14)脱走計画
明くる日。
シュンは、訓練場に、いつものように行ったが、誰も居なかった。
セオドアは、まだ帰ってきていないらしい。
基礎訓練をひとりでやることにした。
準備運動、柔軟、走り込み。素振り。筋トレ。型の訓練。
気が済むまで身体を動かすと、気が晴れてきた。
――少し早いけど、上がるかな。
訓練場から出る・・と、
『シュン、避けろっ』
キアゲハの叫ぶような声。
反射的に、バックステップで退いた。
ヒュッ。
風を切る音とともに、剣が振り下ろされた。
「セシー・・」
『シュン、気をつけろ! 彼女、殺す気だ!』
セシーが、さらに剣を振りかざしてくる。
「なんだよっ、止めろっ」
「黙れっ、お前のおかげで、セオドアが左遷されるかもしれないのだっ」
「え・・」
『シュン、気にするな。
そうなっても、自業自得だ』
――でも・・。
『敵に集中しろっ』
――判った。
シュンは斬りかかってきたセシーの剣をいなし、体勢を整えた。
――仕切り直しだ。
改めてセシーに向き直り、シュンは、違和を感じた。
――なんだ、こいつ。隙だらけじゃん・・。
セシーは、騎士としては優秀・・、なはずだった。
セオドアの自慢の妹、と騎士たちの立ち話を聞いたのだから。
――そんな馬鹿な。こんなのがセオドアの自慢の妹?
セシーは、シュンに飛び込むように剣を振り下ろしてくる。
基本の型通りの剣筋だ。
――遅い・・。やる気があるんだろうか・・。
そのくせ、目つきだけは、やたら険しい。
シュンは力任せにセシーの剣を、剣で払った。
セシーは無様に体勢を崩した。
シュンがセシーの腹を蹴り上げると、セシーは蹲った。
「よくも・・」
地面に膝をついたまま、セシーが血走った目でシュンを見上げる。
「馬鹿馬鹿しい。
こんな弱っちい腕で、よくも人を闇討ちしようなんて思うよ」
セシーは、いきなり、シュンに剣先を差し向け、
「氷塊!」と叫んだ。
鋭い氷の破片が、シュンに襲いかかった。
シュンは、軽く手をふり、氷塊を払いのけた。
アロンゾに魔法技術を仕込まれているシュンにとって、なんの脅威でもない。
ふいに、シュンの胸元からキアゲハが飛び出し、ふわりと舞った。
――父さんっ。
「何者っ」
セシーが、慌てて立ち上がろうとするが、腹に力が入らず、また頽れた。
『シュンの身内だ』
キアゲハは、セシーに、鱗粉のような光の粉を振りまいた。
セシーは、苦しげに手をふり、粉を避けようとする。
「な、なにをする・・」
『君、胸のうちが、真っ黒だよ。
嫉みで、真っ黒だ』
「ね、嫉み・・?」
『汚い。
汚れている。
嫉みにまみれている』
「うるさいっ」
『シュンは、この世界の人間じゃない。
招喚の魔法によって、無理矢理、連れてこられた。
シュンは、ただ、頼まれただけだ。
危険な、魔王討伐を頼まれた。
たった15歳で。
魔王と闘ってくれと言われて』
「それは、お前らが、報償に目がくらんで・・」
『黙れよ。勝手に決めつけるな。
命よりも大事な報償などない。
こんな国の名誉は要らない。
この国に対して、なんら、郷愁もない。
それでも、頼まれたから、やってるんだ。
罪の無い人々のため、と思ったからだ。
それで、あんたたちは、異世界の勇者の恩恵である能力を嫉んでいるのか?
なんの義理もない。
それでも、この世界のために、魔王討伐の訓練を受けている。
この世界の人間に、シュンを嫉む権利があるとでも思っているのか』
「嫉み・・」
セシーの目が、うつろになり、表情が消えた。
『汚いな、君ら。
この国の騎士が、こんなに腐ってるとはな。
嫉みで・・心が病み爛れている』
ビクリと、セシーの唇が動いた。
セシーは、なにか言いかけた。
うつろな目の奥に、光がちらりと見えた。
「もう、行こう・・」シュンが言う。
『この国の騎士たちは、愚王を倒すために、隊を殲滅させながらも闘った、国を取り返したのは、心ある騎士たちだったと聞いていたが。
引き比べて、あんたたちは、雑魚すぎる。
騎士を名乗れる存在とは思えない。
あんたたちは、操られているよ。
嫉みに・・』
ふいに、キアゲハは、大きく瞬き、一陣の風を巻き起こした。風は、セシーの顔をなぶった。
「はぅっ」
セシーは、苦しげに胸を押さえる。
それからセシーは、目を見開いた。まるで、たった今、目が覚めたかのように。
「あ・・」
セシーがなにか言いかけた。
けれど、もう、シュンは、なにも聞きたくなかった。
◇◇◇
部屋に戻ると、ぐったりとソファに座り込んだ。
――かなりきつく言ってたね。
『あれくらい言わないと、目が覚めない』
――でも、父さんのこと、バレた・・。
『大丈夫だろ』
――大丈夫なもんか。
もう、ここ、出て行くよ。だいぶ強くなれたし。
『せめて、セオドアが戻ってくるのを待ってやった方がいい。
彼には罪はない・・まぁ、隊を放って置いた罪は多少あるが』
――でも、父さんの件は、マズイだろう。
『彼女、思ったより、本質は清廉みたいだよ』
――父さん、彼女に、「嫉みで真っ黒だ」って言ってたじゃないか。
『今はね。
だから、わざと言ったんだ。
自覚させないとね。
たぶん、少しは治る、はず』
――そうかな・・。俺は、嫌な女だと思うけど?
『まぁ、ちょっと様子を見ていれば判るよ』
――父さん、彼女を、聖魔法で浄化してたよね?
あの風は、なんだったの?
『彼女に、妙な「気」が纏いついてたから、浄化魔法で払った。
あと、「風」は、彼女が、自分で何をやってたのか、思い起こさせてやった。
「想い出の風」という魔法だよ。
風魔法の上位魔法。
親切心さ』
――うー・・ん。それ、親切なの?
『僕が逃げ出すのは、簡単にできるしな』
――俺ひとりでここに残るのは、嫌だからな。
『まず、そんなことにはならないと思うよ』
◇◇◇◇◇
セオドアとアロンゾが戻ってきた。
ふたりが龍討伐の打ち合わせで、イドリスの町で足止めを喰っているうちに、「巨龍が斃された」「詳細は不明」「クレオ尉官の隊が関わっているらしい」という情報が入ってきた。
その後も、続報はなく、詳細は不明だったが、巨龍が、すでに討伐されたことは確かなようだ。
胸に大穴の空いた巨龍の死体も確認された。
王宮の方では、謎が多すぎて手放しで喜べないようだったが、巨龍の脅威が無くなった地元では、お祝いムードだという。
冒険者ギルドでも、緊急招集が解除。
町は落ち着きを取り戻し始めていた。
「シュン、すまなかった。
隊のヒーラーが、怪我の治療をしていなかったそうだな」
訓練の前に、セオドアは、隊の騎士たちの前でシュンに言った。
「え・・。あの、それは・・」
「気が付かず、申し訳ない」
「俺、でも、ヒールできますから」
「いや、ヒールをするしないに関わらず、怪我の様子を確認するのは、当然のことだ。
私の留守中、かなり深い傷を負っていたと聞いた」
セオドアが、いつにない鋭い目で、騎士たちに視線を向けた。
「今後、こういうことはない」
セオドアの声に、背筋が寒くなった。
訓練は、いつも通り、行われた。
身体の慣らしは終わらせてある。
突きと払う訓練のあと、型を繰り返し、模擬戦と続く。
訓練に付き合っている騎士たちは、まるで人形のようで、生気がない。
気合いもない。
ただ、仕方なくやっている。
セオドアの顔も強ばっている。
――前よりもっと悪くなった・・。
こんな連中のヒールなんか、受けたくないし。
もう、嫌になる。
「セシー、シュンと模擬戦だ」
とセオドア。
――あいつとかよ・・。
うんざりだ。
シュンが、思わず胸中でぼやくと、
『シュン、以前の彼女とは違うと思うよ。油断すると負けるぞ』
キアゲハの声。
――そっか、父さん、あのとき、なんかやったんだっけ。
シュンは、気を引き締めて、訓練場に立った。
シュンが召還され、訓練を受け始めて早3ヶ月。ひと月くらいも前から、セオドアの個人指導と、剣術スキルのおかげで、騎士たちは、すでに、シュンの相手ではなかった。
剣術のスキルは、取れるだけとった。
訓練でのレベルアップに加えて、勇者チートのレベルアップも嵩ましされ、もはや、セオドアの隊では、セオドア以外に互角に剣を交わせる騎士は居なかった。
ゆえに、昨今では、シュンは、必ずハンディを付けて、模擬戦をさせられていた。
セオドアが留守のときもそうだった。
身体強化魔法の効果をわざと阻害する魔道具を身につけさせられ、剣は3割増しに重い剣を持たされた。おまけに、4隊1での模擬戦だった。魔法も、当然、使ってはならないルールだ。
タイジュが、「リンチだ」と言うのもあながち大げさではなかった。
それで、怪我をして、今回の騒動となった。
ハンデなしなら、セシーなど、敵ではない。
『勝てよ、シュン。空気を変えてやれ』
――了解。
セシーの剣をかまえた姿を見ると、たしかに、隙が消えていた。
シュンは、全力でいくつもりで、集中力を高めていく。
身体を、一旦、脱力させてから、体中の筋肉や神経に注意を走らせて行く。
つま先からふくらはぎ、膝から太ももへ、腹から胸・・全身、くまなく。
呼吸と身体リズムと、それから、エネルギーの流れも感じる・・。
心と体を一体化させる準備をする。
模擬戦のときは、この一連の準備に時間をかけられるのが良い。
実践では、いきなり戦闘が始まることの方が多いだろう。
訓練で十分に、心技一体の境地を心身に叩き込んでおけば、絶えず、思うままに身体が動くようになる――はずだ。
「始め」
シュンは、速攻で動いた。
剣筋を気取られる時間を相手に与えない。
セシーは、最初の一撃を、難なく受け止める。
受け止められるのは、想定の内だ。
シュンは即座に体勢を敵の「想定外」の方向へ変える。身体中の筋肉、神経を駆使し、あり得ない速さで。
無理矢理――に見えるかもしれない。けれど、シュンにしてみれば、身体の潜在力を全て使えれば、出来ない動きはない。
未だ「全てを使う」とまではいかないが、これくらいは、呼吸するように自然に出来る。
セシーの剣がシュンの剣を受ける力をそのまま利用して払う。一瞬、セシーの体勢に揺れができた、その一刹那の隙に剣を打ち込む。
あまりにもあっけなく、勝負が決まった。
セシーも、騎士たちも、呆然としていた。
『圧勝だな』
――なんか、勝った気がしないな。
彼女、たしかに、この間よりはマシだったけど、気が散ってた。
『ま、そういうのも含めて、彼女の実力だよ』
どんよりと重い空気の中、訓練は終わった。
――こんな下らないことで、悩みたくないよな。
馬鹿馬鹿しい。
俺が、ガキだから・・余計にセオドアは気を遣ってるみたいだし。
クソっ。
最悪の気分で部屋に向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。
「シュンっ」
振り返ると、セシーだった。
――よりによって、いちばん、会いたくない奴かよ。
思わず、胸の内で舌打ちした。
仕方なく立ち止まると、
「シュン、すまなかった」
セシーが深々と頭を下げた。
――なんで今さら。
もう、放って置いて欲しかった。
「ネズミの件は、わざとじゃなかったんだ。
武器庫にネズミが出て・・とっさに、近くにあった剣で突いたんだ。
それから・・。
それから、よく覚えていない。
ネズミを突いたのは覚えて居るけれど。
わざとじゃないんだ」
セシーが早口でまくしたてた。
「そんな言い訳・・」
シュンは、信じられるはずないだろ、という後の言葉は飲み込んだ。
――疲れた・・。精神的に。
ネズミのことは、もう、シュンは忘れていた。
呪術ではなかったことがはっきりしたのは良かったけれど。
ネズミのことより、キアゲハが見られてしまったことや、闇討ちのときに感じた本気の殺気の方が、よほど、気持ちの上でシュンの重荷になっていたし、記憶に刻みついている。
「判ってる。
本来なら、ネズミを始末して、剣を磨いて戻しておけば良かったのに、ぼんやりしてて・・」
「もう、いいよ」
シュンは、追い払うように手を振って、部屋に帰ろうとした。
セシーは、唇を噛んだ。
「あの、蝶は・・」
「黙れよ! 蝶なんか、知らない!」
シュンが振り向いて怒鳴ると、セシーの顔色が青ざめた。
「でも、シュンの身内だと言っていたけれど・・」
「答える義理はない」
シュンから、明確な殺意が、怖気に震えるほどの殺意が立ち上った。
「わかってる。
秘密なのだろうと思ったから、だから、私は、誰にも話すつもりはない。
そのことを、伝えたかった・・」
シュンは踵を返して部屋に向かった。
セシーは、シュンの背に、
「秘密は漏らさない。神に誓う」
力なく声をかけた。
◇◇◇◇◇
シュンは、部屋にもどると、引き出しや、洋服かけの中の袋など、あちこちに放り込んであったオークの魔石を集めて数え始めた。
――321、322、323・・あ、失敗した、数えてないやつと混じっちまった。
・・ずっと溜めてたから、かなりの数だな。
『王宮から逃走するの?』
キアゲハがのんきに問う。
――逃げたい。準備が整ったら。
『どんな準備をする積もりだい?』
――門衛のところを抜けなきゃいけないだろ。
隠密スキルを上げとこう。
『その大量のオークの魔石を運び出すには、そうとうの隠密スキルが要ると思うけどな』
――そっか・・。
難しいかな・・。
『隠し場所を見つけて、少しずつ運んでおいたほうがいいかもな。
ホントに抜け出すなら』
――ぜったい、抜け出す。
こんなところ、居られないよ。
魔王と闘うにしろ、背後から不意打ちされかねない。
『あの騎士団と一緒に魔王と闘うのは、たしかに、反対だな。
あの連中じゃ、使い物にならないし。
それに、誰かに精神操作されてたみたいだし』
――精神操作?
『妬みを植え付けられてた』
――あ・・そうか、父さんが、セシーから払ってやった・・。
『うん、そう。
でも、騎士のくせに、隊丸ごと精神操作されてしまうなんて、どうしようもないよな。
危なくて、一緒に闘うのは無理だね』
――じゃ、逃げ出すのは、賛成なんだね。
『まぁね。
ただ、逃げ出す時期は、魔王の動きが出てきたドサクサでいいかな、って思ってたけど』
――そんな押し迫ってからだと逃げだし難いよ。
セオドアには訓練してもらった恩があるし。
『シュンなら、そう言うと思ってたよ。
そうしたら、近々逃げ出すとして・・。
魔石は、運び出しておくか・・』
――父さん、運び出せるの?
『空間魔法のスキルを持ってるからね。
ただ、魔道具を使わないで、自分の魔力で大量の魔石を隠し持つとなると、ちょっと難しいから、やはり、少しずつ持ち出すしかないんだよね。
何日くらい、必要かな』
キアゲハが、シュンが山積みにした魔石の上をふわりと飛ぶ。
『1週間くらいあればいいかな。
その前に、隠し場所を物色する時間が要るけど』
――それなりに日がかかるんだね。
『隠密のスキル上げもしなきゃいけないだろ』
――判った。今晩から準備を始めよう。
『だね』
――父さん、あのさ、欲しい魔法があるんだ。
『いいよ。どんな魔法?』
――時間を止める魔法が欲しいんだ。
『そんな魔法があるのか?』
――きっとある。
『まぁ、まずは調べてみるよ』
――どうやって調べるんだい?
『王宮の図書館に入れば、資料が見られるからね』
――あ、アロンゾが言っていた図書館か。
『そう。でも、シュンは、なかなか行く暇がないだろう。
図書館は、王宮勤めの官吏以外は、週に3日、昼の時間しか開館されていないからね』
――ずいぶんケチだよな。ところで、父さん、その身体で本が読めるの?
『ページは捲れないけど、本を素通りして読めばいいから問題ない』
――父さんって、地味に凄いよな。
『褒められたのかな? それは』
――うん、褒めてる。っていうか、感心してる。
『ああ、そういえば、シュンに話そうと思ってたことがあるんだ』
――なに?
『僕は、シュンと一緒にスキルを取得してるだろう』
――うん。
『だから、シュンと同じ数のスキルを得ていると思っていたんだけど。
僕のほうが、ひとつだけ多いことに、気付いた。
それは、シュンと一緒に、こちらに来るとき、どさくさで得たスキルらしい』
――どさくさ?
『他に説明がつかないから、それだと思う。
シュンが、ここに招喚され、元の世界から引っ張られていくとき、僕は、一緒に付いてきた。
そのとき、「どこへ連れて行かれるのか」、「危険はないのか」、知りたいと強く願った。
その願望が、関係している。
スキルを得たおかげで、ここに招喚されたときに、あの「悪意」を感じることが出来た』
――危険察知能力みたいなの?
『そうだと思う。
意識して得たスキルではないから、はっきりしない。
でも、使い魔の見張りに気付いたり出来るから、かなり便利だ』
――あ、そうか。父さんが見張りに気付いたのは、それか。
『色々と、「知ることが出来る」スキルだと思う。
そんなわけで、「時間停止魔法」のスキルも、なんとかなる気がする。
・・ただ、シュンが使いこなせるかは別だ』
――判ってる。でも、持っておきたいんだ。
強いスキルを持つと、安心するんだ。
『保険みたいなものか?』
――使いこなせない銃でも、引き出しに入れて置けば安心する、みたいな感じ。
『判ったよ』




