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二重迷宮の彼方  作者: 赤羽道夫
第1部
7/15

第7章 出撃

「ねえ、ラルフ……」

 緊迫した空気が我慢できないのか、瀬岡マリイが囁くように言った。

 地下二階――。政府軍の偵察員が侵入したという知らせを受けて、田村ラルフ以下、数名のレジスタンス構成員たちが出動した。戦闘になる可能性もあったから、自動小銃で武装していた。侵入者を捕らえることができなければ、射殺もやむをえない。

 偵察員の目的は、おそらくこの秘密本部の調査だろう。レジスタンスの本拠地だと知られては、空爆を受けるかもしれない。

 司令部からの指示により、ラルフたちは指定された区画へ来ると、用心しながら通路を進んだ。

 しばらく進んだが、偵察員はまだ見つからなかった。そのとき、マリイが話しかけてきたのだ。

「なんだ?」

 と、ラルフは短く返事した。その声に緊張感が含まれていた。

「夏毅のことなんだけど……」

「夏毅? ああ、まだ聞いてなかったな。どうだった?」

 マリイは肩をすくめた。

「時間がかかりそうね」

「そうか……」

「あの子には無理かもしれない。わたしとはちがう。この世界へ跳ばされたのは、夏毅にとっては不幸以外のなにものでもないわ」

 ラルフはうなずいた。

「……だろうな」

「待て」

 先頭を行く阿川ルイスが腕を横に出し、行く手を遮った。

「いたのか?」

 すぐ後ろのラルフは訊いた。

「気配がする。だがまだわからない」

 ルイスはこたえる。

 ラルフは後ろを振り返り、仲間たちにうなずきかけた。

 各自、手に持った自動小銃をかまえる。いつ敵が現われてもいいように。

 薄暗い照明の通路の前方、三〇メートルほど先に十字路。ラルフがそこへ駆け寄った。厳しい表情。壁に背中をよせ、自動小銃の引き金に指をかけた。

 気配を探った。

 ――たしかに誰かがいるようだ。

 ラルフは飛び出した。同時に銃をかまえる。通路の先、二十五メートルほど向こうに、照明のほとんどない場所に複数の人影がかろうじて見えた。だがそれが敵かどうか確認する前に、十字路の陰に隠れてしまった。

 しかしこの区画にはラルフたちしかいないはずだった。

 ということは――。

「いたぞ!」

 ラルフは叫び、走り出した。

 その声を聞いて、後ろの仲間たちも続いた。

 政府軍偵察隊が消えた十字路にたどり着くと、いきなり飛び出さずにしゃがみ、そっと様子をうかがった。

 銃撃が襲ってきた。敵が撃ってきたのだ。

 すると、べつの方向から足音。

「ラルフ!」

 と呼ぶ声。

 ディアモールからやって来た捜索隊だ。合流する。

「敵がこっちへ逃げてきただろ」

「ああ、何人かいた。あっちに逃げた」

「追いかけよう」

「しかし、こう暗いと見失うぞ」

 ラルフは指摘した。

「なぁに、闇の中では、やつらも右往左往するだろう。地下街に精通しているおれたちのほうが有利だ」

「だが気をつけたほうがいいぞ」

 ルイスが厳しい顔で忠告した。

「少人数で送り込まれてきたということは、かなりのやり手だと思う」

「おれもそう思う。注意して行こう。地の利はこちらにあるといっても、やつらも地図ぐらいもっているだろうからな」

 JR東西線・北新地駅の改札前の通路を西へと進んだ。

 突き当たりを北へ。すぐに地下鉄・西梅田駅の改札に突き当たる。

 地下街といっても、ところどころ、地上からの風が入ってきた。ヒルトンホテルの地階も地上へ吹き抜けていて、だから風が吹き込んできても、まさかこの先に大穴が開けられていたとは思わなかった。

 ところが、ヘリコプターの轟音が、地下にいるとは思えないぐらいの大きさで耳に届いた。

 ラルフたちはすかさず音がするほうへと走った。

 そして、天井に大きな穴があいているのを見つけた。政府軍の偵察隊によって爆破された侵入口である。

「派手にやりやがったな!」

 ルイスが顔をしかめた。

「こんな穴あけなくても、入り口はいくつもあるだろうに」

「いや、そうじゃない」

 ラルフにはわかっていた。

「やつら、わざと爆発音をさせて、おれたちが出てくるのを狙ってたんだ」

 そして、まんまとその画策にはまってしまった。冬眠している動物のように、ひっそりと声を殺して潜んでいれば、偵察隊をやりすごせたかもしれなかった。

 政府軍偵察隊の目的は、梅田地下街にレジスタンスが潜んでいて根拠地としているかどうかを調べることだ。おそらく、もうその確信は得ているだろう。彼らをヘリコプターに戻してはならない。無線機でその知らせが軍に届いてしまう。

 しかし、どうやら手遅れのようである。

 ラルフは内心歯噛みした。

 そこに、人影が現れた。

 全員が緊張した。

 敵か?

 ラルフ以下、携帯していた銃を構える。

 が――。

 爆破されて天井にあけられた大穴から差し込むかすかな月の光が照らし出した通路に立つそれは――。

「夏毅……!」

 紙野夏毅が、まるで幽霊のように青白く覇気もなく、戦闘があったというこの場にそぐわない様子で歩み寄ってきた。

「どこへ行っていたんだ?」

 ラルフが聞くと、夏毅は飄々とした口調で言った。

「さっき、そこで政府軍のヘリコプターが離陸していったよ」

「見たのか! 何機だ?」

「一機だけだったよ」

「そうか……」

 ラルフは派遣されてきた政府軍偵察隊の規模を見積もった。多くてもせいぜい七人ほどだ。

「やられたな……」

 ルイスがラルフの心を察した。

「戻るぞ。議長に報告だ」

「はいよ」

「夏毅も来い」

「うん」

 探検は中止だな、と夏毅はつぶやいた。

 全員、回れ右して元来た道を戻りだす。

 先頭をゆくラルフのそばにマリイが寄り添ってささやいた。

「やっぱり、わたしの思ったとおりでしょ?」

「なにがだ?」

「夏毅よ。早く元の世界へ帰すべきだわ」

「それはおれも思うさ。でも手段がない」

「でも、早くしないと……」

 マリイに目がすっと細くなった。

「あの少年、死ぬわよ」



 宿舎に戻った。みんな疲れていた。銃を壁に立て掛けると、そのままベッドへ直行する者もいた。

 室内の電話がジリジリと耳障りに鳴った。ルイスが受ける。二、三の受けこたえのあと、電話を切った。

「議長が、すぐに来るようにと」

 と、ラルフを振り返る。

「議長が?」

 ラルフは眉をひそめ、

「よし、わかった。すぐに行こう。おまえたちは待機。敵が他にもいるかもしれんからな。ルイス、おれと来い」

「はい」

「まったく、もう夜が明けるっていうのに忙しいことだな」

 二人は出ていくのを見送りながら、今池ポウルがつぶやいた。

 とうとう徹夜だ。

 退室したラルフとルイスは、本部へと赴いた。

 議会室へ入った二人は、いつもとちがう室内の空気を感じとった。通信装置に暗号を打ちこんでいるオペレータたちの緊迫した気配。

「おっ、来たか。ご苦労だった」

 議長は口を開いた。

「申し訳ありません。敵には逃げられました」

 開口一番、ラルフは謝罪した。

「聞いている。負傷者と……死者も三名でた」

 議長は渋い表情で言った。

「いや、それよりも、ここがわれわれの根拠地であると政府軍に露見してしまった。空爆されるかもしれない。我々は地下街から撤退することを決定した」

「なんですって?」

 ラルフは驚いた。本部基地を放棄する――根拠地を失うことはレジスタンスにとってかなりの痛手だ。

「すでに撤退の準備が始まっている。そこでおまえたちに、その手伝いをしてもらいたい。急なことで、やるべきことは山ほどある」

「議長、それよりも、異界都市に行かせてください」

 ラルフは唐突に言った。

「なに?」

「あの計画を実行します。今しかないと思います」

「無茶な」

「おそらく、異界都市については、政府でもよくわかっていないはずです。敵も我々の本部を知ったことで、油断していると思います」

 血気盛んな青年将校のようなラルフの口調だった。

「本部を失う前に、政府軍に一泡ふかせておかないと、今後の士気にかかわります。ここは打って出るべきです」

「おまえたちはわれわれにとって大事な人間だ。祖国解放に必要なのだ。過度に危険な任務につけて死なせるわけにはいかない」

「ですが、われわれの活動がここで潰えてしまっては、いつまでたっても祖国は解放されません」

「強情だな……」

 ラルフは言いだしたらきかなかった。それは若さからくるものなのだろう。国を思うそんな一途な気持ちが、強い求心力となっている――。レジスタンスはそんな人間によって動いているのだ。しかしそれが行き過ぎると大きな失敗を犯す。失敗を恐れてはならないが、勇気と無謀はちがうのだ。無茶だと思う作戦なら、止めるべきだ。だが――。

 議長はラルフを信頼していた。それは揺るがなかった。頭のいい男だ、無事に戻ってくるにちがいない。

「ルイス、おまえはどうだ」

「尋ねるまでもないでしょう」

「しょうがないやつらだな。わかった。こっちのことはまかせろ。撤退の準備には他をあたる。行ってこい。ヘリがあるから、それを使え」

「ありがとうございます、議長」

「くれぐれも無茶はするなよ。だめだと思ったら、潔く引き返す勇気を持て」

「わかってます。さっそく作戦を検討します」

 そのとき、ドアが開いてマリイが入ってきた。退出しようとするラルフと目が合う。

「もう話はすんだの?」

「ああ。決まったよ。異界都市に行く」

「……そう」

 マリイはべつだん驚いた様子もなく、

「そうじゃないかって思っていたわ」

「作戦を練らなければならない。忙しいぞ」

「待ってよ」

 出ていこうとするラルフを呼び止めた。

 ルイスは二人の様子をちらりと見て、「先に行ってる」とラルフを残して部屋を出ていった。

「忘れちゃこまるなぁ」

 マリイは腰に手を当て、抗議するように言った。

「?」

「次の作戦はいっしょに行くって言ったわよ」

「そういえば、そうだったな」

 ラルフはすっかり忘れていた。

「だが、危険だぞ」

「作戦に危険はつきもの――そんなことはとっくにわかってる」

 ラルフはマリイを凝視みつめる。そしてその瞳に、強い意志を見た。何が起ころうとも、失わない光。

 マリイは実戦を経験していた。訓練でも、ついてくる体力はじゅうぶんあったし、その点での心配はなかった。

「よし、来い」

 ラルフは言った。マリイは力強くうなずいた。

 二人は出ていった。

 閉じたドアをほんのしばらく見つめていた議長は、口の端を曲げてほくそ笑んだ。



 梅田での偵察を終えて帰投する政府軍ヘリの機内は意気揚々と士気が高かった。生駒山の向こうから昇ってくる朝日が暗緑色の機体を鮮やかに照らす。

 恩地少尉は、窓から差し込む朝日を顔に受けて、遥か下方の地上を見下ろす。市街地から山地へとヘリは北上していた。

 レジスタンスの本部をたたけば、長く続いた内戦も終結するだろう。平和が訪れ、そうなれば、この荒れた国土も復興する。

「このヘリはどこへ向かっているんだ?」

 そう訊いたのは、レジスタンスの構成員で、偵察隊員とともにヘリに乗った男だった。

 隣に座る恩地少尉は、心の底を見透かすような目でレジスタンスを見返した。捕虜というより寝返り者だ。名前は砂井ケントといい、レジスタンスの一員だったのだが、どういうわけか突然政府軍に協力すると言いだした。一時の気の迷いではないか――と思った。徴兵されて軍に入隊したのならまだしも、レジスタンスの構成員は、反政府の旗のもとに自主的に集まっているのだ。簡単に裏切るとは思えない。

 スパイのつもりか――。

 いや――と恩地少尉は思った。そうではない。目を見ればわかる。

「中国山地の三次みよしだ」

 あっさりこたえた。

 軍用ヘリに操縦席と副操縦席以外には座席はない。平らな床に直接腰を下ろしていた。

「少尉殿……!」

恩地少尉の向かい側にすわる松戸軍曹が驚いて声を上げる。軍事機密を簡単にしゃべっているのを聞いて動揺した。

「気にするな。もうこいつはレジスタンスには戻れない。そうだろ?」

 砕けた口調で同意を求められ、ケントはうなずいた。その顔にはいつ終わるとも知れない戦闘による疲れが暗い影を落としていた。

「いくら協力するといっても、一応捕虜という立場ですよ」

 松戸軍曹はしかし納得できない。

「おれたちはこれから帰るのは、異界基地だ」

 だが恩地少尉は気にしない。

「聞いたことあるか?」

 陽気な上官の調子が気になったものの、松戸軍曹はそれ以上はなにも言わなかった。なにかあれば収容所へと送ればいいだろう、と考えを変えた。

「異界基地!」

 ケントの目が見開かれる。

「その様子だと、知っているようだな」

 政府軍が秘密裏におこなっている実験があった。並行宇宙転換装置である。その実験の影響で紙野夏毅がこの世界へ飛ばされてきたのである。

「レジスタンスのなかで話されているのを聞いたことがある。異界都市にある転換装置で別の世界へ行き来することができ、広大な領土を獲得するのが目的だと……」

「そのとおりだ」

「だがそのせいで国土が荒れてしまった。レジスタンスではそこを攻撃して、装置を破壊する作戦が検討されていた」

「まさか!」

 今度は恩地少尉が驚いた。

 異界都市は、その特異性から秘密都市とされ、国民はおろか軍属でさえも、その存在を知る者は少なかった。

 厳重な警戒網が張り巡らされているそこを襲撃する?

「なにも知らないレジスタンスらしい作戦ですよ」

 松戸軍曹が鼻で笑った。

「返り討ちにされるのがオチだ」

「そいつはいつ決行されそうなんだ?」

「そこまでは……」

 ケントは口ごもった。

「ふうむ……」

「隊長、この捕虜の言うことを真に受けるんですか」

 松戸軍曹は考え込む恩地少尉を気遣った。

「気にするほどではないですよ」

「おそらく、それはまもなく実行されるだろうな」

 恩地少尉はわかったような顔でポツリと言った。

「どうしてですか?」

 意外だ、と言わんばかりの松戸軍曹。

「レジスタンスの本部が露見したんだ。攻撃を受ける前になにか行動を起こすはずだ。とすれば、一番大規模な作戦を実行するにちがいない」

 恩地少尉はパイロットの桂伍長にあとどれぐらいで到着するか確認したあと、ケントに向き直った。

「貴重な情報を感謝する。おまえの処遇はおれに任せろ。悪いようにはせん」

「あんたがそう言うなら……」

 ケントはホッとした表情を浮かべた。



 作戦の参加人数は五名。全員ラルフ隊のメンバーだ。

 政府軍が統治する異界都市に潜入し、並行宇宙転換装置を破壊するのが目的だ――。

 以前から検討していた作戦内容をさらに調整し、ラルフは仲間に伝えた。

 作戦を実行するにあたって、レジスタンスは前もって情報を入手していた。それがあってこそ作戦は実行可能なのだ。異界都市の正確な場所はもちろんのこと、都市の道路地図や施設の配置。潜入から脱出までの経路を決定するのにも、絶対に必要なものだ。

 そして今回、作戦実行メンバーの他にもう一人、べつの目的で同行する人間がいた。

 紙野夏毅である。

 偶然、この世界へ入ってきてしまった、この内戦の被害者といえる。政府がおこなった実験さえなければ、こんな戦乱に巻き込まれることはなかったはずである。

 今回の作戦で、転換装置を破壊する前に、夏毅を元の世界へ戻す――。

 夏毅が元の世界へ戻るにはこの手しかないだろう。単身で政府軍に掛け合って、というのでは、まず相手にされない。

 いうまでもなく危険だ。軍事施設へ侵入するのだから、ひとつ間違えれば銃殺されかねない。といって、一生、この世界に居続ける気はない夏毅だった。内戦はいつ終わるとも知れず、危険を顧みなければ帰還はいつになるかわったものではない。多少の危険はやむをえない。

 とはいえ、命がかかっている問題だから、夏毅もしばし悩んだ。

 が、のんびり熟考している時間はなかった。

 夏毅は決意した。

 ラルフたちがこの時期にこの計画を実行するのは、梅田地下街のレジスタンス本部が政府軍に発見されてしまったという理由だけではなかった。

 政府軍といえど潤沢な資金でもって運営されているわけではなかった。内戦状態にある国の例にもれず、財政難でじゅうぶんな正面装備をそろえられずにいた。なんらかの作戦を実施すると、他が手薄になってしまうのは否めなかった。異界都市も事情は同じだ。

 最近、ある実験の失敗により、異界都市の防衛能力が落ちているという情報があったのだ。もともと転換装置によって出現した異世界の都市である。装置がどんな原理によるものなのか極秘にされているため外部からはうかがいしれないが、軍にとっても不安定で手に余る代物なのだろう。現在、その実験の失敗により電力さえまともに確保できていないらしいというのである。さまざまな研究がされていたが、中には放棄されたものも多数あるらしい。

 そんな事情もあって、この時期に実行するのがいいと、ラルフは強く主張したのだった。機は熟したのだ。

 鹵獲した軍用ヘリをレジスタンスは持っていた。

 政府軍の塗装のままのヘリコプターは、爆撃・偵察・輸送・夜間攻撃など多用途に使用されていた。レジスタンスの装備はじゅうぶんとはいえないから、どんなものでもフル稼働だ。

 何度か戦場をくぐり抜けてきた修繕の跡があちこちにある、軍の工場ではなくレジスタンスのメカニックたちによって整備・修理されたヘリコプターは、設備の貧弱さもあって、どうにか機能だけ間に合わせているという程度で、いつ故障するともしれなかったが、贅沢はいえなかった。

 上空から見つからないよう、JR大阪駅の大屋根の下に隠されて格納されていたヘリコプターに移動した。

「せまいなあ」

 開口一番、胴体横に開いたドアから入って、夏毅はヘリの内部を見回した。武器弾薬が積まれていて、人間のためのスペースが大きく削られていた。

 殺風景な機内にはすでにラルフ隊の選抜メンバーが乗り込んでいた。ポウル、ルイス、マリイの三人。

 離陸に備えて各自、壁に取り付けられてある背もたれにハーネスで体を固定しはじめている。旅客機ではないから座席と呼べるような代物はない。兵員も物資も同じ扱いだ。軍用機はどれも機能が優先され、居住性はほとんど無視される。快適な空の旅とは無縁なのだ。

「早くすわってベルトをつけろ」

 ポウルに言われて、夏毅はその隣にすわった。みんなと同じようにベルトで体を固定しようとしたが要領がわからない。まごまごしていると、ポウルが手伝ってくれた。

「まったく、世話の焼ける坊やだぜ」

「わるかったよ」

 機首のほうを見ると、背中をかがめないと通れないほど小さな通用口からコクピットが見える。座席にすわって発進準備にかかっている男の後ろ姿が見えた。

「あれは誰だっけ?」

 夏毅の指さすほうを、ポウルは見た。

「北津レオン。やつは数少ないヘリの操縦者だ。部屋にもいただろ。まだ名前、おぼえられないのか」

「しょうがないよ、そんなこと言ったって」

 ――だいたい、いっぺんにおぼえられるものか。全部で何人いるんだ?

「ところで、ラルフは?」

 ラルフがまだ乗っていなかった。なにをやってるんだろう、と夏毅は思った。

「議長と話をしているのよ」

 とマリイ、

「梅田本部が放棄されるから、その後のことについてね」

「それと、この作戦では情報が大事だからな。最後まで情報の整理に忙しいんだ」

 ポウルが補足した。

「ふうん」

 夏毅にもある程度の情報は伝えられていた。しかしそれもじゅうぶんなものとはいえなかった。だから作戦は、いってみれば、ぶっつけ本番だ。なるようになるさ、という部分がどうしてもあった。

 当然不安はある。期待より不安のほうが大きい。見知らぬ世界でなにもわからない。どんなことが起きるか予測できない。この世界にきてまだほんの数日しかたっていないが、自分が普通に感じていたことが通用しないということを、すでに何度も思い知らされた。この先もおそらくそんな場面に出くわすにちがいない。

 小走りでラルフが来た。ひょい、と機内へ上がり、ドアを閉じる。ロック。

「よし、出発だ」

 ろくに眠っていないのに、疲れた様子もない。コクピットへ移動する。狭い空間へ体をねじ曲げるようにして、器用に座席に収まった。

「各種のチェックは終えました」

 操縦席のレオンが言った。よく日焼けした顔に生き生きとした表情を浮かべて。フライトが好きでたまらないのだろう。

「エンジンを始動します」

「了解」

 とハーネスで体を固定して、ラルフ。

 エンジンがスタートすると、各アナログメーターの針が振れた。振動と爆音がひどい。頭の上のローターが回転する。

「エンジン快調。全系統異常なし」

「発進」

 操縦ハンドルを引くと、機体は上昇を始めた。

 風で運ばれて薄く積もった砂が舞い上がる。砂煙を上げながらヘリはゆっくりと水平移動、大阪駅のホームを覆う大屋根の下から出ると、急上昇した。

 梅田を飛び立ち、西へと針路をとる。ヘリコプターは一路、異界都市へと向かった。



 梅田を発って30分ほどがすぎた。

 能勢から川西へと抜け、さらに西に進んでいた。

 周囲には山々が連なっており、その合間の盆地に集落と荒れた田畑が遠慮がちに広がっていた。それらが今も人によって管理されているのかどうかは上空からではうかがい知ることはできないが、おそらくだれもいない……。

 高度はかなり低く、山の間を縫うような危うい飛行だった。気流の乱れにつっこめば、機体が大きく揺れた。レーダーに探知されにくいよう、気を配っているのだ。

 もちろん、乗り心地はすこぶる悪い。生まれて初めてのヘリコプターに、最初は興奮していた夏毅だったが、三分もすると閉口した。

 異界都市――。

 中国山地の西部、三次の山中に突如出現した並行宇宙転換装置。その周囲に研究のために築かれた軍の施設である。

 並行世界へ行き来する技術を確立しようと研究を始める軍が、さまざまな実験をとりおこなうなかで、さまざまな影響が出始め、ついにはあちこちの町が荒廃するに至った。それでも軍は研究を凍結しなかった。並行世界から地球全体をも上回る富を得る可能性があったからだった。

 そして突入した内戦の時代。新たに国を支配下に置いた新政府軍が異界都市を征した。

 その中心的な役割を持つ「異界都市」へ、ラルフたちは殴り込みをかけるのである。

 ここまでの間、政府軍機との遭遇は一度もなかった。発見されてはいないということだろう。

 もうすでに太陽は西へ沈もうとしていた。異界都市に潜入するころには夜になっているだろう。それも計算の上だった。

「そろそろ到着だ」

 コクピットのラルフの声が機内に届いた。

「全員、心の準備はいいな。とくに夏毅、覚悟はできてるな」

 突然言われて、夏毅は怖じ気づいた。その瞬間が近づいてくるとなると、だんだん胃が痛くなってきた。

 エンジン音の響く機内では、大きな声でないと話が聞こえない。だから到着するまでの間、一人であれこれと考えていた。すると不安ばかりがこみあげ、頭の中をぐるぐると回ってくるのだった。

「どうした、夏毅。梅田に帰りたくなったか?」

 隣にすわるポウルが茶化すように言った。

「ここまで来たんだ。やるさ、どうあっても」

 自分に言い聞かせるかのように、夏毅は返答した。

「追いつめられたら、人間、なんだってできるってことか」

 ポウルは肩をすくめた。平和な世界で生きてきて、実戦の経験のない夏毅に、この難関をくぐり抜けることができるのだろうかと危惧したが、レジスタンスに参加して初めての戦闘を経験した自身を振り返ってみて、なんとかなるだろうと思うことにしたポウルだった。

 ヘリで異界都市へ進入するわけにはいかない。その手前で着陸し、陸路で進む手筈だった。

 ヘリは高度を落とした。なだらかな山の斜面に直接降りるのだ。

 木の生えていない場所なら、機体の損傷もなく不時着が可能だろう――もっとも、いくら小型のヘリコプターとはいえ、それをおこなうにはかなりの操縦テクニックが要求される。レオンは、以前は政府空軍のパイロットで高度な教育を受けていた。いってみればエリートだ。

 操縦桿を慎重に操作する。外は日が陰り、やや薄暗くなってきた。

 エンジンのパワーを絞りつつ、降下。

 時間があまりなかった。日が沈んでしまっては、もはや着陸できない。もっと着陸しやすそうな場所はないかと吟味している暇はない。多少難があっても強行する。

 着陸態勢に入った。周囲の複雑な地形の影響で、風が予想外の方向から吹いてくる。機体が大きく揺れた。

「くそッ」

 暴れる機体をねじ伏せるようにして安定させる。

 レオンの隣の座席のラルフの表情も緊張している。

 茶色い地面が迫ってくるのが、コクピットの窓から見える。

 タッチダウン。着地のショックは吸収しきれず、衝撃が機体を突き上げた。さらに整地していない地面は凹凸が多く、機体が傾く。

 エンジン停止。

「完璧だ」

 ラルフはレオンに向かって親指を立ててみせ、

「ご苦労さん」

「ま、こんなもんですよ」

 さっそくハーネスをはずした。ラルフとレオンは後部へ移る。隊員たちも各自ベルトをはずし、潜入の準備を始めている。出発前にあらかじめ装備はそろえていたから、あとはそれを確認して持って出るだけだ。傾いた機内でてきぱきと動く。

「夏毅、酔ったか?」

 一番遅れてベルトをはずした夏毅に、ラルフが声をかけてきた。

「着陸の瞬間は生きた心地がしなかったよ。機体が分解しやしないかと冷や冷やした」

「気持ちが悪いなら、留守番してるか?」

「冗談だろ。ここまで来たのに、それはないよ」

「よし。じゃ、出発だ。――みんな、用意はいいか」

「はい!」

 ドアを開け、全員外へ出る。

 そこは、周囲を丘に囲まれた窪地のような場所だった。太陽はすでにその山の向こうに沈んでおり、群青の空に残照が赤く景色を浮かび上がらせていた。

「さあ、行くぞ」

 ラルフが言った。

 丘の向こうは、政府軍の異界都市だ。


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