第8章 異界都市
「来たようだな」
オペレータの報告を受けて恩地少尉はつぶやくと、背後――部屋の奥に立つ男を振り返る。
その視線に、砂井ケントは満足そうに笑みを浮かべた。
「どうだ、おれのにらんだとおりだろ」
「だが、予想以上に早かったな。もっとかかるとふんでいたが」
「レジスタンスも、焦っているということさ」
「ふうむ……」
恩地少尉は窓の外を見やった。夕暮れ近い異界都市の街が広がっている。
そこは異界都市の中心部にある、恩地少尉の所属する情報部の建物の一室、情報管制室だった。壁のコンソールには異界都市の周辺に設置された無人監視装置からの情報が集められていた。それにより侵入者の存在は感知できた。
二人がいるのは、この部屋の奥、いくつかあるガラスで仕切られたブースの中だった。そこからは室内のコンソールが見渡せる。
「で、さっさと部隊を差し向けて迎えうたないのか? 異界都市に入られる前に片をつけてしまうんじゃ?」
「おまえの話が本当なら、ここへ潜入してきたのは、レジスタンスでも幹部に近い人間だ。捕えれば、より価値の高い情報を手に入れられるだろう。梅田の本部を消滅させたとしても、レジスタンスは依然として侮り難い存在として我々の前に立ちふさがる」
「生きて捕えるというのか?」
「おれがなんのために、おまえをここまで連れてきたと思ってるんだ。わざわざ異界都市まで連れてきたのは、やつらの目的と行動を知って、捕えるためだ。本来なら、おまえはこの部屋に立ち入ることさえできないのだ」
「…………」
「やつらが異界都市についての情報をどれだけ詳細にもっているか、だが――」
かなり知っているからこそ、このような大胆な計画も立てられたのだろう、ではその情報はどこからもたらされたのか、考えられるのは――と恩地少尉は一人ごちる。
「スパイが潜入していたというわけか。――なめられたもんだな、秘密都市が聞いてあきれる。ケント、侵入者が捕えられたら、尋問に立ち会うか?」
ニヤリと笑う恩地少尉に対し、一瞬、ケントの顔から笑みが引いた。
「つい昨日までの仲間だ。おまえにそんな根性があるか?」
「………………」
「無理強いはしない。しかし本当にレジスタンスに未練がないのなら、おれの言うことはきけ」
「……いいとも」
ケントはきっぱりと言った。
「おれがレジスタンスに入ったのは、生きていくためだった。おれの周囲には反政府の気運が高まっていた。反政府運動に賛同しない者は敵も同然だった。武器を持って立ち上がらないわけにはいかなかったんだ。おれは、この国の政治がどうなろうとどうでもいい。ただ平和が欲しかっただけなんだ」
「本心は中立というわけか。それもいいだろう。内戦終結を早期に望むなら、政府軍に協力するというおまえの判断は正しい。――さ、行くぞ。獲物が待っている」
恩地少尉は立ち上がった。
山の頂きから見える都市はまさしく驚異だった。こんな山の中に、何棟もの真新しいビルが整然と林立し、さながら宇宙基地のようだ。
夕暮れに佇む異界都市。夜になる直前の、絵になる景色だ。
しかし――。
その壮大な規模とは反対に、人間の営みが感じられない。もう薄暗いというのに、街には明かりが少なかった。夜の街を彩るイルミネーション、道路を走る無数の車のヘッドライト――そんなものはまったくない。
紙野夏毅の目にはそれは奇異に映ったが、他の者たちは当然のように受けとめているようだった。
そう言うと、田村ラルフは首を傾げ、「そうか」と言った。
「異界都市だからな。それに、そんな光景は見慣れている」
そうだろうな、と夏毅は思った。夏毅にしても大阪の荒廃ぶりをこの目で見るまでは信じられなかった。大阪だけでなく、あちこちの都市がこんな有様だとしたら、この国はどうなってしまうのだろうかと、余計な心配をしてしまう。もし――首尾よく元の世界へ帰ることができたなら、見慣れた街の光景を、またちがった思いで見ることになるだろう。
辺りはもうかなり暗くなってきていて、明かりがなければ足元も見えなくなっていた。ラルフ隊の六人は、道もない暗がりの山を下りていく。夏毅を除く全員が武装していた。自動小銃に拳銃、手榴弾、サバイバルナイフ。リュックにもマガジンが入れられていて、かなりの重量だ。
夏毅だけが手ぶらだった。持ち慣れない武器を持つと、かえってよくないのではとラルフは言い、夏毅もそれもそうかとその指示に従った。
正規の軍隊相手にけんかをするなどとは、夏毅にしてみれば正気とは思えなかった。ラルフの真似はできなかった。だがもし自分がラルフの立場だったなら、彼と同じような行動をとるだろうか――と吟味し、それでもやはり無理だろうな――そう夏毅は結論する。
一時間半ほどで、ふもとにたどりついた。驚異的なスピードだ。絶えず訓練し、正規軍にも劣らない体力をもつラルフたちに、夏毅はついていくのがやっとだった。しかも彼らは重い荷物を背負っている。それでいて息ひとつ上がっていないのだ。
「どうした、夏毅。だいじょうぶか?」
今池ポウルが横から声をかけてきた。
「ああ、なんとかね」
夏毅はどうにかそうこたえた。ハードな行軍だ。一番若い夏毅でも、かなりの体力が必要だった。もし夏毅が生涯で一番体力のある年代──高校生でなかったら、ついていけなかったかもしれなかった。
夏毅は瀬岡マリイを見た。女ではさぞかし辛いだろうと思ったのだ。が、マリイも、ラルフたちと訓練を積んでいるのか、平気な顔をしていた。そのタフさに呆れてしまう。
夏毅と同じ異世界人だというのに、夏毅とはまったくちがう生き方を選んだマリイ。これまでの生活を棄て、新しい自分に果敢に挑んでいる。元の世界にしがみついている夏毅とは大ちがいだった。
マリイは視線を感じて夏毅を見ると、余裕の笑みを浮かべた。生きるか死ぬかの作戦中にもかかわらず、マリイには余裕があった。ラルフという精神的な支えがあるということが、彼女を強くさせているのだろう。
たぶん、と夏毅は改めて思った。マリイとのちがいはそこなのだ、と。
「ここからは敵の懐だ」
全員に向かってラルフは低い声で言った。
「気をつけて行くぞ」
異界都市の入口。目の前には暗闇に沈むコンクリートの建物群。不気味に静まり返っている。本当に政府軍の基地なのだろうかと思えるほど。
山の上から見たときには近くにあるように見えたビル群が、今は逆に遠くのほうにあるようだった。真っ黒なシルエットの所々に白い明かりが灯っている。
異界都市は、異世界の街だ。並行宇宙転換装置の影響により、なにが起こるか、政府軍でさえ把握できていなかった。
進軍を開始。
ラルフたちは足元に気をつけながら、歩を進めていく。
敵といつ遭遇するかわからない。すでに発見されているかもしれなかった。そしてそれは現実となった。
だしぬけに、〝それ〟と接触したのだ。
足音らしきものさえ聞こえなかった。
だから誰もその存在に気づかなかった。最初にその気配を感じて立ち止まったのは阿川ルイスだった。
「なにか来る」
ぼそりとひとこと言った直後――。黒く巨大な影が急速に近づいてきた。
「全員、散れ!」
ラルフの号令がとんだ。
同時に全員が動いた。各自、建物の陰に入り、身の安全を確保する。
だがやはり夏毅ひとりが逃げ遅れた。なにが起こったのか理解できないのはみんな同じだったが、それでも他の人間は体が反応した。そのように訓練されていた。ところが夏毅はそうはいかない。どっちへ行っていいか、瞬間迷って遅れをとった。ラルフの後を追ったが、〝それ〟は見逃してくれなかった。
「なに!」
間一髪で建物の陰に入って、〝それ〟の最初の一撃は逃れたが、振り返って夏毅は愕然とした。
かすかな星明かりの下に浮かびあがったのは、まったくもって信じられないものだった。
高さ四メートルはあるだろうか。巨大なくちばしをもつ、それは、鳥だった。
太い首と二本の脚には水かきがついていた。翼はたたんでいるものの、まぎれもなく水鳥の特徴を備えていた。
巨鳥は逃した獲物をあきらめない。建物の陰に隠れた夏毅を追いかけて路地に入ってきた。目はギラギラと輝き、その迫力は尋常ではない。
夏毅は悲鳴をあげた。追ってくるモンスターから逃げようと、さらに路地の奥へ走ろうとするが、脚がもつれて転倒した。振り返ったとき、すぐ目の前にまで巨鳥が迫っていた。巨大なくちばしが視界を塞ぐ。
銃声。自動小銃の連射音。
今度は巨鳥が悲鳴をあげた。
背後からラルフたちが射撃しているのだ。
巨鳥の気が夏毅からそれた。振り返ろうとするが、路地が狭く、両側の建物が邪魔で方向転換できない。たまらなくなって前方へ走りだした。巨鳥はもう獲物を狩るどころではない。血を流しながら、うずくまった夏毅をまたいで逃げていき、路地を出ると巨大な翼を広げて飛び去っていった。
「夏毅、だいじょうぶか!」
ラルフの声に頭を上げた。そして危険が去ったのを知ると地面にすわりこみ、大きく息を吐いた。
「死ぬかと思ったぜ……」
暗かったから他からは見えないが、顔色は蒼白だった。
まるで怪獣映画だ。もう一瞬遅かったら、まちがいなく食われていた。
「無事だったようだな」
駆けつけてきたラルフが夏毅をのぞきこむ。
「あんなやつがいるなんて、聞いてねぇぞ」
夏毅は文句を言う。
「おれたちも知らなかったさ」
と、あとから来たポウル。
全員がそろった。
「たぶん、異世界から跳ばされてきたんだろう」
ルイスが静かに言った。
「異界都市は、その名のとおり、もともと異世界の都市だから、なにが起こるかわからない」
「情報はもらってるんだろ?」
不満げな口調の夏毅。
「完全とはいえない」
と、ラルフ、
「最近、異界都市で実験の失敗があったときいたが……あるいはそれかもしれない。どんな実験だったかまではわからないが」
そう言ってライフルを差し出した。
「やはり武器はもっていろ。どんな危険があるかわからん」
「うー」
夏毅はためらった。だが目的地へたどりつく前に、今のような猛獣に襲われることがあると知った以上、やはり身を守る道具を持っていたほうがいいだろう。ただ、射撃の練習は満足にはしていないから、ちゃんと使えるかどうかは自信ないが、あるにこしたことはない。
「うん……。わかったよ。けれど、ライフルはやめとく。ピストルでいい。それなら使えそうだから」
「そうか……」
ラルフはホルスターから拳銃を抜き、予備弾をパウチから取り出すと、それらを夏毅に手渡した。
ずしりと重い鉄の塊の手応え。やはり慣れない感覚だ。こんなもの持っていてもいいのかなと思ってしまう。だがさっきの巨鳥の襲撃を体験したあとでは、そんな懸念も吹き飛んだ。撃つ相手は人間ではなく猛獣だ。人殺しにはならない。
夏毅は立ち上がった。
三十五口径の自動式拳銃。初心者には回転式のほうが扱い易いのだが、それしかなかった。安全装置をたしかめる。今はオフだ。
「まちがっておれたちを撃つんじゃねぇぞ」
ポウルが注意した。冗談のような口調だったが、半分は本気だろう。まともに使ったことがないのだから、誤って発射してしまうことは十分あった。
「なるべくなら、使わないようにするよ」
「急ごう」
ラルフが促した。
「もたもたしていたら、また襲われるぞ」
「次はなにが出てくるやら」
「うれしそうだな、ポウル」
北津レオンが茶化した。ヘリを操縦していたときには見せなかった陽気な表情。
「冗談。喰い殺されるなんてご免だね。敵と戦うほうがまだましだと言ってるんだ」
ポウルは愚痴をもらした。
「スパイはなにを怠けてたんだ、人を襲う動物がいるなんて、すぐにわかりそうなもんじゃないか」
「恐いか? 危険は承知の上だろ。泣き言を言うな」
「置いてくぞ」
ラルフは待ちきれない。さっさと先を急ぐ。
ポウルたちはおしゃべりを中断し、行軍を再開した。
そして、ようやく目的地近くまでたどりついたときには、異界都市侵入から三〇分あまりが経過していた。
政府軍の兵員不足は深刻だった。異界都市でも、その防衛に割り当てられた兵員は少なかった。梅田地下がレジスタンスの本拠地であるとわかり、爆撃の準備がすすめられていたために、異界都市は現在、手薄というより無防備に近かった。侵入者に対して部隊を展開する余裕はなかった。砂井ケントにはそれらしい口実で侵入者を捕えるといったものの、実際は最小限の兵員だけしか動かせない台所事情であった。
少尉という、士官のなかでも階級の低い将校が、こんなことまで自ら気を配って部隊を指揮しなければならないことも、高級士官が少なくなっている表れだった。
しかしそれでも恩地少尉は、内戦は最終的には政府軍の勝利で終わるだろうと信じていた。政府軍の士気は、いまだ衰えてはいない。
「猛獣に襲われてなかったら、そろそろ来るころだな」
冷静な声音で、恩地少尉はつぶやく。
二週間前のことだった。並行宇宙転換装置の実験施設で大規模な事故が発生した。実験装置は破壊され、その直後、異界都市に何匹もの巨鳥が出現した。夏毅がこの世界に現われたのと同じ現象だ。
並行宇宙転換装置はまだまだわからないところが多く、その影響により予想外の大きな被害が、かなり離れた地域におき、それが国家を揺るがす内戦へと発展してしまった。
それでも研究を放棄することはできなかった。それほどまでに並行世界は魅力的な存在なのだ。
「では、作戦に移るとするか」
恩地少尉は、ケントと何人かの兵士を連れ、新たに製作中の実験プラントの建屋内に来ていた。ケントによれば、レジスタンスの目的はここだという。ここで待ち伏せをしていたなら、必ず捕えられる。
無線機で呼びかける。
「こちら恩地少尉。聴こえるか?」
「はい、感度良好です」
こたえたのは松戸軍曹だった。恩地少尉の命令で、実験プラントエリアの入口で待機していた。侵入者を待ち伏せするのではなく、退路を断つためだった。だから侵入者を発見しても攻撃はしない。その場を通し、逃げられないように出口をかためるのだ。
「状況はどうだ?」
「まだ、レジスタンスは見えません」
「監視を続けろ。発見したらすぐに知らせるんだ」
「了解」
無線を切った恩地少尉にケントが言った。「気になるので、その入口のほうに回っていいか?」
「ん? ……そうだな。ま、ここまでくれば、おまえの助けもいるまい。いいだろう」
ケントはそそくさと去っていった。なんとなく落ち着かないのだろう。
恩地少尉は実験プラントを見上げる。
骨組みだけの建造物は夜の闇に溶け込んでいるようだった。
「レジスタンスの目的が、実験プラントとはな……」
恩地少尉はぽつりとつぶやいた。
地図をたしかめながら、レジスタンスの戦士たちは闇に紛れて進んでいく。目的地はもうすぐだ。ときどき警備の兵士を見かけたが、まさか侵入者がいるとは思っていないのか、真剣に見回りをしているふうでもなく、発見されることはなかった。
ビルの陰から陰へ、素早く移動していく。
ラルフは前方の建物と、地図を見比べた。
「あれだ。あそこに潜入し、装置を破壊する」
一同はうなずいた。
そのとき――。
「ラルフ!」
小さく呼ぶ声がした。
振り向くと、一〇メートルほど離れたビルの陰に人影が見えた。
「誰だ!」
一瞬殺気が走ったが、名前を呼ばれたことで、敵ではないと気づいた。かまえた銃を下ろす。
その人影が近づいてくる。ビルから漏れるわずかな明かりに照らされ、その顔がやっと確認できた。
「おまえは……ケント?」
「待ってたぜ。やっぱり、あんたが来たか……」
「いったい、どうしてここに……?」
ラルフはあいた口がふさがらず、やっとそれだけ言った。
「話はあとだ。ちょっとばかし複雑な事情があってな、政府軍に掛け合った。それより急ごう。もう侵入はばれてるぜ」
「なんだって? どういうことだ」
ポウルが血相をかえた。
「おまえ、まさか――」
「あわてるな。裏切ったり、仲間を売ったりしたわけじゃない。とにかく詳しく説明している暇はないんだ」
「ここはケントを信じよう」
レオンが割って入った。ここでもめている場合ではない。今は一刻を争うのだ。ケントがどうやってここへ来てなにをやったのかはわからないが、これまでレジスタンスのために活動してきた仲間なのだ。いまさら疑うことはない。
ポウルは不承不承うなずいた。ケント一人でなにができたのか、どうしても納得できない。しかしレオンの言うのももっともだった。時間は大切だ。
「今、おれが実験プラントに兵を集めさせたから、今のうちに転換装置へ急ごう」
ケントは先頭に立った。
「どうやったんだ?」
ポウルはまたも質問しようとしたが、
「よし、行こう」
ラルフにさえぎられた。
目指す建物は近い。
ケントについて、ラルフたちは小走りに進んだ。
やがて、体育館ほどの大きさの、シンプルだが機能的なデザインの建物が見えてきた。
ラルフ隊の目的は、その建物内にある並行宇宙転換装置の破壊だった。時限発火装置付きの爆弾をセットし、いっせいに爆発させるのである。その前に、夏毅を元の世界へ戻す。装置の操作方法などは、あらかじめ入手してあった。
が、その建物に近づいたとき、強烈な光が周囲を襲った。静かな夜の闇に眠っていた異界都市と、暗闇に同化していたレジスタンスたちの姿が、真っ白な光のもとにさらけ出された。
「そこまでだ、ケント」
凍りついたように動けなくなった瞬間、その声が響いた。
建物の上に設置された数台の防空用サーチライトの間に、声の主がいた。しかしあまりにまぶしくてなにも見えない。
「全員、武器を棄てて投降せよ。さもなくば攻撃する」
威圧的な声音だった。おそらく、いくつもの銃口が向けられているのだろう。
ケントは歯噛みした。
声の主は、恩地少尉の部下の桂伍長だ。油汗がいっぺんに吹き出した。
転換装置の建屋にラルフたちを導こうとしていたケントの考えは吹き飛んでしまった。
ラルフたちは一言も発しない。
あと一歩というところだった。ここまで恐ろしいほど順調に来られた。そしてついに、転換装置までたどり着いた。
しかし寸前で、罠にはまってしまった。
「ポウル」
ところがラルフは落ち着いて呼びかけた。
「やれ」
「はい」
ポウルは、手にしていた箱にある小さなスイッチを入れた。
すると――。
異界都市の街のあちこちで爆発が起きた。爆発は五ヵ所。大きな爆発音が深夜の街に轟きわたり、火柱が赤く立ち上がった。ここへ来る道中にセットしておいたリモコン爆弾だった。
突然の爆発に、包囲していた政府軍兵士たちに動揺が走った。ほんのわずかな間だったが、注意がそれた。
その一瞬をのがさず、レジスタンスたちは銃を撃った。サーチライトが砕け、辺りに再び闇がおりた。
「走れ。脱出するぞ!」
強烈な光と闇の交叉に目が慣れない。しかしラルフの声に全員が走りだした。ケントも走る。
「逃がすな! 捕えろ!」
後方から桂伍長の怒声が響いた。
無線機の呼び出し音がなった。スイッチを入れる。
「恩地だ」
「少尉どの、包囲を突破されました」
桂伍長からだった。
「投降の意志はないようです」
「わかった、こちらでやつらの退路を塞ぐ。桂伍長は部隊を率いて追撃しろ。追いつめて、それでも投降しないなら、射殺してもかまわん」
「了解しました」
交信終了。
恩地少尉はほくそ笑んだ。
ケントがレジスタンスを裏切るとは考えにくかった。侵入者を逃がすかもしれないと、その可能性があるとして、恩地少尉は細工した。
侵入者がどれほどの情報を持っているのかはわからなかったから、異界都市のどこを狙っているのかは正確につかめなかった。異界都市に監視所はいくつもあったが、それはすべて外側に向けられており、都市内はカバーしなかった。しかしケントにつけておいた尾行が、仲間と合流した現場をおさえた。
桂伍長に部隊の一部を任せ、網を張らせた。動員できる兵員はわずかだったにもかかわらず、さらにそれを分散させて配置させたために、桂伍長の率いる隊はたったの十人だったが、幸い夜で辺りは暗く、レジスタンスも余裕がなかったからそんなことには気がつかれなかったろう。とはいえ、やはり投降などしなかった。射殺もやむをえない。
恩地少尉は、部下に下知した。
「これより全員、移動する」
実験プラントに待機していた部隊は動き始めた。
爆発音が響き、その方向に目を向けると、炎の赤い色が空へと上がっていくのが見えた。
「はじまったな……」
建物の影にまぎれてつぶやいたのは、ルイスだった。
「今のうちに行くぜ」
そのすぐ側でうなずく二人。
マリイと、それから夏毅だった。
ラルフ、ポウル、レオンは囮であり、陽動だった。
巨鳥に襲われた後、二手に分かれた。
手練れのラルフが囮となって政府軍の兵士を引き付けているあいだに転換装置に近づき、夏毅は元の世界へと戻る。そののち、速やかに装置を破壊する手はずだった。
ルイスは周囲の様子を注意深く探りながら闇だまりを進む。
ルイスの後を、マリイは油断なく夏毅を引っ張る。
夏毅はマリイの後を必死でついて行った。
建物の裏側にやってきた。
体育館のような大きさだ。壁の上のほうにだけ窓があって、それも体育館を連想させた。異界都市が現れたときにはなかったもので、あとから並行宇宙転換装置を覆うように造られたものだ。簡易的な建物で、それほど頑丈なものではない。
事前の情報を頼りに入口を探した。
鉄の扉が閉まっていた。施錠されていたそれを銃で撃って破壊した。
内部は暗い。実験プラントが完成するまでの間、使用予定のない転換装置は、無人の建屋内で照明もなくひっそりと闇に沈んでいた。
配置図を広げ、懐中電灯で照らして確認するルイス。
「こっちだ」
訓練してきた者の動きだ。
「マリイ、そっちを頼む。夏毅はおれの側にいてくれ」
「わかったわ」
装置の向こう側に素早く回り込むマリイ。なにをすべきかをあらかじめわかっているかのようである。
夏毅ひとりが手持ち無沙汰で装置を見上げる。暗くて細部まではよく見えないが、この装置で元の世界へ戻れるのだと思うと、希望がふくらんだ。と同時に、ここは政府軍のテリトリーなのだ、銃で武装した兵士が侵入者はいないかと見回っているのだと、緊張に胃が痛くなってくる。
早く準備が終わらないかな、とルイスを見る。
ルイスは装置の操作パネルの上で慎重に手を動かしている。複雑な操作を間違えないよう、メモを片手に細心の注意を払っているのだ。急かすわけにはいかず、夏毅はしわぶきひとつ立てられない。
マリイも装置の裏側で任せられた作業を黙々とこなしている。リモコンで作動する爆薬をセットして、確実に装置を破壊できるように。
待っている時間が長く感じられた。
ふいに、
「夏毅、準備ができたぞ」
ルイスが呼びかけた。
そのときだった。
天井の照明が灯り、室内が突然明るくなった。
「!」
ルイス、マリイ、夏毅の三人は凍りついた。
「ようこそ、レジスタンスの諸君」
声が響いた。
柱のない、体育館のような建物の内壁にはキャットウォークが巡らされており、一人の男が夏毅たちを見下ろしていた。
同時に転換装置の姿がはっきりとわかった。
建屋の中に鎮座しているその装置は、工学の発想からはほど遠い外観をしていた。あえて言うなら植物だった。大木の切り株に絡みつく蔓が無秩序に表面を覆い、枝分かれして操作装置に接続する。毒々しい原色で機能部位ごとに塗り分けられており、かろうじて人工物であることを物語っていたが、発見された当初、これがなんであるかがわかった者は皆無だった。
「首尾は見事だったが、惜しいところだった。もっとも、レジスタンスごときに出し抜かれたとあっては、我々も焼きが回ったと言われかねん」
恩地少尉は余裕のある口調だった。
数人の兵士が数人、建物内に入ってきて、転換装置に張り付く夏毅たちを包囲した。
「状況は見てのとおりだ。どうかおとなしく投降してもらえると我々としても非常に助かるのだが」
「夏毅」
自動小銃の筒先を向けられて動けないながらも、ルイスは背後に呼びかけた。
「これから装置を作動させる。〝ステージ〟に移動しろ」
「わかったけど……」
初めて見る並行宇宙転換装置だったが、〝ステージ〟が装置のどこにあるかは事前に教えてもらっていた。しかし夏毅がそこへ回り込もうとすると――
「動くな!」
恩地少尉は見逃さなかった。思わず動きを止める夏毅。
「だいじょうぶだ、撃ってきたりはしない」
ルイスは小さく、しかし鋭い口調で言った。
「やつらが大事な装置に流れ弾が当たるのを承知で銃を撃つはずがないだろ」
それは夏毅も思わないではなかったが、命がけの駆け引きに怖気づいてしまい、思い切った行動がとれない。
「心配するな。転送装置が作動すれば、あとはこっちのものだ。瞬間的におまえは元の世界へ戻れる」
そのセリフに勇気づけられた。夏毅は〝ステージ〟へと飛び込んだ。
装置の一部が矩形にへこんでおり、舞台のようになっていた。
そこへ夏毅は飛び込む。すかさずルイスが操作パネルに手を伸ばした。転換装置、作動。
「そうはさせない!」
それを見た恩地少尉はキャットウォークに設置された配電盤のレバーを下げた。装置が発生するエネルギーを放出する機能が作動した。
ところが、次の瞬間、まぶしい光が発生した。
「なんだ?」
「まずいぞ!」
戸惑いの叫び声はだれのものなのかわからなかった。
この世界で最後に夏毅が見たのは、装置の上部が開いて、中から異形の〝なにか〟が現れたところだった。
ラルフたちは、一目散に街の外へと向かっていた。絶体絶命の包囲は突破することができたが、ここから脱出するのは容易なことではなかった。乗ってきたヘリがあるのは山を越えた向こう側だ。そこまでたどりつかなければならない。
陽動用のリモコン爆弾はすでに使いきってしまっている。爆破で政府軍を混乱させ、その間に逃げるというわけにはいかない。実験プラント破壊用の時限爆弾が残っているが、追っ手をふりきるために地雷代わりに設置するのがやっとだった。再び包囲されたら、突破は困難だ。
走りながら、ラルフは周囲の様子を見ている。方向は正しいのか、どこに敵がいるのか、注意しながら――。
「待て」
先頭のラルフが急に立ち止まった。地図を広げ、位置を確認。
「ケント」
そのとき、ポウルが口を開いた。
「こいつはどういうことだ?」
走っているときは余裕がなかったが、誰もが不審に思っていた。政府軍に発見されたのは、ケントのせいではないのか、と。
ケントが突然現われたのが、どうにも腑に落ちない。あのときは時間がないからと、じゅうぶんな説明もなかった。だいたい、なぜケントが異界都市にいたのだ? 政府軍との間になにがあったというのだ?
「こんなはずじゃなかったんだ。本当だ、信じてくれ」
ケントは動揺を隠そうともせず、必死に弁解した。
「ああ、そうだろうとも!」
しかしポウルはにべもない。
「おまえが裏切り者だとは、思ってもみなかったものな!」
「ちゃんと説明しなかったおれが悪かった。しかし裏切ったりはしていない。それは誓う」
「なんに誓うっていうんだ。だいたい最初っからおかしいと思ったんだ。ラルフもそう思ったろ」
「レジスタンスは同志の集団だ……」
とだけ言い、ラルフは地図から顔を上げた。
ポウルはレオンに聞いた。
「レオンはどう思う」
「裏切ったのなら、おれたちと逃げたりはしていないさ。もし裏切られたというなら、それはおれたちじゃなく、ケントのほうだろうな」
「どういうことだ?」
「尾行されていたのかもしれん」
「まさか、そんなはずは」
ケントは信じられないというような口調で言った。
「何度も確認した。注意していた」
「これは推測だ。ま、事の顛末はケントがすべて知っているんだ。そいつを聞いてから、判断すればいいだろ」
「でも今は説明を聞いてる場合じゃない」
ラルフが地図をしまいながら言った。
「方角はあってる、急ごう。ケントの話を聞くなら、無事に帰還してからでも遅くない」
たしかにそれはそうだが、ポウルは不服そうだった。
それぞれ思うところはあるのだろうが、あえて口に出さないのは、仲間を疑いたくないという気持ちの表れなのだろう。
それより、今は脱出するのが先決だ。
ラルフを先頭に、走る。分散はせず、一団で逃走する。バラバラになってしまうと、後で落ち合わなくてはならないし、途中で誰かが捕まってしまってもわからない。それに周りはすべて敵なのだから、確認せずに引き金が引ける。
とはいえ、異界都市から出るにはまだかなり距離があったし、さらに山の向こう側まではその倍以上はある。
「車を手に入れられればな」
とラルフは走りながら周囲を見回す。だが見つけたとしても、それを奪うことができるかどうかはわからない。そんな余裕はないかもしれない。
セットしておいた時限爆弾が遠くのほうで爆発する。政府軍がそれで混乱してくれればいいが、そんなに甘くはないだろう。しかし、侵入時の容易さから、異界都市の警備体制も大したものではないと判断できるから、もしかしたらこのままいけるかもしれない。だがそれも政府軍がすべて承知していたという可能性もある。ケントの出現が、それを示唆している。
目の前の広い道路。
不意に、数台の武装車両が現われ、行く手を塞いだ。
「鬼ごっこは終わりだ。もう逃げられんぞ。全員、武器を棄てて投降するんだ」
車上の男の声。
ケントの知っている顔だった。松戸軍曹だ。恩地少佐の指示で、実験プラントから移動していた。
完全に負けだった。
恩地少尉には小手先の技など通じない。どう動こうとも、必ず手を読まれてしまう。もしもここを突破できたとしても、まだ他にもなにか準備しているにちがいなかった。
まさしく絶望的だった。
「投降すれば命の保証はする。だが抵抗するなら、我々は容赦はしない」
松戸軍曹の乾いた声が響く。
「きみらが勇敢なレジスタンスの兵士だということはわかっている。その勇気を称え、我が軍は紳士的にきみらを扱おう」
台詞は穏やかだが、有無を言わせぬ口調だった。
政府軍の数はどれぐらいなのかわからない。強行突破するとして、何人すり抜けられるだろうか。
完全に退路を塞がれ、脱出が無理なら、二つの選択しかなかった。全面投降か、強行突破だ。
この状況では、強行突破しようとしても、誰一人突破できないだろう。となれば、投降しかなかった。
「ラルフ」
傍らのポウルがリーダーの指示をあおいだ。
「どうする?」
ラルフは仲間のほうを振り返った。敵車のヘッドライトに照らされ、表情まで見えた。絶体絶命の状況に苦悩がうかがえた。
そのとき――。
道路を塞ぐ敵の車から、悲鳴が聞こえた。
驚いてその方を見ると――。
「なにい!」
巨鳥――ではない。もっと巨大な生き物だ。星明かりに浮かぶシルエットは、肉食恐竜のような動物だった。身長一〇メートルはあるだろうか。
それが、政府軍の兵士を襲っていた。
自動小銃の銃火が瞬く。政府軍兵士が恐竜に向けて発砲しているのだ。あまりの異常な出来事に冷静さを失って闇雲に撃っている。
直前までレジスタンスを包囲し優勢であった政府軍の部隊は、背後に危険が迫っていることに襲われるまで気がつかなかったのだ。
「総員、退避!」
松戸軍曹の声も届かない。大混乱に陥っていた。
「行くぞ!」
ラルフが叫んだ。
レジスタンスたち全員が走り出した。
チャンスである。恐竜の出現で形勢が逆転した。
包囲していた政府軍部隊があっという間に混乱し、収拾がつかない状態となった。今やレジスタンスどころではなくなっていた。この機に脱出だ。
恐竜の足元に小型の軍用車があった。それに乗っていたはずの兵士は逃げて、車は無人だ。幸いまだ踏みつぶされてはいなかった。
恐竜は、何発もの銃弾をあびたものの、ダメージを受けた様子はない。反対に怒り狂っているようだ。巨大な口で兵士たちを捕えようとしている。不幸にして捕まってしまった兵士は次の瞬間には飲み込まれている。
そんな状況で車を奪って逃走するなど、危険きわまりないが、一か八かの賭に出るしかなかった。
兵士たちと恐竜が、互いに気をとられているうちに、一気にダッシュし車に乗りこむ。
レジスタンスのその行動は、松戸軍曹をあわてさせた。いくらなんでもそこまで危険な行動に出るとは思ってもみなかったのだ。
「逃がすか!」
混乱した部隊をまとめなければならなかったが思うにまかせない。松戸軍曹はそれよりレジスタンスに注意を向けた。ここで逃がしてはなんのために網を張ったのかわからない。捕えることができないなら、射殺してしまうほうが、みすみす逃がしてしまうよりはましだ。
恐竜が兵士たちを追う。その隙にレジスタンスが軍用車に乗りこもうとしている。
松戸軍曹は自動小銃をかまえ、レジスタンスの一団に向けて発砲した。
たしかな手応えはあったが、車は走り去って行った。素早い動作だ。恐竜が現われてから、ほんの数秒しかたっていない。遠ざかるテールランプを見つめながら、松戸軍曹の顔は引きゆがんだ。追撃を差し向けたいところだったが、人員の余裕はなかった。あそこまで追いこんでいながら、このような失態をさらそうとは……。
「軍曹どの」
一人の兵士が駆けよってきた。
「恐竜は倒しました。しかし、こちらにも負傷者が数名――」
「わかった。救護班は呼んだか」
「はい、すでに」
「恩地少尉に連絡をとれ。事後処理をおこなう」
「はい。あの……レジスタンスは……」
「もうよい。これはおれの責任だ」
「申し訳ありません」
「行け」
「はい」
兵士は敬礼し、回れ右。
松戸軍曹は道路に倒れている恐竜へ歩みよると、いまいましげに見つめた。光沢のある鱗に覆われた巨体が道路を塞いでいる。アンバランスなほど太い尾や、太くたくましい脚、鋭い牙をもつ口。それらを見て、松戸軍曹はつぶやいた。
「こいつは……恐竜というよりドラゴンだ。こんなものが出現するなど……」
それから視線を夜空に向け、
「今日のところは、神はレジスタンスに味方したか……。運のいいやつらめ」
異界都市の外れ――山のふもとからしばらく上った辺りで、ラルフたちは奪った車両を乗り棄てることにした。馬力のある軍用車だったから、道路がとぎれてからもしばらくは山を上ることができたが、エンジンが悲鳴を上げ、タイヤが空回りするようになって、いよいよ無理だと判断した。
運転していたラルフは車を停めると、
「ここからは歩きだ。夜が明ける前にヘリのあるところまで行く」
「ラルフ! たいへんだ」
ポウルが叫んだ。
「どうした?」
「ケントが……!」
「なに?」
運転席から飛び降りたラルフは、後部座席でぐったりしているケントを見た。マリイが首に手を当てていたが、やがてかぶりを振った。
ケントは背中に銃弾を受けていた。
「なんてことだ……。レオンは無事か?」
ラルフは訊いた。
「おれはなんともない」
レオンは元気に手をあげる。
「気の毒なやつだったな」
ポウルがポツリと言った。その口調からは悲しみが滲み出ていた。
疑惑はあったが、やはりそこは同じレジスタンスだった。これまで祖国解放の旗の下に共に戦ってきた仲間なのだ。その思いは誰でも同じだった。
だが、今はケントの死を悼んでいる暇はなかった。追っ手が迫ってくるかもしれないのだ。車上にケントを乗せたまま、残る三人は先を急ぐことにした。
「ルイスのやつ、うまくいったかな?」
レオンが静かに言った。
「今は信じるしかない」
ラルフは自分に言い聞かせるように言った。
「きっと、首尾よくやっているさ」
それから三時間後、ラルフたちは山を越え、無事に乗ってきたヘリコプターまでたどりついた。