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7)逃走


 ディアギレフ領は広い。

 結界が張られた場所は、ディアギレフ領の中心と、その周囲のみであり、広大な領地の1割にも満たない。


 結界の張られた外から見ただけでは、町の中心の詳細は知ることは出来なかったが、のどかな町に見えた。

 結界の中で、オークや賊による殺戮行為が行われたようには見えなかった。

 瘴気や怨嗟、恐怖のようなものも感じられなかった。

 子供の顔に影もなかったし、母親の表情は、結界の外の人間達を警戒しているようではあったが、ふたりとも痩せている様子もなかった。


 ――ディアギレフ領は、元々、領民の数が少なかったんじゃないかしら。


 国からの支援が無くなったのは、本当かもしれない。

 愚王なら、やりかねないのだから。

 凶暴なオークの亜種を始末するには、男たちの手が必要だろう。

 支援がなければ、領地の畑を耕す人手が足りないままに、オーク退治に追われ、領民の生活に支障が出たのかもしれない。

 やむなく、オークの間引きが出来なくなり、増えすぎたオークから領地と領民を護るために、結界を張った――そういうことなんじゃないか。


 そこへ、グレブがしゃしゃり出てきた。


 ――私が、あいつの言う通りに結界を壊したら、どうなっただろう?


 おそらく、結界を失ったディアギレフ領は、オークの群れの被害に遭う。


 ――グレブは、弱ったディアギレフ領を襲い、手に入れる積もりだったのかもしれない。

 ただの推測だけれど。


 ――グレブの奴には、私に命令する権利はない。


 ハルカは、30分ほど馬を走らせ、一旦止めた。

 オークの群れの動きが感じられた。


 ――馬は要らなかったかしら。

 そうすれば、転移で帰れたのだから。


 オークがわんさか居るところに、馬を置いていくわけにもいかない。


 ――それに、オークの群れを放っておくのも、マズイかな。


 エルナートの地理は知らないが、グレブは、ディアギレフ領に手を出してくるくらいだから、きっと、すぐ隣の領地なのだろう。

 グレブの領地なら、オークの群れが襲っても、かまわないような気がした。

 けれど、領主はクズでも、領民には罪はないだろう。


 ――迷うわね。


 ハルカを追う影が、ずっと、遠巻きに付いて来ていることを、ハルカは気付いていた。


 ディアギレフの町の結界から離れてすぐは、ふたつの影がついていた。

 ふたつのうち、ひとつは、間もなく離れていった。

 おそらく、ディアギレフからの索敵だったのだろう。

 忠告を聞いてくれたのだ。


 ハルカは、休憩しながら考えることにした。

 それに、お腹も空いていた。

 ケチなグレブは、朝食に茶と小さな焼き菓子をふたつほどしか、用意してくれなかった。

 グレブの屋敷から、ディアギレフ領までは、馬で1時間ほどもかかっていた。

 オークの群れを警戒しながらなので、余計にかかったのだろう。オークが襲ってくる度に、護衛の従者たちはハルカを頼り、

「勇者どの、敵襲ですっ」

 と言ってくるので、いちいち、ドゥルガーを振って一掃してやった。

 あんたらは仕事しないのかよ・・と思ったが、ハルカがやった方が早いので、始末していた。

 彼らは、ハルカのことは、まるで「動く機関銃」扱いで、人間だと思っていないような態度だった。


 ――クレオ師匠たちのために、エルナートは護らなきゃと思ってたけど、グレブみたなのは、護る気がおこらないわね。

 私、別に、聖人君子じゃないんだもの。

 給料ももらってないし、私、なんでここに居るんだろ。


 アイリスとダンジョンで稼いでいたので、お金には困っていない。

 けれど・・。


 ――王宮では、勇者見習いは、超安月給なんだろうか。


 半年も経って、今さらだが、お小遣い程度しか、金は貰っていなかった。

 王宮で衣食住はまかなわれていたので、ほとんど金など遣う機会はなかったけれど。


 ――それなのに、こんな変な仕事までやらされるなんて、おかしいわよね。

 そもそも、「王宮のどこ」からこんな依頼が来るんだろう。


 ハルカは、山鳥を3羽ほど捕まえた。

 首を切り落とし、逆さにする。水魔法で血液を操作し念入りに血を抜く。

 風魔法で羽をむしり、切り裂き、内蔵を取り出す。

 浄化をかけてから、焼き始めた。


 炎魔法で焼いても良かったけれど、急ぐ旅でもない。

 のんびり焚き火で焼いた。


 ――醤油をかけたいな。

 と思いながら、袋から塩を取り出す。

 サバイバルグッズの中にいつも入れてある調味料・・塩。


 ――今度、コショウも手に入れたいな。


 鳥の下ごしらえを教えてくれたのは侍女のエリザだ。

 アイリス師匠とダンジョンに潜るようになり、昼飯をダンジョンで自給自足する場面が増えたので、聞いたら教えてくれた。


 ――血抜きした肉と、血抜きしなかった肉の味に、あれほど差があるとは思わなかったわよね。


 山鳥の丸焼きは美味しかった。


◇◇◇


 ハルカがのん気に鳥の丸焼きを平らげているころ。


 グレブのもとに、20人ほどの傭兵の群れが集っていた。


「黒髪の女の馬は、領地を抜ける街道を真っ直ぐ進んでいやす。

 今は、森を抜けてすぐの、川の手前で、火を焚いています。

 おそらく、飯を食ってるようでさ」


 グレブは、傭兵の索敵からの報せを聞き、

「のんびり進んでるようだったら、すぐに追いつけるな。

 例のやつを、ぶっかけてやれ」

 傭兵の頭に命じた。


「判りやした」


 傭兵どもが、馬で発つのと入れ違いに、ミケーレが姿を現した。


「グレブ。

 おまえ、今、なにをした?」


 ミケーレの問いに、

「いや、オークどもの警戒を、傭兵にやらせているのですよ。

 なにしろ、増えに増えてますからな」

 グレブは、「ハハハ」と、あざとく笑って誤魔化そうとした。


「ふん。正直に言えば、見て見ぬフリをしてやろうと思ったのだがな」


「そ、それは・・誠に?」


「早く言え」


「ヴィーヌという、オークを興奮させて集める薬がありましてな、文官どの。

 人間の女の臭いに似とるんですな、実に良く効くのですよ」

 グレブは、「ククク」と、嫌らしく笑った。


「なるほどね。

 まぁ、聞かなかったことにしてやる」


「ミケーレどの、良いのですかね。

 あなたが面倒をみている勇者がオークのエサになっても」


「かまいませんよ。

 これは、ただの事故です」

 ミケーレは、領主を安心させてやった。


◇◇◇


 ミケーレは、応接間にグレブの長男ハサンを呼び、話し相手をさせた。

 グレブは、傭兵たちの首尾が気になるのか、屋敷の庭に出ている。


 ――領主は好みではないが、ここの長男は、なかなか美味しそうだ。


 ミケーレは、領主の長男にグラスを差し出し、

「おかわりをいただけますか?」

 と、頼みながら、魅了の笑みを浮かべる。


「あ、はい」

 グラスを差し出されたハサンは、慌てて、果実酒の瓶を取り上げた。

 ミケーレは、蠱惑的な微笑を向ける。

 美男の跡継ぎは、なぜだか胸の鼓動が速まるのに戸惑っていた。


「このような危険な僻地に連れてこられて、奥方は心配しているんじゃないですか」


「私は、独身です」


「そうなの?」

 ミケーレは微笑んで問い返した。


「ええ。

 妻は、昨年、馬車の事故で死んだのです」


「それは、残念なことでしたね」

 ミケーレは、気の毒そうな顔を作る。

 胸の内では、「実に丁度良い」と喜びながら、おくびにも出さない。


「妻には、可哀想なことをしました。

 この近辺でオークが増え、我が領地にまであふれ出てくるようになり、危険になっていましたので、一時期、妻の実家に避難させようと思ったのです。妻は、身重だったものですから。

 それで、実家に帰る途中、たまたま、小規模なオークの群れに追われ、崖から落ちたのです。

 ディアギレフ領の犠牲になったようなものです」


「気の毒に・・」


 ミケーレは、水色の瞳を哀しげに潤ませ、ハサンの黒髪に触れた。

 ミケーレには、相手の性癖も性別も関係ない。どんな男でも女でも、落とそうと思えば落とせる。

 失敗したことはなかった――異世界の勇者を除いては。


 ――言いなりにならない奴は嫌いだ。オークに弄ばれて死ねばいい。


 ミケーレが再度、魅了の笑みを見せてやると、ハサンは、すでにミケーレの手に墜ちていた。

 ミケーレは、ハサンの髪をもてあそびながら抱き寄せ、口づけをした。



◇◇◇◇◇



 ハルカは、一群れの騎馬が向かってくるのを見ていた。

 殺気を纏っている。


 ――敵・・みたいね。

 グレブが寄こしたんでしょ。懲りないやつ。


 オークの群れの隙を縫うようにして近づいてくる。


 ――どうやってオークを避けてるんだろう。魔道具かしら?


 ハルカは、男たちを「鑑定」する。

 ハルカの鑑定スキルは、まださほどレベルアップはしていない。

 それでも、彼らが、それらしい魔道具を持っていないことは判った。


 ――なにか・・匂うわ。薬ね。


 そういえば、グレブの馬車にも、似た臭いが付けられていた。

 意識を向けて、地獄耳と千里眼を使う。


「ゆんべ、見かけたが、可愛い娘だったぜ」

「やる前に可愛がれないのが惜しいな」

「誘引薬を垂らすなっ」

「ふたの油紙がずれちまってる!」

「コルクで蓋しとけって言っただろっ」

「魔獣避けが効かなくなるだろうがっ」

 男たちが盛んに喚いている。


 ――殺気だってるわ・・余計なこと言ってるバカも居るけど。

 誘引薬って、オークをおびき出すやつね。

 魔獣避けが、オークを避ける薬。

 二種の香油で、オークを操っている。

 グレブのチンピラ兵は、まだ、百メートルは離れて居る。

 それでも、匂うのだから、強烈ね。


 グレブの馬車も匂っていたが、これほどではなかった。

 ハルカの五感は、魔力による強化で人外レベルとはいえ、他の数多ある臭いを抑えて嗅ぎ分けられるほどの強さだ。


 ハルカは、連中がなにをする積もりなのか、見届けてやることにした。


 馬の引き綱を握り、連中が来るのを待っていると、男たちが現れた。

 薄汚い傭兵だ。20名は居る。


 ――チンピラに限りなく近い傭兵ってとこかしら。


 傭兵どもは、それぞれ、薬の入った瓶ごと、ハルカの方へ投げつけてきた。

 投げられた瓶は20もあった。

 ひとり一瓶ずつ、投げてきたようだ。


 ――念入りね。


 ハルカは、20のうち19は、風魔法で、丸ごと回収した。

 残りひとつは、タイミングがズレていたため馬に掛かったが、すぐに浄化してやった。


 ――臭い薬ね。小賢しい。

 こんなんで、私が始末できるわけないのに。


 ハルカは、チンピラがハルカに放ってきた薬を鑑定する。

 さほど複雑な薬ではなかった。

 錬金術でコピーして倍に増やし、風魔法で、傭兵どもに、たっぷりと振りかけてやった。


 男たちは、悲鳴を上げながら、どこかへ走り去っていった。


◇◇◇


 ハルカは、樹上でオークの群れの様子を見た。


 ――凄い群れ・・。


 とんでもない数だった。

 遠くから見ると、蟻の大群のように見える。

 一斉に動く様は、蠢く絨毯のごとく。

 はるか向こうから、土煙をあげ、怒濤の大行進をしている。


 ――オークって、繁殖力強いのね


 ディアギレフ領に結界が張られ、領民が閉じこもったのが、6年前という話だった。

 おそらく、それ以前、愚王の統治が始まってから、ほどなくオークの野放しが始まっている。


 ――10年くらいかけて、大繁殖したのかも。


 オークは、成人になるのに何年かかるのだろうか。豚の親戚みたいなものだから、早いのだろう。

 かなりの多産なのかもしれない。

 オークは、人間の女を襲って孕ませるというが、オーク同士でも子は作る。


 ――放って置いたら、ここは、ますます、危険地帯になりそうね。

 でも、しょうがないか。

 エルナートの自業自得だ。

 魔王でさえ手一杯なのに、こんなものまで面倒みていられない。


 ――殺されそうになったしね・・ま、どうってことなかったけど。

 さて、そろそろ、様子を見に行くかな。


 馬は、森の中に繋いである。オークから守るために結界を張りなおしてやった。


 転移魔法で、グレブの屋敷の屋根に飛ぶ。


 屋敷のうちも外も、オークの群れに覆い尽くされていた。

 オークを集める薬を、たっぷりと被った傭兵どもが逃げ込んだのだから、当然、こうなる。

 生命探知をしてみる。

 人間の気配を求め、辺りを探知してから、屋敷に視線を巡らせる。


 人間の波動は、ごく少ない。

 ハルカの知っている波動はひとりだけだ。


 ――ミケーレの波動は屋敷の地下に逃げ込んでいるようね。

 あとひとり・・生き残りは、ミケーレの他はひとりだけか。

 領主は・・居ない。

 道中、一緒だった従者たちも、御者も、居ない。


 ――薄情ね、ミケーレ。ひとりしか救わなかったの。

 ここは、もう、終わりね。

 オークの群れが、山向こうの村に行かないようにしておこうかな。

 グレブはもう居ないみたいだし。領民だけなら、助けてやっても良いわ。


 この辺りの地形は、王都から馬車で来るまでに、千里眼で確かめてある。


 王宮で文官から説明された通り、ディアギレフ領は陸の孤島だった。

 ディアギレフ領に通じる道は、たしかに、1本しか無かった。

 山と山の間を縫って、蛇のように走る道だけだ。


 ハルカたち一行も、ディアギレフ領に来るときは、この道を通ってきた。

 岩山は、数多の魔獣たちが住み着いている。オークは、大型の魔獣たちにとっては、良い餌だ。オークは、岩山は避けて、山間の道を通って、獲物の居る人間の町へ、なだれ込むだろう。


 ハルカは、転移魔法で、山間の道まで飛んだ。


 ――道が一本、走ってるだけだから、この道を封鎖すればいい。

 簡単ね。

 どうやって封鎖しようか。

 時間はあまりない。

 さっさと出来る方法・・となると。

 穴を掘ろうか。これなら、技は要らない。


 一本道とはいえ、道幅はそれなりにある。道の幅というより、山と山の間の幅、と言った方が良い。目算で、平らな部分は30メートルくらいはある。

 ハルカは、愛用の剣を取り出した。魔剣ドゥルガー。ハルカの相棒だ。


 ――えっと・・。定石通り、土魔法を使うか。それとも、炎魔法で土をドロドロに溶かした方が早いかな。なにしろ、広範囲に掘るから。あるいは、闇魔法のブラックホールでぽっかり穴開けるとか。それなら空間魔法でも良いか。


 ハルカが悩んでいると、遠くから、オークの群れが走るどよめきが聞こえて来た。


 ――ヤバイ、来ちゃった。

 もう、いいや、全部、使おう。


 ハルカは、思い切り全力で魔力を込めながら、ドゥルガーを地面に打ち付けた。

 最初は、土魔法。

 それから、再度、ドゥルガーを振り上げ、炎魔法を地面に叩き込む。

 次は、闇魔法。最後に、空間魔法・・。


 全ての魔法を叩き込み終えると、とたんに、凄まじい轟音と、爆発的な炎が巻き起こり、まるで嵐の中の海のように、辺りが揺れに揺れた。


 ――おぉ、こんなときに地震か・・。って、アタシのせい?


 ハルカは、ひび割れ始めた地面から飛び退いた。


 ぐらぐらと揺れる地面は、収まることなくさらに揺れを増していく。ほどなく地響きとともに、山間の道のちょうど真ん中に、巨大な裂け目が現れた。裂け目は、ギシギシという不気味な音ともに地面を突っ走る。

 地面の揺れが激しくなるとともに、大地の裂け目も、深く、広大に広がってゆく。


 ――出来たぁ~。穴。大成功。

 あとは、この穴の中を、毒液とガスで満たし、幻惑の魔法をかければいいわ。


 オークの群れは地震にびびったのか、今は、静まりかえっている。


 ――丁度良いわ。念入りに作業できる。


 染み出す湧き水と、水魔法の水で穴の底を満たし、錬金術で毒に変える。


 ――幻惑の魔法で、オークが来る側だけ、穴を隠したいわね。どうしようかしら。

 オークの魔石を大量に使って、しばらくもつようにすればいいかな。


 ハルカは、そうと決めると、周辺をサーチし、ちょうどよさそうなオークの群れに狙いを付け、カマイタチの嵐で殲滅した。

 オークの遺体から魔石を拾い集める。この辺りのオークは大型の亜種らしく、魔石が大きかった。


 ――いい魔石ね。作りやすいわ。

 幻惑の魔道具は5個くらいあればいいわね。

 幻の靄を作り出す魔道具を充填型にして、他の魔石は魔力供給用に使えるようにして・・。


 ハルカは大きめの魔石を選んで魔道具を作り、魔石のいくつかは基板のような形に成形して魔石から魔力を充填できるような形にし、残りの魔石は基板にセットして魔力供給源として使えるようにした。


 ――隣村側は穴が見えるようにして置いて・・と。まぁ、ふつうの人は、近づいただけで悪臭を感じるから、落ちることはないわね。狂ったオークは別だけど。

 ついでに、あの誘引薬も、穴の際に掛けておこう・・。

 さて、仕事は済んだし、とりあえず、逃げるか。


 ディアギレフ領での勇者の仕事は、上からの指令だった。

 ハルカは、それに逆らった。

 もう、王宮に住まうことはできないだろう。


 ――私、お尋ね者になったんだわ。ちょっとカッコイイかも。


 組織の後ろ盾を失った心細さは少しあるけれど、鬱陶しいものが無くなった清々しさがハンパない。


 ――自由だぜ~。

 もう、ダンジョンに、好きなだけ行ける。

 日記帳は持ってきたし。王宮の部屋に惜しいものは、ひとつも無いわ。


 エリザに別れを言うことが出来なかったのは寂しいけど、関わったら、かえって、彼女に迷惑が掛かる。


 ハルカは、安全地帯に繋げて置いた馬のところまで戻った。


「どうどう。

 馬くん。しばらくは、ふたりきりだね」


 ハルカは、鐙や鞍など、王家の紋章がついた備品を全て取り外す。

 彼方にオークの怒濤の群れが見える。

 茶色い地平線のように。

 群れは、かなりのスピードで移動していた。

 さすが魔獣のスタミナ。


 ハルカは、馬から外した鎧や鞍を、オークの群れの真ん中に思い切り、放り投げた。


 怯える馬にまたがり、天駆の魔法を自分と馬に駆け、ジャンプする。ハルカと馬は、軽々と、毒の穴を飛び越え、走り去った。



◇◇◇◇◇



 ハルカがディアギレフ領で行方不明になった、という報せを聞き、王弟トラヴィスは激怒した。


「行方不明?

 どういうことだっ!」


 端正な顔を憤怒で歪め、報告をあげてきた従者を怒鳴りつけた。


「エルバ領領主、グレブ・エルバからワイロを得た法務部の者が、ディアギレフ領の『仕事』を勇者ハルカに依頼。

 ディアギレフ領に到着した、という使い魔の報告があった後、行方不明になりました。

 オークの大群が、ディアギレフ領内に建てられていたエルバ領主の邸を襲った、という情報も、ディアギレフ領の町からの一報でありまして。

 勇者ハルカの生存は絶望的かと・・」

 従者は冷や汗をかきながら報告を続ける。


「その、グレブからワイロを受け取った法務部の者、というのは?」


「法務部大臣も関わっているかもしれません。

 少なくとも、高官レベルの者と思われます。

 まだ、調べ中ですが、指令系統が、込み入っておりまして。

 おそらく、判らないように工作されています」


「・・法務部大臣か・・」

 王弟は眉をしかめ、心中、舌打ちした。


 ――あいつめ・・。

 だが、あいつは、まだ使える・・。


「判った。

 関わっていたと思われる高官は、少なくとも調べ上げて、つるし上げてやれ」


「はっ」


 従者が王弟の私室を退出したのち、トラヴィスは、思わず執務机を平手で叩いた。


「くそっ。

 せっかく丁度良い勇者だったというのにっ」


 トラヴィスは、苛々と室内を歩き回り、

「また招喚をしてやらなければならないのか」

 吐き出すように呟いた。



 明くる日。王弟の執務室のカーテンの隅から、小さな甲虫をつまんでゴミ入れの袋に入れた侍女がいた。侍女は、同じカーテンの裾に、再度、一匹の甲虫を貼り付ける。

 のち、甲虫の魔道具は、ひとりの男の手に渡った。


 ――丁度良い勇者・・?

 『また招喚をしてやらなければ』・・?

 招喚の儀式は、すでに、行っているというのにか・・。


 王弟の執務室の情報は、「必要な者たち」に共有された。



◇◇◇◇◇



 逃走から1週間後。


 ハルカは、新たなスキルを取得しようとして、あることに気づいた。


 ――認識阻害の魔法が、解けている・・。

 アイリス師匠が私にかけていた、認識阻害の魔法・・すっかり消えてる。


 アイリスがハルカにかけていた認識阻害の魔法は、元々、それほど強いものではなかった。ある特定のものが思い出し難い、という程度だった。


 始めて錬金術のスキルを手に入れたときは手こずったが、一度コツを覚えてしまえば、有ってなきがごとしもの。


 ゆえに、ハルカは、リストには無かった魔法も、なんら苦もなく、スキル取得できていた。ゆえに、アイリスのかけた魔法を解こうと思っていなかった。

 アイリス師匠とのつながりを、少しでも残しておきたかったこともあり、むしろ、解きたくなかった。


 それが・・。


 ――すっかり消えてる。


 アイリスが解除したのか、それとも・・。


 ――師匠・・。


 ハルカの胸に、不安がよぎった。


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