18)ドゥイッチの森にて
エルナート国、「ドゥイッチの森」。
ドゥイッチ領の奥深い森にあるダンジョンは、別名「魔女の森のダンジョン」と呼ばれている。
エルナートには、他に、有名な森のダンジョンは「北の魔森」がある。
「ドゥイッチの森」は、「北の魔森」と、しばしば並び称されるダンジョンだった。
ドゥイッチのダンジョンと魔女は、なんら関係はない。
ただ、ドゥイッチの森には「魔女が居た」という伝説があった。
『森に入る人間を魅了し、惑わす』魔女の伝説だ。
ドゥイッチのダンジョンは、巨木の洞が入り口になっている。
見上げても天辺が見えないほどの巨木は、すでに死んでいる。
ダンジョン入り口に成り果てたために、朽ちることもなく、乾ききった体を晒している。
巨木の洞をくぐると、そこは薄暗い樹海になっている。
1,2階層は、昆虫類の魔物と、薬草の宝庫であり、いつでも冒険者たちで賑わっている。ただし、それなりに有益な薬草は採れるのだが、そう珍しいものではない。
やはり、低レベルな階層なりの薬草だ。
ひとりの魔導師らしき男が、「魔女の森」のダンジョンを歩いていた。
くしゃくしゃの癖毛に、目つきの鋭い男は、まだ若く、歳は20代始め。身なりと落ち着いた所作のおかげで、いくらか年嵩に見える。羽織っているローブは品が良い。
――王都のゴミダンジョン以外のダンジョンは、久しぶりだな。
アロンゾは、この3ヶ月半ほど、シュンに魔法の見本を見せるくらいしか、魔法を使っていなかった。
なまっているような気もしたが、ダンジョンの低階層を歩いているうちに、勘を取り戻してきた。
――おそらく、彼女は、かなり深い階層に居るはずだ。
アロンゾの独自調査で判ったこと。
数ヶ月前に、17歳の女性が王都の冒険者ギルドに登録。
名前は、クラリス。
アロンゾが、「知り合い」に頼んで得た情報で、クラリスのことが判った。
けれど、セシーが、父親のツテでギルドのリストを開示してもらったところ、「クラリス」は居なかった。
――つまり、どこかで、秘匿命令が出ている。
まず、「彼女」に間違いない。
ギルドの情報を得るには、一筋縄ではいかない。
公爵の「ツテ」は、正攻法みたいなもの。
ギルドにとって、「初心者」の冒険者情報は、さほど厳しく管理するほどのものではない。
しかし、中堅以上の冒険者の情報に関しては、とたんに、ギルドの口が重くなる。
腕の良い冒険者たちは、ギルドにとって、財産なのだ。
有名なダンジョンのある町の冒険者ギルドには、アロンゾなりのツテがある。
クラリスらしき女性が、ドゥイッチの町の冒険者ギルドに、ダンジョンで採れた素材を持ち込んだことが判ったため、ドゥイッチまで来た。
ドゥイッチの町で張り込むという方法もあるが、出来れば、彼女の戦う様子が見たかった。
5時間後。
アロンゾは、36階層まで来ていた。
ここまでは、これといって、何ら特別なこともなかった。
ついでに採取した薬草も、空間魔法機能付き保存袋にしまってある。
シュンの教育係は辞めることになるのだから、金は要るだろう。
――もし彼女が居るとしたら、40階層辺りで手に入る亜種のマンドラゴラのところか。
ノーマルなマンドラゴラもかなり珍しくやっかいな代物だが、その亜種がドゥイッチのダンジョンでは手に入る。
森のダンジョンには、突然変異種の薬草が数多あるが、このダンジョンで採れる亜種マンドラゴラは、その中でも貴重だ。
上級ポーションや特化型ポーションの材料のひとつになる。
ゆえに、非常に高い値段で取引される。
――クラリスの情報が入ったのが昨日。高確率でここに居るはずだ。
シュンに関するめぼしい情報は入ってこない。
15歳でギルド登録した黒髪黒目の少年、というだけでは、該当する少年が多すぎる。
おまけに、シュンは、髪を染めている可能性もある。
それに引き比べて、「17歳くらいの女性」、「ソロで凄腕冒険者」、「黒髪黒目の可能性あり」、という条件であれば、かなり絞れる。若い女性でソロ冒険者など、ほとんど居ないのだから。
40階層。
亜種マンドラゴラの小さな群生を見つけた。
ごく近くに、焼け焦げた魔獣の腕が落ちていた。
――デカい獲物だ。鋼熊か。
亜種マンドラゴラを、いくらか採取した跡もある。
――それほど時間は経っていない。
アロンゾは辺りを見回した。
ソナーでも、それらしき生命反応は無い。
アロンゾは、亜種マンドラゴラを採取しておいた。
――根こそぎ採っていかないところが好感あるな。
冒険者によっては、群生を余さず掘り起こして持っていく者も居るのだ。
――次ぎの狙い目としては、「深雪の森」の層か。
深雪の森の層には、雪月花がある。
薄いガラスで出来ているような花で、これも特化型ポーションの材料になる。
森雪ウサギも居る。
掌サイズの小さなウサギで、雪玉のように愛らしい。
この森雪ウサギは、糞が、様々な材料になる。
◇◇◇
「深雪の森」の層。
――なにかが、光った・・。
アロンゾは雪原を駆け抜けた。
――『魔力反応』・・。
居た・・。
黒髪の少女が、舞うように剣を振るっていた。
――あれが大剣ドゥルガーか。
ハルカは、禍々しい大剣を担いでいる、と情報にあった。
ハルカの相手は、見上げるほど巨大な氷鬼だった。
ハルカは、魔法を使わず、大剣だけで闘っているようだ。
――闘っているというか、楽しんで大剣を振るっている感じだな。
表情に余裕がある・・、どころか、微笑んでいる。
すぐ近くでは、森雪ウサギたちが、群れをなして、ひとりと一頭の戦いを見物している。
ハルカの剣速がひときわ激しくなり、アロンゾは動きを追うために目をすがめた。
天駆で宙を駆け、氷鬼の頭に大剣を振り下ろす。
氷鬼は、避けようとするも間に合わない。
氷鬼の氷のブレスがハルカの髪を撫でる。
ハルカが離脱すると、氷鬼の頭がごろりと落ち、巨体が頽れた。
氷鬼の体は、消えることはなく、ただ、氷の屑になって、辺りに散らばった。
森雪ウサギが、たちまち群がり、氷鬼の欠片を食べ始めている。
ハルカは、氷鬼の魔石を拾うと、森雪ウサギたちの様子を見守っている。
アロンゾは、立ち尽くしたまま、それを眺めていた。
しばらく後、
「なにか、用?」
アロンゾの方に視線をやり、ハルカが言った。
「森雪ウサギの糞を拾ってもかまわないか?」
アロンゾは応えた。
「いいわよ」
アロンゾは、森雪ウサギたちを吃驚させないよう、静かに近づいた。
「君は、強いね」
「ありがと」
「火魔法を使わなかったのは、森雪ウサギたちが側に居たからですか?」
「ええ、そう。
それに、大剣だけの方が、楽しそうだったから」
ハルカの答えに、アロンゾは、思わず苦笑した。
「たしかに、楽しそうだったね」
アロンゾは、言いながら、森雪ウサギの糞を拾った。
「それ、売れるの?」
とハルカ。
「かなり良い値で売れます。
剣を鍛接する時に入れておくと、ある種の魔剣を作れるらしい。
それから、ポーションの材料になる」
「ふうん。
糞を食べるの・・」
ハルカの言葉の後半は、ごく小さな呟きになっていた。
「魔獣の糞を特別なポーションの材料にするのは、よくありますよ」
アロンゾは言いながら、魔法を使い、辺り一面の森雪ウサギの糞を集め、袋に詰めた。
「半分、いかがです?」
アロンゾは、森雪ウサギと戯れているハルカに言った。
「いいの?」
「もちろんです」
アロンゾが、小袋に分けて森雪ウサギの糞を渡すと、ハルカは受け取った。
「ありがとう」
「これから、どういうご予定ですか?」
「氷竹の林を見に行くの。
綺麗だって、聞いたから」
「ああ、それは、私も見てみたいですね。
この近くにあるんですか?」
「氷竜の巣のそばだって聞いてるわ。
デカい魔力の固まりが向こうにあるみたいだから、そっちの方じゃないかしら」
ハルカが、出口とは逆の方向を指さす。
「なるほど」
ふたりは、連れだって歩き出した。
「私は、アロンゾと言います。
アロンゾ・デルヴィーニュ」
「私は、ハル・・クラリス!」
ハルカの返事を聞いて、アロンゾは、思わず微笑んだ。
「そうですか。よろしく、クラリス」
「ええと、アロンゾ?」
「なんでしょう?」
「氷竜を倒して、ゆっくり氷竹を見るのと、隠密で氷竜を避けて、氷竹を見るのと、どっちがいい?」
ハルカの問いに、アロンゾは、首をかしげた。
「そうですね・・。今は、氷竜の素材のことは考えていませんでしたので、隠密の方が良いかな。
でも、氷竜を倒したいのでしたら、お手伝いしますよ」
「そう。わかったわ。
じゃぁ、隠密でやってみて、ダメだったら、氷竜の首を切ってみる、ってことで」
「良いですね」
しばらく歩くと、洞窟から顔だけ出して、氷の竜が眠っていた。
そのすぐ横に、氷竹の原生林が広がっている。
見渡す限り、氷の竹だった。
空には、虹色のオーロラがゆらゆらと揺れ、その輝きが、そのまま落ちてきたかのように、氷の竹林が虹色に映り輝いている。
――ほう・・これは、美しい。
隣を見ると、ハルカも、その幻想的な光景に目を奪われている様子だった。
時を忘れ、しばらく見入っていた。
ふいに、地鳴りのような音がして、振り返ると、氷竜のいびきだった。
アロンゾとハルカは、思わず、顔を見合わせて微笑んだ。
ふたりは、隠密状態のまま、静かに退散しはじめた。
氷竜の、ごく間近まで来たとき、なぜかハルカが、氷竜の鼻先で、まじまじと竜のヒゲを眺め始めた。
――どうしたのかな?
と、アロンゾが様子を見ていると、いきなり、ハルカが、竜のヒゲを掴み、ドゥルガーで、根元から切った。
氷竜が、凄まじい咆哮を上げるとともに、氷のブレスを吐き出した。
ハルカは、アロンゾの腕を掴んで、転移魔法で逃走した。
深雪の森の層、出入り口まで転移すると、
「どうしたんです? 急に・・」
アロンゾは、ハルカに尋ねた。
「ごめんなさい。
ヒゲを見てたら、私の第六感が、『取っておけ』って告げたの」
「そうですか。それは、取っておかないといけませんね」
「でしょ。
・・あ、転移で逃げないで、追いかけっこした方が楽しかったか」
ハルカが小声で物騒なことを言うのを、アロンゾの地獄耳が捉えた。
苦笑しながら、
「これから、どうされるんですか?」
と尋ねた。
「町に戻って、素材をギルドに卸して、ご飯の予定」
「ご一緒しても?」
「いいわよ」
◇◇◇◇◇
「この店のお薦めは?」
とアロンゾ。
ふたりは、素材をギルドに卸したのち、ハルカが泊まっている宿屋の食堂のテーブルに落ち着いた。
「クマのシチューが美味しかったわよ。
あと、ミートパイかな」
注文を済ますと、アロンゾがハルカのドゥルガーに目をやった。
「良い剣ですね。どこで手に入れたんです?」
「山のダンジョン」
「ナグプール山の?」
「そうよ、詳しいのね」
「国宝級の得物が手に入る規模の山のダンジョンと言ったら、ナグプールか、ケメロヴァですから。
行きやすいのがナグプールでしたので、それで」
「頭いい、アロンゾ」
「いえ、それほどでも・・」
「ケメロヴァのダンジョンも、大きいのね?」
「ええ。ナグプールに負けませんよ。良い鉱物が産出するので、ドワーフをよく見かけるところです。
40階層の階層主は、黄金のムカデでした」
「ふうん。
でも、せっかく黄金なのに、倒したら消えるの?」
「中身の肉だけ消えましたね。金の皮は残るので、一財産です」
料理が運ばれて来た。
アロンゾは、一口食べて、満足そうに微笑んだ。
「肉が柔らかいな。クマの肉をここまで旨く煮込めるとは」
「すごいでしょ。コツを聞いたらね、旦那さんが、雷魔法で下拵えするんだって」
「・・雷魔法で肉を?」
「詳しくは聞けなかったの。お店の秘密みたいで。
黒焦げにしないで肉を軟らかくするのって、難しそうよね」
「そうですね。
威力を抑えて、痺れる程度にすれば、焦げないで済みそうですが」
「あ、なるほど。
ビリビリさせるだけにするのね、肉が軟らかくなりそう」
「あの・・ハルカ」
「なに?」
ハルカは、ナイフでミートパイを切り分けながら応えた。
本名で呼んだことを気付きもしないハルカに、アロンゾは微笑んだ。
アロンゾは、指先ひとつで魔法を発動させ、防音の結界を張る。
ハルカは、顔をあげ、いぶかしげな目でアロンゾを見た。
「私は、実は、宮廷魔導師なんです」
とアロンゾ。
「すごいのね。エリートやん」
「いえ、まぁ。
それで、勇者の教育係をしていました」
「ああ、二人目の勇者の?」
「そうです」
「ふうん。それで?」
「ハルカは・・。王宮の情報は、どれくらい知っていますか?」
「興味のある部分だけ。
つまり、ほとんど全然、知らない」
「二人目の勇者は、シュンと言います。少年です。
今、行方不明で、追っています」
「なぜ?」
「事故が・・いえ、事件があったんです。
魔族がダンジョンに現れ、シュンの武術指導をしていた騎士が亡くなりました」
ハルカは、アロンゾの顔を見つめた。
「詳しく教えてもらえる?」
「ええ。
その日、セオドアは・・セオドアというのが、シュンの教育係の騎士です。
セオドアは、珍しく、訓練にダンジョン使用の許可がおりたので、数名の騎士と、シュンと、ダンジョンに向かいました。
炎空の塔のダンジョンです。
20階層で、それは起きました。
魔物どもが狂乱状態に陥り、4名の騎士・・まぁ、ひとりは魔族だったわけですが、それに、数名の冒険者が死亡しました。
事件の最初に起こったのは、魔物の狂乱だったようです。
そのさなかに、騎士のひとりが魔族に変貌し、セオドアを殺害。
セシーという騎士と、シュンの証言は、そういう内容でした。
ところが、もう一人の生き残りの騎士が、違う証言をし、なぜかそちらの証言が信用されました。
シュンが魔法の扱いを誤ったために騎士たちを殺めたという。
その後、シュンは行方不明になりました」
「誰も、彼を護るひとは居なかったの?」
「まだ、事件は、調査の最初の段階でした。
いくらでも、やりようがありました。セシーが動いていましたし、私もツテを頼って裏を探っていました。
けれど、シュンは、それを待たずに消えました」
「彼を、誰かが、連れ去ったとか?」
「シュンは、そう易々と連れされるほど弱くありません。
自分から逃げたはずです」
「それで?」
「私たちは、彼を探してるんです」
「でも、護り切れなかったんでしょ、彼を。
だったら、放って置いてあげた方がいいんじゃない?」
「それは・・」
護り切れなかったのは、本当だ。
アロンゾは、口を結び目を伏せた。
「私は、彼の顔も知らないの。
だから、助けてあげられないと思うわ」
「ハルカは、同じ異世界の勇者である彼の波動を感じることが出来るはずです。
同じ領内くらいの距離に居れば、判ると思います。
もしも、彼に会えたら、伝えてほしいのです。私が、心配していたと。
連絡をしてほしいと。
それから、この情報は、あなたの役に立つと思います。
セオドアを殺った魔族が、本当に狙ったのは、シュンだったんです。
魔族は、シュンに襲いかかる前に、言っていたそうです。
『こいつは、強くなり過ぎてる』
『処分だ・・』と」
「あー、そういうことね」
とハルカ。
「そういうこととは?」
「ねぇ、アロンゾ。あなた、宮廷魔導師なのよね?」
「そうです」
「アイリス・ホーデンが、私の師匠だったこと、知ってるわよね」
「知ってます」
「アイリス師匠の最後を、知ってる?」
「ええ」
「教えてもらえる?」
「招喚魔法の失敗です。
スライムに似た粘性の強い液状の魔物が現れ、防御と攻撃が間に合わず、幾人かの魔導師が襲われました。
アイリス・ホーデンは、それで亡くなりました」
「アイリス師匠が亡くなった日にちと時間を覚えてる?」
「金の月4日、朝方です。陽が昇る寸前でした」
「判ったわ。ありがとう。
アイリス師匠が、言っていたの。
任務で私から離れる前に。
私の訓練は、妨害されていた。
アイリス師匠は、それを調査していた。
『連中は、勇者が居ることはかまわない。
でも、強い勇者は要らない』って」
「そうですか」
――アイリスも気付いていたのか。まぁ、当然か・・。
「アロンゾが、私に会いに来たのは、そういうわけね」
「ダンジョンでハルカを探したのは、一人目の勇者の闘う姿が見たかったのです」
「あぁ、氷鬼の奴が突っかかってきたから・・あれは、闘い・・なのか」
「違いますか?」
「訓練だと思ってた」
「どう違うんですかね?」
「う・・ん、微妙な違い。
憎しみとか、危機感とか、なにかを護りたいとか、そういう、気分的な」
「たしかに、闘いというより、剣舞のように優雅に剣を振るってましたね・・」
ハルカは、ふいに、自分の肩に提げた袋に手を突っ込み、なにやら取り出した。
2個の魔石だった。雪狼のものらしい。
アロンゾの目の前で、ハルカは、しばらく、両手に乗せた魔石を見つめていた。
――錬金術か。
加工の出来上がった魔石の一つに、ハルカは革紐を付け、アロンゾに差し出した。
「これ・・身につけてて。それが条件。
それを身につけていると、あなたの情報が私にダダ漏れになる。
信用できるかどうか、知りたいの。
それはね、私と繋がる糸みたいなもの」
「判りました」
アロンゾは、紐を首にかけた。
「じゃ」
ハルカは立ち上がり、手を振ると宿の部屋に帰っていった。




