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6)ディアギレフ領の結界



 ハルカは、アイリスと別れてすぐに、「第六感」「ティム」「気配探知」のスキルを取得した。

 ティムのスキルを得てから、アイリスの言っていた意味が判った。

 ミーたんは、たしかに、誰かの使い魔だった。

 ティムされた動物と、されていない動物は、魔力の流れが違う。


 この国の動物たちは、魔物でなくとも、少々の魔力を持っている。瘴気と魔力の満ちた世界で生まれ育つためだろう。

 ティムのスキルを持ってから、それが、より詳細に判るようになった。

 ティムスキルのレベルアップも、「疑似的生まれ変わり」で得て置いた。

 なるべくなら訓練でレベルアップしたかったが、ティムのレベルアップをするためには、動物たちをティムしなければならず、王宮暮らしのハルカには難しかった。


 おかげで、よりはっきりと、ミーたんが使い魔であることが判った。


 ――可哀想に・・。


 ミーたんは、使い魔であるがゆえに不自然に歪められた魔力の流れと、さらに、ミケーレに貰ったティム済み札と、アイリスの魔道具と、ふたつの魔道具のおかげで、魔力が乱れていた。


 ミーたんの成長が遅く、いつまでも子猫体型なのは、そのためだった。


 ティムの解除は、使い魔の主が解かない限りできない――少なくとも、ハルカには、まだ出来ない。


 ――誰がこんなことをやったんだろう。


 ミーたんは、予め仕込まれた使い魔ではない。

 ハルカが、部屋に連れてきてから、誰かが使い魔に仕立てたのだ。


 ――ミケーレは、ミーたんに、ダニなどの虫が付いていないか、調べると言って、1時間くらい、ミーたんを連れて行ったことがあったわ。


 あるいは、もしかしたら、ハルカが訓練で留守にしているときに、誰かが連れて行ってやったのかもしれない。


 ハルカは、せめて、ミーたんの魔力の乱れを少しでも楽にしてやるために、アイリスの魔道具を外すことにした。

 ハルカの情報を使い魔の主に漏らさないための魔道具ならば、ハルカが、気をつければ良いだろう。

 アイリスの名札と鈴がミーたんの首から外されたとたん、ミーたんの魔力の流れが、いくぶん、滑らかに流れるようになった・・と、ハルカの目に、ミーたんから、「どこか」へと、光の線によって「繋がり」があるのが見えた。


 ――主へと、繋がっている・・。


 いくらティムのスキルを持っていても、こんな光の線が見えるわけがない。


 ――これは、たぶん・・。


 今、まさしく現在進行形で、ミーたんは、主と、なんらかの遣り取りをさせられていたのだ。

 あるいは、主は、情報を送ってこないミーたんに、絶えず、強い「命令」を送り続けていたのかもしれない。


 ――おそらく、後者・・。


 ハルカは、ミーたんの繋がりが見えるうちに、主を突き止めようと、ミーたんを抱いて部屋を出た。


 ・・と、急に、ミーたんが、ハルカの腕をすり抜けて、王宮の廊下を走り出した。


 ――あ、ミーっ。


 ミーたんは、わずかに開いていた廊下の窓を飛び越え、中庭に走り出た。

 細いステンドグラスの窓は、猫がようやく通れるほどの隙間しかなかった。

 ハルカは、窓からミーたんの後ろ姿を確認すると、廊下を走り抜け、中庭に下りるテラス戸から飛び降り、ミーたんを追った。

 ミーたんの姿を探すも、すでに居ない。

 気配探知と、生命探知にも引っかからない。

 ふいに、ハルカは血の臭いに気付いた。


 ――まさか・・。


 臭いを辿る・・。


 そこには、血の泡をふいて絶命している猫の姿があった。



◇◇◇◇◇



 気落ちしているハルカを、さらに追い詰める出来事があった。


 クレオ師匠との訓練が急に中止になった明くる朝。

 師匠から言われた。


「勇者どの。

 来週、我が隊は、イドリス領の警備に派遣されることとなりました」



「イドリス領・・ですか? 紛争でも起きたんですか?」


「イドリス領は、魔族の国ドルフェスと繋がる陸路がある領でしてな。

 魔族を警戒して、国から派遣された隊の見回りは、常時行われておるのです」


「そうでしたか」


 ――なんだろう・・。胸騒ぎがする。


「お戻りは、いつくらいになるんですか」

 ハルカは、平静を装い尋ねた。


「半年は、赴任することになりそうです」


「判りました。クレオ師匠、ご武運を」


「かたじけない。勇者どのの指導の後任は、儂の愚息を推薦しておきましたがの。まだ決定には至っておらぬようだ。

 それが心残りではあるが・・」


「師匠。私は、若輩者ではありますが、国境地帯に赴任される師匠に案じられるほど、不甲斐なくはありません。

 なにもご心配されずに、無事、任務を終えられますよう。祈念しております」


「立派な弟子じゃ」

 クレオはハルカの頭を撫でた。


◇◇◇


 1週間後。


 ハルカは、訓練場で、任地に赴くクレオの隊としばしの別れを惜しんでいた。


 なぜ、クレオ師匠の隊が、イドリス領に派遣されることになったのか。


 ハルカは、エリザやミケーレに尋ねて、ある程度、知っていた。


 クレオ師匠の隊は、騎士団の団長や指導の将軍、あるいは王弟殿下らから「煙たがられていた」、という。


 クレオ師匠は、騎士の育成や、魔導師と騎士団との連携について、「色々と、口出しし過ぎている、老害」と、ミケーレは言っていた。

 ミケーレの言い方は腹立たしかったが、ミケーレは、ああ見えても、ある種の情報源ではあるので、なにも言わずにおいた。

 ミケーレのように思っている輩は、少なからず居るのかもしれない。


 また、エリザは、

「クレオ尉官の隊は、私設部隊ではありますが、国に対する忠誠を示すため、国からの要請には、逆らえないんだそうです」

 と、どこかから聞き込んできた情報を教えてくれた。



 エルナートには、エルナート騎士団がある。

 総団長の下に騎士たちがおり、各騎士の下に従者らが就いている。


 クレオ尉官の隊は、エルナート騎士団には入っていない。

 外されたのだ。


 クレオの隊は、総勢18名。多くはない。少数精鋭の隊である。


 クレオが、エルナート騎士団から外されたのは、前の愚王が処刑された後だった。


 先の愚王を引き摺り下ろすさい、クレオの隊や、クレオの盟友たちの隊は、死力を尽くし、多くの騎士が亡くなった。

 クレオは古い仲間たちを失った。


 クレオがエルナート騎士団から外されたのは、『愚王を引き摺り下ろしたさい、活躍し過ぎたからだ』と云われている。


 クレオは、国家動乱のとき、王太子を護った。愚王は処刑され、王太子は、現在、国王の座に就いている。


 ところが、王太子は、現国王となってしばらくして、病に伏し、寝たきりの状態だった。

 愚王の呪いのためだ。


 現在、国を取り仕切っているのは、宰相や大臣たちと、病に伏した国王の弟である王弟だった。


 ハルカが招喚されたさい、招喚の間に居た「王子風の青年」は、正しくは王子ではなく王弟殿下だった。


『王弟の影響力が強くなるに従って、愚王を滅ぼすために活躍した騎士や貴族たちへの風当たりが強くなっている』と、噂され始めている。


 クレオらが、エルナートの騎士団から外されたのは、そのためと考えられる。


 クレオの隊は、愚王が処刑されたあと、寄せ集められた隊だった。


 クレオは、盟友の隊の生き残りに声をかけ、隊を編制しなおしたのだ。それが、クレオ隊だ。

 下位の貴族の騎士や、優れて能力の高い元従者長など。入り交じった隊になっている。

 クレオの家は、豊かな領地を持ち、王国でも指折りの資産家だった。

 クレオが、私産を使い、隊を率いているのは、国の行く末を憂い、万が一を考えてのことであり、また、先の愚王を追い詰めたさいに活躍した者たちを、手元におき、保護するためでもあった。


「それでは、行って参るぞ」

 クレオがハルカに告げた。


「ご武運を。

 クレオ師匠、これはお守りです。

 私が作りました」


 ハルカは、師匠の首に、手作りの魔道具を繋げた革紐をかけた。


「これはかたじけない」


「緋色の魔石は、致命傷となる攻撃を、一回だけ、防ぐお守りです」


「ほ、ほう・・」


「薄青い魔石は、猛毒を一回だけ防ぎます。

 それから、淡い黄色の魔石は、クレオ師匠の威嚇スキルを3割増しにします」


「凄いお守りだのぅ・・」


「みんなにもあります」


 ハルカは、袋から、ひとつひとつ、名前を印してあるお守りを取り出した。


「副官のキースどのに。

 致命傷防御と、猛毒防御は、クレオ師匠と同じです。

 あとひとつは、膂力3割増し効果のお守りです」


「勇者どの。有り難くいただきます」


「ご武運を。


 これは、索敵のおふたりにです。ジャンとエイブと。

 致命傷防御と、猛毒防御と・・。

 あとひとつは、隠密スキル3割増し効果のやつです」


「勇者どの、感謝です」

「ありがたい」


「ご武運を。


 それから、ヒューどのに。

 このふたつは致命傷防御、猛毒防御。

 それから、雷撃威力3割増しのお守りです」


 ハルカは、隊のみな、それぞれに必要なお守りを渡した。


「防御のお守りは、お守りの防御力有効範囲を超えたら、砕けます。

 それ以降は、効きませんので、気をつけてください。

 能力アップの方は、テスト済みです。

 でも、防御お守りの方は、テストが出来なかったので、よそに売らないでください。

 ちゃんと出来ている自信はありますが、万が一、不良品だったら困りますから」


「お守りの不良品とな?」


「自分に致命傷となる攻撃をしてテストすることが出来ませんでしたので」


「それはそうだのぅ。

 みなのもの、判ったな。

 売ったやつは、除隊な」


「売りませんよ、クレオ尉官」

 副官が苦笑する。


「それでは、ハルカ。

 新しい師が赴任するまでは、ひとりでも修行を怠るでないぞ」


「心して励みます」


「任務を終えしだい、戻ってくるからのぅ」


「師匠、お待ちしております。

 道中、くれぐれもお気を付けて」




 ハルカのお守りは、ハルカの第六感が必要と感じたので作ったものだった。


 ――あれで、なんとか、第六感の不安感が軽くなったけど。

 師匠の隊、どんだけ危ない任地に赴くんですか・・。



◇◇◇◇◇



 アイリスもクレオたちも居ない王宮は、ハルカにとって、酷くよそよそしいものとなった。


 ――私、魔王と闘ったり、できるんだろうか。

 弱気になる・・。

 アイリス師匠や、クレオ師匠が、頑張って私を鍛えてくれたのは、エルナートを護って欲しかったからなのに。


 ――私には、クレオ師匠たちを、裏切れない。


 クレオの隊は、たとえハルカが戦わず、嬲り殺しにされるのが判りきっていても、魔王に立ち向かっていくだろう。


 ハルカは、丸三日ほど、部屋で鬱々と過ごした。

 侍女のエリザが、何度も様子を見に来た。

 エリザは、ハルカが、ミーたんが死んだことを告げてから、ひどく心配している。


 ハルカは、エリザに「ミーたんは、病で死んだの」と伝えた。

 けれど、ハルカの様子から、なにかを感じとったのかもしれない。


 明くる日。

 ハルカは、なんとか、自分を立ち上がらせると、ダンジョンに行くことにした。


 なぜか門衛で止められた。

 せっかく、やる気が出たのに、出鼻を挫かれた。

 邪魔をされることを、ハルカは「第六感」で、おぼろげに感じ取っていた。

 なにかが、ハルカを邪魔しようとしている。


 門衛を突破するために、隠密スキルのグレードアップを図ることにする。

 勇者チートを安易にグレードアップには使わない――というのは、ハルカが自分に律していたルールだが、すでに崩れていっている。


 今のところ、勇者チートのスキル大バーゲンセールは続いている。

 見えない妨害者の危険から逃れるために、ハルカは、エリザに借りた『魔法の種類』の本に乗っている魔法スキルを連日取りまくっている。隠密スキルもそのひとつだ。


 ――隠密スキルがあれば、王宮からこっそり抜け出せるわ。なるたけ、グレードアップさせとこう。



 そんなおり、ミケーレと、法務部の文官だという男が、ハルカの部屋を訪れた。


「勇者、ハルカ。

 ディアギレフ領の小さな村が、ならず者どもに占領されておりまして、なんとか、お力添えをいただきたいのです」


 法務部の文官は、ミケーレよりはマシな男に見えたが、ミケーレと連れ立っている奴なのだから、見たままを信用してはいけない気がした。

 けれど、師匠たちが居ない今、ハルカには、王宮の中に、侍女のエリザくらいしか味方は居ない。

 この状況で、断る度胸は、ハルカには無かった。


 ハルカが、なんと答えて良いか迷っていると、文官は、ハルカの無言を、了と解釈したのか、勝手に説明を始めた。

 おそらく、彼の頭の中には、ハルカが断る、という選択肢は、全くないのだろう。


 文官は、勝手にソファに座り、ハルカも、やむなく、彼の前のソファに腰を下ろした。


「ディアギレフ領は、エルナートの陸の孤島です。

 ディアギレフ領に繋がる路は、ひとつしかないのです」


 文官は、エルナートとフィレと、ドルフェスが、略図で書かれた粗末な地図のようなものを卓に広げた。

 文官なのだから、もっとマシな地図を持って来いよ、と思うのだが、地図はこの国では、貴重なのかもしれない。あるいは、よそ者のハルカには見せたくないのか。


 文官が広げた地図モドキは、お粗末ではあるが、幾何学模様的な綺麗さはあった。


 以前に、アイリスが描いて見せてくれた、あの三つの大陸の図に似ている・・というか、示しているのは、同じものだ。


 魔族国ドルフェスと、人族国エルナートと、獣人国フィレは、串団子に似ている。


 エルナートは、真ん中の団子だ。


 ドルフェスと、エルナート。エルナートとフィレは、それぞれ、ごく小さな陸路で繋がれている。


 ドルフェスと、フィレは、繋がれていない。


 だから、エルナートは、団子三兄弟の、真ん中なのだ。


 ――魔族の国ドルフェスと繋っていないなんて、獣人国フィレは、ラッキーよね。


 とハルカは思う。


「エルナートと獣人国フィレをつなぐ陸路がある半島が、ディアギレフ領なのです」

 と文官は、ペン先で指し示しながら言う。


 さらに、文官の説明は続く。


「ディアギレフ領は、海に面しています。

 半島の領ですから。

 エルナートの海には海族が住んでいます。その海族との契約で、沿岸の海にしか、船を出せません。その代わり、沿岸の海に出ているエルナートの船には、海族は手を出さないことになっています。


 ところが、ディアギレフ領の沿岸部の海は、非常に暗礁が多く、沿岸の海にさえ、船が出せないのです。

 ゆえに、海路では、ディアギレフ領に行けません。

 おまけに、ディアギレフ領は、険しい山で囲まれています。

 岩石が積み重なったような山岳で、岩石の隙間に獰猛な魔物が多く、山越えする強者はおりません。

 ただ一つ、山と山の間を縫うように走る路が1本あり、これが、ディアギレフ領と、隣の領地とを繋ぐ路です。


 しかし、この唯一の道にまで、支障が出始めたのです」



 ディアギレフ領と、隣の領地を隔てる山岳地帯は、非常に険しい。

 岩石の隙間は、無数にあり、多種多様な魔物の巣窟となっているが、麓の辺りにとくに多いのが、オークだという。

 古くからこの山岳に住むオークどもは、他の獰猛な魔物どもと縄張り争いをするうちに、より獰猛な種へと進化している。


 そのような獰猛なオークの亜種が、大量に群れて住んでいるのが、ディアギレフ領の領境周辺なのだという。


 ディアギレフ領は、古くから、この亜種のオークを間引きするために、王国から支援を受けてきた。


 ところが、この支援が、先代の王の時代に、一時期、途絶えた。


 ディアギレフ領は、支援なしでオークを狩っていたのだが、だんだん、狩りを怠るようになり、オークが激増。

 ディアギレフ領は、オークの群れに襲われ、領民が半減。


 弱ったディアギレフ領に、ならず者どもの一群が侵入し、占拠。

 ならず者どもは、結界を張って、エルナートの騎士団の援軍を追い払っている。


「そのようなわけで、結界の破壊を行っていただきたいのです」


 ハルカは、「はぁ」と、ひとつため息をつく。


 ――なんだか、色々と腑に落ちないなぁ・・。


「国をあげても破壊できない結界って、どんな結界なんですか」

 とハルカ。


「詳しくは、聞いておりません」


 ――聞いとけよっ。


「『ならず者どもの一群』の正体は?」

 と、ハルカはさらに尋ねた。


「よく判っておりません」


 ――調べとけよっ。


「ディアギレフ領のひとびとは、半減したそうですが、何人になったんですか」


「数万くらいです」


 ――アバウト過ぎだろっ。


「数万の領民でも抵抗できないほどの、ならず者どもなんですか?」


「そういうことですね」


「ならず者どもの人数は?」


「判っておりません」


「人数も判らないのに、ならず者どもが居る、ということだけは判るんですか」


「ディアギレフ領が、占拠されてますので」


「占拠された、という情報の出所は?」


「命からがら、抜け出たひとが居たのです」


「その人の証言は、どんな風だったんですか」


「ただ、『ならず者に襲われ、占拠された』というだけで」


「その証言の信憑性は?」


「実際、占拠されてますので」


「領民の人数は、『数万』という、あやふやな数値しか判ってないようですが、領民が、半減した、という情報の信憑性は?」


「半減した、と報告書にありますので、正しいはずです」


「情報の出所は?」


「国家機密です」


 ――たかがこんな程度の情報も国家機密かよっ。

 じゃぁ、国家機密を教えて貰える立場の間諜にでも、仕事を頼めよっ。


「はぁ・・」


 ――もう、ため息しか出ない・・。


「明日には馬車をご用意しますので、支度をお願いします。

 出発は早朝になります」


「転移魔法で行きます」


「転移魔法は危険なので、馬車になります。

 ミケーレが付き従います」


 ミケーレに視線を移すと、どこか不機嫌な冷笑を浮かべていた。


◇◇◇


 明くる日。


 馬車の旅は、休憩も入れて8時間にも及んだ。


 ――勘弁だぜ・・。


 サスペンションの出来が悪いのか、この国の馬車は乗り心地があまり良くない。

 短時間なら、まだ我慢できるが、2時間を越えると、ある種の拷問のような気がしてくる。

 それでも、ハルカは、ヒールや、身体強化や、体と座席との間にソフトな結界をはったり、etc.の対策をしまくったおかげで、まだ耐えられた。


 ミケーレはぐったりとしている。


 ――ミーたんのことがあったので、「ざまぁ」としか思えないなぁ。

 まだミケーレが犯人か、判らないけれど。


 ハルカの第六感は、ミーたんの件は、ミケーレが手先となって関わっている、と告げている。

 ヒールをかけてやる気も起きない・・起きないのだけれど、ハルカが自分にヒールをかけていたら、ミケーレが、「私もお願いします」と、プライドを捨てて頼んできたので、やってやった。



 ディアギレフ領には夕方ころに着いた。


 まだ外は明るかったのだが、従者やミケーレ、馬、御者、全ての人員が疲れ切っていたので、エルバ領主の屋敷で休んだ。


 エルバ領主のグレブ・エルバという男。

 ハルカも、疲れていたので、あまり熱心に観察する余裕はなかったのだが、雰囲気の良くない男だ。穢れたオーラが漂っている。


 50代くらいの歳で、太っている。

 おまけに、目つきと人相がすこぶる悪い。


 なぜ、ディアギレフ領に、エルバ領主の家があるのかというと、ディアギレフ領に結界が張られて、すでに、6年も経つのだという。

 その間、ディアギレフ領は、領地をまったく管理できていない。

 管理できていないのをフォローするために、隣のエルバ領領主が、ディアギレフ領に(勝手に)、そこそこ立派な屋敷を建て、住まっているのだという。


 ――こりゃぁ、乗っ取る気、満々じゃん。

 と、ハルカは思った。


 ならず者を退治すれば良いだけの話と思うが、どうも、裏がありそうだ。

 そもそも、ホントに、ならず者が居るのだろうか。


 ――よく判らない。

 よく判らないのに、こいつらの手先になって破壊活動をするのは、気が進まないなぁ。


 とりあえず、その日は、疲れを癒やすために、グレブ・エルバという領主の家に泊まることになった。


 夕食は粗末だった。

 「食材が不足気味で・・」

 と、グレブは申し訳なさそうにしていた。


 ――その割に、あんた、肥えてるじゃん。

 という言葉は、なんとか言わずに我慢しておいた。


 あてがわれた部屋のベッドに座ってぼんやりしていると、侍女が湯の入った水差しと小さなタライを持ってきた。体を拭くための布も用意してある。


「ありがとう」

 ハルカが言うと、小柄な赤毛の侍女が、はにかむような笑顔を見せた。

 そばかすが目立つ。

 ハルカは、「赤毛のアン」を思いだした。


「お手伝いしますか」

 と、赤毛のアン似の侍女が言う。


 ハルカは、答えに迷った。

 王宮に居た頃も、侍女に手伝ってもらったことはない

 風呂に入りたいところだが、「浄化」で、ざっと、身体を清めてあるところだし、お湯で、背中でも拭いて貰えれば、さっぱりするかもしれない。


「背中だけ、お願いできる?」

 ハルカが言うと、侍女は、やはり、はにかむような笑顔で頷いた。


 ハルカが、椅子に腰掛け、上半身だけ服を脱ぐと、侍女は、慣れた手つきで、ハルカの髪を邪魔にならないよう、紐でくくって結い上げた。

 暖かい湯に布を浸ししぼると、丁寧にハルカの背中を拭いてくれた。


 ハルカは、心地良い侍女の手を感じながら、気付いた。


 ――この子・・魔導師レベルの魔力持ちね・・、


 これほどの魔力があれば、侍女など、する必要がないのではないか。


 ハルカは、知らないフリをして背中を拭いてもらい、

「気持ち良かったわ。ありがとう。

 あとは自分で出来るからいいわ。

 使い終わったら、お湯は部屋の隅に置いておくから、もう、休んで」

 と、侍女を退出させた。


 ――どうなってるのかしら。


 ハルカは、身体を拭き終わり、着替えを済ますと、窓辺に近づいた。

 サーチする。


 ――屋敷の裏の森に、生命反応。それも、大量に。


 千里眼で目をこらす。

 野営している集団が居る。


 魔力反応もいくらかある。

 魔導師か、魔法使いも交じっているようだ


 ――殺気は・・少々・・。なんか、中途半端ね。

 荒事を控えて、屯っている、という感じかなぁ。


 ハルカは、窓を離れて寝台に横になった。

 邸は、静まりかえっている。

 どこかに密やかな話し声が聞こえる。

 地獄耳を持ってしても聞こえないほど密やかに。


 ――不穏ね。



◇◇◇


 明くる日。


 ハルカは、エルバ領主のグレブやミケーレ、グレブの息子や従者という面々とともに、ディアギレフ領の結界が張ってある場所までやってきた。


 グレブに指し示された場所は、どこか懐かしい風景だった。


 ――日本の、田舎の田園風景みたい。


 整然と区画整理された畑が広がっている。

 点在しているのは、木造の家屋。

 家々の周りを、手入れされた庭が囲っている。

 高層の建物は無く、せいぜい、3階建てくらい。

 教会か、神社のような建物も見えた。

 エルナートの宗教施設には、十字架のような印がないので少し判り難いが、教えを記した大きめの板が、門扉の横に掲げてあるので、それで見分ける。


「ならず者が占拠した町には見えないわよ」

 ハルカが誰にともなく言うと、


「ここは、町外れの畑ですからね。

 賊どもが居るのは、中心街です」

 グレブが答えた。


 町を丸ごと囲う結界は、大がかりな工事が要る。

 要所要所に魔道具を設置し、稼働させ始める際には、結界の規模に応じた魔力を投入する。結界のスイッチを入れるには、操作するために複数の魔導師や、相応の魔石が要るのだ。


 正体不明のならず者の類が出来るものではない。


 まさか、こんな広範囲の結界を壊せと言われるとは、思っていなかった。

 それに、こんな大がかりな結界を、「ならず者がやった」と言われて、信じる気もなかった。


 ハルカは、結界に手を触れた。


 ――聖魔法でできている。しかも、そうとうに強力な結界。

 こんな結界を、これほど大がかりに張るなんて。


 ここまで優れた聖魔法の使い手たちとなると、そうは居ない。


 ――聖女たち・・か?


 ただの結界であれば、強力な魔導師が張ったのだろうと想像できる。けれど、わざわざ、聖魔法を用いて結界を張るとなると、聖女の手になるものだろう。


「この結界は、本当に、無法者が、張ったんですかね」

 ハルカは、独り言のように呟いた。


「ええ、そうです。

 早く壊してください」

 とグレブ。


 ――こいつ・・嘘をついてる。

 真贋のスキルも手に入れとけば良かった。


 でも、ハルカには、第六感のスキルがある。

 グレブが本当のことを言っているとは思えない。


 ディアギレフ領の結界の中を眺めていると、人の動きが見えた。

 親子らしい。

 畑の畦で、子供が花を摘み、母親らしき女が畑から黄色い果菜のようなものを採っている。

 昼食にでも使うのだろう。


 子供が、ハルカたちを見つけた。5,6歳くらいの男の子だ。

 ハルカが、手を振ると、花を持ったまま走ってきて転んだ。


 母親が、慌てて、男の子に駆け寄っている。

 母親は、果菜を詰め込んだ籠を抱え、男の子の手を引いて、家の方へ帰っていってしまった。


 ハルカがぼんやりその後ろ姿を眺めていると、

「早いところ、済ませてくれ」

 グレブが苛々した様子で言う。


「この結界を打ち砕くとしたら、大魔法が要るわ。

 そうしたら、結界の中にも、被害が出るかもしれない。

 それに、結界にほころびが出来たら、周りのオークが攻め入ってくるわ」

 ハルカは、ディアギレフの町を眺めたまま、静かに答えた。

 声は、穏やかに辺りに響いた。


「かまわん。犯罪者が中に居るのだ」


「子供も居るわ」


「犯罪者の子だ」


 ハルカは、グレブの顔を見据えた。

「私は、やらないわ」


「そんなバカなっ。

 断れるとでも思っているのかっ」


「私は、この国を救ってくれと、頼まれたのよ。

 子供を傷つけるのは、私の仕事じゃないわ」


「きれい事を言っていたら、魔王なんざ、倒せんぞっ」


 ハルカは、ゆっくりとグレブの前まで近づいた。

 グレブの襟元を掴む。

 グレブの巨体が、軽々と持ち上げられ、足が地面から離れた。


「あんたに何が判るの? 魔王のなにが?」


 ハルカの声に潜む威圧に、グレブも、従者たちも、ミケーレも、グレブの息子も、体が固まったように動けなくなった。


「魔王が来たら、あんたを、魔王の顔めがけて、ぶん投げてやる。

 私は、本当に、やるわよ」


 グレブは、ガタガタと震え始めた。

 なにか言おうとするが、言葉が出ない。

 恐怖で漏らしたらしく、アンモニアの臭気が漂う。


「チャンスをくれてやるわ。前言撤回しなさいよ」


「ぜ・・、前言撤回、します」


「こんなところに用はない。

 帰るわ」


 ハルカは、グレブを地面に叩き付けた。

 「ひぃっ」と空気が抜けたように叫び、グレブは潰れた蛙そっくりに地べたに這いつくばった。


 ハルカは、従者が連れていた馬の手綱に手を掛け、ひらりと飛び乗った。

 振り返ることなく、馬を走らせ、グレブたちのもとを後にした。


◇◇◇


 グレブ一行から離れ、彼らが木立の向こうに見えなくなると、ハルカは、結界を横目に見ながら、ディアギレフ領の様子をうかがった。


 馬を走らせながら、結界越しに、町と、町の周辺を、千里眼で見つめる。


 町に荒れたところは無い。

 結界は、隙間無く、びっしりと張られている。

 町の人々が、遠目にハルカの様子を眺めているのが見える。


 魔力反応を見ると、強い魔力がそこかしこに感じられる。


 ――魔導師が多いわね。

 隠蔽で魔力を隠そうとしている魔導師も、たくさん居る・・。


 隠蔽の魔法を使っても、より魔力の強い鑑定スキルを持った魔導師が見れば、筒抜けだ。


 ――ディアギレフ領って、いったい、何なの?


 ただの領地ではないことは確かだ。

 ハルカは、ディアギレフ領を遠目に眺めながら思考する。


 ――たとえ、結界を壊しても、グレブごときに、どうこう出来るような代物ではないわね。


 グレブの屋敷の裏の森に、野営している集団が居たことを、ハルカは思いだした。

 隠していた積もりなのかも知れないが、グレブの私兵だろう。

 ディアギレフ領の人々の魔力を見れば、グレブ側が瞬殺されるのは明らかだった。


 ――結界を壊さなかったのは、グレブにとって幸いだったかもしれないわね・・。


 ハルカが様子をうかがっているうちに、ディアギレフ領の魔力反応に動きがあった。

 どうやら、彼らは、ハルカを注視しはじめたようだ。

 そのうちの一団が、こちらに近づいてくるのが判った。


 ――彼らなら、グレブのことは知っているはずよね・・。


 ハルカが、ディアギレフ領を刺激しないうちに離れようかと思い、馬の向きを変えようとした刹那。


『どなたですか?』


 と、念話が届いた。


 ハルカは、馬を止めて、答えた。


『私は、ハルカ』


『ハルカ殿・・なにか用ですか』


『グレブと王宮から言われて来たのよ。

 ディアギレフ領に、賊が侵入し、領地を占拠。

 結界を張って籠もってるって。

 だから、結界を壊すよう、依頼を受けたの』


『それはウソだ。

 賊など居ない』


『そうみたいね』


 ハルカは、しばし考える。

 グレブと王宮から依頼されて来たと伝えても、ディアギレフ側に、殺意や警戒が起こることはなかった。


 ――きっちり、情報は集めているみたいね・・。


『結界の破壊はやらないわ』

 ハルカが伝えると、

『感謝します』

 と答えがあった。


『グレブは、動くわよ。

 あなた方の間諜と索敵は、避難させておいて』


『・・ずいぶん親切ですね』

 苦笑した声。


『私、敵じゃない索敵と間諜には、親切なの。

 間諜の少女は、帰しておいてあげて。

 嫌な予感がするの。

 私、第六感スキルを持ってるのよ。

 索敵の人もよ。

 私を追わせないで』


『・・了解』


 ハルカは、馬の向きを変えると、結界の町から離れた。



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