一話
第一話「はじまりの時。」
これは平野朱音が中学二年の時の話である。
彼女から聞いた話を元にまとめたものなので、主観的であったり、勘違いなどが混ざっている場合もあるかもしれないが、ある事件について記したいと思う。それはアカネが戦隊ヒーローにのめり込むきっかけとなった出来事でもある。
今から二年前。夏は毎年暑いものだが、その年は特に暑かった。梅雨入りしてからもずっと晴天続きで、気温は天井知らずの右肩上がり。七月初めにして既に、どこかで今年一番の暑さだの、観測史上最高だのと気持ちをゲンナリさせるニュースばかりだった。
アカネも俺も区立第二中学校という、地元の公立校に通っていた。
中二ともなると、あまり男女で仲良くしなくなり(逆に、非常に親密になっている奴らもいたが)、俺たちも小学生の時のように行動を共にすることはなくなっていた。クラスも違ったし、部活も俺が野球部でアカネは女子ソフト部。似て異なるふたつの部に接点はなかった。
競技内容が似ているとはいえ、二中の野球部は一回戦突破がここ数年の悲願という弱小チームで、逆に女子ソフト部は全国大会常連の強豪。俺は二年になっても背番号をもらえず、アカネはショートの花形ポジションでレギュラー入りしていた。
その日も、ソフト部は夏の大会『中体連』を前にして放課後の練習に励んでいた。
……ちなみに野球部は休みだったと思う。
練習終了後、監督の話が済んで下校。部員全員で校門を出るのが部の決まりなのだそうだ。最初は一緒でも、当然帰宅路の都合で別れる。下校路の半分ほど来て同級生と後輩だけのグループになってからアカネは忘れ物に気がついた。翌日に提出する宿題のプリントか何か、とにかくその日に必要なものだったという。
「ごめん、ちょっと忘れ物。先に帰ってて!」
来た道を戻り、学校へと走る。毎日の練習で真っ黒に日焼けして、男の子みたいなショートカットの彼女は、まだ小学校時代、毎日一緒にいた頃とあまり変わらない外見だった。
校門をくぐり、校庭を横切って部室へ。コンクリート造りのありふれたもので、いくつかの運動部が並んでいる。
何も考えずに来てしまったが、もう鍵がかかっているはずだと気づいた。
顧問の先生、まだ職員室にいるかな……思いつつ、何気なくドアノブに手をかける。
「あれ?」
ノブは何の抵抗もなく回った。鍵かけ忘れ? それともまだ誰か居るのかな。
ドアを開け、薄暗い室内を窺う。壁際にロッカーが並び、バットやベース、ボールの入ったバッグ、ヘルメットなどの備品が整理されて置いてある。さっき着替え終わって出た時と変わらない、いつもの部室だ。
だがその時、妙な違和感を感じたという。見慣れた部室内に異物感のようなものを。
「……誰か、いるの?」
そんなはずはない、ただの鍵のかけ忘れだと思いながら足を踏み入れる。
バタン、と背後でドアが閉まった。続いて鍵をかける音。慌てて振り返ると、サングラスとマスクで顔を隠した男が立っていた。
「だ、誰?」
男は無言で右手に持つナイフを突きつけてきた。
すぐ目の前にある刃。それは小ぶりの折りたたみナイフだ。刃の大きさから考えれば、キッチンにある包丁の方がよっぽど危険かも知れない。だが男は、それを自分に刺そうとしている。それで自分を切り裂こうとしている。
切られたら、痛い。血が出る。死んじゃうかも知れない。
それなのに、見知らぬ女子中学生に……あたしにそんな危ないものを向けて、傷つけても……殺してもいいと思っている目の前のサングラス男が怖い。その悪意が怖い。
アカネは、ただじっとその刃を見つめたまま何もできなくなった。
「後ろを向け」
言われたとおりに入口とは逆の方向へ体を向ける。マスクでくぐもっているが、まだ若い男の声。後ろに両手を回せ、という言葉にもアカネは従う。
両手首に冷たい金属が触れて、カチチと小さな音がした。後ろ手に手錠をかけられたのだ。
「声を出すなよ」
正面に回ってきた男は口にハンカチのような布を乱暴に押し込み、タオルでふさいだ。動きも声も自由を奪われ、乱暴に突き飛ばされる。硬い床に転がったアカネは苦労して体を起こし、その男と向き合った。
大きめのサングラスとマスクで顔を隠しているが、まだ未成年、高校生くらいに見える。細身の体つきで髪は明るい茶髪、上下揃いのスポーツウェア。
「ったく、邪魔しやがって……」
男はぼやくように言い、隅に折りたたんで置いてあったパイプ椅子をロッカーの近くへと持っていき、それを台にしてロッカーの上に手を伸ばした。そこにはいくつかのスポーツバッグが置いてあり、そのうちのひとつから男が取り出したのは、小型のビデオカメラだった。
盗撮? 着替えを撮られてたの?
恥ずかしい、というより気持ちが悪いとアカネは思った。
「くそっ、容量足りなかったか」
男は悔しそうに毒づく。どうやら記憶媒体の容量が不足して目当ての場面が撮影されていなかったらしい。
ざまあみろ、などと内心思っていたアカネに、男はサングラスの目を向けた。
再びナイフを突きつけ、彼女を頭からつま先まで確認するように見て、
「ガキ過ぎるか……いや、こういう需要もあるっちゃあるか」
需要? なに言ってんのよ、この変態!
アカネはこの時点でだいぶ自分を取り戻していたらしい。
目の前の男は中学生の着替えを盗撮しようとしていた変態で、ナイフなんて持っているけどそれは弱い自分をごまかすためのもの。お前なんてヘタレヘンタイだ!
「抵抗してもいいんだぜ。その方がリアリティがあるからな」
畳んだナイフをポケットに入れ、空いた右手にカメラを構えた。ボタンを操作してちゃんと録画になっているか確認するような動作。
画面を確認しながらアカネの全身を撮影する。部活後の汗ばんだ体に張り付く半袖のセーラー服。プリーツスカートの裾が乱れているのが急に気になり、足の動きで直そうとするがうまくいかず余計にめくれてしまった。
カメラのファインダーを覗き込んだ男の左手がセーラー服のリボンをほどこうとした。
……誰に断って脱がそうとしてんだこのスケベ!
思い切り、カメラのレンズに向けて頭突きをかます。カメラは男のサングラスを直撃。ズレて男の目が少しだけ見えた。
「このガキ! 何しやが……あっ! カメラが」
どうやらカメラにもダメージを与えたらしい。
「あっそ。死にたいわけ?」
男はサングラスをかけ直し、再びナイフをとりだす。口調が力の抜けたものになったのが逆に不気味だった。
刺される、と思った。完全に相手を怒らせてしまった。何とか立ち上がろうとしたが、両手が後ろに回っていてはとても無理。床に転がってもがくだけの彼女に男は馬乗りになった。
「身体に教えてやっからな」
ナイフの刃をアカネの頬に当て、横に引く。鋭い痛み。
切られた! 一気に彼女の顔から血の気が引く。
生暖かいものがアカネの耳の付け根あたりに流れてきた。自分の血だ。見えなくてもわかる。切られたから、血が出た。もっと切られたらもっと血が出て、そしたら本当に死んじゃうんだ。
現実に、目の前にある死の恐怖。自分を見下ろしているサングラス男がその気になれば、あたしは殺される。
血液じゃない、温かいものが自分の顔を濡らしているのに気づいた。いつのまにか、涙をあふれさせて彼女は泣いていた。
男がナイフを持った右手を振り上げた。殺される! 必死でアカネは身をよじる。その頭が何かに当たったのか、どこかから何かが落ちたらしい。床に当たって大きな音がする。横目で見ると備品のヘルメットだった。
「動くんじゃねえよ」
男は一気にナイフを振り下ろす。思わず目を閉じたアカネ。
その時。
乱暴にドアを叩く音に続いて、「誰か居ますか!」と呼びかける声。
聞き覚えのない、男性の声。だが明らかに自分を助けに来てくれたのだとわかる、頼もしい声。
このチャンスを逃したら、もう助からない! 何とか緊急事態と知らせなくちゃ……
自由な両足で必死に床を蹴る。全身を跳ねさせ、背中で、頭で、とにかくどこでもいいから床に当てて音を出す。手錠で繋がれた手首が痛いけど、構っちゃいられない。
なんでもいい、とにかく気づいてもらわなくちゃ殺される。
嫌だ、死にたくない。死にたくない!
「おい、どうした! 開けるぞ」
室内の雰囲気が伝わったのだろう。外の誰かは事態を察してくれたらしい。ガチャガチャとノブをひねる音に、おい開けろおい、と声が続く。アカネは祈るような気持ちでドアを見つめた。
突然、ドアが大きな音を立てて開いた。強烈な前蹴りで鍵が壊されたのだ。
その人は半袖のポロシャツにコットンパンツのラフな服装の男性で、教員には見えなかったし、誰かの保護者という雰囲気でもなかった。まったくの見知らぬ人だ。
「チッ」
サングラス男はカメラを拾うと、外へ飛び出していった。
「おい、待て!」
逃げる男を追いかけようとするが、床に倒れているアカネを気遣って、
「大丈夫か?」
と、その人は声をかけた。そっけない口調だったが、その目は暖かさに満ちていて、言葉には純粋な優しさと誠意がこもっていた。はっきりと、それがわかったという。
相手の気持ちに応えたいと思い、目を見てうなずいた。
「そうか……すまない」
そう言い残して彼はナイフ男を追って部屋を飛び出していった。
そんな、いいんです。あの男を捕まえるのを優先してください。あたしは大丈夫ですから……。
そしてすぐに、どうした何があった、という声が近づいてきた。今度は知らない人ではない、聴き慣れたソフト部監督の声だ。
ああ……助かった。
極限まで張り詰めていた緊張の糸が切れ、アカネは気を失った。
救急車で運ばれた彼女は打ち身と擦り傷、切り傷の軽傷で脳波などの検査も異常なし、と診断された。
それではとばかりに警察からの事情聴取が開始され、学校からも何人も教師が入れ替わりでやってきて色々と話を聞かれたりして大変だったという。
捜査協力も虚しく、犯人が捕まらないまま退院の日を迎えた。家に帰ったものの学校に行こうという気になれず、事情が事情だけに学校は自宅療養という名目の不登校を黙認。ズルズルと引きこもるうちに夏休みになってしまった。
友人やチームメイトがお見舞いに来てくれても、アカネは気持ちがふさぐ日々を過ごしていた。それは自分の死を目前にしたからなのか、犯人がまだ捕まっていない事からくる恐怖なのか、理由は本人にもよくわからなかったという。
八月半ばに刑事が自宅へやって来た。部活に顔も出さず、ほとんど家から出ずに過ごしていたアカネは、犯人が捕まったと聞かされた。
「前科のある下着ドロでね。取り調べ中に第二中学校にも忍び込んだことがあると供述したものだから」
平野家のリビングで刑事は言う。これまでに何度か顔を合わせて事情聴取を受けている相手だ。半袖の開襟シャツにスラックス姿の、ごく普通のおじさんにしか見えない。話をしても口調は穏やかで、気のいい近所のおじさんのような親しみを感じていた。
「だから、君を襲った男じゃないかと思ったんだが……以前、協力してもらってつくった似顔絵にも似ているようなんだ」
はい、とアカネは答える。犯人が捕まったのならそれは良かったと思うが、特に感想はない。この頃の彼女は何事に対しても投げやりになっていたようだ。
「それでね、面通し……、つまりその男を見てもらって、君を襲った犯人かどうか判断してもらいたいんだ」
刑事の言葉に、アカネは身を固くした。自分が襲われたときの恐怖が蘇る。
「刑事さん、その犯人が自分で認めているのならもう良いんじゃありませんか? 朱音が証言したせいで捕まった、と逆恨みされるかもしれませんし」
隣の母親が不安を隠そうともしないで言う。誰もが早く終わりにしたい、早く忘れたいと思っているのだ。
「ええ。犯人はマスクとサングラスで顔を隠していたわけですし、お嬢さんも判断に困るでしょうから、無理にとは言いません。ただ、明らかに違うというのなら我々の今後の捜査方針も変わってくるわけでして」
刑事は力の抜けた口調で言う。もしアカネが違う、と言えばサングラス男事件の捜査は継続されるが、そうでなければ終了となる。つまり警察も早く終わらせたいのだ。
「どうする、朱音?」
母親の言葉に彼女はうつむく。この頃はこんなにも弱っていたらしい。今となっては信じられないが。
「会いたくない。 ……こわい」
そうだな、うん。そうかわかったと刑事は早口で言い、一枚の写真を取り出した。
「じゃあ、写真でいいから見てくれないかな。一目見て、違うならそう言って欲しい」
リビングのローテーブルの上に置かれた写真に目をやる。ハタチくらいに見える青白い顔色の男が正面から写されていた。多分、逮捕後に撮られたものであろう。覇気のない目がこちらを力なく見つめていた。
「どうかな? 何となくの印象でも良いんだけど」
刑事がアカネの表情に注目しながら言う。
「……似ている、ような気がします。よくわからないですけど」
その言葉に一瞬表情を明るくした刑事は写真をシャツの胸ポケットにしまい、ソファから腰をあげた。
「ご協力感謝します」
その後、警察からの連絡はなく、アカネは相変わらず何もしないで夏休みを過ごしていた。頻繁に連絡のあった友人たちも、無視するうちに着信もメッセージもなくなっていた。
引きこもりになってから買ってもらったノートPCの電源を入れ、ダラダラとゲームをして時間を過ごす。やがて飽きて、ネットのニュースサイトを閲覧する。そして何気なくクリックしたのが、
『最終回直前! カクトウジャーの最終決戦を予想する』
という記事だった。
ああ、戦隊モノね。子供のころ好きだったな……と懐かしい気持ちになって目を通す。
今テレビでやっているのは『道道戦隊カクトウジャー』という番組で、八月いっぱいで終了するらしい。その最終回がどんな展開になるのかを予想しよう、とファンがネット上で色々と話し合っているのだ。
「ヒマな人たち」
アカネは特に興味があったわけでもなかったが、記事の中の『現状の視聴者ポイントからパラメーター補正値を推測する』だの、『ラスボスの設定値がヒーロー側を凌駕? あるか大番狂わせ!』などという文言が気になってつい、リンク先をクリックした。
「大番狂わせ、って。あるわけ無いじゃん、子供向け番組なんだから」
などと一人PCの画面にツッコミを入れながら。
そして、まさに運命的な再会をした……とは、アカネ本人の言葉である。
カクトウジャーの公式サイトに、彼女を助けてくれた人を見つけたのだ。
変身前の戦隊ヒーロー五人が並んだショットの、真ん中に写っている男性。あの時、部室のドアを蹴破って絶体絶命だった彼女を救ってくれた、あの人だ。
あわてて確認すると、カラテレッド・一条リュウジ(近藤拳児)とある。どうやらこの戦隊のレッド役を演じている俳優らしい。
キャスト欄を開き、リュウジ一人だけの写真を確認する。やっぱり間違いない。
そこから、アカネはネット上のカクトウジャーと、近藤拳児に関する情報を夢中になって漁った。動画サイトで番組をチェックして確信を新たにする。間違いない。あの人だ、あの人だ!
ショッピングサイトでブルーレイや関連雑誌をバックナンバーも含めて購入。事件以来、両親は大抵のわがままはきいてくれるのだ。やがて、変身グッズや武器などの子供向けアイテムも大人買いするようになる。
そうして、彼女は戦隊ヒーローにのめり込んだ。
「ふうん。で、お前を助けてくれたのって、本当にその戦隊のレッドだったのか」
事件から時間が過ぎ、年も変わった二月末、俺は彼女の家に招かれていた。昨夜急に電話があって話があると呼び出されたのだ。
アカネは、結局そのまま部活をやめていた。夏の大会前にレギュラー選手を失ったソフト部は都大会の準々決勝まで勝ち進んだものの、惜しくも全国大会出場は逃した。
事件のことはもちろん俺も知っていたし、気になっていた。
何しろ幼なじみだし、色々と世話になった相手だし。ただ何となく、話しかけるきっかけがなかっただけだ。それに事件があった後、急に連絡するのは興味本位の野次馬と思われるんじゃないか、とも思ったし。
だから今日呼び出されたのは、意外だったが嬉しかったのだ。中学ではずっと疎遠だったのに、まだ俺を友達だと思ってくれていた事が。
「うん、絶対に間違いない。リュウジ……近藤さんだったよ」
久しぶりに会ったアカネは昔と変わらない口調で話す。フリースとジーンズの普段着。コイツは昔から女らしい服を着ない。もちろん俺と会うのによそ行きの服なんて着ない。
しかし変わったところもある。部活をやめてから伸ばしている髪が肩にかかるくらいになっていた。自分でも気になるのか、話しながら髪をいじっている仕草が微妙に女子っぽくないこともない。
それにしてもこの部屋に来るのは何年ぶりだろう。六畳の洋室、南向きの窓からは冬の日差しが入り、エアコンも効いているので暖かい。
アカネは自分の机の前の椅子に腰掛け、俺はフローリングの床に置かれたライトブルーのクッションに座っている。
昔はプロ野球選手のカレンダーとかサインボールが並んでいた記憶があるのだが、今はそれがカクトウジャーのポスターや、ソフビ人形やら変身アイテムのおもちゃに変わっていた。本棚には雑誌やハードカバーの歴代戦隊ヒーローに関する本がズラリと並んでいる。すっかり戦隊オタクの部屋だ。
「事件のあとさ」
アカネは言う。
「何だか全部、イヤになっちゃって……ソフトボールも、友達と遊んだりとかそういうのも全部」
遠い目になって言う。そういうもんか、と俺は曖昧な反応をする。
「あの時、一歩間違ったら死んじゃってたんだな、って思うと。なんだか虚しくなって」
そういうもんか? 俺には何とも言えん。
「……それにね、あたしずっと男子とは対等だと思ってたの。例えば野球やソフトだったらさ、明らかにマモよりあたしの方が上じゃない?」
大きなお世話だ。
「でもね、あの時やっぱり、男の人って怖いなって思ったの」
話の趣旨が見えん。
「けどさ、あたしを助けてくれたのも男の人なわけじゃん。それも戦隊ヒーローのレッドが、悪い奴から女の子を救い出してくれたんだよ? つまりね、男がどうとかそういうことじゃないの。大事なのは『正義は勝つ』ってこと!」
もうわかんないから続けて。
「それがわかってから、やっとあたし、やりたいことが見つかったの」
そりゃよかった。
「あたしレッドになる」
まっすぐな目をした彼女は、実に男前な口調でそう言った。
「……は?」
俺は間抜けな疑問符しか口にできなかった。だって、意味わかんないじゃんか。
「覚悟を決めたわ、あたし。戦隊ヒーローのレッドになるの。それで優勝して、あの人に伝えるんだ。あの時あなたが助けてくれた少女はこんなに強くなりましたって。あなたの背中を追ってここまで来ましたって」
手を自分の胸に当て、自己陶酔気味に語る。こいつってこんなキャラだったっけ?
実はアカネの言う『あの人』に関する後日談があって、カクトウジャーは予定通り八月いっぱいで放送を終え、その後特別編がリリースされたが、その仕事を最後にレッド役の近藤は芸能界を引退してしまったのだ。
放送終了後の戦隊ヒーローのキャストが引退したというニュースは大した話題にはならなかったそうだ。もちろんアカネは大騒ぎだっただろうが。
つまり、引退して一般人になった近藤に対して感謝の気持ちを、優勝者インタビューとかで伝えようってことか? て言うか優勝? 何のだ? コスプレのコンテストにでも出るつもりなのか? ……よくわからんが、
「ま、まあ……がんばれよ。優勝目指してな」
俺の言葉に、アカネは鋭い視線を向けて、
「ちょっと! 何で他人事なのよ。小学校の時の恩を忘れたの? 転校してきたアンタに最初に遊ぼうって声をかけてあげたのは誰?」
なぜか怒られた。けど、忘れるわけはない。
「あの時のことは本当に嬉しかったさ。それは認める」
ついでにその日、北海道から引っ越してきた俺にあだ名をつけたのもコイツだ。
「そ、そう? そうでしょ! だったら協力してよ」
「いや何をだ! 俺にはお前を変身させてやれるような不思議パワーはねぇよ!」
俺の言葉をアカネは鼻で笑うと、
「わかってるわよ。何バカ言ってんの」
「じゃあ何だよ。俺に何しろってんだ」
するとアカネはちょっと姿勢を正して口調を改めた。
「勉強教えて。お願い」
ますます意味がわからん。
「石森高校に行きたいの。でも今のあたしの偏差値じゃ無理。無理なの」
ちなみに、どれくらいの偏差値なんすか……ああ、うん。そりゃ厳しいな。
「わかってるわよ、ちょっとした冒険だって。だから頼んでるんじゃない」
「いや、だったらフツーに塾行けよ。まだ一年あるんだから何とかなるだろ。石森は私立だから内申もそんなに関係ないし」
アカネは座っていた椅子から立ち上がり、腰に手を当てて仁王立ちした。床に座った俺は彼女を見上げるかたちになる。
「もちろん行くわ。アンタがあたしを合格させられるほど賢いとは思ってないもの。だから、その前準備を手伝って欲しいのよ。今行っても授業について行けないだろうから」
つまりコイツは、遅れている学習内容を少しマシにしてから塾に行きたいと。スタート地点まで俺に勉強を教えろと、そう言っているわけだ。
「マモって、そこそこ成績いいじゃん? あたし、中学入ってからほとんど勉強してなかったし……でも石森受けようって決めてから、ここ二ヶ月くらいは結構勉強したのよ? だけどひとりだとどうしても」
「いいけどさ。何で俺なんだよ? 他にもっと勉強できる友達とかいるだろ」
「……あの事件以来、みんなあたしに気をつかうんだよ。特に女の子は」
コメントしにくいこと言いやがる。すると、黙ってしまった俺を気遣ってか、
「なんにもなかったし、もう本人は忘れかけてるんだけどね」
とか言いながら笑顔になる。
……なめんな。お前の作り笑いを見抜けないとでも思ってんのか。
「わかった。あそこは受験三科目だし、何とかなるだろ。それに、実は俺も石森受けようと思ってたんだよ。あそこって推薦で入れる大学多いから」
俺の言葉にアカネは表情を輝かせた。
「じゃあさ! マモも一緒に行こう石森! 一緒に勉強して一緒に塾行って、一緒の高校行こうよ!」
そう言う彼女は子供みたいに無邪気な笑顔を浮かべていて、そのせいで色々と昔の事とか思い出したりなんかして、だから俺もつい言ってしまったのだ。
「よし! じゃあ一緒に合格しようぜ!」
……そして時が過ぎ、一年後の受験を経て俺たちはふたり揃って私立石森高校に入学。そして、波乱に満ちた高校生活が始まったのである。
戦隊ヒーローが現実のものとなってからずいぶん経つ。
とはいえ、俺たちが生まれる数年前までは、まだ特撮という名の架空の存在だったというから、それより前の世代にとっては妙な感覚だろう。だが俺たちが子供の頃に夢中になっていたヒーローは、本当に悪の組織の怪人と戦っていたのだ。
この手の話に詳しくない、という人のために少し説明しておこう。
今から二十数年前、とあるベンチャー企業が特別な装置を開発、実用化することに成功した。その名も『ヤツデ・システム』。簡単に言ってしまうと、戦隊ヒーローのコスチュームで実際に肉体を強化させる事ができる機械だ。
昔から戦隊ヒーローというと、頭部こそヘルメットで覆われるものの全身タイツにグローブとブーツという、そんな薄着で敵からの攻撃に耐えられるのかと思ってしまうような格好だ。
だが。なんかよくわからないナノテクノロジー的な技術が、全身タイツに肉体強化の能力を持たせてしまった。キャラクターごとに色分けされたタイツを着ると、本当に超人並みの力が発揮でき、相手の攻撃から身を守ってくれるようになるのだ。
そして、その技術は敵側にも応用された……というか、厚みのある着ぐるみの方が技術的にはずっと簡単なのだろうが、怪人の皮を被ったスーツアクターも本当に強くなったのである。その技術を用いて自主制作でつくられたバトル映像はネットで全世界に配信され、大きな話題を呼んだ。
これが歴史に残る、日本発リアルヒーローの誕生である。
その数年後、ヤツデ・システムは開発したベンチャー企業ごと特撮ヒーローのシリーズを作り続けてきた会社に買い取られ、番組に活用されることとなった。
そうして戦隊ヒーローの戦いは、特撮技術を用いた演技から、肉体強化コスチュームを着た者同士の真剣勝負に変わったのだ。
それは歴史的な転換であり、ヤツデ以前と以後では戦隊ヒーローの概念自体が変わってしまったと言える。
特に大きな変更点は、ヒーローの変身後もスーツアクターでなく、変身前の人が演じるようになったことだ。そのため役者には、相当の格闘の心得が必要とされるようになった。
近藤拳児も空手の有段者であり、本物の空手家がカラテレッドというヒーローを演じていたのである。
真剣勝負……ガチバトルとはフルコンタクトで戦うだけでなく、勝敗の行方がどうなるかわからないという意味でもある。
何しろ、場合によってはヒーローが負けてしまうこともあるのだ。
ヤツデ以後の戦隊ヒーローは、視聴者の応援が強さの元になった。
それは、『みんなの声援が俺たちの力になる』的な精神論ではなく、視聴率とデータ通信および番組HPへの投票によって、変身スーツや武器のパラメーターがプラス補正されるのである。
だから人気が低いとその戦隊は強化されず、番組が進むに従って強くなっていく敵に負けてしまう。大抵はもう一度リベンジできるようなシナリオになっているが、それでも人気が上がらないと完全に敗北してしまい、全滅した戦隊は入れ替えになる。
それは実際、過去に一度だけ起きた。秋から始まって冬休みを待たずして全滅した戦隊を、さらにパワーアップした(という設定の)新戦隊が助けに現れて次の回から新番組になってしまったのだ。
当時の反響はすごかったらしい。
それ以降、特に大人のファンが急増したという。本当の意味での視聴者参加型番組、ある意味ドキュメンタリーとも言えるバトル。
子供は普通に番組を楽しみ(俺も子供の時はシステムがどうとかそんな事はまるで知らずに見ていた)、大人は自分たちの意見や好みが反映される面白さで番組にのめり込んでいった。
ちなみに、視聴者がポイントを投票するのはキャラクター個人に対してであり、その人気によって強弱が変更されていく。
だからピンクが戦隊の中で無双してしまう事もありうるし、レッドが最弱の戦隊、というのもありうる。
……まあ、キャスティングや設定、シナリオでそうはならないのが常であるが。
そして、ちょうどその頃……つまり今から約十年前に、アマチュア競技としての『戦隊ヒーロー』が生まれた。参加資格は十五歳以上の男女とされ、『日本戦隊ヒーロー協会(NSK)』の発足と共に全国八校の私立高校に『戦隊ヒーロー部』が設けられた。特殊なシステムを使用する競技で練習にもそれなりの設備が必要になるため、現在もその八校以外に戦隊ヒーロー部はない。八校には設備や備品その他に対しての援助がNSKからされたという。
その内のひとつが、俺たちの通う石森高校なのである。つまりアカネは石森の戦隊ヒーロー部でレッドになり、大会で優勝して近藤拳児に感謝を伝えたい、というのだ。確かに、引退したあとでも近藤が戦隊に関するニュースならチェックしている可能性は高いだろうから、本当にそうできればアカネの言葉は彼に届くだろう。
だが……。話を聞いてからずっと気になっていたことがある。
当時、現役の俳優であり子供向け番組の変身ヒーローだった近藤が、なぜ平日の夕方に区立中学などに居たのか。
以前、アカネに聞いてみたことがある。すると
「そりゃ何か用があったんでしょ」
と、当たり前のように言われてしまった。いやまあ、それはそうなんだろうけど。
合格が決まってからのアカネは、入学式の前日までほぼ毎日のように連絡をして、これからの希望・展望、その他もろもろの未来予想図を語った。それは電話だったりメールだったり、時には直接会ったりして実に熱心に続いた。
その頃の彼女は本当に活き活きと希望に満ちあふれていて、俺も協力したかいがあったなと素直に嬉しかったのだ。
そうして迎えた入学式。
「別にいいじゃねーか。卒業式で着たスーツにしとけよ」
そろそろ出ないと、という頃合になってもウチの母親は服装をどうするか迷っていた。俺は既に真新しい石森高校の制服……胸ポケットに校章のワッペンがついた紺のブレザーとグレーベースのチェック柄のスラックス、というありふれたもの……に着替え、準備万端だ。寝癖もちゃんと直したし、ヒゲも剃った。
「同じ中学の子も居るんだから、同じ服ってわけには行かないのよ。それに朱音ちゃんも一緒なのよ? あの子のお母さんオシャレだから気を抜けないわ」
あー、めんどくせえ。バ○アの服なんざ誰も見ちゃいねえよ……。
俺は、口に出すと確実に母親が泣いて怒るであろう言葉は胸に秘め、もう少し忍耐力を発揮して待つことにした。
「そう言や、アカネの母さんは着物にするって言ってたぞ?」
「その手があったか! あーもう遅い!」
もう諦めろ、母上よ。
「マモ! おはよー!」
駅までの道中で平野母娘と合流した。勝手に母親同士で一緒に行こうと約束していたらしい。
いつもどおり赤いゴムでポニーテールにくくった彼女は、俺と同じく石森高校の制服姿。ジャケットは俺と同じデザインで、インナーのブラウスは襟が角のない柔らかい形になり、首元には紺色のリボン。ボトムはグレーチェックのプリーツスカートだ。
「あらー。朱音ちゃん良く似合ってるわあ! やっぱり女の子はいいわねえ」
俺の母親がさっそく社交辞令を口にする。
「護くんも、すっかり男らしくなって! 頼もしいわねえ」
アカネの母親も着物姿で返す。
親同士の会話は放っておいて、アカネは俺に話しかけてきた。
「やっとだよ。やっと始まる……あたしの戦隊ヒーローライフが」
「おう、そうだな」
あれ? なんか……化粧してんのかコイツ。
「色々ありがとね、マモ。お互いに、高校生活を満喫しよっ」
「ああ。お前は目標にむかって一直線、だもんな」
「もちろん! 覚悟は決まってる。あたしはサイコーの戦隊でサイコーのレッドになるから!」
その時、アカネの曇りのない笑顔を見ながら、コイツはこれから部活にうち込んで再び俺とは疎遠になるんだろうと一抹の寂しさを覚えていた。実を言えば。
電車で約二〇分ほどで石森高校の最寄駅に着く。そこから学校までは徒歩で十分弱。閑静な住宅街を抜けていく道は平坦で、走る車も多くない。割と恵まれた通学環境といえるのではないだろうか。俺たちと同じく、着飾った親と新品の制服姿の新入生が何人も同じ道を歩いている。意外と父親の姿も多い。
よく晴れた春の日差しの下、女友達と肩を並べて歩いていくと、これから俺たちが通う私立石森高校が見えてきた。
明るい茶色のレンガ塀で囲まれた敷地は、都内にしては贅沢な広さがある。
『○○年度 入学式』と掲示された正門をくぐると、そこからまっすぐに桜並木が続いている。ほぼ満開(八分咲きくらい)のピンク色の回廊を進む、新入生とその親たち。
左手に見えるコンクリ造りの校舎は四階建て。やがて見えてきたテニスコートや自転車置き場を脇目に進む。案内図を見たりする必要はない。真新しい制服のご同類がぞろぞろと向かう方へ足並みを揃えれば済むからだ。
そうして見えてきた入学式会場の体育館。こちらは第一体育館で、校舎西側にはもう少し小さい第二体育館もあるらしい。
ズラリとパイプ椅子が並んだ会場に入り、式が始まるのを待つ。
他の学校はどうなのか知らないが、この時点でまだ俺たちはどのクラスになるのか知らされておらず、席順も全くの自由なのでアカネと並んで座った。保護者席は後ろにまとめられている。
考えてみれば、コイツとは長い付き合いだが隣に座って入学式や卒業式に参加したことはなかった。まあ、だからどうだという事はないんだが。
式はごくありふれた内容で進行する。校長の話だの、在校生代表からの話だの……今壇上で話している眼鏡の真面目そうな女子は生徒会長らしい。
明日からの予定……登校時間はいつで、どこにクラス分けの発表が掲示されているなどの連絡事項も告げられた。メモを取るまでもない。さっき配られた冊子に載っているはずだ。
隣に並んで参加したこの入学式は、ひょっとしてアカネとの最後の思い出になるのかもなと、ふと思った。小学校時代はクラスが離れることはあっても、少年野球で週末はずっと一緒だったし、親同士も仲が良かったから多分、最も長い時間を過ごした同級生だったと思う。中学になってからはクラスが一緒になることもなく疎遠になっていたが、最後の一年は受験勉強を一緒にして、こうして同じ高校に入学した。
だがこれから、アカネは自分の目標をはっきりと持ち、脇目も振らずに突き進んでいくだろう。俺は大した目標もないので、将来のために勉強に勤しんで少しでも良い大学へ進学するつもりだ。
文化祭や修学旅行などのイベントは楽しみだし、それなりに友達も作りたい。まあ、そんな平凡な高校生になるつもりなのだ。
俺は高校で部活をやるつもりはなかった。自分に野球の才能がないことはよく分かっていたし、他にこれと言ってやりたいスポーツも、興味のある事もない。
つまり、スタートは一緒だが、明日から俺たちはまるで違う高校生活を送っていくのだ。
この時まで、俺は本気でそう思っていた。いや、正確に言うならあの電話の時までは。
翌日、なんの因果か(まあ単なる偶然だろうが)俺と同じクラスになったアカネは、放課後になるや教室を飛び出していった。戦隊ヒーロー部の新入部員第一号になるのだと言い残して。
まあ、がんばれと心の中で友人にエールを贈り、通学カバンを手にして帰路についた。その途中で着信があったのだ。メッセージじゃなく、通話で。
「マモ、大変! 緊急事態、エマージェンシーよ!」
「なんだどうした。一号になれなかったのか? 別に入部を断られたワケじゃないだろ?」
訳が分からないながらも言ってみると、
「一号だったの! てか一号しかいないの!」
ほぼ悲鳴に近い声でアカネは答えた。
「お前なあ。今日は実質初日だぞ? 他に新入部員がいないからって」
「違うの! 部員があたししかいないの! もう三年間休部だったんだって! 今年で休部期間の期限が切れるから、部員が五人居ないと、廃部になるのよ!」
いいから来いと強制的に学校へと戻らされた俺は、校門で待ち構えていたアカネに襟首をつかまれて職員室へと拉致された。
「……なんだ、これは」
職員室のドアの前。何とか廊下で踏みとどまった俺は、目の前に突きつけられたB5用紙を突き返してやった。
勢いだけで何でも済むと、思うなよ?
「見ればわかるでしょ。アンタの日本語読解能力はどうなってるわけ? 入部届けよ入部届け」
さも当然そうな口調で言うアカネ。
「……おい。そうやって上から口調で言えば何でも言う事聞くと思うなよ。俺は戦隊ヒーローなんて興味ないんだからな」
あの日から……久しぶりにアカネの家に呼ばれたあの日から、何となくコイツに引きずられるようにここまで来てしまったが、今ここで言うことを聞いてしまったら、俺の高校生活の方向性は決定されてしまう、それは確実だ。
「マモ。無理は言わない。 ……ううん、言えない。でもさ、本当にいいと思うんだ。戦隊ヒーローになって戦うのって、今しかできない事なんだよ? 高校生活の三年間は一度きりなんだよ?」
なんだよ急に。
「ってかさ、マモ。あんた変わったよね……」
目をふせ、何やら意味ありげに言う。その口調やめろ。
「一応聞いてやる。何がだよ?」
俺の心に警報が鳴り響いていた。注意しろ、ヤベえことになんぞ?
「ねえ。 ……あんた今、青春してる?」
おい。
「お前! そんな恥ずかしいこと聞くんじゃねえよ!」
何人も教師や生徒が、ドアの前で言い合っている俺たちを避けて職員室に出入りしていた。
邪魔になっているのに気づいて廊下の隅へ移動。すんません。
「何が恥ずかしいのよ。高校生つったら青春じゃない。恥ずかしがって照れてばかりじゃ何もしないまま卒業しちゃうよ。それでいいの?」
どうやら冗談ではないらしい。俺の小学校からの友人は実にマジメな目をして、まっすぐに言葉をぶつけてきた。
「いいのって、何がだよ?」
正直、その時俺はすでに押されていたと思う。相撲で言う『死に体』ってやつに近い。
「そうやって何も夢中になるものもなく年とって、つまらない大人になっていいの? アンタの人生そんなんでいいの、って聞いてんのよ」
なんかそう言われると自分がちっぽけな人間に思えてくるじゃないか。
「……いや、ちょっと待て! いかにも俺のためみたいに言ってるけどお前、部員が居ないってわかるまではそんな事ひとことも言わなかったじゃねえか! 結局頭数が欲しいから俺を誘ってるだけだろうが!」
大声にならないように気をつけながら言う。負けてたまるか、俺のこれからの高校生活がかかっているんだからな!
アカネはその言葉に目を伏せた。よし、形勢逆転か?
「……そうだよ。あたしは戦隊ヒーローに、レッドになりたい。ううん、絶対になるの。そのためなら何だってやる。だから今こうしてあんたを誘ってるの。でもね」
そう言って彼女は顔を上げた。やめろ、そんな目で俺を見んな。
「あたしは信じてる。あたしの愛する戦隊ヒーローがマモを変えてくれるって。今は死んだ魚みたいな目をしたアンタが、きっと後でやって良かったって思ってくれるって」
……つまり、自分の都合であることは否定しないけれども『結局は俺のためでもある』的な善意の押し売りかよ。それにしても死んだ魚なんて初めて言われたぞ。
「だから」
迷いのなくなった表情でアカネは言う。
「入部して。あたしと一緒に戦隊ヒーローになって。 ……一生のお願い」
聴き慣れたその言葉に、俺はつい笑ってしまった。
「お前さ……何度目だよ、それ」
最初はいつだったかな。小二の時、自分の誕生会に来いって言ったときか、少年野球の見学に一緒に行こうってときだったか……。
まったく。昔とおんなじ表情で、おんなじこと言いやがって。
「わかったよ、やってやる。つまんない大人になりたくねーからな」
俺が笑いかけてやると、やっとアカネは肩の力を抜いた。ガキの頃からの友人二人がニヤッと笑いあう。
「おい平野、いつまで待たせる気だ。話はついたのか?」
いきなりの背後からの声に、ビクリとして振り返る。その姿を見た俺は更に驚いた。
中背の俺が見上げるくらいだから、優に一八〇は超えている長身。頭に白いタオルを海賊のように巻いて、そこからはみ出た髪は金色に染められている。黒地にスカルがプリントされたガラの悪いジャージの上下。縦だけでなく横にも大きい、プロレスラーみたいにごっつい男が俺たちを睨みつけるようにしていた。
一体なぜ、学校に中年のヤンキーが?
「あ、稲田センセーすみません、忘れてました」
これでも教師であるらしい、目つきも悪いその大男は、
「なかなかいい度胸だな。それで、この男か? とりあえず一人確実に入ってくれるってのは」
このやろ。俺のことそんな風に言ってたんだな。
「はい。今、入部の意思を確認しました」
……まあいい。確かに俺はやると言った。男に二言はない。ないから、うん。仕方ない。
「そうか。じゃあ、あと三人だな。五月の連休までに集まれば公式戦のエントリーも間に合うから、急いだほうがいいぞ」
「はい!」
元気よく答えるアカネ。おいおいマジか。いきなり試合に出る気かよ。
「じゃあ、入部届け出しておけ。あとは、そうだな。部室の鍵を渡しておこう。長らく無人だったから、お前らの最初の部活動は掃除ということになるだろうな」
言いながら、安っぽいキーホルダーの付いた鍵をアカネに手渡す。そうか、ちゃんと部室があるのか。
「……ねえ、いい声だと思わない?」
職員室へ引っ込む稲田先生を見送りながらアカネが耳打ちする。
「言われてみると、確かに。見た目はアレだけどな」
低いのによく通る、渋い声だった。
ああ見えてもアメリカからの帰国子女でバイリンガルの英語教師なのだそうだ。人は見かけによらない、とはよく言ったものである。
ルックスはアウトだから声の出演でボス役でもやらせようかしら、などと教師に対する尊敬の念を微塵も感じさせずに言う。
「ところで部室ってどこだよ。行ってみようぜ」
アカネも行くのは初めてらしく(そりゃそうか)校内の案内板を見ながら部室棟へと向かう。
今、俺たちがいるのは校舎の一階。この建物は二階から四階までが各クラスの教室となっており、一階には職員室の他に図書室、校長室、会議室などがある。渡り廊下で連結された西側には第二体育館、東側には科学室や音楽室などの特別教室が四階まで入っている特教棟がある。更に、南へ伸びたピロティで接続された第一体育館があり、その隣のスペースに独立して三階建ての部室棟が建っているのだ。
つまり部室棟は校舎建物と『地続き』になっておらず、一度玄関から外へ出る必要がある。上履きから革靴へ履き替える必要があるのだ。
んで、部室棟に入るには再び上靴に履き替えなきゃならんから、手に持って外へ出ていくわけだ。
「めんどうだな」
「そう?」
すぐに部室棟に到着。見た目は校舎と同じ、コンクリ造りの建物だ。もちろん校舎建物より小さく、三階建てなのでひとつ分背が低い。
やや小ぶりな玄関で再び上履きに履き替える。
「三階だって。最上階だね」
マジか。ちなみに一年生の教室は四階、校舎の最上階である。これからは階段の上り下りで足が鍛えられそうだ。
何ら面白みもない薄暗い階段を上り、何の変哲もない廊下を進んでたどり着いたのは西側の端の部屋。ちゃんとドアの上のプレートには『戦隊ヒーロー部』と書かれている。
その文字が微妙に色あせて見えたのは、はたして目の錯覚か。
「……覚悟はいい? 開けるよ」
なぜか確認してからドアノブの下の鍵穴に鍵を入れ、解錠する。
そして、扉は開かれた。
「……何もないな」
それが、偽らざる第一印象だった。カーテンが引かれ薄暗い室内は、心配したほどホコリっぽかったり、カビ臭くはなかった。
壁際に大きめの本棚があり、その片隅に何冊かの書籍があって、部屋の中央に長テーブルがあり、壁際にパイプ椅子がいくつか畳んで立てかけられているだけで、まさに空き部屋、といった印象だ。
正直、ヒーローのポスターとかフィギュアとか変身アイテムとか、そんなグッズが散在しているのを想像していたのだが。
ちなみに、棚の本は戦隊ヒーロー競技のルールブックと戦隊ヒーローの歴史に関するものだった。
「まあ、部員ゼロだったわけだからな。私物は片付けられるだろうし……」
拍子抜けして室内に足を踏み入れる。俺の気持ちとは裏腹に、隣の部長殿はがらんとした部室に目を輝かせていた。
足取り軽く部屋の奥まで行き、カーテンを開け、窓も開けてさっそく空気の入れ替えを行なう。
「ここが」
と、大きな瞳が空き部屋を見渡して喜色を浮かべた。
「あたし達の部室……」
掃除道具どうしよう、教室から借りてこようか、などと妙にやる気になっている。
「ずいぶん嬉しそうだな。俺の目には、ただの空き部屋にしか見えないんだが」
ちょっと落ち着け、というつもりで言ってやると、
「空き部屋だよ。だからいいんじゃない」
何言ってんの、という声色で返された。
「何もないから、何にも縛られずにこれから、あたし達の好きなようにできるんじゃない。これから始まるんだよ? 始められるんだよマモ。あたし達ふたりで」
人間の瞳というものは、こんなにも輝く事ができるのかと驚かされる。
そして、そう言われてみると確かに、俺の胸の奥からもよくわからない希望とか期待とか、そんな感じのあれやこれやが沸々とわきあがってくるようだから不思議だ。
「……お、おう。言われてみると確かに。ちょっとワクワクしてきたな」
「そうでしょ、ニキニキでしょ? ……じゃあ、まずは掃除。あたし達の城をきれいにしましょう」
「おう!」
俺はその時、生まれて初めて自主的に掃除がしたい、と思った。我ながら単純なものだと思う。
「さて……こんなもんかな」
俺たちは約二時間かけて部室の掃除を終えた。
窓の外がやや暗くなってきた。こうして改めて見てもやはり空き部屋だ。
よく見ると壁紙には今までにポスターやらカレンダーの類が貼られていた跡が、床板には棚のような大きなものが置かれ、撤去された跡が残っていた。過去にはこの部屋に集まって部活に励んでいた人たちが居たのだと実感する。
「さて……部室は用意できた。あとはここにあと三人、仲間を呼ばなくちゃいけないわけだな」
「そうね。どうする? 作戦会議でもする?」
俺たちは綺麗になった空き部屋でパイプイスを並べて腰掛けた。
ところで、そもそも。
「勧誘ってどうやるんだ? アカネ、やった事あるか」
中学の野球部は放っておいてもそれなりに入部希望者が集まっていたので、特別何かしたことはなかった。聞くと女子ソフトも同様だったという。
「むしろ、多すぎて困ったくらい。入部テストしようか、なんて冗談で言ってたくらいだもん」
まあ、強豪だったからな。
「あれか? 部員募集のポスターとか」
とりあえず思いつきを口にしてみる。
「そうね。じゃあPCで適当に作っといて」
いきなり俺の仕事か。まあいいけど。
「でもそういうのって、掲示するのに許可とか取らないといけないんじゃないか?」
きっとそうだ。でも、誰の許可取ればいいんだ?
入学したての一年生がふたりで相談したところで、わからない事だらけなのである。
「よし、じゃあ責任者のところへ行こう」
そうして掃除道具を返しがてらに職員室へと戻る俺たち。
幸い、我らがヤンキー顧問、稲田先生はまだ職員室に居た。
「ポスター? ああ、そりゃ生徒会の管轄だな。部員募集関連は全部生徒会の許可が必要なはずだぞ」
きしむ回転椅子に巨体をのせて、稲田センセーは言う。見かけによらず親切に色々と教えてくれる。
「ポスターもいいが、それより明後日の部活説明会はどうするんだ? あれが勝負だぞ」
どうする、と言われてもそんな説明会のことなど初耳……いや、そう言えば行事スケジュールのプリントに載っていた気がする。
「放課後に第一体育館でやる、っていうやつですか」
先生はうなずく。部を新入生にアピールする場で、部活に入ろうという気のある者は確実に見に来る、一番重要な勧誘のチャンスだという。
「それはぜひとも参加しなくちゃ! それじゃあ、ふたりでできる変身ポーズ決めよう!」
お前は俺を社会的に殺す気か。
「いや……、うっかりしていた。すまんが、もう無理かもしれんぞ」
先生は急に歯切れの悪い口調になる。
「無理、って何がですか」
「明後日だからな。申し込みは終わっているはずだ。今から参加できるか……」
「無理です。部活説明会の申し込みは既に終了しています。当日のスケジュールもすべて出来上がっていますので今から参加枠を増やすなど、不可能です」
案の定の答え。稲田先生の言葉に不安を覚えた俺たちはその足で生徒会室へと来ていた。
場所は各学年の教室などがある校舎建物の四階。俺たち一年の教室が並ぶ端の部屋だ。要はアカネが威勢良く飛び出していってからあちこち動き回った結果、元の場所へ戻ってきたわけである。
畳敷きに換算して十二畳程度の部屋は、一言で言うと簡素。よく言えば質実剛健、といったところか。
最低限の物しか置かない、というのを徹底した室内で長机に陣取った生徒会役員の三人は、眼鏡の奥の目を光らせて俺たちを出迎えた。
「いや、これは特殊なケースでな。部員が一年生しかいないんだ。だから申し込みに間に合うわけがなかったんだよ」
一緒についてきてくれたセンセーが言う。
「つまり、特殊事例として例外を認めろとおっしゃるのですか?」
三人の真ん中に陣取った黒縁メガネのおかっぱ頭が生徒会長。佐倉という三年生の女生徒である。両隣に他の役員二人を従えて、教師相手に全く動じずに話す。
自慢じゃないが、俺たちが特殊だというのは誰もが認める事だろう。
「例外事項を承認するには会議での決議が必要です。役員の半数以上が出席の上、その三分の二以上の賛成が得られれば特例が認められます」
佐倉会長の言葉に残りの二人はうなずく。
「じゃあ、それでいいからさ。やってよ会議」
では、こちらに記入をと用紙を渡してくるのは向かって右側に座った銀縁眼鏡の男子生徒。紀川という二年生の副会長だ。
「これ書いたら、特例認めてくれるの?」
アカネが言うと、
「それは、生徒会への要望書です。その用紙で正式に申し込みをして頂き明日の放課後、必要な考察と審査を経て臨時会議を開催するか否かが決議されます。その結果開催、となったら日程を決め、しかるのちその会議上で議題として取り扱い、先ほど言ったとおり、三分の二以上の票が集まれば特例として認められます」
無表情で説明を終えるとメガネをくいっとあげる。
「ちょっと待ってよ! それじゃ明後日の説明会に間に合わないじゃない!」
問題はまさにそこである。
「仕方ありません。規則ですから」
紀川は無感情に言う。アカネの額に青筋が浮かんだ。
「おい、そこを何とかできないか? さっきも言ったように、二人とも新入生なんだ。大目に見てやってくれよ」
稲田先生が助け舟を出すが、
「先生。大目に見る、とはどういうことですか? 私にはそんな権限はありませんし、生徒会の人間の誰ひとりとしてそのような超法規的措置を認める権限を持つ者などいません。規則を遵守することはその規則によって権利を守ることです。それがひいては生徒ひとりひとりの高校生活を守ることに繋がるのです」
佐倉会長が決然たる口調で言い返す。その手元には学校の法律とも言える校則と生徒会規約の冊子が。
ああなるほど、そうだなと引き下がるヒーロー部顧問。
「……わかりました。どうも、お騒がせしました。ところで部活説明会の後にも勧誘活動というのは認められているんですよね?」
妙に静かな口調でアカネは言いつつ、席を立った。
「ええ。主なものでは桜並木通りに各部活のスペースを割り当て、自分たちの活動をアピールする機会があります。ただしここでは大きな道具や舞台などを用いた宣伝活動は禁止されていますので注意してください」
完璧な無表情を保ったままの佐倉会長が言う。
「何らかの規則違反があった場合、勧誘活動の即刻中止が課せられます。また、悪質な場合には部活動の停止などの重い処罰となる場合もあります」
ハイワカリマシタ、と棒読みで言うアカネ。じゃあそっちの申し込みは出来るんですか、と用紙を出してもらう。
「では必要事項に記入を」
「はーい。一筆奏上」
とか言いながら記入する。
「これで申し込みは、受理されました。並木道での勧誘活動は来週の月曜日より三日間の日程です。期間中に終了する場合には生徒会まで連絡して下さい」
アリガトウゴザイマシタ、と生徒会室を出る。
「……すまなかったな、力になれなくて」
廊下に出てすぐ、稲田先生は巨体をすぼませて言った。見た目によらずいい人だな。
「いえ。必ずあと三人、最高のメンバーを集めてみせますから」
決意に満ちた目で言う、俺の幼なじみ。
俺にはわかる。言外の、とか行間を読む、というやつだ。今アカネは口には出さなかっただけで、明らかに心の中でこう続けた。
「どんな手を使っても」
……と。
翌日。放課後になるとアカネは速攻で教室を飛び出そうとした。
「おい待て! 今日の部活はどうするんだ」
俺は慌てて声をかける。
「今日は各自で自主練習! じゃあね」
このやろ。
「待てって!」
俺はアカネの腕をつかんで力づくで足を止めさせる。
「ちょっと、何すんのよ。痛いって」
「あ……すまん」
周りを見ると、教室内のほぼ全員がこちらに注目していた。入学からの短い期間で友人関係を築きつつあるみなさんの『教室で痴話喧嘩か?』という好奇に満ちた視線が痛い。
これは、まずい。
「ひ、平野! 部活の事なら副部長の俺にも相談してくれなきゃ困るぞ! 部活の事ならな」
二回言って強調する。大事なことだからな。
「平野って。急に苗字で呼ばれるとキモイよ。 ……ああ、でも中学入ったばっかの頃、妙に意識してそんな呼び方しようとした事あったっけ」
にやにや笑いながら俺の恥ずかしい過去をバラしやがる。
「とぼけんなよ、何かやる気だろ。明日の準備か?」
俺の言葉にアカネは目を丸くした。
「よくわかったわね」
「なめんな。どんだけ長い付き合いだと思ってるんだ」
俺はお前と違って昔の恥ずかしいエピソードとかバラしたりしないけどな。
「……そうね。じゃあ、場所を変えよう」
どこ行くんだ、という俺の質問にアカネは
「部室よ。部活の話なんだから当然でしょ?」
「さて。作戦を説明するわね」
昨日二人で掃除した、ガラ空きの本棚と長机とパイプイスしかない部室にて。
「ちょっと待て。聞くまでもないかもしれんが、明日の部活説明会に無許可で参加しよう、っていうんだな?」
あえて口に出して言ったのは、アカネに自分がやろうとしている事を自覚して慎重になってもらおう、と意図したものだったのだが、
「もちろん」
眉ひとつ動かさずに答えやがった。
「お前なぁ、わかってんのか? それってつまり生徒会を敵に回すって事だぞ。連中が部活にどれだけの影響力持ってるのか知らんが、昨日の調子で規則やら持ち出してきて活動停止、とか言い出すんじゃないか」
俺は至極もっともな事を言ってやる。誰かが手綱を握ってやらんとこの女は周りを気にせずに突っ走るからな。
「わかってるわ」
冷静に部長殿は答える。
「活動停止もなにも、このまま部員が集まらなければ廃部になるんだから。みんなにも聞いてみたけど、戦隊ヒーロー部の知名度ってめっちゃ低いのよ。ほとんど誰も存在すら知らない」
まあ、戦隊ヒーローになって戦うという競技があることは知ってても高校の部活でできる、って事は俺も知らなかったからな。
「そして、期日はあとひと月もないの。五月までにあと三人メンバーを集めなきゃ試合に間に合わないんだから」
「本当にいきなり公式戦にエントリーするつもりなのか? 俺たちゃ素人だぞ。次の試合からの参加でも……」
俺の言葉にアカネは小さく息をはいた。
「戦隊ヒーローの公式戦は、年に一度しかないの。次は来年よ」
「そ、そりゃでも……仕方ないじゃないか」
「仕方ない?」
アカネの目が鋭くなった。
「アンタね、そうやってすぐ諦めるから野球でもレギュラー入りできなかったんでしょ! またここでも繰り返すつもりなの? いい加減覚悟を決めなさい! 五人よりも人数集まったらアンタが必ず戦隊入りできるとは限らないんだからね!」
「な……お、お前そりゃないだろ」
「なんで? あたしは自分の目標にむかって最大限の努力をする。そのために最高のメンバーを集めて、最高の戦隊を作るの。マモがそれにふさわしくないなら、外すわ。当然でしょ?」
マジでムカついた。
「お前が入ってくれって言うから入部してやったんじゃねえか! それなのにその言い草……」
するとアカネは口のはしを歪めて笑った。
「あいにくね。本気でやってくれないならメンバーとして認めないわ。忘れないでマモ。あんたはグリーンだけど、その後には(仮)が付いてるの。でもそれはあたしも一緒。あたしも今はまだレッド(仮)だから! だからあたしは努力するわ。精一杯! なぜって」
おい。
「ちょっと待て。俺、グリーンなのか? 初耳なんだが、いつ決まった?」
俺の言葉にアカネは驚きの表情を浮かべた。何言ってるのコイツ、という顔だ。
「最初からよ。マモなんだから、緑しかないでしょ」
……そういうことか。以下、非常にしょうもない事を説明させてもらいたいと思う。
俺のあだ名がマモ、というのはとっくに伝わっていると思うが、それは本名の護を縮めたのではないのだ。小二で北海道から転校してきた俺に最初に声をかけたのがアカネだったのだが、その頃コイツは人にあだ名を付けるのがブームだったのだ。
だから新しいクラスメイトにも、となって、北海道といえばうーん、そうねえと服装も髪型も男の子みたいだったアカネはひとしきり考えた挙句、あるキャラクターを思い出した。俺ももちろん知っている、マリモをモチーフにしたご当地キャラクターだ。
「きめた! あんたのあだ名はまりもっこ……」
大声で教室内のみんなに宣言しかけた彼女を俺は必死に止めた。
「そうだ! ぼく、マリモ! マリモっていうあだ名がいい!」
そうして俺は自ら申請したあだ名で認知され、いつのまにか真ん中の『リ』が省略されてマモになったのである。
以上、どうでもいい昔話でした。マリモだから……それに、あのキャラクターも全身緑なのでグリーンというわけだ。
「……まあ、いいけどな。目立たないポジションの方が性に合ってるし」
「よっ、人生送りバント」
「てめえ。グーで殴んぞ?」
まあ、代打に出て三振するよりはバントのサインが出たほうが正直、気は楽だ。できればスクイズとかエンドランとかのがいいけどな。
「で? ハナから派手に脱線したけど、明日何をやらかそうっていうんだ」
ふふーん、とアカネは得意げな顔になる。そして、カバンからノートを取り出して何やら書き始めた。やっぱりホワイトボードがほしいわよね、などと言いながら。
「作戦はシンプルよ。マモがあたしを誘導して、舞台で新入生にヒーロー部をアピールするの」
おいおい、俺も最初から計画に入ってるんかよ。
「当然でしょ。二人しかいないんだから」
まあな。
「そして、作戦の要はこれ」
言いつつ、アカネはある本を取り出した。
「じゃあ、説明するわよ? これがうまくいけば、この部室が新入部員で一杯になるはずだから。でも安心して。明日アンタがちゃんとやってくれればレギュラー入りは確約してあげる」
ああそうかい。結局アカネの思い通りになっている俺。まあ予想はしていたからな。別にくやしくなんかないさ。
翌日。放課後に第一体育館にて新入生対象の部活説明会が行われた。あくまでも自由参加だが、教師からもなるべく参加するようにと言われるし、実質全員参加のようだ。
まあ、よほどの変わり者でもない限り、どんなもんか見てみるかくらいの興味は持つだろう。
俺たちふたりは既に部に入っているが、新入生として(いや実際に新入生なのだが)説明会に参加する。
そこで、自分たち戦隊ヒーロー部をアピールしようという計画だ。
「まず、この作戦の一番の目的は部の知名度を上げること。新入生全員に戦隊ヒーロー部という部活がこの学校にある、という事を知らせるだけでも大きな効果があるはずよ」
昨日、部室でノート片手にアカネが言っていたのを思い出す。まあ確かに、こんな事やらかしたら存在だけは認知されるわな。
体育館の床に座り込む新入生。ほぼ全員が揃っているように見える。入学式の時のように椅子が置かれているわけでもなく、座る場所も特に決められていないので、友人同士で固まって床に座り込み、おしゃべりに興じている。
正面のステージには「○○年度 石森高校部活説明会」と書かれた横断幕が掲げられ、舞台隅には小さな机と、その上にマイク。何人か教師も前に立っているが、あくまで放課後の自主参加のイベントだからだろう、かなり騒がしくしている生徒たちに注意をしようという素振りも見られない。
生徒主催、もっと言えば生徒会の仕切るイベントなのだ……目で探すと、居た。生徒会の役員連中だ。全員メガネの三人……教師たちの傍らに立って新入生の様子を見ている会長の佐倉、舞台袖と会場を行き来して忙しそうに働いている副会長の紀川と書記の女子。他にも生徒会メンバーがいるのかもしれないが、顔がわからない。
最低限、戦隊ヒーロー部の名前を出すまで止められるわけにいかねーからな……。
緊張してきた。俺は級友たちと雑談しながら、少し離れたところに座るアカネの様子を窺う。彼女もクラスの女子とおしゃべりに興じている……ふりをしていた。ふと目が合うと、ほんの少し緊張をのぞかせた表情で小さくうなずく。
「新入生の皆さん、お待たせしました。これより部活説明会を開始します」
アナウンサー並みの滑舌の良さで佐倉会長がマイクで言う。どうやら生徒会長自ら司会をしていただけるようだ。
最初の部活、硬式テニス部が舞台にユニフォーム姿で現れた。男子と女子、二つの部活が合同で行なうらしい。それぞれ別の部として活動しているが交流も多いということをアピールしている。
男子と女子で仲良くやってるから楽しいよ、素敵な出会いもあるかもよ、と甘いエサをチラつかせての勧誘というわけだ。女子のユニフォームも含めて、実にけしからん。
そうして説明会は進み、それぞれの部の特徴に沿って様々な趣向を凝らしたアピールがなされた。卓球部が舞台にテーブルを持ち込んで実演したり、演劇部が寸劇をしたりと、ただ見ている分には予想以上に面白く、各部のみなさんがこの説明会のために努力してきたのだろうというのがわかる。
これで、ちゃんと参加できていればな……。アカネも張り切って趣向を凝らしたヒーローショーを繰り広げただろうに。
……いや、それでいいのか? いいような、間違っているような。
自分の心に浮かぶ疑問から目を背けているうちに、すべての部活の説明が終わった。学校案内の部活紹介のページで確認してみたら、なんと参加していないのは我が戦隊ヒーロー部だけだった。
確かに、こりゃまずい。新入生どころか全校レベルで部の存在自体が知られていないかもしれん。
「仕方ない。やっぱりやるしかねえな、こりゃ」
小声でつぶやく。声に出すことによって自分の決意を新たにしたのだ。だって、そうでもしないと心折れそうだし。
各部活の説明、言い換えるならアピールタイムを終え、質問タイムに突入した。この時間は、新入生が自分の気になる部に直接質問をする時間だ。
「ここに、穴を見つけたの」
昨日、部室でアカネはその本……『生徒会規約集』のあるページを俺に見せて言った。
「ほらここ。部活説明会のところ。新入生から各部へ質問をする時間を設け、新入生が自分の入る部活を決めるための情報を支障なく得ることが出来るよう、生徒会員は努力しなければならない……わかる?」
大きな瞳を俺に向け、アカネは言う。試すようなその口調に、ついムキになって言った。
「ああ。各部への質問、とあるだけで説明会に参加している部に限らない、って言いたいんだろ? ……でもそれって揚げ足取りみたいなもんだぞ。相手の神経逆撫でするのは確実だと思うけどな」
俺の言葉にも、アカネは全く動じない。とっくに覚悟は決まっているのだ。
「規則なんだから、仕方ないでしょ? 規則を守るのが生徒を守ることだ、なんて言ってたしね」
俺はため息をつく。こうなったらコイツは止まらない、ってのはわかっていたが。
第一体育館に集まった新入生の中から、興味のある部活に質問をしたい者が挙手をする。指名されたら舞台に上がり、質問を受けた部の代表者が答える。要は、Q&Aのコーナーだ。これもかなりのアピールになるだろう。
質問タイムが始まってすぐに手を挙げていた俺は、十五人めでやっと指名された。他に挙手している者はもう居ない。つまり一番最後にされたわけだ。
それもそのはず、指名は生徒会長が行ない、マイク放送で舞台へと導かれるのだ。
彼女は俺が戦隊ヒーロー部の部員だと知っている。そんな奴の質問が、内容はどうあれ他の新入生のような、純粋に疑問を問いたい、というもののわけがないのだ。
「まあ、その通りなんだが……」
俺は床から立ちあがり、舞台へと向かう。横目でアカネを窺うと、さすがに不安そうな顔をしていた。
心配すんな。俺は人前に出るのが好きでも得意でもないし、積極性があるわけでもないが、仕事はキッチリとこなす男だ。サイン通りに送りバント、決めてやろうじゃないか。
「クラスと氏名を、お願いします」
「一年B組、杉田護です。 ……戦隊ヒーロー部にお聞きします」
俺の言葉に、司会役の佐倉会長の顔色が変わった。会場内の参加者たちにも若干のざわめきが。
「そのような部は、今回の説明会に参加していませんが?」
引っ込めこのやろう、という彼女の心の声がはっきりと伝わってくる。
「ええ。参加してないですが、関心のある部に質問して良い、との事だったので『戦隊ヒーロー部』がどんな部なのか聞きたかったんです」
極力ゆっくりと、言い返してやる。ここでビビったら負けだ。
その時、ザワついてきた会場内にディストーションギターとシンセブラスがユニゾンで奏でる、勇壮なイントロが流れた。
ジャッジャージャ、ジャッジャン! ジャージャ!
何事かと周囲を見回す会場内の人々。
音の出どころは、すっくと立ち上がった女生徒が手に持つモバイルスピーカー。
言うまでもなく、我が戦隊ヒーロー部の部長、平野朱音である。そしてスピーカーから流れるその曲は『Do! Do! 戦えカクトウジャー』だ。
小さなスピーカーのボリュームを最大にしているため若干音割れしているその曲は、かの番組のオープニングテーマ。
We can change! 熱い想いを胸に(Do Do!)
We must fight! 叩きつけろ拳を(Do Do!)
鍛え上げた心と体、その技を 今 解き放つ
「とーきーはーなつぅー」と、曲に合わせて歌いながら舞台へ走り出したアカネ。こいつ、いざとなると心臓強いな。
道! 道! 道! カクトウジャー チェンジ!
道! 道! 道! カクトウジャー ファイト!
会場内の全員が注目する中、とうっ、という声をあげて階段を駆け上がりポニーテールの新入生が舞台に立った。全員があっけにとられてしまって彼女を止められなかったのは果たして、幸か不幸か。
バサッと音を立てて赤いジャケットを制服の上から羽織ったアカネは、俺から受け取ったマイクに向けて言った。
「ただ今ご指名に預かりました、戦隊ヒーロー部です! 我々は現在、一緒に戦ってくれる仲間を募集しています! さて、戦隊ヒーロー部の具体的な活動内容ですが」
一気に言ってしまえとばかりにまくし立てるアカネを止めたのは、もう一本のマイクを持った生徒会長だ。
「そこまで! 規則を無視した勧誘活動は禁止します!」
「規則は守ってるわ! 新入生からの質問に答える時間でしょ今は! そこの冴えない顔した新入生が質問したからあたしは答えるの! みなさん! 戦隊ヒーロー部は」
「ええい、マイクを切りなさい!」
会長の強制終了。アカネの声は広い会場内に届かなくなった。
「横暴よ! 生徒会だからってあたし達の部活の邪魔する権利なんてないはずでしょ!」
モバイルスピーカーから流れるカクトウジャーの主題歌をBGMに、アカネが声を張り上げる。
「みなさん、アクシデントがありましたが今年度の部活説明会は以上で終了です。これからの高校生活を充実したものにするため、自分に合った部活を見つけてください。
……一応言っておきますが、今舞台の上で道理の通らないことを喚いているような部への参加は、やめておいた方が賢明と付け加えておきます」
「何ですって! ヘイトスピーチなんて生徒会長のする事なの! ……こら、離せ!」
舞台で数名に取り押さえられているアカネ。俺は抵抗の意思を示さなかったからか、放置されている。
「……こんな自作自演の三文芝居、規則の揚げ足取りをするような部は認めません、絶対に」
暴れるアカネから視線を外し、俺のことを横目で睨む会長。
あーあ。完全に嫌われたなこりゃ。
その後、俺たちは職員室へ連行され、教頭とか学年主任とか、その他もろもろの責任者の先生達に延々説教された。
その場には顧問としての監督不行届を咎められた稲田先生の姿もあった。不参加だからと会場に居なかったセンセーは連絡を受けて駆けつけた早々、こっぴどく怒られているという状況。すんません。
「……事情は、わかりました。確かに、勧誘活動の不利を憂いての行動であったのでしょう。また、我が校の基本理念として、生徒が部活動に励むのは良いことです」
一通りの事情聴取と説教が済んでから、教頭先生が言う。ベテランの女性教師だ。
「器物の破損や怪我人が出なかったことですし、生徒会がとったのも少々手荒な手段でした。諸々の事情を鑑みて今回は不問とします。ですが今後こういった問題行動があった際は、戦隊ヒーロー部は厳重な処分を検討します。よろしいですね?」
教頭が諭すような口調で告げる。要は、イエローカードだ。次はレッド。
生徒会長は何か言いたそうにしていたが、教頭の決定に逆らうつもりはないらしい。
隣のアカネは小さく安堵の息をはいたが、レッドカードを待つまでもないかも知れん。何しろ、今日の説明会で伝わった事といえば、だいぶイタイ新入生が戦隊ヒーロー部という怪しげな部活をやっているという事と、その部が生徒会にマークされているという事だけだ。よほどの物好きでなければ入部しようとは思わないだろう。
結果、俺たちの部は部員不足で廃部、という事になる。
「失礼します」
表向きは殊勝な顔で職員室を出る。
「先生、すみませんでした」
とばっちりを食わせてしまった顧問に頭を下げる。
「見損なったぞ。平野、杉田」
予想以上に怖い声で言われてしまった。
「お前たちのやろうとしているのは、何だ。ただの喧嘩か?」
「え」
「戦隊ヒーローっていうのは競技だろう? ルールに則った、正式な競技にお前らは参加しようとしている。そうだな?」
俺たちはうなずく。さすがにアカネも反省しているらしい顔つきだ。
「今日、お前らがしたことはこの部だけじゃなく、戦隊ヒーローという競技そのものの品位を汚す行為だ。あれを見て、お前らの活動がスポーツマンシップに則るようなものだとは、誰も思わないだろうな」
確かに。一番痛いところをつかれた。完全に俺たちは俯いてしまった。
「だがまあ」
と、口調を改めた先生。しかし本当にいい声だな。声だけは。
「お前らの気持ちはわかる。そして情熱もな。今後はそれを正しい方に向けるように。それと、これからは俺に事前に相談しろ。顧問なんだから……お前らの、味方なんだからな」
先生……! 顔を上げて見てしまうと、それは悪そうな笑顔を浮かべているヤンキー中年なのだが、でもこの時俺たちは稲田先生のことを心から信用した。
「すみませんでした、先生。ではさっそく相談なんですが、学校にテロリストが侵入して生徒を人質に取り、それをヒーロー部が救い出す、というショーをやりたいのですが。もちろんサプライズで」
「……それを、俺に相談するのか」
「ええ。ぜひテロリスト役をやっていただけないかと」
あっけらかんとした口調で言うアカネに稲田先生は深いため息をついた。
「反省してくれ、頼むから」
あんな騒ぎを起こしたせいで悪評だけは知れ渡った我が部は、好奇の目にさらされるばかりで入部希望者ゼロのまま翌週を迎え、現在こうして桜並木道での勧誘活動に勤しんでいるわけである。
予想通り、初日は収穫ゼロのまま日が暮れた。
カア、カア、と鳴くカラスが夕焼け空を飛んでいく。切ない。
「帰るか。もう下校時刻だ」
俺は言い、机と横断幕を片付け始めた。
「ねえマモ。明日はここでゲリラパフォーマンスしない? あたしがレッドで、アンタが怪人の着ぐるみでさ」
だからそういうのやめろって言ってんだろ。
うーんどうしよ。なんかやらないとまずいよねえと頭を抱える彼女を尻目に片付けを続ける。
「じゃあ俺、これ戻してくるから」
机と椅子を抱えて教室へと戻る俺を、
「うん、ありがと。待ってるね」
と、妙に殊勝な態度で見送る。夕焼けに照らされたその姿は、すこし寂しげで……まあ、新入部員が入らないから落ち込んでるだけなのはわかってるけど。
「さて。どうしたもんかな」
机を運ぶ俺は、途中一人の女子生徒とすれ違った。顔を半分近く隠す長い前髪と黒縁メガネの、絵に描いたような陰キャ。制服のリボンの色をつい確かめてしまう。紺色、つまり一年生だ。俺の視線に気付くと彼女は目をそらして逃げるように走り去った。いや怪しいものじゃ……怪しいか?
それにしても、こんな時間にまだ一年生が残ってるなんて。すでに部活に参加してるのかな。文化系ならありそうだ。
「ほんともう、誰でもいいから入ってくんないかな」
思わず独り言が出てしまう。今すれ違った女子でもいい、などと思いながら。
だが実際には、誰でもいい訳ではないのだ。競技としての戦隊ヒーローは実際に相手と戦う競技であり、ある程度の体力を必要とする。運動部のようなトレーニングも必要になるので、全くのインドア人間では戦力にならないのである。
だから、戦隊ヒーローの研究会と勘違いされたら困るのだ。
かと言って、普通の格闘技ではなく、わざわざヒーローに変身して戦いたい、という人間もそう多くいるわけではない。
要は興味と体力のどちらも必要な、人を選ぶ競技なのだ。だからずっと休部状態で、現在廃部へのカウントダウン中というわけだ。
「はあ……どうすっかな」
クラスメイトの中で、頼んだら入部してくれそうな奴は……、と考えても二中出身者はクラスに俺とアカネしかおらず、入学から二週間弱ではさほど親しくなった相手もいない。
アイツの熱意だけは本物だからな。なんとかしてやりたいけど……。
教室に机と椅子を戻し、アカネの待つ桜並木へ。
意外にもそこで待っていたのは一人ではなかった。
そして更に意外だったのは、
「マモ! 新入部員よ! この娘が入ってくれるって!」
大声で俺に報告するアカネ。見ると、彼女の隣でうつむいてモジモジとしているのは、先ほどすれ違った地味な女生徒だった。
「……おい、無理な勧誘はよせって言ったよな? 嫌々入ってもらっても続かないし、戦隊はチームワークが大事だからって」
正直に言って、気の弱そうな女子をアカネが強引に誘ったようにしか見えなかった。
「ちょっと、何言ってるのよ。ミキは自分からやりたいって言ってきたのよ」
最大限に意外だった。それが本当なら余程のアレだな、この娘。
「えっと、ミキさんっていうの? このうるさい女に力づくでつかまったんじゃない?」
ちょっとアンタ失礼すぎでしょ、というアカネの言葉はスルー。メガネのミキさんはうつむいて俺の方を見ないまま、ふるふると首を横に。
「……いえ、できれば……その、わたし……あの」
か細い声で必死に言う。身長はアカネより少し高いくらいか。長い前髪とメガネのせいで顔はよくわからないが色白の肌は運動と縁がなさそう。膝まで隠れた長いスカート、肩が落ちたブレザーの袖が手を半分くらいまで隠している。制服サイズでかくね? まだそんなに身長伸びる予定なの?
「こらーっ!」
アカネがカバンで俺の頭を思いっきりひっぱたいた。
「いてっ! お前それめちゃくちゃ痛ぇぞ! 教科書とかたくさん入ってんだろ!」
「今のは」
腕を組んで仁王立ちし、制服のサイズがでかい彼女の前に仁王立ちする。
「ミキの心の痛みと受け取りなさい! アンタ、クラスメイトの顔も覚えてないの? 一年B組出席番号一番、藍原実季」
言われて気づいた。そういやこの子、うちのクラスの隅っこの方に居たような気がする。
「ご……ごめん! 俺、人の顔とか覚えるの苦手で! それに入学してからコイツに部活のことであちこち引っ張りまわされたり何だかんだで忙しくてさ」
「言い訳すんな。男らしくない」
ピシャリと言う幼なじみ。はい、すみませんでした。
「で、でもさ。藍原さん、わかってる? 俺たちがやろうとしてるのって、本気で相手と戦う競技なんだよ。体力つける練習も必要になるし」
それは当然、言っておかなければならない事だ。勘違いして入部してもらっても戦力外ではお互いに不幸になるだけだし。
「ふふーん。馬鹿ねマモ。ちゃーんと確認済みよ」
ニヤリと笑った赤ジャケットの女はおもむろに俺の背後に回り込んだ。なんのつもりだと振り返ろうとした俺の背中に、アカネは強烈な蹴りをかましやがった!
「うわっ、とっ……!」
盛大によろけた俺の行き先には、上目遣いに黒縁メガネの瞳を向けてくる藍原さんが。
これはあれか? 物語の冒頭によくあるラッキースケベ的な……?
よからぬ事を考えてしまった俺の視界は、そのままぐるっと回転した。
背中に衝撃と痛み。俺の目は夕焼けから夜に変わろうとしている空を見ていた。
「な……」
「わかった? ミキはね、合気道の有段者なんだよ」
「へ、へえ……それは何とも優秀な人材だ」
きっと投げ方もうまいのだろう。ろくに受身も取れなかったが、怪我はしていないようだ。よろよろと立ち上がる俺に、おろおろと謝る藍原さん。
「あ……あの、ごめんなさい杉田くん。襲われると体が勝手に動いちゃうの……」
「いや襲ったわけじゃ……まあいいか。でもこれで、俺の失礼な発言はチャラにしてくれる?」
俺は立ち上がり、極力背中の痛みを悟られまいとして笑顔を向けた。待望の新入部員、しかも格闘技の有段者という逸材だ。
「よろしく。藍原さん」
握手の手を差し出す俺に、後ろから横槍が。この場合は後槍とでも言うのか(なわきゃない)。
「こらマモ、違うでしょ。仲間なんだからミキって呼びなさい。あたしたちは戦隊ヒーローなのよ。ミキも、コイツのことはマモでいいからね」
勝手に許可すんな。
「……ったく。じゃあ、よろしく……ミキ」
うわやべえ、意外と照れるな呼び捨て。アカネ相手ならなんとも思わんのに!
「は……はい! よろしくお願いします。マモ……くん」
おずおずと俺に頭を下げる。
「くんは要らなーい!」
アカネが俺の背中に再び飛び蹴り。そしてまた背中から地面に叩きつけられた。
「ご……ごめんなさいマモくん! 大丈夫ですか」
「いーのいーの。マモは頑丈なの昔っから。これからも好きなだけ投げ飛ばしていいから」
んな訳あるかふざけんなと言いつつ、いつの間にか俺は笑顔になっていた。夕暮れの校庭で、制服のまま仰向けになった体勢で。