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壱 ~ 飛ばされて”さき島” (無人島?) ~

推敲が甘いため、誤字や脱字を発見次第直しております。

頻繁に改稿する場合がありますが、内容に大きな変化は御座いません。


物書きの才能なんてこれっぽっちもないですし、文法も構成もグダグダかもしれません。

そんな乱文に付き合っていただける奇特な方が一人でもいらっしゃれば幸いです。

一応連載としておきますが、恐らく遅筆になると思いますので、気長にお付き合い頂ければと存じます。



20240130 全話推敲しましたが、今後も誤字脱字など発見次第修正します。

尚、この修正によって内容が変わる事は御座いません。

顔から火が出そう。

 自家用車での通勤をしていると、カーオーディオでかけている曲を口ずさんでしまうことがよくある。再生リストの中でも特にお気に入りの歌となれば、必然的に熱が入り、気付けば大口を開けてシャウトをしていたりもする。大抵は何となく気恥ずかしくなり、そこで歌うのをやめるのだが。

 まれにノリに乗った状態のときに、信号待ちで並んだ他のドライバーと目が合い、猛烈に恥ずかしい思いをする、なんてこともある。世のマイカー通勤ニスト達には、同じ経験をしている人も多いかもしれない。そんな風にして、ほぼ丸十年通いなれた道を走り、今日も無事に勤務先へとたどり着いた。

 自分の勤める会社は、工場生産に関わる産業機械類の製造、並びに設置やメンテナンス等の下請けを主な生業とする小さな会社である。広いとも言えないし、隙間とも言い切れない微妙な界隈の業種であり、それなりに多忙であるものの、繁忙閑散の格差はなかなか激しい。時には半月以上仕事がないなんてこともままあったりなかったり。

 給料的な話でも、決して多い方とは言えず。「もっと寄こしてもいいのよ?」などと思うこともないわけではない。けれど、常々愚痴となって口を突くほど酷い待遇でもなく、そこは普通だろうか。世の普通がどの普通を指すのかは、いまいちわからないけれど。

 人間関係は良好だったし。日々和気あいあいとした、いわゆる笑顔あふれる明るく楽しい職場、というやつだった。少なくとも自分のいた部署は。

 そんな特段の不満もなく、ありふれた日常を平々凡々と生きてきた自分は、なぜか、なにゆえにかはわからないが、今現在一人の少女と無人島でふたり暮らしをしている。一体なぜこんなことになってしまったのか。


◆ ◆ ◆ ◆


 梅雨も明けきらないしめっぽい夏。それは設備の機能拡張と、改修作業のため入った客先での仕事だった。

 入社以来、何度も繰り返してきた作業を黙々と進め、切りのいいところで中間チェックをはじめた時のこと。にわかに照明が消え、室内の光源は小さな非常灯に切り替わる。それから一瞬の間をおいて地鳴りのような低周波が建屋を揺らしたため、やれやれまたかとため息をついた。

 この一帯にはこれといった地場産業もなく、以前はどこにでもある農村地域だった。田園部より高く位置したこの丘陵部は、ある日を境に工業団地として開発が始まり、国内の有力企業などが積極的に誘致された。確か昭和の初め頃と習った記憶があるけど、自信は無い。

 やがて訪れた高度経済成長の波に乗った団地は急速に成長し、地域人口の増加や流通経済規模の拡大、インフラの拡充と様々な恩恵をもたらすこととなった。現在では、用地面積を当初の十倍以上に拡張され、より様々な企業が参入してくるようになっている。またバブルの崩壊後も、地域税収の(かなめ)を堅持し続け、当時の隆盛こそ失われたが、産業の火は消えずに灯り続けているようだ。今後も頑張ってほしいと思う。ほんとに。

 そんな区画の外縁に広大な土地を保有するL技研は、国の主要産業の一端を担う世界でも有数の巨大企業である。約六十六ヘクタールの総敷地面積には、彼の東京ドームがほぼ十四個すっぽり収まる規模だという。と言われても、東京ドーム換算ていまいちわかんないんだよね。

 その日、そんな大企業の研究棟区画にある部門の一室に自分はいた。周囲の地形や、この土地特有の気象条件が引き起こすものなのか、詳しい理由は分からないが、現場周辺の土地は梅雨の時期や夏場において頻繁に集中豪雨が発生し、その様相はしばしばすさまじい物となる。うず高く積みあがる雷雲は、毎秒のように雷鳴をとどろかせ、同時にもたらされる激しい雨には雹が混ざることも多い。まさに絵にかいたようなスーパーセルを引き起こすのだ。

 雹が多いときには、周辺道路の側溝は水口(みなくち)をふさがれ、排水が阻害されてしまう。場合によっては、小規模ながら洪水の様相を呈することもある。当然路面は雹で埋め尽くされ、一時的ではあるものの、交通もほぼマヒ状態になることだってある。しかし、近隣の住民や企業の従業員にとっては最早風物詩のようなものなので、さほど大きな混乱は生じない。

 三センチ程度降り積もった雹により、あたり一帯が雪景色のような状態になって、ようやく雨脚が弱まる頃。団地内総合管理協会や、町によって除雪車両や重機が派遣され、事態は速やかに収拾される。近くにはでかい川も流れているし、高台という地の利もあって、排水能力は高いらしい。団地内の側溝も、場所によっては全面グレーチングになっていたりするし。お金もーち。

 地元の知人曰く。ここまで酷い荒天になることは稀で、数年に一回ある程度らしい。しかし、過去にはとんでもない被害をもたらしたことがあるため、教訓を生かした対処法が現在でも維持されているのだそうだ。道理でお片付けが早いわけだ。まあこの辺の豪雨については昔からのことだから、自分も慣れているけど。過去には花火大会に来てひどい目に遭ったし。まあそれはどうでも良いか。

 この時期は、ほぼ毎日十三時ごろになると荒天に見舞われる。しかし長くとも二時間ほどでそれも収まり、上空からは雲の切れ間より薄明光線(はくめいこうせん)が差し込みはじめる。幻想的で美しいその光景が嫌いではなかった自分は、十五時の休憩時間になるとラウンジへ繰り出し、自販機で購入したコーヒーを飲みながら、度々窓の外の景色に見入っていた。世界的企業ともなれば、従業員への福利厚生も実に充実したものだ。

 広大なラウンジには間柱などもなく、三角ベース程度なら対角二面で遊べるくらいゆとりがある。南側に面した壁は、一面が天井にまで届く強化ガラス張り構造となっており、自動車ディーラーのショールームスペースを思わせる作りだ。そんなスペースが各棟に一つか二つあるというのだから羨ましい。転職しようかな……。

 この嵐の二時間は、いつもひどい停電に見舞われ、作業がほとんど進まなくなってしまう。おかげで公認の休憩時間のようになっている。もしかすると、団地内にある企業すべてがそうしているのかもしれない。少なくともこの現場では、他の業者や技研社員もここへ集まり、思い思いに時間を過ごすのが常となっている。就業時間だけど就業できない時間だ。

 今作業の日程は七日間あり、予定では本日が最終日であった。けれど、ここ五日程はこのような状態が続いているため、全体の進捗は芳しくない。それはうちも例外ではなく、残作業をあと半日でこなすのはまず不可能だ。おかげで各人員の間には、すっかり諦めムードが蔓延している。

 そこで状況を鑑みた技研の責任者が、この時間を緊急ミーティングに割り当て、各出入り業者の責任者たちを交えた意見交換が行われる運びとなった。

 元々遅延の可能性があることは、各出入り業者からも再三言われていたはず。それがよりによって最終日になってから慌てはじめるのだから、遅すぎる対応だと言わざるを得ない。などとも思うが、そもそも発注者の意向と下請けの都合などは比べるべくもなく。こちらとしても今更文句を言う気は起きない。毎度のことだし言うだけ無駄なのだ。まあ無駄ではあるが、元の受注金額に手間賃を含めた結構な上乗せが入るから、マシな方だろう。この辺は大企業様様である。

 各業者の都合が絡む中、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が行われ、会議は長引くかと思われた。しかし、「予備日もあるから」という技研側の偉い人の言により、全体の期限を更に二日延長するということで話は纏まる。世に言う鶴の一声というのはこういうことを指すのだろう。一度でいいから、自分もそんな一声出してみたい。

 そうしている間に雨脚も弱まり、落雷の頻度もだいぶ大人しくなって来た。まだやることは沢山残っているし、電力の復旧に伴って作業場へ戻ろうと思った矢先、事件は起こったのだ。

 景色を眺めていた窓際を離れ、ラウンジの出口を目指して二、三歩歩みを進めた瞬間。背後で通常の落雷とは比較にならない爆音が轟いた。同時に強烈な閃光が室内を白く染め、自分の視界は完全に奪われることになる。やがて、窓ガラスを突き破って来た衝撃波のようなものに吹き飛ばされた自分は、全身に及ぶ鈍痛と浮遊感に包まれ、記憶が途切れた。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 前触れなく意識が覚醒し、ふと目を開ける。自分は(あお)向けに寝ているようで、眼前には雲一つない灰色の空が広がっていた。

 というよりも、景色に色がないようだった。少しずつ感覚が戻るとともに、尻と背中へ何やら突き上げるような痛みを感じたため、身をよじりつつなんとか上体を起こす。しかし、そこでものすごく気分が悪い事に気がついた。

 まるで乗り物酔いにかかった時のような悪心があり、カン高い耳鳴りが頭の奥でずっと鳴っているような感じがする。おまけに閉塞感があって、周囲の音も割れたような耳障りなものに聞こえる始末。

 やけに動悸がして辛いので、もう一度体を横たえようとしたとき、突然スイッチを切り替えたかのように気分がよくなる。同時に五感も全て回復した。それと共に周囲の風景も色づきはじめ、灰色だった空はすっかり青空に変わる。

 回復した聴覚には、どこからか波の音が聞こえている。釈然としないままでいると、何やら焦げ臭いような匂いが鼻を突き、慌てて体を確認した。しかし勤務スタイルである以外は、特に変わったところはなかった。

 身に着けた作業着は、淡い緑色の着慣れたセパレートの上下で、左肩のポケットには百五十ミリメートルの定規(スケール)と、赤と黒の両頭サインマーカーがささっている。左胸のポケットには、ゲルインクのボールペンがあり、ズボンのサイドポケットには、ニッパーと二番のプラスドライバーが入っていた。

 頭には、鍔を後頭部へ回した青い作業帽をかぶり、足にはつま先に鋼板が入った裏革製の安全靴という、どこからどう見ても先ほどまでいた作業現場スタイルだ。何となく肩口の匂いを嗅いでみると、若干ではあるがオゾンのようなにおいがする。イオンなんちゃらの空気清浄機が吐き出す空気や、化繊(かせん)製の衣類を脱いだ時に感じるアレの匂い。あんまり好きじゃない。

 それにしても状況がまったくわからない。背中がヒリヒリと痛いのは、ごつごつとした岩の上に長らく横たわっていたことによるものらしい。が、どういうわけか、特に尻が異様に痛い。

 何事かと思い、軽く腰だけを浮かせて位置をずらして、そこに目をやる。すると、ちょうど尾骶骨(びていこつ)のあった付近には、小さな石筍(せきじゅん)のような岩が突き出ているではないか。どうも寝ている間中、尻を点で支える状態になっていたらしい。

 そうした現状を目の当たりにし、どうしてか後ろめたい気分になった自分は、立ち上がろうと地面へ両手をつき顔を上げる。そのとき、ふいに視界の隅に動きを感じた。

 ぎょっとして視線を向けた先には、少し離れた岩陰から半身を乗り出し、こちらの様子をうかがう女の子の姿があった。歳は――ぱっと見た感覚では、八歳から十歳くらいのように見える。身長はおよそ百三十センチ後半から百四十センチくらいだろうか。

 裾から覗く日に焼けた細い脚と、膝から下は上着と同じ色をした茶色い脚絆(きゃくはん)に、真新しい草鞋履き姿。これは、時代劇中の旅装束で見るようなものか。

 良い色に日焼けたした、一見非常に健康的で活発そうな女の子は、身を寄せている岩に右手をかけ、残った左手で着物の裾をぎゅっと握り締めている。そして時折、ひょこひょこと頭を動かしては、こちらの様子を窺うような動きをしていた。

 彼女の着衣は和服のそれで、生地は渋染めのような茶色だ。袖丈は手首よりやや短く、黒っぽくて細い帯を腰の左側で結び、裾は膝丈程しかない。全体的には小袖めいた簡素な作りの物だが、目立った汚れや傷みなどはなく、清潔感がある。

 襟元の具合からすると、重ね着をしている様子はない。また袖口を見る限りでは、柔道着のような厚ぼったい生地なようなので、単衣着(ひとえぎ)が基本スタイルなのかもしれない。肩よりは長いとおぼしき黒髪を、後ろで一本に束ねているらしく、不安そうに左右を見回すたびに、艶のある尻尾が肩越しに躍って見える。また両サイドの髪が、耳のあたりで若干外側に跳ねているのがかわいい。特に理由はないけれど、なぜだか自分は、彼女の姿に巫女さんのような印象を受けた。なんでだろう。

 やけに古風な恰好をしているということは、近くで祭りでもやっているのか。そう思い耳を澄ましてみるも、祭囃子(まつりばやし)喧騒(けんそう)などは聞こえない。聞こえるは、風と波音ばかりなり、である。

 ずっとこうしていても(らち)が明かないので、とりあえず声をかけてみよう。


「あー、すみませーん!!」


 軽く挙げた右手を振りつつ、岩陰の少女へ向けて声を張る。


「ひゃあ!」


 普通に声をかけたつもりだったのだけど、彼女は短い悲鳴を上げて岩陰に隠れてしまう。これにはおじさんちょっと傷ついた。

 女の子のただならぬ様子が気になったので、そっと岩へ近づいて岩陰を覗き込む。はたしてそこには、場に伏せるようにして両手で頭を抱えている女の子の姿があった。挙句、少女は肩まで震わせて、何やら小声でぶつぶつと繰り返している。

 まさかここまで怯えられるとは思っていなかったので、正直辛い。何故なのか。


「か……ぁ……」


 今にも消え入りそうなか細い声のため、なにを言っているのかまでは聞き取れない。けれど、時折聞こえる単語は日本語のようなので、少しだけほっとした。

 それにしても、この異様なまでの怯えようは。どういうことなのだろう。この子にとって、自分はどんな姿に見えているというのか。取って食われそうな風にでも見えているのだろうか。自分の顔はそんな強面ではないはずなのだけど。

 この状況はかなり居た堪れないものだが、そこでふと、ある懸念が頭を過ぎる。


「もしかして、これってヤバくね?」


 呟くとほぼ同時に、地平線の向こうから巨大な()()の二文字が姿を現し、自分に向けて倒れ込んでくる。ような気がしただけだけど。

 しかし、この子をこんな状態で放置していると、通報されてしまうかもしれない。あるいは、今の悲鳴を聞きつけたどこぞの正義マンに拘束され、警察へ引き渡される可能性もある。そして、所轄の不審者情報ページで、事案周知されてしまうだろう。

 醜聞というのは瞬く間に広がるもので。ことネットにおいての拡散速度と言えば、人伝いによる伝聞などよりも何倍も速い。それこそ光の速度で拡散して行くはずだ。

 そして数時間後には身バレに至り、ずっとネットのおもちゃになってしまう。ウキペディアでは、あることないことを後世まで詳細に語り継がれ、変態番付では横綱級に記事を賑わしてしまうだろう。これは間違いなく明日の朝刊載ったぞ状態。


「これは違うんだ……」


 一体何が違うというのか。誰に向けるでもなく発した意味不明の言葉に、女の子は更にびくっと体を震わせ、ますますつぶやきは加速する。

 世間では、おっさんが公園のベンチに座っていると通報され、うかつに子供に近づけば公権力に発砲される。まして、幼女に恐怖を与えたなどとなれば、極刑は免れないだろう。ここは地獄か。

 頭を抱えてしまうほどに怯えた女の子を見たことで、自分の脳内には半ば現代病のような被害妄想がぐるぐると渦を巻きはじめ、共に頭を抱えたくなる。次いで、この場から今すぐ消え去りたいという謎の衝動に駆られ、天を(あお)ぎ、神にも縋りたい気持ちにもなった。がしかし、そもそも無神論者だ。信仰のようなものは持っていても、明確な崇拝対象などない。

 メンタルは強いほうではないが、かといって豆腐かというとそうでもない。とはいえ、このような状況を放置するのは、何かと世知辛く狭量な現代社会において、間違いなく命に係わるほどの危険をはらんでいる。それは火を見るよりも明らかだ。これはいけない。このままでは、家族や会社に迷惑が掛かってしまうかもしれない。

 周囲を見渡せば、ここはなかなかの高台で、眼下には青い海と白い砂浜が広がっている。リゾートホテルでも建てたら、素晴らしいオーシャンビューが売りになるに違いない。

 こんな時でもなければ、あの砂浜で砂の城を築いたり、ダムを作って決壊させたり。ときには蟹を追いかけまわしたり。打ち上げられたヒトデを手裏剣のように投擲するなどして、充実した一人遊びを満喫できるだろう。でも一人遊びは寂しいから嫌。

 ぢつと足元を見る。いい具合に切り立ったこの岩場から飛んでしまえば、この苦しみから解放されるだろうか。

 際限なく膨れ上がり、もはやオーバーフロー寸前となった負の感情は、連鎖反応を起こして正常な思考を阻害する。気付けば眼前の少女に対して、本能的に無言の土下座をしている自分がいた。が、そこで我に返り、一気に跳ね起きた自分は、回れ右をして少女に背を向ける。

 気づくのがもう少し遅かったら、あるいは腹を切って死んでいたかもしれない。危なかったぜ。


「違う。そうじゃない。これはあれだ、夢だ。いやでもしかしいつ寝たんだろう。さっきまで普通に仕事をしていたじゃあないか」


 やはり事案を恐れるあまり、冷静な判断ができなくなっていたようだ。ネガキャンに勤しみ、無駄に自分を追い込むのは本当に良くない。

 しかしだ。時として人には、理解不能な現状に置かれた自分自身の身の安全よりも、世間体を重視する方がはるかに重要な場合があるのもまた事実。あゝ理不尽。いうてそんな状況はまずないけども。


「きっとこれは夢だ。絶対に夢だ。何度でも言う。こんなものは夢。夢だ夢。どう考えても。弥次喜多珍道中」


 野次さん喜多さんは関係ない。きっと疲弊した脳が意味不明な単語を口走らせたのだろう。

 でたらめすぎて現実感は薄いけれど、自分が着ている作業着を見るとやけにリアリティがあり、何とも言えない不安な気持ちになる。しかしその程度は些事であり、所詮夢だからで全て片付ければ済む話である。であるのだけれど……。それにしてもやはり納得がいかない。

 そんな妄執に取り付かれていると、冷たい腋汗が横腹を伝い、パンツのゴムに染み込んでゆくのを感じた。そこで再び現実へ引き戻された気にもなるが、やはりここは開き直って、夢という設定へ逃げ込むことにした。だってあり得ないじゃんこんなの。


「うむ、これは確実に夢だ。というか夢の中で夢だと気づけたんだし、逆に考えればやりたい放題じゃないか。こういうの明晰夢って言うんだっけ」


 夢であることは間違いないだろうと、自分に都合のいい言い訳をいろいろ考える。

 むしろ言い訳などよりも、夢という免罪符を前にしたことで、汚らしい欲望がムクムクと沸き上がってくるじゃないか。夢の中なら何でも許されるのだ。そしたら何してやろうかな~デュフフ。


「よし、切り替えていこう」


 岩陰の少女には聞こえないよう、夢であると小声で繰り返し、平静を取り戻すことに成功する。立ち直りや切り替えが早い所は長所だと思うし、大事にしていきたい。履歴書にも書けるしね。でもぶつぶつ言ってるおじさんは気持ち悪いよね。てへぺろ。

 当然普通に考えれば、こんな荒唐無稽な状況が現実であるわけがない。とは言え、少し前の記憶では確実に客先の現場にいたはずだ。確か休憩を終えて、作業に戻ろうとしていたと思うのだけど、やはり現実では居眠りでもしているのだろうか。それともとっくに帰宅して、床についたらこのありさまなのかもしれない。

 いずれにしても夢であれば楽しんだもの勝ち。やりたいことやったもん勝ちのやりもく野郎。なにせこれは夢なのだから。

 てことで、いよいよ気を取り直した自分は、女の子の方へ再び向き直る。ここまで二十秒弱。いや嘘、適当こいた。


「あの~、お嬢……ちゃん?」


 自分とは対照的に、いまだ立ち直る兆しもなく、頭を抱えた土下座スタイルでうずくまる女の子へ、穏やかに声をかける。

 大丈夫これは夢。声かけ事案などは存在しないやさしい世界。これは夢。……のはず。だといいなあ……。


「ひぃっ!」


 しゃくり上げるような音で、二度目の悲鳴を上げた女の子は、飛び起きるように上半身を起こして、やっと自分の方を見た。でもこんな反応されるのつらーい。

 怯きっている彼女が向ける、不安いっぱいな瞳に見据えられた自分は、猛烈な居心地の悪さに(さいな)まれる。それと同時に、強い庇護欲のような感情に胸を締め付けられた。このダブルパンチは相当こたえる。たとえ妄想だとしても、幼子が自分に対してこんなにも怯えて縮こまっているのだから、堪ったもんじゃない。ホント、おじさんもう泣きそうだよ。

 それでも何とか平静を装い、親しい相手にでも近づくような素振りで、彼女の前に歩み出る。それからゆっくりと片膝をついて、目線を合わせた。小さな女の子が見知らぬおっさんから覗きこまれれば、そりゃ怖いに決まってる。

 ちょっと太眉で切れ長の目と、すっきりと通った鼻筋に短めの人中(じんちゅう)。その下には、少しだけ隙間を開けた小さな唇が震えている。彼女の愛らしい顔には、将来美人になるであろう要素が詰まっている。

 やや大きめで、きれいな茶色の虹彩に囲まれた瞳孔は、緊張のためか若干開き気味だ。それでいて、こちらの目をしっかりと見返しているため、不安ながらも懸命に事態を観察して、理解に努めようとしているようにも見える。

 さながら蛇に睨まれた蛙のような状態だが、彼女の生存本能が、思考をフル回転させているのだろう。多分。いやそんなにか……。

 今は弱弱しい彼女だが、実は芯が強い子なのかもしれないと、なんとなく思う。そんな様子に苦笑を返し、後ずさるような素振りを見せる女の子へ、再度優しく話しかけた。


「こんにちは。えっと、初めまして。お話は……できるかな?」

「はぃ」


 ようやく蚊の鳴くような小さな声が返ってくるも、彼女は涙目の視線を泳がせながら口をへの字にしている。ああもうかわいそう。

 それでも、見知らぬおっさんの問いかけに答えようと、やっとの思いで声を絞り出している様子だ。健気である。家宝にしたい。末永く(たてまつ)りたい。

 なんとか話はできるようなので、落ち着いてもらえるよう慎重に話を続ける。


「とりあえず、ここがどこなのか教えてくれないかな? 情けない話なんだけど、おじさん迷子になっちゃったみたいでねえ。自分がどこにいるのかさっぱりわからないんだよね。ははは……は。あ、まだ怖いなら寝転がるくらいした方がいい?」


 普段はほぼ他人に向けないような、恐らく相当にぎこちないであろう笑顔を彼女へ向けて、必死にコミュニケーションを試みるおじさん。自分で言っといてあれだけど、いくらなんでも寝転がる選択はないと思う。寝転がる見知らぬおっさんと話すのなんて嫌でしょ普通。

 知らない土地で、初対面の人間と話せる話題などそう多くはないが、とにかく今は警戒を解いてもらわなければならない。それとも、この場を速やかに立ち去るべきだろうか。

 いや。やはり誤解があるなら解いておきたい。自分のメンタルにも継続ダメージが入るからな。


「え……と……このへんは、うらっていう村でして、このしまは、さきしまっていう島……で」


 伏し目がちに視線を泳がせながら、彼女はたどたどしい口調で言う。しかしそれきり押し黙ってしまう。


「そっか。ここはうらっていう村なんだね。それで、今いる所はさき島っていう島なんだね。ありがとう」


 そう返すと、彼女は逸らしていた目を合わせ、少しだけ口元を緩めた。


「あ、笑った。笑ってなくてもかわいいけど、笑うともっとかわいいじゃないか」


 少女の笑顔が垣間見られたことで調子に乗ったおじさんは、早速口説きに掛かる。

 しかし、少しでも間が開くと、すぐに顔を伏せてしまうので、できるだけ会話を途切れさせないようにしなければならない。ならばここは一気に畳みかけて、信頼度を稼ぐべきか。


「あ~。そういえばまだ名前を言ってなかったね。おじさんの名前は――」

「か……ま……」


 話を繋ぐため、まずは自己紹介でもと思ったとき。女の子が割り込むように口を開く。それはとても小さな声だった。

 一瞬聞き間違いかとも思ったが、もごもごと小さな口が動いていたので、彼女の口から発せられたもので間違いない。


「ん? なんて言ったのかな?」

「かみ……さま」


 自信なさげな彼女へ、ダメもとで聞き返してみると、さっきよりははっきりと言葉を返す。どうやら“かみさま”と言ったらしいが、その言葉を無言で反芻してみる。

 かみさま。普通に考えれば、その言葉の意味するところは“神様”のはずなので、今の彼女は神に助けを求めるほど困窮した状況にあるのだろう。そんなになのか……うぅ。


「ええっと……神様、でいいのかな?」

「かみさま」


 うーむ。博士、これは一体。この場にいるのは二人だけ。あなたとわたし。きみとぼく。

 彼女が自分に視線を投げかけ、神様と言うのであれば、その呼称の対象者は一人しかいない。けれど納得がいかない。同じやりとりを何度繰り返してみても話は進みやしないが、確信を得たいのでもう一度聞いてみよう。


「それは……おじさんが神様なの?」

「はい、あなた様は神様です」


 とんでもねぇあたしゃ神様だよ。超有名大御所芸人が、耳の遠い神様に扮し、似たようなやりとりをするコントが大昔にあったよ。

 本気でとんでもねえな。たとえ夢でご都合だとしても、天下の幼女様に、薄汚いおっさんを神様呼ばわりさせるなんざあ、不届きな輩もいたもんだ。まあ自分なんだよね。

 ペタンとその場に胡坐(あぐら)をかいて腕を組み、うなだれてうんうん唸りはじめる神様らしいおじさんである。そんな自分の様子に、女の子はまたぞろあたふたしはじめ、不安いっぱいといった眼差しを向けている。すごい辛い。

 なんとかここまで会話のキャッチボールを続けてきたのだ。ここへきてこじらせるのは得策ではない。今やるべき事は、この子との信頼関係を築くことである。疑問や矛盾などは、後々解消してゆけばいい。ならば当然彼女の話に乗ったほうがいいわけで、面倒なことは抜きにして、楽しい夢にしてゆくのがベストな選択というもんだろう。

 考えるな感じろ。習うより慣れろ。あんずるよりやすしきよし。こういうのは勢いも大事だからな。


「え~と。初めまして、カミサマデス」


 心を無にしたおじさんが勢いに任せた結果、取ってつけたように間抜けな返答を暴発させる。

 すぐにこれはいけないと思い、うっかり顔を()らしてしまった。(はた)から見たら、こんなのは明らかに嘘をついている構図でしかない。別に(はた)から見なくとも、明らかに不自然だけど。まったく不安定な神様もいたもんだよ。


「やっぱり……。よかったぁ」


 彼女は独り言のようにそう言うと、目を輝かせて安堵したような笑みを浮かべる。


「ええぇ……」


 こちらの心配を他所に、彼女は取って付けたような虚言をすんなりと信じてしまった。

 つい今の今まで、豆腐の角にぶつかっても死んでしまいそうなくらい怯えていたのに。何がこの子をここまで吹っ切れさせたのか。夢とは言っても、この豹変ぶりには流石に違和感を覚える。いいや、夢だから別にいいのかな。次々疑念が湧いて出るけれど、今は事態の進展に注力しよう。

 打って変わって。てきぱきと居住まいを正しはじめ、近くの平たくなった岩の上にちょこんと正座をして深々と頭を下げる女の子。つられて自分もと思い、この場で正座になろうとする。けれど今いる場所は、凶悪な凹凸を晒す鬼おろしのような岩肌の上だ。これは。


「……拷問かな」


 なんかあるよね。ギザギザの板の上で正座させられて、(おもり)の石板を乗せられるやーつ。


「あ、ななな何卒そのままで!」


 女の子は、また泣きそうな顔になり、こちらへ突き出した両手をおろおろ振り回した。なんかすんません。

 特に誰へ向けて言ったわけではないが、彼女はこちらの一挙手一投足に対し、いちいち恐縮してしまうらしい。こうなると一層気を使わないといけないかもしれない。

 慌てふためく彼女に促されるまま、崩しかけた胡坐(あぐら)を戻し、元のように座りなおす。ホントは胡坐(あぐら)でも若干ケツは痛いのだが、そこは一応大人の男だし我慢できるもん。

 一方女の子は、少し間を置いてから、まっすぐにこちらを見据え、あらためて丁寧なご挨拶をはじめる。なんかもの凄く姿勢のよい所作なので、こちらの背筋も勝手に伸びた。やはり挨拶は大事だな。

 彼女はヨリと名乗った。年齢は十二歳だそうだが、明らかに実年齢よりも幼く見える。姓はなく、彼女が育った村“うら”でも、皆姓は持っていないということだ。

 突っ込んで聞いてみれば、名づけにはしきたりがあるのだという。基本的に、名は父親が付けるそうなのだが、文字数は二文字に統一されていて、それ以外は禁忌となり、絶対にあってはならないそうだ。

 しきたりによれば、文字の数は神格を表しているそうで。それに(まつ)わるこの地の信仰(しんこう)の概念は、八百万(やおよろず)の神信仰(しんこう)に似ているものだった。ただ、ここでの信仰(しんこう)では、人にも神が宿っているものとして考えているのだという。しかし、人に宿る神の位は最も低く、生活を豊かにしてくれる人以外のものすべてが、より高位な神であるという考え方のようだ。ふぇ~。

 生物非生物を問わず、それらすべてを自分たちより長い名前で呼びならわし、信仰(しんこう)を示し敬うというのが、基本的な理念になっている。敬うべき対象には、食べ物や道具、知識や言葉など様々なものが含まれており、ヨリの名もこのあたりで良くとれる“イトヨリダイ”という鯛の仲間に因んでつけられた名だそうだ。森羅万象の一部から名をもらうことで、神を分けてもらうといった感じだろうか。恐らくそいうことなのだろう。

 なんかほんと、おかしな夢を見てすみません。生涯にわたって呼ばれ続ける大事なお名前なのに、極めて雑なものを背負わせてしまい、お詫びのしようもございませんですはい。まあでも鯛は美味しいし。何よりもこれは夢ですから。仕方ねえですよね。

 そんな信仰(しんこう)の中でも、自分という神が最も高位の存在なのだとヨリは言い、自分を崇め(たてまつ)ることによって、村は豊かな生活をおくれているのだそうだ。あ~あ、無茶苦茶が過ぎてわけが分からないぜ。

 ヨリは、生来明るく快活な子のようで、地域のことをたずねると嬉々として話してくれた。この周囲は、温暖な気候で四季はなく、農作物や魚介などの資源はいつでも豊富に得られるらしい。おかげで村の生活は随分と充実しているようだ。やっと話も乗ってきたので、役所や公共の施設、警察や消防などの公的機関について尋ねてみたが、その何れも存在しないという。むしろ、概念や単語すら理解できていない様子。

 まだ自分の中には現実感が残るので、可能なら地方機関の助力を求めたいと思ったのだけれど。やっぱりこれは夢らしい。夢は覚醒時に覚えていたとしても、大抵は理解に苦しむ内容だったりする。となれば、自分の知識や概念と大幅な齟齬(そご)があったとしても、何ら不思議じゃあない。それが夢ってもんでしょう。

 すこし前とは打って変わり、ころころと表情を変えて、ヨリは嬉しそうに自分の生い立ちなどを語ってくれるようになった。その様子を見る限り、彼女は幸せな境遇に恵まれて、まっすぐに育った子だということがわかる。そんな彼女の楽しそうな仕草を見ていたら、いつの間にか自分も幸せな気分になっていた。

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