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3)勇者招喚の理由



 今日は、クレオ尉官とハルカは、ダンジョンに向かった。


 訓練で行くダンジョンは、いつも同じ、あの呪いのダンジョンだった。


 招喚されてから2ヶ月が過ぎ、ハルカは、ゴブリン程度は何匹でも瞬殺できるようになった。オークも敵ではない。

 ただ、ゴブリンもオークも、醜悪で、臭いのが不愉快だ。


 王宮からダンジョンまでは、馬で30分ほど。

 以前は、アイリス師匠が通訳で付いてきてくれていたが、ハルカは、この国の言語は習得済みだ。クレオ尉官や護衛の騎士たちと馬を走らせて行く。

 ちなみに、騎乗も、スキルを取得して上手く出来るようになった。


 街中は、あまり速く走らせることはできないので、馬上で「訓練前の打ち合わせ」と称する世間話に花を咲かせていた。


「ふむ、それでは、勇者どのが、ときおり、『く○モン師匠』と言い間違えるのは、勇者どのの国の『く○モン』とやらが、儂と似ているからなのですな」


「そうなんです。そっくりです。

 く○モンは、超人気者なんですよ、師匠」


「ほ、ほう」師匠の目が点になる。


「ところで、師匠。

 師匠の息子さんや、ご親戚で、師匠に似ていて、独身の男性は居られますか?」


「儂に似ていて独身、とな?

 ふむ。息子たちは、みな、嫁をもらっておるなぁ。

 孫は独身だが・・」


「師匠に似てらっしゃる?」


「いや、それが。嫁似ですな」


「そうですか・・」


 ハルカの婚活は、あっさり挫折した。



 ようやくダンジョンに到着。

 一行が、3階層まで来ると、ハルカとクレオ師匠の雰囲気が変わる。獰猛な捕食者のそれとなる。


 一階層二階層辺りだと、ピクニックと変わらない。出てくるのはのゴブリンと、ただのオークだからだ。


 このダンジョンは、潜ってもなんら益のないゴミダンジョンである。魔物も雑魚しか居ないし、最下層が4階層までしかない。

 それでも、さすがに3階層くらいになると、オークが上位種に変わって強さが増し、数も増える。


「勇者どの。

 今日は、ここから最下層まで、30分以内で制覇だ。

 オークは50体以上は始末すること」


「了解です」


 30分後。


 ハルカは砂時計の砂が落ちる前にダンジョンを制覇した。

 従士が魔石で数を確認する。

 ゴブリン程度の魔石は屑でしかないが、上位のオークになると魔石の使い道があるので、数確認も兼ねて魔石が回収される。


「56体です」と従士が報告する。


「ふむ。余裕じゃな。

 それでは次ぎは、30分でオーク100体」


 ――なんでいきなり倍になるかなぁ、うちの師匠は・・。


 と思いながらも師匠には服従のハルカは、「はい」と答える。


 それからも訓練は続き、2時間後。


 ハルカがなんとか時間内にミッションをクリアすると、

「じゃぁ次は、30分でオーク1600体」と師匠が言う。


「師匠、そんなにオークはダンジョンに居ません」


 すでにハルカは、ダンジョンのオークを3000体以上、始末していた。面倒になって炎嵐やカマイタチの嵐を連発したためだ。ダンジョンの中には、オークがこんがり焼ける匂いや血の匂いが充満していた。小さいダンジョンゆえに、だいぶオーク密度が減ってきている。


「では、周りの森のフォレストウルフも数に入れよう」


「王都の狩人さんの仕事が無くなります、師匠」


「困ったのぉ。

 あ、そうじゃ。時間を短くすれば良いのじゃ。

 ハルカ、次ぎは、10分でオーク500体な」


「じゅ・・、10分・・」


「用意、スタート」


「きぇ・・」



 ◆◆ ハルカの訓練日記 ◆◆


【白の月3日】


 今日はクレオ師匠と久しぶりにゴミダンジョンに行った。


 ・・ (中略) ・・


 ダンジョンの魔物が打ち止めになったので、私たちは、周りの森に行った。それから、フォレストウルフを生け捕りにしなさい、と師匠からむちゃぶりが出た。

 しかも、素手でやれ、と言う。

 女の子なのに、酷い、と思ったのだが、やってみると、案外簡単にできた。

 フォレストウルフは、ジャーマンシェパードを物騒な顔にしてデカくしたような、可愛い犬だった。

 死なない程度にぶん殴り、最近、覚えた威嚇スキルで、”ヴゥウ”とテキトーな犬語で脅しつけてやったら、後ろ足の間にしっぽを巻き込んで、キュウゥンと鳴いた。


 すごい可愛い。


 それから、大人しくなったフォレストウルフに引き綱を付けて、森中を走り回って遊んだ。

 フォレストウルフが疲れて動けなくなったので、訓練は終わりになった。


 私が、仲良くなったフォレストウルフを、王宮で飼いたいと言ったら、クレオ師匠が、周りの騎士に、「どこに申請すれば飼えるかのう?」と尋ねてくれた。


 でも、騎士たちが、「それは、無理です」「辞めてください」と、口々に言ったので、クレオ師匠に「わんころは、森に居るのが、いちばん幸せなんだから、離してやりなさい」と言われた。

 たぶん、騎士のひとに、「エサ代は、クレオ尉官のお小遣いから出すんですよ」と言われたのが、効いてしまったんだろう。師匠、ひどい。


 仕方が無いので、フォレストウルフに森に帰るよう、身振りで伝え、背中を押してやったら、何度も何度も振り返りながら、森の奥に帰って行った。


 わんちゃんとの別れは哀しかったけど、楽しい1日だった。



◇◇◇◇◇



 ハルカが勇者見習いになって、3ヶ月が過ぎた。


「ずいぶん、捗りましたね」とアイリスが言う。


 アイリスは、スキル・リストの羊皮紙を見ている。

 リストには、50近い魔法スキルが記されている。ハルカが取得する予定の魔法スキルだ。

 そのうち、30は、すでに、取得することが出来ている。


 ハルカは、剣術や体術などの武術スキルも同じくらい手に入れ、クレオ尉官にしごかれながら、得たスキルをさらに極めつつある。


 3ヶ月が過ぎたので、勇者チートのスキル大バーゲンセール期間は、いつお終いになるか判らない。

 幸い、昨夜も新たなスキルを手に入れられたので、ハルカのスキル・バーゲンセールは、もう少し続きそうだ。


「ハルカは、スキル取得の才能がありますねぇ」

 アイリスが微笑む。


 ハルカは師匠に褒められ、「えへへ」と照れ笑いする。


 アイリスがハルカに魔法を教えはじめてから3ヶ月。

 ずっと、二人三脚でやってきた。


 アイリスがハルカに魔法の手本を見せ、魔法発動のコツを教えると、明くる日には、ハルカはスキルを取得している。

 スキルを得た魔法は、訓練によって、より緻密に制御できるよう、叩き込まれていく。


 魔法の訓練には精神的な集中が欠かせないが、ハルカの集中力は人外レベルだった。これは、ハルカ個人の資質だろう。


 招喚された当時、ハルカの魔力は粗末だったが、勇者のチートは、ハルカに、スキルと同時に必要な魔力さえ与えてくれた。


 扱える魔力は、生まれつき決まってる、というのが、この世界の常識だった。しかし、そんな常識は、異世界の勇者には当てはまらなかった。


 予定の訓練を終え、休んでいると、

「師匠、少し、質問があります」とハルカが言う。


「なんでしょう?」


「過去になされた魔王討伐に関してです。

 あの文官に聞いた話によりますと、前回は、獣人と聖女のパーティで、魔王を討伐したんですよね」


「ええ。そうです」


「それから、何代も前の魔王は、異世界の勇者ではなく、この国の勇者たちが討伐したんですね」


「ええ」


「魔王討伐隊に、色んなパターンがあるのは、なぜか、その事情が知りたいんです」


「良い質問ですね、ハルカ。

 この国の歴史は、魔王討伐の歴史でもあります。

 記録に残っているのは2000年ほど前からですが、それ以前にも、ずっと昔から、おおよそ、100年に一度、魔王討伐が行われています。


 割合を見てみますと、だいたい、17回の魔王討伐のうち、9回は、この国の勇者たちが魔王を討ち取っています。

 残りのうち、5回は、獣人と聖女のパーティが魔王にとどめを刺しました。

 残り3回が、異世界人の勇者が斃したのです」


「ほとんどの魔王は、この組織の勇者が斃し、残りの多くは獣人と聖女のパーティが斃してるんですね」


「そうです」


「異世界人の勇者を招喚する理由は?」


「理由は、大きく分けて、ふたつあります。

 一つ目は、瘴気の増える時期と、魔王出現の時期が重なったときです。

 そのようなときは、魔王の闇魔法の力が強まると予想されますので、勇者を招喚します。

 勇者招喚には、竜種の魔石や、海獣種の魔石、大量のひとの魔石など、手に入れにくいものが必要なので、出来れば、招喚をせずに済ませたいところですが・・」


「ひ、ひとの魔石・・?」


「ああ、罪人を処刑するときに、貯めておくのです」


「そ、そうですか・・」


 ――なんか、不気味だけど、深く考えるのは辞めておこう。


 ハルカは、理解を放棄した。


「それから、二つ目の理由・・。今回は、この二つ目の理由でハルカを招喚したのですが・・。

 万策が尽きたときです」


 アイリスの言葉に、ハルカは首をかしげた。

「万策が尽きた、というのは、どういう状況なのですか?」


「ハルカ。魔王は、精神錯乱の魔法が得意であると、知っていますね」


「はい」


「魔道具を使って防いでも、限度があるのです。

 ですから、人海戦術を用います。


 魔王との闘いは、国をあげての闘いになります。

 騎士団は、魔王軍が操る魔獣どもや、雑魚の魔人たちと戦います。

 民間の傭兵や、冒険者たちも、これに加わります。


 さらに、過去の魔王戦では、魔王軍と対峙する『勇者の隊』が作られてきました。

 『勇者の隊』が、魔王を討ち取りに向かうのです。


 この国の勇者が魔王を打ち倒すまでに、少なくとも100人以上の猛者で混成された『勇者の隊』が必要です。

 

 選りすぐりの魔導師や傭兵、騎士たち、総勢100人が、魔王の精神錯乱でやられる前に、一気に打ち倒さないと、魔王は倒せません。

 ところが、今、王国には、魔王を倒す勇者と呼ぶに相応しい騎士や魔導師は、100人も居ません。せいぜい、50人ほどでしょう。

 足りないのです。

 勇者の隊が作れないのです。


 獣人と聖女のパーティが魔王を打ち倒したときでも、やはり、まず、この国の騎士や魔導師たちが魔王軍を攻撃し、騎士の隊に多くの被害を出しながらも、魔王の側近たちを斃し、魔王を弱めたからこそ、獣人と聖女のパーティが、とどめを刺すことができました。


 魔王は、災厄なのです」


「そんな手強い魔王を、異世界の勇者は倒せるんですね」


「精神錯乱の魔法が効かないということは、それだけ強みなんです」


「獣人と聖女にも効かないんですね」


「いいえ、聖女には効いてしまいます」


「え? そうなんですか」


「ええ・・。

 ただ、不思議なことに、聖魔法を使える聖女は、精神錯乱魔法にかかっても、ぼんやりしてしまうだけです。狂乱状態になったり自傷行為をしたり、という破滅的な状態には、なりません。


 獣人の勇者は、精神錯乱魔法が効かないうえに、身体能力が非常に優れています。ゆえに獣人の勇者は、魔王を圧倒することができます。

 けれど、獣人は、聖魔法が苦手です。聖剣を扱うのも不得手なので、魔王にとどめを刺すことが出来ないのです。魔王は、切り刻んでも、やがて再生してしまうので、聖魔法で焼かないといけません。


 獣人と聖女がパーティを組むのは、そういう理由なのです。


 つまり、まず、獣人の勇者が、魔王を切り倒します。


 聖女は、精神錯乱魔法にかかると、ぼんやりしてしまうのですが、魔王が切り刻まれれば、精神錯乱魔法は解けます。

 そうしたら、聖女は、魔王を聖なる火で焼き、灰にします。


 獣人と聖女のパーティは、ともに居ることで、魔王を斃すことが出来るのです」


 ――エルナートの「聖女」というのは、なかなか、優れた女性たちらしい。


 ここで言う「聖女」は、国や宗教とは関係がない、独立した組織の女性たちだ。

 エルナートには、聖魔法と治癒魔法に優れた女性魔導師たちの慈善団体があり、彼女らを、尊敬をこめて「聖女」と呼んでいる。

 「聖女」組織の歴史は古く、1000年前とも、1500年前とも言われ、ディアギレフ領のエマという女性が最初の聖女だったという。エマは、まだ温もりの残る死体であれば、死者をも蘇らせることが出来たらしい。


「獣人の勇者と、聖女と、お互いに信頼しあってないと、パーティを組んで魔王を斃せませんね」


「そうなんですよ、ハルカ。

 本当に。

 その通りなんです。

 聖女は、獣人の勇者が、必ず魔王を斬り裂いて、自分を守ってくれると思うからこそ、安心して魔王討伐について行けるんです。

 もちろん、信頼しているとしても、闘いは時の運。命がけであることには違いありませんけどね」


「今回は、獣人の勇者は、協力してくれないそうですね」


「ええ」


「どうしてですか?」


 ハルカの問いに、アイリスは、一瞬、辛そうな目をした。


「前王の悪行のためです」


「それは、秘密ですか?」


「いいえ。国中の国民が知っていますよ。

 それをお話しする前に・・、ハルカは、獣人の国と、人間の国との関係について、どれくらい理解してくれているかしら?」

 アイリスが問う。


「えっと、たしか、獣人の国は、隣にあるんですよね?」

 と、ハルカは尋ね返した。


「まぁ・・ハルカ。獣人の国について、それしか知らないの?」


「あ、はい・・」


 アイリスは、思わず、

「教育係の文官は、なにやってるんでしょうね・・」と、小声で呟いた。


 ハルカは、じゃっかん、不安そうな顔でアイリスを見つめている。

 アイリスは気を取り直して、基礎から説明することにした。


「判りました。最初からお話しします。


 この世界には、人族の国エルナートと、獣人の国フィレ、魔族の国ドルフェスの、三つの国があるんです」


 アイリスは説明しながら、魔道具のボードに、楕円を三つ、描いた。

 形はじゃっかん違うが、大きさは同じだった。


「この三つの国は、別々の大陸です。

 お互いの国は、海で隔てられています。

 ただし、人族の国エルナートだけは、フィレとドルフェスと、細い陸路で結ばれているのです」


 アイリスは、エルナートの楕円から、細い小さい線をふたつ書き、フィレとドルフェスの楕円と繋げた。


「この線が陸路です。渡り廊下みたいなものです」


 アイリスの説明は続く。


「この小さな陸路については、伝説があるんですよ。


 その昔、エルナート、フィレ、ドルフェスの三つの国は、海で隔てられて居なかったのです。

 そのため、それぞれの領土が、長い国境線に接していたため、領土争いが絶えませんでした。


 国境の辺りの大地は、絶えず、それぞれの兵士の血や体液や怨嗟で汚染されていました。

 それがあまりにも長く続いたので、大地の女神が怒ったのです。

 大地の女神は、国境線上で大地を切り裂き、それぞれの国を、海で隔てました。


 ただ、人の国エルナートと、獣人の国フィレの間には、細い陸路を残しました。

 それは、人間の一部の部族と、獣人の一部の部族は、古くから親族のように親しく、それぞれの特産品をやりとりし、仲むつまじくしていたからです。


 それで大地の女神は、細い陸路で繋いでやりました。


 ところが、それを見て、魔族どもが怒りましてね。

 なぜ自分たちだけ、仲間はずれなのだと。

 それで、大地の女神は、仕方なく、エルナートとドルフェスの間も、細い陸路で繋げたんだそうです。

 人族の王や民は、魔族の国との陸路は『要らない』と思ったのですけど、魔族があまりにも騒ぐので、仕方なく、そのままにしたそうです」


「魔族は、実は、人間が好きなのですか・・?」


「いえ、まさか。人間のことなんか、エサか、虐殺して遊ぶ対象としか見ていませんよ。魔族にとっては、そのための通路でしょう」


「・・理解しました」


「人間の国エルナートと、獣人の国フィレとは、海で隔てられ、領土問題が解決してからは、なんら問題はありませんでした。

 まぁ、その辺りには、色々と、理由があるのです。

 もともと、フィレ国の大陸は、磁場の関係で、人間には、住みにくい地域なのです。

 国の中心に行くほど、頭痛や神経の病がひどくなり、ひどい時には死に至るほど重くなります。国境の辺りなら、まだ大丈夫なのですが。

 獣人は、慣れているためか、なんともないのですけどね。

 そういうわけで、元々、人間にとって、獣人の国は、領土としての魅力は無いんです。

 海で隔てられてしまえば、もはや、どちらにとっても、争う理由はありません。

 そういうわけで、フィレとエルナートは、良好な関係を築いていました」


「築いていました? 過去形なんですね」


「過去形、なんですよ、ハルカ」

 アイリスの目元が、哀しく歪んだ。


 アイリスは、

「その前に、魔族の国ドルフェスのことを話しておきましょう」と話を続けた。「魔族は、気位が高く、魔法の扱いに長けています。獣人ほどじゃありませんが、身体能力も高いです。


 魔族の性質は、冷淡で、個人主義です。他族に対しては、基本的に、あまり興味がありません。情もありません。


 魔族は、魔王さえ現れなければ、自分たちの国に籠もって好きにやってます。


 大地の女神が、領土問題を無くしてからは、魔族は、瘴気あふれる自分たちの国から、ほとんど出て来ません。

 瘴気は、人間にとっては、不快で、吐き気を催すものですが、魔族たちにとっては、エネルギーに変換して力として使え便利なのです。

 瘴気がある方が、魔族にしてみれば、本領発揮できるのです。


 瘴気のない人間族の国に、わざわざ出張ってくることは、ほとんどないのです。

 例外的に、リッチなどの吸血鬼の類は、また変わり種ですけど。


 ところが、魔王が現れると、状況が変わります。


 魔王の正体は、正直に申しまして、よく判っていません。

 ただ、100年に一度くらいの頻度で現れ、残虐な嵐のように、人間を襲います。


 魔族は、瘴気あふれるドルフェス国を出ると弱体化します。しかし、魔王の精神錯乱の魔法があれば、人間を蹂躙できるのです。


 過去、魔王討伐に失敗したおりには、人間の捕虜は数万にのぼり、女は醜い魔物たちの慰み者にされたのち、挽肉料理の具になりました。

 男は奴隷として酷使され、死んでもなおアンデット奴隷となり、のち、ドラゴンゾンビのエサになりました。


 見かねた獣人の勇者が魔王を斃すまで、それは続いたのです。


 その当時。


 獣人の勇者が、魔王を討伐したときのこと。


 幸いなことに、魔族の国は、混乱していました。

 魔族同士が、人間奴隷を奪い合い、国内紛争のまっただ中だったんです。

 そのおかげで、獣人の勇者と、奴隷にされていた生き残りの一人の聖女とで、なんとか魔王を斃すことができたと言います。


 獣人の勇者が、エルナート国に協力してくれるようになったのは、その頃からです。


 本来、獣人にとって、人間と魔族の争いは、関係ないことです。

 魔族は、獣人には、手を出していませんからね。


 それなのに、獣人が、滅びかけた人間に味方し、魔王を斃してくれたのは、純粋に、温情によるものでしょう。


 太古の昔、国境が接していたころには、互いに争っていた獣人の国と、人間の国ですが。


 獣人の勇者が魔王を斃し、人間を絶滅から救ってくれて、以来、エルナート国は、獣人の国に、頭が上がらないのですよ。


 ただ、人間は、愚かしく、尊大なところがありますからねぇ。とくに、貴族たちは、獣人を目下に見がちなんですね。


 もちろん、そんな無恥な王侯貴族は、ごく一部です。国民の常識としても、獣人の国フィレが恩人であることは、忘れてはならない事実です。


 貴族の中には、美しい獣人の娘や少年を手に入れたがる者も居るのですが、そんなことは、許されないと、この国の者であれば皆、知っています。


 ところが、前の国王は、その禁を破ったのです。


 獣人の娘や少年を100人ほども拐かし、奴隷にして弄んだのです。


 つまり、それが、前王が、この国の歴史始まって以来の愚王、と呼ばれる由縁ですね。


 フィレ国王は激怒し、エルナートとの国交を断絶しました」


「・・師匠、異世界人の勇者に頼らざるを得ない理由が、よく判りました」


「ええ。

 実は、まだ、続きがありましてね・・」


「まだ、あるんですか」


「聖女の代表が、事態の収束のために、動いていたのですが。

 王宮内で、殺害されまして。

 それも、女の子のハルカには、とても云えないような有様で・・」


「う・・」


「獣人の国と、我が国の聖女たちは、親しくしておりましたので。獣人の国王は、さらに嘆き悲しみましてね。

 残った聖女たちを保護するために、フィレに招致したのです。

 身の危険を感じていた聖女たちは、みな、この招致に応えて、フィレに逃げ込みました。

 聖女たちは、ですから、今、エルナートの国内に居ません。

 フィレ国内の、エルナートとの国境に近い地で、手厚く保護されています」


「それは・・」と言いかけて、ハルカは口をつぐむ。この組織の歴史は、ハルカが想像していたよりも、ずっと重かった。

 ハルカは、しばらく逡巡したのち、

「でも、その、前の国王という方は、もう、居ないんですよね」と言った。


「ええ、そうです。

 5年前に。

 あまりに愚王でしたので、王太子と有志とで、力を合わせて捕らえ、処刑しました」


「5年前・・。

 まだ、5年しか、経っていないんですか」


「そうです。

 まだ、たった、5年です。

 愚王を引き摺り下ろすときに、国内の心ある騎士たちも、力を尽くしました。

 優れた騎士たちが、たくさん、殉職しました。

 この国の勇者たちだけで、魔王を滅ぼすことが不可能なのは、それが理由なのです。

 国を想う強い騎士や、魔導師の多くは、あのとき、死んだのです。

 クレオ尉官も活躍され、深手を負いながらも、当時の王太子をお守りしたのです」


「クレオ師匠が助かって良かったです」


「そうですねぇ」アイリスが、和やかに微笑む。


「でも、その、前の国王というひと。

 愚か・・、と言うよりも、まるで、わざと、エルナートを滅ぼそうとしたみたいに見えますね」


 ハルカの言葉に、アイリスは、ただ、薄く笑った。


「この国の愚かさに、呆れましたか? ハルカ」


「驚きましたが、呆れはしません」


「そうですか。

 この国は、こんな有様なのに、ハルカは、よく、勇者になってくれましたね」


「う~ん、それは、ですね。

 いちばん最初は、逆らったらマズイかもと思って、『力になります』って言ったんですよね。

 でも、そうしたら、みんなから、『助けてください』って言われちゃいましたから。

 それに、アイリス師匠や、クレオ師匠や、みんなの国が危ないんですから。

 やっぱり、頑張らないとですね。

 私、精一杯、やりますからね、師匠」


 ハルカは、朗らかに言った。


 ――あぁ、私は、この弟子を護らなければ。

 アイリスは、心から思った。



◇◇◇◇◇



 ハルカは、冒険者ギルドに興味があった。


 ダンジョンに行くには、冒険者ギルドに登録する必要がある、とクレオ師匠が言ったからだ。

 ハルカは、訓練用のゴミダンジョンには、もう飽きていた。

 他のダンジョンに行きたくてしょうがなかったのだ。


 そこで、侍女のエリザと町に買い物に出たときに、ハルカはエリザに言った。


「あのね、エリザ。私、冒険者ギルドに行ってみたいの」


「冒険者ギルド?」


「冒険者ギルドってね、ダンジョンに行く冒険者の面倒をみてやったりするところなんだけど・・」


「あぁ、そういうところ、あります。

 でも、勇者さまには関係のない、むさ苦しいところだと思いますけど」

 エリザは、可愛らしい眉をひそめた。


「むさ苦しくても、私は、大丈夫。クレオ尉官で慣れてるから」


「判りました。

 あの・・でも、あまり治安のよろしくない所にあるのですよ。

 危ないかも・・」


「そうなの?」


「はい。いつもお買い物に行くところは、商人街通りです。憲兵がたくさん、見回りしていますから、治安は良い地域になります。

 ですが、冒険者ギルドは、商人街通りの中心から外れて、下層市民街にほど近いところですから、物騒なんです」


「私が、エリザを護ってあげるわ」


「あ、そうか。勇者さまは、勇者さまでしたね」

 エリザが微笑んだ。



 エリザとハルカは、市場を通り抜け、人通りが減った道をしばらく歩いた。


 そのうちに、急に雰囲気が悪くなっていった。


 エリザとハルカのような若い娘の姿はなく、屈強な男たちの姿が目に付く。汗と垢の匂いや、うっすらと汚物の匂いが漂う。


 エリザは、王宮勤めの侍女らしく、背筋を伸ばして歩いているが、表情は固い。


 それに引き替え、ハルカは、ワクワクしていた。


 ――おぉ、戦場の匂いがするぜ~。血がたぎってきた。


「あの、勇者さま、たしか、これだと思います」


 エリザが、煉瓦造りの3階建ての建物を指し示した。ちょっとしたアパートくらいの大きさがある。


「へぇ。立派だね」


「そうですね・・」

 エリザは不安そうに建物をながめる。


 ――どうしようかなぁ。入って見学したいけど、エリザが、すごい不安そうだから、今日は辞めておこうかな。

 見学は、クレオ師匠に頼んで付き合ってもらった方がいいかも。あるいは、ひとりで来るか・・。


 ハルカが、そんな風に考えながらギルドを眺めていると、「勇者さま」と、エリザがハルカの腕にしがみついた。

 誰かが近づいて来たのは気付いていたが、殺気は感じなかったので、無視していたのだ。

 でも、エリザは怖かったらしい。


「お嬢ちゃんたち、冒険者ギルドに用があるのかい?」

 声に振り返ると、柄の悪そうな男たちが、4人も居た。

 使い混んだ皮鎧を着込んだり、剣を下げている姿は、冒険者らしい。ローブ姿の貧相な男も居る。


「今日は、冒険者ギルドの、建物を見に来ただけよ」

 ハルカが答えた。


「なんだぁ、そうか。

 お嬢ちゃんたちみたいな可愛い子が、なにか依頼してくれるんだったら、頑張って、依頼を受けてやろうと思ったのによぉ」


 男たちは、アハハと笑った。


「そうなの? ありがと。でも、今日は違うから。

 また今度ね」


 ハルカたちが話していると、ふと、辺りが陰った。視線を向けると、見上げるほどの巨体の女がすぐそばに居た。


 ――すげー・・。クレオ師匠より大きい・・。


「あんたたち、せっかく、この子たちがギルドを訪ねてきたのに、怖がらせてるんじゃないでしょうね」

 と、巨体の女が言う。声もなかなか迫力がある。


「ちょ・・、おい、キーラ、俺たちは、この子たちがギルドに入りやすいように、声かけてただけじゃねぇかよ」


「ホントかい?」

 キーラが、尋ねるように、ハルカを見た。


「そうよ。親切に声をかけてくれたわ」


「ほらっ。

 この子らは、俺らより、キーラのほうを怖がってるだろーが」


「なんですって!」


「怖がってないわよ。

 迫力の美人さんだから、ちょっと驚いただけ」

 とハルカ。


「え・・美人・・?

 あはは、ホホホ。

 この子、可愛いわね。

 ギルドに、仕事の依頼で来たの?」


 キーラの機嫌が急に良くなった。


「今日は、下見に来たの。これから買い物で時間がないから。

 建物を見たら帰ろうと思ってたの」


「そう。ぜひまた来てね」


「うん。ありがと! またね」


 ハルカとエリザは、手をふって別れた。



「やっと、買い物だね。

 私のせいで、時間くっちゃって、ごめんね、エリザ」


「いいんですよ、勇者さま。

 なんだか、ドキドキしましたけど。

 まるで、冒険でしたね」

 エリザが微笑む。


「うん。

 親切なひとたちだったね。


 あ、このブラウス・・」


 ハルカは、ふと、良いものを見つけた。

 洋服屋の店頭で、洋服掛けにかかっている。バラ色のブラウスだ。


「これ、いいなぁ」

 ハルカはブラウスを手に取った。


「銀貨5枚だよ」

 と、店のおばさんが言う。

 けっこう値段が良い。絹なのだろう。生地に光沢がある。


「華やかで、とてもきれいなブラウスですね。色も素敵」

 とエリザ。


「でしょ、でしょ」


「でも、勇者さまには、だいぶサイズが大きいようですね」


「うん。でも、大丈夫。あいつ、私より、肩幅デカイから」


「・・どなたかに、差し上げるんですか?」


「うん、そう。似合いそうなヤツが居るんだ」


「勇者さま、なんだか、怖い笑顔になってませんか・・?」


「えへへ~。そう?

 あ、店員さん、これ、買います~」



◇◇◇◇◇


【青の月2日】


 今日は、良い買い物をした。

 アホ文官によく似合いそうな、緋色のブラウスだ。

 ひらひらがたくさん付いている。

 これは、ぜったい、あいつの好みだ。


 でも、ただ渡すだけじゃ、つまらない。銀貨5枚もしたし。


 そこで、魔道具を製作することにした。


 私の錬金術は、生理用品を作って以来、訓練していないので、低レベルだ。

 しょうがないから、まずは、暇を見て、錬金術を極めることにしよう。



◇◇◇◇◇



 ――私の弟子は、なにをやろうとしてるのかしら・・。


 アイリスは、魔道具の水晶を見つめてつぶやいた。

 水晶には、ハルカの日記の内容が映し出されている。


 アイリスが、少々、小細工をした魔道具の日記帳をハルカに与えたのは、ハルカが心配だったからだ。


 ハルカに教育係として付けられている文官ミケーレは、王宮内でも、一、二を争う、美貌の青年だった。貴族の出で、家柄もよろしい。


 アイリスは、ミケーレは信用できないと考えていた。


 ハルカの教育係としても無能で、役に立っていると思えなかった。それどころか、邪魔だった。

 ハルカの言語指導は、ミケーレが受け持っていた。

 しかし本来は、アイリスが担当する予定だったのだ。


 ハルカに、多言語理解のスキルと、暗記スキルを取らせて、アイリスが念話通訳をしながら教えれば、ごく短期間で習得できるはずなのに、ゴリ押しでミケーレが教授することになった。

 結局、ハルカは、自力で多言語理解、暗記、念話通訳のスキルを手に入れ、即行で言語を習得してしまったようだが。


 とにかく、ミケーレのやり方を見ていると、ハルカを籠絡しようとしているのが見え見えだ。おまけに、上の方の指示は、それを後押ししている思惑がうかがえる。


 ハルカは、聡明でしっかりした子だと思うが、やはりお年頃の女の子なのだから、美形の青年に言い寄られれば悪い気はしないだろう。


 ミケーレが魅了のスキルを持っていることを、アイリスは見抜いていた。

 ハルカを籠絡して、どうする気なのか。

 ミケーレの背後には、誰が居るのか。


 ハルカの愛猫、”ミーたんの件”も気になる。


 アイリスがミケーレを放って置いてはいけないと悟ったのは、ミーたんのことを知ってからだ。

 お年頃のハルカの日記を盗み見るなど、本来は、やりたくはなかった。

 それでも、ハルカを護るために、どうしても、見張る必要があった。


 しかし・・。


 ――ミケーレの魅了は、ハルカには、ぜんぜん、まったく、効かなかったようね。一安心だわ。


 ――それにしても。

 ハルカは、いったい、なにを目指してるんだろうか?


 しばらく、注視することにした。


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