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8)二人目の勇者、シュン



■■■ 二人目の勇者 ■■■


 ◇◇◇ イサワ シュン (井沢 俊) ◇◇◇



「俊、お前、あいつらには近づくなって、言っただろ」


 長沢雅也の口調は、自然ときつくなった。


 ――あいつらは、マジでやばいんだからな。

 バレなければ、殺人だって、平気でやる連中だ。


「判ってるけど・・。

 先輩、俺、もう、目ぇ付けられちゃって、拒絶できないんですよ」


「それは、お前が、ずるずる付いていくからだよ」


「付いていってるんじゃないんです。

 引っ張られていってるんです。首根っこ掴まれて・・」


「あー、もう、お前、引っ越した方がいいかもな」


「え~。今年、引っ越してきたばっかりなのに・・」


「それでも、死ぬよりマシだろ」


「いやいや、ムリだから!」

 俊は苦笑いして答えた。


 ――こいつ、危機感ないな・・。

 雅也はイライラしてきた。



 井沢俊は、今年3月に越してきた。新学期から新しい学校に通える時期に引っ越ししたらしい。

 引っ越してきた理由は、「親の都合」と俊は言っていた。


 俊の両親は、「離婚したばかり」だという。


 そんな家庭事情があるくせに、明るくて、なつっこい、小柄な後輩だ。

 雅也がキャプテンを務めるハンドボール部に入ってきた。


 俊は、前の学校のハンドボール部ではメンバーだったと言っていた。たしかに、運動神経はかなり良い。跳躍力はあるし、足が速い。持久力、瞬発力、ともに優れているようだ。

 小柄だけど、パスが上手く、戦力になっている。

 部のみんなは、「こいつは、ちっせぇ大型新人だな」と期待してる。


 ――でも、あいつらに目を付けられちまうとはなぁ・・。


 あいつらとは、緒方洋たち、タチの悪いDQNグループだ。



◇◇◇◇◇



 緒方洋の、俊への執着は、日増しに酷くなっていった。

 しじゅう付け回し、呼び出し、付きまとっている。


 ――なんでだろう。

 と、雅也は不思議に思った。


 俊は、チンピラタイプじゃない。明るい性格だが、根は真面目だ。

 DQNと気が合うとは思えない。


「なぁ、俊、お前、ホントに引っ越した方がいいぞ」

 部活のあと、着替えながら、雅也は俊に言う。

 もう、何度目か判らないくらい、同じ忠告をしている。


「でも・・行くところないから・・」


「たしか、離婚したんだろ、お前の両親。

 お母さんと暮らしてるんだっけ?

 そうしたら、お父さんのところに、しばらく避難させてもらえばいいんじゃないか」


「うちの両親が離婚したの、父さんの浮気が原因」


「マジか・・」


「そんで、母さんに暴力ふるったとか・・」


「わりぃこと聞いちゃったな」


「いや、ぜんぜん。

 父さん、俺らには、良いひとだったから・・。

 休みには、いつも、遊びに連れてってくれたりして」


「ふうん・・」



 ――最初は、信じられなかった。だから、よけいショックだった。

 でも、母さんから聞いた。

 父さんの愛人から、しじゅう、電話が来てたこと。

 俺がたまたま、電話に出たとき、本当にかかってきてたのには、驚いたっけ・・。


 それから、父さんに殴られた、母さんの痣。

 口の横のところ。紫になってた。

 妹の美優からも、その話を聞いた。美優は、「お父さんが、お母さんのこと、ぶってた」と泣いていた。


 ――ぜったい、許せない。父のところになんか、いけるわけない・・。

 あるいは、祖父ちゃんのところ、か。

 う~ん・・。祖父ちゃん、よぼよぼだし、叔父さん家族と同居だし。

 ムリだよな。



◇◇◇◇◇



 緒方洋には「犯罪歴がある」と聞いてから、俊は、さすがに本気で、緒方たちを避け始めた。

 単に、補導歴があるくらいだろう、と考えていたのだが、甘かった。


 雅也先輩に紹介してもらったOBからの話だ。


『あいつら、強姦とか、傷害とか、マジで、前科がある。俺の知ってるやつの妹が、やられたんだから、本当だ。

 でも、のらりくらり、逃げてるんだ』


 背筋が寒くなった。


 ――もう、これからは、ぜったい、近づかねぇぞ。


 固く心に誓った。



 その明くる日。


「なんで来なかった」


 俊は、部活の帰り、緒方たちに横道に引き摺り混まれた。


「部活だったし」


「うるせぇっ、んなもん、理由になっかよ」


「でも・・」


 緒方洋の拳が俊の頬に飛んできた。

 1発、2発、3発。

 3発目は、腹に来た。


 蹲る俊に、「お前、償え」と緒方が言う。


「え・・?」


「あそこに、ガキが居るだろ」


 緒方洋の指さすところに、ハンドボール部の1年が歩いていた。

 大人しい部員だ。

 俊は、口を利いたこともない。


「あいつから、小遣い、貰ってこい」


「そんなこと、出来ない」


「償えって、言ってんだろっ。

 貰って来い」


「出来ない」


「口答え、すんなっ」



 それから、俊は、ボコボコにされた。



◇◇◇◇◇



 ――殺されるかもしれない・・。


 俊は、あれから、毎日、怯え暮らしていた。


 母には言えない。

 引っ越した先の新しい職場で、夜遅くまで働いて、俊と弟妹たちを養ってくれている母に、「また、引っ越そう」なんて、言えない。

 学校にも言えない。

 言っても、無駄だと、とうに知ってる。

 一度、相談したら、

「他の学校の生徒までは干渉できないので、よほど酷かったら、警察に相談した方がいいな」

 と言われた。


 ――つまり、「なにも出来ない」って、言われたようなもんだよな。


 緒方洋たちは、私立高校に在籍してるらしい。

 マジメに通っているとはとても思えないが。

 とにかく余所の生徒の動向までは、知らない、ということだ。


 ――じゃぁ、俺、どうしたらいいんだろう。


 その日は、隣の市で遠征試合があり、帰りが遅くなった。

 まだ8時少し前だったのだが、冬期で日の暮れるのが早かったせいもあり、学校で解散したとき、辺りは真っ暗だった。


 俊は、緒方らに見つからないことを祈りながら、足早に学校を出た。

 学校まで親が迎えに来ている部員もちらほら居た。雪がちらつく寒い日だったからだろう。自転車通学の生徒は、自転車を飛ばして帰っている。

 俊は、他の徒歩の生徒と途中まで一緒だったが、間もなくひとりになった。


 ――さぶい・・。早く帰ろう。


 街灯の少ない横道に入ったとたん、誰かに腕を掴まれた。


「よう、俊」


 ――洋だ・・。ついてねぇ・・。


「ちょうどいいや。遊びに行こうぜ」


「お、俺、ちょっと・・」


「なんだって?」


 緒方洋と、仲間というより子分みたいな西本、それに香山と、揃い組だ。

 抵抗できるわけがない。

 洋の女の小西と、いつも連んでいるユカと呼ばれている女も居た。


 俊は、こんな連中と連むのが、以前は、「悪くない」と思っていた自分を呪った。


 ゲーセンの方へ行くのだろう。いつもの路を歩く緒方洋の後ろの方から付いていくと、ふと、すぐ横に人が居た。


 ――先輩・・。


 雅也は、俊の方を向いて、人差し指を唇に当てる。

 知らぬフリをしろということなのだろう。

 横道から角を曲がるところで、雅也は、俊の腕を掴んで、

「走れっ」と、小さく言った。


 俊は、雅也と共に、掛けだした。



◇◇◇◇◇



「先輩、先輩っ。

 雅也先輩っ」


 俊は、ぐったりとした雅也に取りすがって名を呼んだ。

 路地裏で転びそうになった俊を雅也がかばっているうちに、洋たちに捕まったのは、ほんの5分前のことだった。

 その5分の間に、雅也は洋たちに、さんざんに打ちのめされた。

 逆らおうとした、そんな理由で。


「俊、来い」

 気が済むまで雅也を殴り終えた洋が俊の腕をつかんだ。


「先輩を、助けてください」


 雅也は、先ほどから、ぴくりとも動かなくなっていた。


「いいから、来い」


「お願いですから、救急車を呼んでくださいっ」


「るっせー、騒ぐなっ」


 俊は、洋たちに引き立てられ、引きずられるように河原へ連れて行かれた。



 真冬の河。


 歯がカチカチ言う。

 震えが止まらない。


 俊は、服を脱がされ、下着一枚で、泳がされていた。


 緒方洋が、俊の携帯を取り上げ、川に放り投げ、

「あれを見つけたら、救急車を呼んでもいい」

 と言ったから。


 何度も川に潜った。

 緒方洋が携帯を放った辺りを目掛けて。

 何度も。何度も潜った。

 ようやく見つけた。

 俊の携帯は、防水機能が付いてた。

 急いで、救急に連絡しようとした。


 川の水で足を濡らしながら緒方洋が近づいてくる。

 かじかんだ手が震えて、携帯がうまく操作できない。

 緒方洋が、割れたビール瓶を持ち替えたのが、視線の端に見えた。

 俊は、ようやく、119番を押した。


「もしも・・」と言いかけたとき、洋の手が動いた。

 洋は、俊の顔を、割れた瓶で殴りつけてきた。

 俊は、咄嗟に避けようとしたが、凍え強ばった体は上手く動けない。

 鋭いガラスの切っ先が、頬や顎を抉る。


 左顔側面下部に、しびれるような、熱いような、感覚があった。


 遠くから、

「おいっ、なにやってるっ」

 と、ひとの声がした。



 サークルの帰りに川辺を歩いていた大学生グループが、俊たちを見つけ、駆けつけてくれた。おかげで助かったと、後から知った。



◇◇◇◇◇



 先輩は、死んだ。


 通行人が呼んでくれた救急車が到着したときには、もう、息がなかった。


 緒方洋は、捕まった。

 でも、未成年だから、罪には問われない。


 緒方洋は、反省している、と言う。


 「反省してます」って言うだけで、罪が軽くなるなら、いくらでも言うさ。


 先輩は、殺された。

 その罪は、誰が償う?


 先輩を殺したのは、罪ではないのか。


 顔中、体中、殴られ、蹴られ、死んだのに。


 あれは、罪じゃないのか?


 やったやつらは、罪に問われない。未成年だから。


 ――俺も、それに荷担したようなものだ。

 俺のせいで、先輩は死んだ。

 俺が、殺したようなものだ。


 ――そんな風に思っても、なんにもならない。

 先輩は戻ってこない。

 あいつらは、死刑にならない。


 ――俺がどんなに苦しんでも。

 なにもできない。なにも変わらない。

 わかってる。

 わかってる。わかってる。


 ――でも、苦しみは終わらない。

 先輩の笑顔や、声。

 思い浮かぶ。


 ――苦しい・・。


 俺、どうして、あのとき、死ななかったんだろう。



◇◇◇◇◇



 半年後。


 ――母が、俺を、「昆虫採集教室」に放り込んだのは、居ると邪魔だからだろうなぁ。


 暗い顔して、ぼぅっとしてる長男。

 狭い住まいに居たら鬱陶しいに決まってる。


 ――でも、他に居場所ないし。どこか他の居場所を探すのもめんどい。


 母親が申し込んだという、「昆虫採集教室キャンプ」。

 母が、しつこく行けっていうから、行くことにした。

 あれから半年が過ぎ、左頬と顎の辺りに醜い傷跡は残ったが、傷自体はほとんど治った。


 ――・・あんなに酷かったのにな。バックリ切れてたのに。

 よくも治ったな、と我ながら思う。

 頬の傷跡は細く目立たないが、耳の下辺りから顎にかけてミミズが這ってるような傷跡が赤黒く残っている。ギザギザに割れた瓶が凶器だったために、幾重にも傷がつけられた。それでも、とにかく、ふさがってる。


 母は、俊のことを気遣っている。「腫れ物に触る」という言葉がそのまま当てはまるような気遣い方だ。


 俊は、あれから、あらゆる気力を失っていた。

 生きる気力も。死ぬ気力もない。

 食欲もまったく無い。

 顔からげっそりと肉が消え、人相も変わった。

 たぶん、昔の知り合いが見ても、俊だと判らない。


 母がうるさく言うので、食事をするけれど、言われなければ食べない。


 まるで、廃人のようだ。と、俊は周りの大人から思われている――けれど、本人は、そんなことにも気付かないし、なんとも感じていなかった。


 ――この世界は、生きるに値する世界なんだろうか。


 俊の頭を占めているのは、そんな疑問だけだった。



 昆虫採集教室は、思ったより大人が多かった。3割くらい大人・・というか、爺さん。

 昆虫標本が趣味、という隠居老人みたいな年寄り。

 あとは、小学生が6割。

 それに、引率の先生・・プラス、俊。

 中学生は、俊がひとり。


 俊は小柄なので、小学生に混じっても違和感がないが、背が高かったら、少々、気恥ずかしかったかもしれない。

 けれど、俊は、なにも気にする様子もなく、ただ、無表情で、視点も定まらぬ様子で、じっと佇んでいた。


 指示されれば動くけれど、自分からは動こうとも、喋ろうともしなかった。


 顔の傷を隠すために付けているマスクの意味を知っている人間は、昆虫採集教室には居ない。


『昆虫採集教室のひとには、俺の過去のこと、言わないで』


 母親に、この教室に行けと言われたさい、俊が出した条件は、それだけだった。


 気遣われると、腹が立つから。と、俊は母親に言った。



◇◇◇◇◇



 エルナート国。王宮地下。招喚の間。


 石の床には魔方陣が描かれていた。


 見渡すと部屋の奥は薄暗く陰気だ。古びて広々とした広間。壁に等間隔に設けられた魔道具の照明が古風な淡い黄色の光を投げかけている。


 長四角形の広間は、奥のスペースに椅子が並べられ、観客席になっている。身なりの良い12人の観客が腰を下ろしていた。

 観客スペースは結界が張られ、よく見ると淡い光の幕に覆われているのが判る。


 観客席以外には、円柱の石の柱のほか、なにも置かれていない。

 床には直径4メートルほどの魔方陣が描かれている。

 魔方陣は、黒いローブをまとった20人の男女に囲まれていた。


 ひとりの魔導師が杖を挙げる。


 広間に緊張がみなぎった。


 魔導師は、杖を柔らかな仕草で魔方陣の真ん中に向け、

「始める」

 と宣言した。



◇◇◇◇◇



 招喚の儀式が始まり、一時間が過ぎた。


 魔方陣は、黒い靄に包まれている。

 その靄の黒さ、禍々しさが、広間に居る者たちを焦らせていた。


 ――これは、失敗か・・。


 だれもが落胆していた・・いや、落胆しているのは観客席の面々だ。

 魔導師たちは、すでに、失敗した招喚の儀式を収束させるため準備に入っていた。呪文を唱え始めている。

 黒い靄の禍々しさは、招喚されたものが、世界を救う勇者ではないことをすでに証明している。

 それでも、招喚の儀式は、最後まで終わらせなければならない。中途半端な中断は、大量の魔力を暴走させる。少なくとも、1キロ四方は灰燼と化す。

 儀式が終わった瞬間に、手を打たなければならない。


「来る!」

 リーダー格の魔導師が警告を発した、その瞬間。

 魔方陣から、赤黒い何かが、爆発したように吹き出てきた。


 20人の魔導師が、一斉に個々が持っている最大級の攻撃魔法を掲げた杖から放った。

 一瞬、広間は、炎と光に包まれた。


 光と炎と煙が治まった後、魔方陣は、煤に覆われていた。

 儀式の収束は、一応、成功したように見えた。けれど、よく見ると、石の床には、赤黒い肉片が散らばっており、肉片の欠片の上に倒れ込んだ魔導師の手や顔、足に異変が現れ始めていた。

 素肌が、肉片と同じ色の赤黒いシミに冒され始めている。


「これは、死病の肉片だ・・」

「落ち着け、浄化と癒やしの魔法を・・」

「ヒールが効かない! 効かないぞ」

「キャアァァア、助けて、私の手が」

「か、顔が、顔が・・助けてくれ」

「ヒーラーを呼べ」

「重い死病だ! 儀式の魔導師たちは魔力が枯渇しかかっている、癒やしが効かない。

 ヒーラーを!」


 待機していたヒーラーが駆けつけ、死病の欠片を浄化し、魔導師たちの治療を始めた。



◇◇◇◇◇



 ひと月後。



 大理石の廊下を、黒髪の青年と、金色の髪の青年が歩いている。

 どちらも背はすらりと高い。金色の髪の青年は10代後半。黒髪の青年は20代の始めころの年に見える。

 青みがかった黒髪の青年は疲れた顔をしていた。癖のある髪がぼさぼさと顔にかかっている。


 金髪の青年は端正な顔立ちをしており、品が良い。どこか尊大な雰囲気もある。身なりも良かった。

 黒髪の青年はローブを着用、顔つきも魔導師らしく悠然としている。ふだんは、彼の表情は意外と朗らかなのだが、今は陰気だ。


「今度はうまくいきそうか?」

 トラヴィス王弟殿下は、魔導師アロンゾにたずねた。

 王弟の声には、いささか、うんざりしたような声音が感じられた。

「はい、うまくいくと思われます。星の配置が良いので」

 アロンゾは淡々と応えた。

 ――前回も「星の配置が良い」と言っていたではないか。

 と、トラヴィス殿下は思ったが、会話を続けるのも面倒になり、口をつぐんだ。

 アロンゾの方では、「急かすだけの連中は気楽で良いな」と密かに考えていた。もちろん、そんなことはおくびにも出さない。


 代々、王家に仕えているような従者ならいざ知らす、腕を買われて引き抜かれた魔導師には、王家に対する忠誠心も尊敬心も希薄だ。

 実のところ、アロンゾは、魔導師のサラブレッドではない。


 代々、王家お抱え魔導師の筆頭は、ホーデン家が勤めていた。

 ホーデン家こそ、魔導師界のサラブレッドだった。


 ホーデン家が王家に仕える役割は、「優れた魔導師の血筋を途絶えさせないこと」、「秘匿されている招喚の儀式の技術を継承すること」。


 この度の勇者招喚も、当初、ホーデン家当主フェリア・ホーデンが中心となって勤めていた。

 しかしながら、勇者の招喚儀式の最中、事故が相次ぎ、フェリアが死亡、さらに、フェリアの甥のジョシュアが重症。姪のアイリスも治療の甲斐無く死亡。

 フェリアのいちばん弟子のカールが廃人となり、おはちが回ってきたのがアロンゾだった。

 正直、アロンゾは、遣りたくない。

 断れるものなら逃げ出したいくらいだが、今さら任務放棄をさせてもらえる立場ではない。

 すでに再度の勇者招喚の準備は済ませてある。

 儀式は、夜を待って行うことになっており、間もなく予定していた時刻だった。



 招喚の間は、王宮の地下にある。地下入り口から広間へ通じる廊下を歩く。魔道具の青白い灯りに照らされた大理石の床、白い壁、高い天井が、招喚の儀式の間へと続いていた。

 アロンゾは重い鉄扉を開けた。


 広間は殺風景だった。装飾は邪魔になるため極力抑えられている。

 広さだけは無駄にある。天井は、円柱の柱で支えられていた。

 部屋中央の魔方陣が禍々しい。

 魔方陣の隅には、それぞれ、赤、青、緑、黄色の魔石が置かれている。

 この魔石を用意するために途方も無い手間がかかっている。

 この魔石の質が、勇者招喚の成否に関わる。


 魔導師フェリアが亡くなったのは、魔石に問題があったことを、アロンゾは思い返し、一瞬、眉をひそめた。

 フェリアは、穏やかで聡明な優れた魔導師だった。宮廷魔導師ながら驕ったところのない人格者でもあった。


 事故の直接的な原因が、魔石の質にあったとしても、「それで、やれ」と命じた者の責任は大きいだろう。

 命じた者とは、今、自分の傍らに居る王弟と宮廷の高級官吏たち、貴族どもに他ならない。


 アロンゾは、雑念を心から締め出し、魔方陣の前に立った。



 儀式は始まった。


 魔法の詠唱を始めてしまえば、招喚の儀式が完了するまで、魔力を注ぎ続ければ良い。

 緊張状態が、1時間、2時間と続くにつれ、覚醒していく意識と、疲労していく意識と、ふたつの相反する意識が自分の中にあることを感じる。


 それら表層意識とともに、無意識の領域が自分の内側にある。


 魔法を完成させるために必要なのは、本当は「無意識なる意識」であることを、アロンゾは気付いている。そうでなければ、超一流の魔導師になることは出来ない。


 ――今回は、成功するかもしれない。


 かすかな直感が告げる。

 魔石の質が以前よりマシだったのか。あるいは、なにか、他の要因か?

 呼び出しに応じた勇者の魂が、たまたま、優れていたのかもしれない。


 招喚する勇者を、厳密に選ぶことは出来ない。

 「条件付け」が出来るだけだ。

 条件に合うものが、招喚のための魔方陣に引き寄せられてくる。


 ・・それも、儀式に必要な魔石が招喚に相応しい質のものであれば、の話だ。

 魔石の質が相応しくなければ、なにが出てくるか判らない。


 さらに成否に関わるのは、超自然的な力と、星回り。

 どうしても、「偶然」という要素が絡んでくる。


 たとえていえば、なにも見えない靄の中に、マジックハンドを差し込んで、目指す宝を掴んでくるようなもの。そのマジックハンドには、特別な磁石が仕込んであり、こちらが欲しい宝を引き寄せることができる。


 その「磁石」が、つまり招喚のさいに付与する「条件」にあたる。


 強い生命力を持つ者。

 強い魔力を持つ者。

 強い運を持つ者。

 強靱な身体を持つ者。

 強い心を持つ者。


 勇者よ、来たれ! と。

 招喚の魔法を行うことで、相応しい者が、引き寄せられてくる。

 ・・はずだった・・。


 フェリアが失敗した招喚の儀式では、招喚されたのは、腐った肉片だった。

 しかも、正体不明の壊疽の病に冒された肉片が大量に降り注がれ、フェリア以下、数名の魔導師たちが、悪質な壊疽毒に罹患し、治癒魔法も間に合わず、亡くなってしまった。まるで悪魔が作ったような強烈で悪質な壊疽毒だった。


 招喚の儀式は、その後も、失敗が続いた。

 腐った肉片の次は、世にも醜いイボだらけの怪人。

 スライムに似たヘドロのような魔物。


 あり得ないモノばかりが魔方陣に現れる。

 貴重な魔導師たちが、次々と使い物にならなくなった。


 そこで、招喚の際につける条件が変更されることとなった。


 招喚のための準備に多大な協力をしたリヒテン伯爵夫人が提案し、王家も、それを受け入れることにした。


 関係者らは、喧々囂々の話し合いの末、条件の変更を決めた。


 招喚の条件は、増やすことは簡単にはできない。より強い魔石をより多く用意しなければならなくなる。

 今の国力では不可能だ。

 ゆえに、付け足し、ではなく、変更となった。


 「強い心を持つ者」という条件を削った。

 強い生命力や、強い魔力などを持っていれば、心も当然、強いであろう、と考え、削った。


 代わりに付け足された条件は、


『この世で最も美しい勇者』


 だった。


 魔方陣が、ひときわ輝き始めた。


 ――今度こそ・・。


 招喚の間の、結界が張られた安全地帯では、王弟らが固唾をのんで見守っている。


 魔方陣の中央に、ひとつの影が現れた。



◇◇◇◇◇



 昆虫採集教室、3日目。


 教室室長、大牟田先生、一押しのキアゲハは、まだだれも見つけていなかった。


「今日は、見つけられると、いいですねぇ」


 大牟田が、おっさんの割に無邪気な微笑みを浮かべて言う。

 いつものように、昆虫たちの素晴らしさを延々と喋る。

 本人は、「説明」のつもりなのかもしれないが、シュンにとっては、まるで、選挙演説のように感じられる。『キアゲハに清き一票を・・』みたいな。大牟田の熱弁が続く。


 ――そんなに、キアゲハが見たいのか。


 ふいに、「自分も見てみたいな・・」と思った。


 そんな風に、自分からなにかを望んだのは、久しぶりだった。


 「過去に戻りたい」、「あの事件をなかったことにしたい」、と願ったことは、数知れずあるけれど。


 それ以外のことに、想いを向けたことは、なかった。

 もう、以前の自分には、二度と戻れないと知っていた。


 それなのに。


 ――もしも、キアゲハが見れたら、先輩にも見せてあげたい。

 そんな風に、思ってしまった。


 そんなこと、出来やしないのに。

 自分が、どんなに綺麗なものを見ても、珍しい体験をしても、先輩は、もう、なにも見られない、出来ない。未来を奪われたのだから。


 ――俺のせいで。


 それなのに。自分が幸せになることは、許されない。綺麗なものを見たり、外国に行って見知らぬ街を歩いたり。それを楽しんだり、感動したり・・。

 そんなことは、許されない。


 そう思っていたのに、キアゲハを見てみたいと思った。


 ――やっぱり、見たらダメだ。キアゲハなんて、見つけなければいい。

 そもそも、来やしないよ、俺のそばになんて・・。


 シュンは、虫取り網を担いで、平原に散らばる子供らの群れの中を歩いていた。

 楽しげな小学生たちの中に居て、ひとり、浮いていた。


 微笑むこともなく、興味深げに虫たちに目をやることもなく。

 ただ闇雲に歩いているうちに、近くには、誰も居なくなっていた。


「森の奥には入ったらダメだよ」

 後ろの方から、引率のオトナたちの声がする。


 ――まだ奥っていうほど、奥じゃないのに。


 イライラしてきた。

 以前は、どちらかというと、穏やかな少年だった。

 それが、今では、すぐにキレるようになってしまった。


 自分でも気が付いているけれど、抑えられない。


 そのとき。

 視野の端に、金色に光る、なにかが見えた。


 視線を巡らせると、幻のように美しい蝶が舞っていた。

 艶やかな黄色い羽に黒い文様が、ひらりと木漏れ日の中で漂っている。


 ――キアゲハ・・?


「・・綺麗だ・・」

 俊は、思わず呟いていた。


 ――なんて綺麗なんだろう。


 森の緑を背景に、ふわりと、浮かぶように、舞うように飛ぶキアゲハは、精霊じみている。

 幻想的な光景に、目を奪われる。


 ――俺なんか、感動したらいけないのに。罪人には、感動する権利はないのに・・。

 なんで、こんな綺麗なものを見せるんだろう。


 ――神さまは、おかしいよな。

 目から熱いものが流れ、頬を濡らしていく。


 ――汚く醜く残酷な世界に、こんな綺麗なものが居るんだな・・。


 ・・と、辺りが、ぐらりと揺れた。


 ――地震・・?


 視野が歪む。

 周りの光景が、森が、ツタも草も、ぐにゃりと崩れていく。

 絵の具で描かれた光景が、水に浸され、とろけていくように。


 ――なに? これ・・。


 俊は、見た。


 金色に輝く蝶が、自分に向かって、吸い寄せられるように、飛んでくるのを。


 ――蝶が・・。

 キアゲハ、危ないよ、逃げろ。

 俊は、とっさに、話しかけようとした・・でも、声が出ない。


 蝶を庇おうと、手を伸ばす。・・と、声が聞こえた。


『俊・・』


 ――・・蝶が喋った・・?


『俊、危ない!』


 ぐにゃりと揺れる視界の中で、俊は、自分の身体も、ぐにゃりと崩れていくのを感じた。


 ――・・助け・・て。


『俊!』


 蝶が、俊の胸元に飛び込んできたのを、遠退く意識の中で感じた。



◇◇◇◇◇



 招喚の魔方陣の真ん中で揺らいでいた影がはっきりとした形を取り始め、燦々と輝いていた魔力が落ち着き始めた。


 リヒテン伯爵夫人が身を乗り出した。


 広間に居るだれもが思った。


 ――この世で最も美しい・・勇者?


 魔方陣の中央に立っている少年は、たしかに、可愛らしい顔をしている。

 けれど、この世で最も美しいか? と問われれば、違うような気がする。


 小柄なほっそりとした身体は、均整がとれている。

 黒髪はきちんと刈られ、見苦しくはない。

 服は、少々変わって居る。生地は綿だろう。丸首のシャツだ。変わった文様が背中と胸元に描かれている。奇妙な柄だが、芸術的・・と言えなくも無い。面白い服だ。

 それに、ごわごわとした藍色のズボンを履いている。

 靴も奇妙だ。黒い布地の靴、靴底は白く分厚く紺の線が入っており、紐で足の甲に縛り付けてあるようだ。


 少年の黒い瞳は、大きく見開かれていた。

 その様子を見ていた王弟は、

 ――ずいぶん、年若い子が来たな。

 と残念に思った。

 こんな小さな子供では、魔王と対決するまでに成長するためには、何年もかかってしまいそうだ。


 しかし、とりあえず、肉片やスライムよりもマシなことは間違いない。


「可愛らしい子で良かったわ」

 隣のリヒテン伯爵夫人が鷹揚に言う。

 王弟が黙っていると、

「そのようですな」

 右隣の高官が代わりに応えた。

 王弟は、

「準備を進めろ」と、臣下に命じた。


 勇者候補のもとへ騎士と官吏たちが歩みよる。

 魔方陣の傍らには、任務を終えた魔導師たちが、力尽き、ぐったりと跪いていた。



◇◇◇◇◇



 そこは、薄暗い、石畳の部屋だった。


 シュンは、目覚めても、なお、自分が「異質な何か」になったような気がして、意識は混乱したままだった。


 目を見開いても、夢なのか、現実なのか、判別がつかない。


 ――俺、どうしちゃったんだろう・・。

 死んだのかな。


 死んでもいいけど・・。


 ――蝶は、助かったんだろうか・・。


 あのとき、自分の胸元に、蝶が飛び込んできたような気がした。


 シュンは、うつむいて、自分の胸元に視線を落とした。


 ふと気付くと、かすかに聞こえてくる・・。


『シュン・・』


 ――声・・。あの声だ。キアゲハの声・・。


『シュン、気をつけろ』


 ――気を・・つけろ?


『悪意を、感じる。周りの人々の中に・・混じっている・・』


 シュンは、ぎょっとして、顔を上げようとした。


『シュン、そんな表情で連中を見たら、警戒される。

 まず、落ち着いた方がいい・・。

 彼らは、なにか、変だ。

 だから、気をつけろ・・』


 ――どうやって?


『わざわざシュンをここに連れてきたのだから、なにか、用事があるんだろう。

 彼らの言うことを、とりあえず、聞いて・・。

 それから・・。

 返事がしづらかったら、正直に、「今は、うまく考えられないので、落ち着いてから答える」と、言ったらどうだろう?』


 キアゲハは、少し、自信なげに言った。


 ――・・そうだね、そうする。


 シュンは、キアゲハの忠告を聞くことにした。



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