ。物自体は本物っぽいけど……。それにしたって、何だこのパチモン臭いアイコンは」


 あまりにも怪しいため、即それを長押ししてごみ箱へ放り込む。続いてドロワー開いて、アプリ本体のアンインストールを試みた。果たしてそれは不可能だった。


「おいぃ! 権限が固定されてるとか、キャリアの不毛なbloatwareじゃないんだからさあ……」


 衝動的にスマホを放りたくなるのを堪え、次に設定の方から無効にしてやろうと、アプリケーション管理画面を開く。すべてのアプリを表示させ、“IMAKUL”とかいうアイコンを探し出して詳細を開いた。

 しかし、アンインストールはおろか、強制停止や無効化も灰色に反転していた。つまり、このままでは二進(にっち)三進(さっち)もいかない。退()()きならない。てやんでいべらぼうめ。


「ぐぬぬ……」


 あきらめてホーム画面に戻ると、削除したアイコンまでもが復活している。いや、ただ復活したのではない。腹立たしいことにふたつに増えているではないか。腹立つわ。


「増えてんじゃねーよ!! まったく何だってんだよ、やっぱ馬鹿にしてるだろこれ」


 ますますイライラが募る。いや、ここ最近はイライラしか募っちゃいなかった。


「あーもう、わかったよ……。起動してみりゃあいいんだろ」


 半ば自棄(やけ)になり、覚悟を決めて怪しげなアイコンをタップする。

 元々このスマホはここになかったものだ。これがただの罠で、システムを破壊されても別に構いやしない。振り回されるのもそろそろ疲れたし、どうとでもなるがいいさ。

 ややあって、アプリは無事立ち上がる。ご丁寧にオープニングデモがあるらしく、画面全体が白く反転してから青くなり、白抜きで“IMAKUL”の文字が中央に浮かび上がった。それから、文字列が右へ引き伸ばされたように伸びると、輪ゴムを弾くように吹っ飛び、画面の左へ消えて行く。


「くそが……。無駄に凝ってるのも腹立たしい。スマホ諸共投げ捨ててえ」


 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。続いて起動画面には、デザイン化されたアニメ調の風景画を背景に持つ、約款文が表示される。

 

 “この度はIMAKULアプリをご利用いただき誠にありがとうございます。お客様が本サービスをご利用されるにあたり――”


「長いわ」


 ざっと目を通すも、よく見る利用規約についての文言しか書いていない。

 この期に及んでこんなものを読む意味は全くないので、一気に最後までスクロールさせて飛ばしてしまう。大体この世界に法律もクソもないだろう。なにがやっかんだよ、茶でも沸かしてろ。

 しかし、延々とスクロールさせたその先で、不穏な文字列が目に留まる。ここで自分のイライラは、いよいよ最高潮(クライマックス)を迎えることとなった。


 “本アプリケーションのアンインストールは、システムの都合上不可能となっております。また、ホーム画面のアイコンを削除されますと、倍増しますのでご注意ください”


「アホかーっ!」


 おっさんは立ったまま()け反り、悶絶する。本当は絶叫したかったけど、襖一枚隔てた向こうにはヨリがいるのだ。無様な姿を見せて心配をかけるのは避けたい。


「あ~。今すぐこのスマホをへし折りたい。滅茶苦茶にしてやりたい……」


 しかし、一年ほどの付き合いになる愛着ある相棒を、そう簡単に傷つけることなどできるはずもなく。おじさんは苦々しく歯噛みするばかりである。そもそもスマホ自体に罪はないし、お安くもないし。

 仕方なくそのまま画面を進め、了承ボタンをタップした。本来の機能が起動すると、まるで通販サイトの専用アプリのような画面が現れ、画面上部の常設バナーには広告の文言が流れはじめる。


 “全商品プライスレス! あなたの良く知るあんなモノやこんなモノが目白押し”


 やけに派手に輝くダサいデザイン文字と共に、“IMAKUL”のロゴが右から左へ繰り返し流れる。こんなセンスでプレゼン資料作ったら絶対怒られると思う。

 ページ上に掲載されているさまざまな商品の下には、購入個数設定欄と、無料購入といういかがわしいボタンが表示されていた。

 

無料(プライスレス)なのに購入ってなあ……。ヤバい雰囲気しかないよな実際」


 変な顔になりながら、惰性のように商品ページをスクロールさせていたとき。“あなたにおすすめの商品”と書かれた欄に、見覚えのあるハーフカーゴパンツがあるのが目に入った。

 それは以前、別の店で購入したことがある物だったが、少し興味を引かれたので、試しとばかりにサイズを選択して購入ボタンを押した。すると画面が切り変わり、配送予定日や購入数の確認へと移った先で、最終決定ボタンが点滅しはじめる。

 配送予定日を確認すると、当日中になっている。またそこでは、スマホの時計と同じ時間が、秒単位で更新表示されていた。何となく気になるそれらを眺めて決定ボタンを押すと、突然自分のすぐ右にある出入り口の引き戸が、二度ノックされた。急な出来事にビクッとして慌てて戸を開けたが、そこに人影などはない。しかし代わりに、“IMAKUL”と青いロゴの入った段ボール箱が置かれていた。


「嘘だろおい……」


 にわかには信じられなかったが、確かに目の前には、いかがわしいロゴの入った段ボールが鎮座している。怪しい段ボールを警戒しながら、(おもむろ)に拾い上げ、室内に運び込んで畳の上に置く。

 見ればテレビの前には、(かじり)りつくようにして映像に見入るヨリの姿がある。これはいけないので、目が悪くなるから離れて見るよう彼女に注意し、距離を取ったのを確認してから、いよいよ怪しげな段ボールの開封の儀に入る。

 厚手でしっかりとした段ボール箱の中には、今しがた胡散臭いアプリから注文した、ハーフカーゴパンツが入っていた。迷うことなくパンツを箱から取り出して、ビニールを引き裂き、広げてみる。それは、既に持っているパンツと全く同じ物であった。試しにポケットを裏返したり、内側を確認したりもしたが、どこからどう見ても、正真正銘綿(めん)でできたカーキ色の紳士用ハーフカーゴパンツに他ならない。何だかとても疲れたので、両手でそれを広げたまま(あお)向けに寝転がる。


「ねえ、ヨリちゃん」

「はい神様! 何か御用命でしょうか?」


 声を掛けると、テレビに夢中になっていたヨリは瞬時に自分の方へ振り返り、シュババとやってきた。彼女はぴんと背筋を伸ばし、正座で待機状態に入る。その様は子犬のようでかわいいらしいが、機敏な反応からは従者の性分が垣間見えるようで、あまり好ましくなく思った。彼女には、もっと自由でいて欲しい。今後声掛けするときは、タイミングも考慮するべきだろう。


「ごめんねテレビ見てたのに。いきなりでなんだけど、ヨリちゃんは今何かほしい物とかあるかな?」


 脈絡のない突然の質問に、ヨリはきょとんとしてしまう。


「い、え……? えと、私のほしい物で御座いますか?」

「うん。何かあるかな」


 ヨリは困った顔をして考え込んでしまう。こんな質問されたら、誰でもこうなっちゃうだろうなあ。


「そうで御座いますね。私は神様にお仕えすることを無上の喜びとしておりますので、特別これと言ったものは御座いません」


 彼女は一瞬の迷いも見せず、即答した。まったく子供らしくない。いいや、年齢云々(うんぬん)ではなく、他人の世話だけで満足しているから、私欲は無いなどと言い切ってしまうのは、人として良くないと思う。おじさんそんなの悲しすぎます。


「そうなの~? でもさ、強いて言うとしたら、何かないかな? 神様、あってほしいなあ……」


 食い下がる自分の質問に、更に考えこむ様子を見せるヨリ。これただ困らせてるだけかな。聞かない方が良かったかしら。


「う~ん。やはり私には他に望むものなど御座いません」


 ヨリはそういうと、いつもの愛らしい笑顔を見せる。


「そっかー。残念」

「あの……ご期待に沿えず申し訳御座いません」


 恐縮したように頭を下げるヨリを見て、自分はパンツを箱へ突っ込み、寝たまま彼女を抱き寄せる。お巡りさんこいつですよこいつ。こいついっつもこんなことやってますよ。


「んにゃっ!?」


 不意な出来事に驚いたヨリはおかしな声を上げた。

 ぎゅっとハグをしてすぐに捕縛を解き、ヨリを元に戻す。ヨリは何かほわんとしていたが、自分はトイレへ行くことを告げて居間を出る。バスルームへ入り、蓋を閉じた便座の上に腰を掛けると、想定外の荷重を掛けられた樹脂製の蓋が、ケツ圧の暴挙に耐えかねてミシミシと悲鳴を上げた。


「本当に欲しい物がないのか。はたまた遠慮深いのか。ここらはちょいと悩みどころかな。ま、しゃーない。何かヨリちゃんが好みそうなものを適当に取り寄せてみるか。俺が直に渡す分には断りはしないだろうし」


 特権というか、彼女が持つ畏敬の念に付け込むようで気は引けるが、結果それがヨリの笑顔につながるのなら良しとしよう。というのは、エゴに過ぎないだろうか……。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 十一時を過ぎたころ。自分とヨリは海岸に出てきている。あれからトイレの中で、無駄に小一時間ほど悩んで注文した商品は、ピンク色の十六インチ補助輪付き自転車だった。

 トイレで妙案もひり出せぬまま、バスルームを後にして部屋へ戻ったとき、テレビには自転車を乗り回す子供の映像が流れていた。相変わらず画面に釘付けだったものの、このときのヨリは、これまでの番組に注視していたときとは、全く違っていた。彼女が、画面に映る自転車の少女へ向けるまなざしは、異様なまでに熱を帯びているように見え、明らかに強い興味を引かれている様子だったのだ。そこで、ビビっと天啓を受けた自分は、本能のままにスマホを操作し、気づけば自転車が届いていた。

 ヨリは自転車の入手先を相当気にしていたが、自分が「内緒」と言うと、それ以上追及してくることはなかった。玄関に置かれた真新しい自転車へ、不審な目を送るヨリは、やや不安そうだった。しかし、自分は気づかぬふりをして彼女を小脇に抱え、意気揚々と社の外へ繰り出したのだ。

 みすぼらしい玄関戸がある岩屋の前は、草野球ができそうな広場となっており、地面も固く比較的平坦なため、自転車の練習をするにはもってこいの場所だ。ということで、本日はヨリと自転車の練習をすることとなりました。

 持ち出した自転車のサドルを目測で調整し、ヨリに跨ってもらうと、適当にいじったわりには丁度いい高さだった。早速自分は軽く操作法を教え、ペダルを漕ぐように勧める。すると、意を決したような顔になったヨリは、難なく自転車を走らせはじめた。幸先は良さそうだ。


「ヨリちゃ~ん、できるだけ補助輪に寄り掛からないように乗る感じでやってみて~」


 少し離れたところまで移動していたヨリに、自分は声を張り上げてアドバイスを送る。

 自転車の乗り方を教える時は、補助輪を外して誰かがおさえるやり方よりも、補助輪を浮かせて走れるよう意識させると上達が早い。心理的なケアを目的として補助輪を活用すれば、容易(ようい)に恐怖心を排除できるし、自力でバランスを取ることに集中させることもできる。

 そうして大まかな感覚が掴めてきたら、今度は徐々に補助輪の接地高を上げてゆく。これを繰り返してゆけば、大抵の子は一日で補助輪がなくても自転車に乗れるようになる。自分が幼いころもそうやって乗り方を覚えたし、うちの姪もそうだった。

 補助輪は、物理的なバランサーとして用いるのではなく、心のバランサーとして活用するのがベストなのだ。努力は重ねる必要はあっても、無駄な怪我まで負う必要はない。というのは自分の持論なので諸説あります。

 正確な直進操作を習得したら、次に問題となるのはカーブでの操作だろう。カーブでは補助輪が邪魔になり、かえって転倒しやすくなるため、補助輪を外して補助をする人間の周りを周回させるという教え方をする。これなら徒歩で追従するのも楽だし、転倒しそうなときも、すぐ支えに入ることが可能だ。

 そうした練習を繰り返すこと一時間。一旦昼休憩を挟んで続きを四時間ほど繰り返し、計五時間程度の練習を続けた結果。ヨリは完璧に自転車を乗りこなせるようになった。脅威的学習速度である。


「うお~っ! ヨリちゃん凄いぞ~っ! 呑み込みが早くて神様感動しちゃうよ! ほんとすごい! すっごい!」


 お世辞抜きで、想像以上の上達ぶりには心底感嘆してしまい、自分はしばらくの間、「すっごーい!」という小学生並みの感想を連呼するだけのポンコツおじさんになってしまう。

 元からポンコツである可能性も否めないが。それでも精神的な衝撃を受けると、人は語彙が少なくなるというのは本当らしい。


「い、いえ。そんなことは御座いません。神様のご指導がとてもお上手だからで御座いますよ」


 完璧に自転車を乗りこなしているヨリは、海風に髪をなびかせて嬉しそうに言う。自転車を漕ぐ姿もかわいい。

 人の親が感じるという、子の成長の嬉しさとは、こういう感情なのかもしれない。などと、ひとり胸に熱い物を感じながら、軽やかに自転車を乗りこなすヨリの嬉しそうな姿を、ひたすら目で追うキモおじさん。今絶対キモイ顔してる。こんな人が公園にいたら、機動隊に囲まれて催涙弾撃ち込まれちゃうね。


「しかし、こうなると十六インチじゃ小さかったな。またあとで大きいサイズを注文しようかな」


 散々怪しいだの罠だのと勘ぐっていた“IMAKUL”を、掌返しで使い倒そうとしているなんて、軽率極まりないおっさんだ。まったく調子のいい野郎だな。

 相も変わらず太陽は見えないが、そろそろ日も暮れはじめたので、ヨリを呼んで社内に戻る。補助輪を外したことで、自立できなくなった自転車を玄関の中に寝かせて置き、仲良く手を繋いでひよこの間へ帰った。どこから送ってくるのか知らないけど、どうせならスタンドも付けてくれればいいのにさ。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 毎度勝手に用意されている夕飯を食べ終えると、時刻は十八時半ほどになる。今日もヨリは大浴場に行きたいと言うので、先に行っているように伝えてから、自分は“IMAKUL”アプリを起動する。開いた商品画面から、胴の長い猫の抱き枕、リストバンド型バイブレーションアラーム、独製軍用双眼鏡、ウエットスーツ付きシュノーケリングセットを注文する。間髪入れずに届いた荷の梱包を解いて、クローゼットスペースにしまい込んだ。

 抱き枕や開梱の際に出たごみは、広縁に押し込んで障子を閉める。こうして適当な隠ぺい工作を終えてから、悪だくみおじさんは急いで浴場へ向かう。何故かはわからないけれど、今回は大浴場まで一緒に行くと言われなくて助かった。

 風呂から上がった後は、今日も休憩室を訪れる。のぼせ気味で手団扇(てうちわ)しているヨリをテーブル席へ座らせて、飲み物のオーダーを取ると、彼女は申し訳なさそうな顔で緑茶を希望する。それに快諾し、冷蔵庫から五百ミリペットの茶と、ゼロカロリーコーラをいただいて、テーブル席で揺れているヨリの元へ戻る。お茶を渡すと、彼女はふにゃふにゃの笑みを浮かべて礼を述べ、よく冷えたそれに口をつける。両手でボトルを持ち、細い喉を鳴らしなが茶を飲む様は、CMになりそうなくらい美味しそうに見える。

 のぼせた彼女を放って置けないので、自分も隣の席へ逆向きに座り、症状が落ち着くまで様子を見ることにする。テーブルに寄り掛かってコーラを飲みながら、他愛のない話をしている最中、ときどき自分はゲームコーナーの入口を睨み付けていた。今日こそは、“ちょっとだけでいいからゲームがしたいマインド”を開放してもいいだろう。そう思っていたからだ。

 二十分ほどそうしていただろうか。ヨリもだいぶ回復してきたし、お互いのボトルも空になったので、ふたつのボトルを手に立ち上がった自分は、まっすぐゲームコーナーへと向かう。入口の横にあるごみ箱へボトルを放り込み、(はや)る気持ちを押さえつつ、ゲームコーナー側に踏み込むと、それまで一切聞こえていなかったゲーム機のアトラクトサウンド(待機音)が、一気に溢れてきた。


「なっ!」


 思いがけない現象に遭遇した蚤の心臓おじさんは、気圧され気味に身を引いて、一旦ゲームコーナーから逃げ出す。すると、辺りは途端に静かになった。今度は恐る恐る頭だけを突っ込んでみると、また喧騒が聞こえるようになる。

 ゲームコーナーの入口に扉はない。にもかかわらず、どういうわけかコーナーの外には、一切の音が漏れ聞こえてこないのだ。たとえ扉があったところで、余程の防音構造でもない限り、ここまで完璧な遮音などできるはずがない。


「あ~。あるある。この世界ならあるあるだな……。しらんけど」


 異常なことではあるものの、そういうものだと一瞬で納得した自分は、気を取り直して颯爽とゲームコーナーへ飛び込んだ。やっほう。


「ああ、この感じ懐かしい……」


 室内を満たす、いかにもな空気感にちょっぴりノスタルジックになっていると、背後にいたヨリがぐいぐいと浴衣をひっぱり、あれよという間に外へ連れ出されてしまう。あまりにも興奮しすぎて、ヨリのこをと一瞬忘れていたなんて言えない。ゴメンナサイ。


「え? なに? どしたのヨリちゃん?」


 そう問いかけるも、いささかムスッとした表情で、険しい視線を自分へ送るヨリ。

 一体どうしたというのだろう。数分とはいえ、放置してしまったことを怒っているのだろうか。もしそうならば、おじさん土下寝くらいはできるから、許してもらえませんか。


「神様。あのお部屋はなんで御座いますか?」

「あ、えと、ゲームコーナーで御座いますが……」


 やっぱりなんかおこの様です。


「左様で御座いますか。大変申し上げ難いのですが、あのように大きな音がする場所は、私は苦手で御座います」


 何だかよく分からないが、ヨリは若干怒っていらっしゃる。喧騒溢れる環境が合わないため、不安になってしまったのかもしれない。


「あちゃー。ヨリちゃんはああいうの苦手なんだね。じゃあこっち側で待ってる? それかお部屋へ戻って先に寝ていても大丈夫だよ?」


 苦手な物へ無理に付き合わせるわけにはいかないので、彼女へ別行動を提案してみる。というか、幼い女の子を放り出して自分だけゲームで遊ぼうとするなんて、まったくもって酷いおっさんだ。そしてそのおっさんは、子供のように落ち着きがなく、会話の最中も横目でちらちらとゲームコーナーを見ている。ええ私の事です。いい加減にしなさいよ。


「いいえ神様! あのようなお部屋に立ち入ること自体、感心いたしません! 私はあの部屋には何かいかがわしいものを感じます。神様の御身を案じるのも、私の大事なお役目で御座いますので、今後一切、あちら側へ行かれることは控えていただきます!」

「えーっ!?」


 なななんてこった。あろうことか、ヨリの口からゲーセン禁止令が発せられてしまった。

 しかもどういったわけか、彼女は一層おかんむりな様子で、その語気はかつてないほどに強いものとなっている。なにがどうしてどうなってこんなにおこなのだろう。


「『えーっ!?』では御座いません! 昨夜もだいぶ遅う御座いましたし、今夜はもうお部屋にお戻りになって、すぐお休みになってください!」

「え~? なんでえ? 急にどうしたのヨリチャン? ナンデ?」


 何だか知らないけれど、いきなりヨリは怒り出し、ゲーセンを悪しきものだと断じはじめる。おじさんわけが分からないよ。


「私の心がここは良くない場所だと申しております。それに間違いは御座いません。神様のお体にもかならず悪い影響を与えるに決まっております! さあ、このような所からはすぐに離れましょう!」


 そう言って自分の手を取った彼女の力は、普段の様子からは考えられないほど強い。自分は、引きずられるようにして休憩室から連れ出されてしまう。まるで、我が子が悪事に手を染めようとしているところを(たしな)める母親の如き姿だった。


「そ、そんなー。うわ~んヨリえも~ん」


 こうなってしまえばもう逃げるわけにはゆかず、今夜は大人しく床に就くしかない。

 ひよこの間へ戻り、ヨリが寝床の準備をしている間。自分はしょんぼりしながらも、首飾りの紐の延長を試みていた。とても大事な物の可能性があり、元々付いている紐を切るのも憚られる気がするので、こちらは棒結びのようにして縮めることにする。それによりできた小さな輪の部分に、売店で買った組みひもを通して、無事延長作業は落ち着いた。

 ちょうど作業が終わった辺りで、床の用意を終えたヨリが、布団をポンポンしはじめた。すっかり整ったそこへ、おじさんはのそのそともぐり込む。よく手入れのされたふかふかの布団へ横になると、睡魔に見舞われるのにそう時間は掛からず、ほどなく自分は眠りに落ちてゆく。薄れゆく意識の中、明日は二十二インチの自転車を注文しなければなどと、ぼんやり考えたりもしていたが、ゲーセンへの強い執着心も、また同時に芽生えはじめていた。

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