第5章 政府軍
一機のヘリコプターが梅田上空に現われたのは、日没後二時間ほどしてからだった。
月明かりに浮かぶゴーストタウンは上空から見ても不気味であった。電灯どころかかがり火さえ見えない。
「なにも異常は発見できません」
窓から下を視つめている兵士は、静かな地上を報告した。
「うむ。いったん通りすぎてから、着陸態勢に入る」
操縦桿を握る隊長が言った。
梅田は高層建築物が建ち並び、ヘリコプターが降りられそうな広い場所は限られていた。
今やゴーストタウンとなったそこへわざわざ偵察ヘリを送り込んだのは、梅田の地下にレジスタンスの本部があるという情報を得たからだった。以前からそんな噂はあった。しかし今日まで調査はおこなわれていなかった。理由は政府軍の内部事情による。
政府軍とて一枚岩ではなかった。
発展しない国情下で政権がゆらぐのはどこの国も同じだ。レジスタンスが各地で活動を活発化しているのも、それが一因といえた。
JR大阪駅の北に更地が広がっていた。旧JR梅田貨物駅の跡地である。
再開発ため貨物駅は廃止されたが、活用法が決まらず長く放置されていた都会の一等地。そこへ向けてヘリコプターは高度を下げていく。パイロットは計器の針が指す数字を見ながら着陸態勢。幸い風も穏やかだ。
ランディング・ギヤが大地を捉えた。
軍用ヘリコプターのスライドドアが開く。降り立ったのは政府軍偵察部隊の七名だ。
整列すると、隊長は短く点呼をとり、装備をたしかめ、移動を開始。
地下への入口は無数に存在している。ただし、現在ではそのほとんどが閉鎖されており、地下へ下りることはできない――ということになっていた。現実に落盤などで塞がっていて、危険な場所も多かった。
しかしどこからも入れない、ということはないだろう。どこかに侵入できるところがある。だが広い市街のどこに入口があるのか――。
偵察隊の任務は、レジスタンス本部の存在の確認とその規模の把握だった。
隊長の恩地少尉は、懐中電灯で地図を照らし見た。そこには地下都市の概略図と主な出入口の場所が示されていた。
少尉は、任務完遂のためにはどうすればいいかすでに考えていた。
街にトラップが仕掛けられている可能性は少ないとみていた。そんなものを仕掛けていては、ここが怪しいと教えているようなものだからだ。地上での行動にとくに注意する必要はない。大胆にしてもだいじょうぶだろう。だがだからといってすべての出入口をしらみつぶしに調べる時間はなかった。
少尉はいぶり出すことにした。
地下都市の上の道路を爆破して大穴をあけ、内部に侵入する。もしレジスタンスの本拠地なら警備兵が出てくるだろう。あくまで沈黙を守るなら、直接この目で見るまでだった。いずれにせよ、それではっきりする。
地図で確認し、駆け足で向かったのは、ヒルトンホテルの前、地下鉄西梅田駅の上だった。
「よし、ここにダイナマイトを仕掛ける。用意しろ」
てきぱきと作業が始まる。
舗装された道路に電動ドリルで穴をあけ、ダイナマイトを入れる。十本ほどセットした。ほぼ円形に、一カ所に力が集中するように配置した。
「発破!」
ビルの陰に潜み、起爆スイッチを押して、点火。静かな夜の街に、目を覚ませといわんばかりの爆音が轟いた。
地下にもその音と振動は伝わっているはずだ。それ以前に、地上に設置された監視設備によって、すでに偵察部隊の存在はレジスタンスに知られているかもしれなかったが、目的はあくまでレジスタンスの基地の存在の確認だ。レジスタンスが出てきて本部があるということさえわかれば、引き上げる。できるだけ戦闘は避け、情報を持ち帰ることを最優先とする。
爆発跡に大穴があいていた。のぞきこむと、地下鉄・西梅田駅のコンコースが見えていた。暗かったが確認できた。
ロープを伝って全員が下りる。
誰もいなかった。
ここは使われていない区域なのかもしれない。
梅田地下街は広大だ。現在そのすべてが機能しているとは考えられない。レジスタンスが使用しているのは、おそらくそのうちのごく一部にすぎないだろうと想像できた。
周囲を照らして見ると、その荒廃ぶりは激しかった。壁には亀裂が走り、浸み出した地下水が床のタイルを濡らしていた。天井のダクトはあちこちで外れ落ちて残骸が散乱している。他にも大小さまざまなゴミが散らかっていた。ゴミとしか表現できない、元がなんだったかわからない雑多な部材。ネズミの死骸。
「行くぞ」
恩地少尉が小さくささやいた。
もちろん地下街の地図は把握していた。隊員各自が所持していたし、事前に頭に叩き込んでいた。
事前のブリーフィングで、どこを調査するかも決めてあった。
東へ移動する。阪神百貨店の前から南へ向きをかえ、ディアモール大阪方面へ。
小さなライトをつけて移動した。レジスタンスに発見されてしまうかもしれなかったが、そうなれば、ここがレジスタンスの基地だと知れる。
逆に、さっきのダイナマイトで警戒して誰も出てこない可能性があった。そのほうが厄介だった。レジスタンスに待ち伏せされ、襲撃されることもあり得た。わずか七人の部隊のため、全滅も考えられる。
その場合、ヘリコプターに残ったパイロットが仲間を置いて帰還する手はずだった。細い無線ケーブルを引きずってきていた。通話でレジスタンスが発見されたらもちろんだが、単信号を送り続けているので、これが停止したら全滅とみなし、ヘリコプターはレジスタンスの基地があったとして離陸することになっていた。
軍の作戦である以上、危険は常にあり、命をかけてのミッションだった。
予想していたレジスタンスの攻撃はなかった。沈黙を守っているだけなのか、どこかで待ち伏せしているのか、それはわからなかった。レジスタンスの本部など存在しないかもしれない。
油断なく、警戒しながら通路を進む。隊員たちの背中で揺れる装備の音が、暗い地下トンネルにかすかに響いた。
下り坂の真ん中に円柱が等間隔に並んでいるところを抜けると、ディアモール大阪の中央円形広場に達した。
そこからは三方に通路が枝分かれしている。南、南東、東の各通路の先いずれにも明かりは見えない。
南東の通路を選んだ。進むと、大阪駅前第4、第3、第2ビルへと接続している。
幅四メートルほどの通路の壁際にそって前進した。
通路左側に第4ビルへの入口がぽっかり口をあけていた。
地下2階である。
「ライトを消せ」
恩地少尉が短く命令する。
返事もなく、全員のライトが消えた。
闇が辺りに満ちた。
第4ビルの奥のほうに、かすかな明かりが確認できた。
それを見て恩地少尉は確信した。――まちがいない、ここはレジスタンスの本拠地だ。
まだ証拠があるわけではなかったが、少尉の直感がそういっていた。むろんそれだけでは帰れない。ちゃんとした証拠が必要だった。報告しても、単なる不法占拠者がいるだけだと言われれば返す言葉がない。
「二手に分かれよう」
恩地少尉は提案した。
「松戸軍曹と桂伍長は、おれとこのまま地下二階を調査する。他の四人は地下一階へ上がって調査するんだ。やつらは必ずこのビル内にいる。発見したらすぐに脱出せよ」
「はい」
レジスタンスと戦闘になり、一方が捕えられるか殺されるかしても、もう一方が脱出できれば情報を持ち帰れる。
四人が停止しているエスカレーターをあがると、恩地少尉は二人の部下とともにさらに地下二階を進んだ。
明かりがあることから、現時点でもっともレジスタンスと遭遇する可能性の高い場所といえる。
肩にかけていた自動小銃を両手に抱え、通路内を進む三人の政府軍偵察隊員。
前方の、明かりのある場所に近づいて、曲がり角でいったん停止する。
南北に分岐していた。南へ行くと第3ビル、北へ行くと、地下鉄東梅田の改札口へ出る。
そのとき、人の話し声が耳に届いた。閉鎖された地下空間のため、わずかな人声でも遠くまでよく響いた。
人の声は三人か四人だと思われた。戦闘をしかけても勝てる人数だ。
侵入者を探すために集まってきたのだとすると、当然武装しているだろうが、それでも不意をつけばあっという間にかたがつく。
松戸軍曹が銃をかまえた。
すると、待て、と恩地少尉はそれを手で制した。
爆発音がした直後に警戒態勢がしかれた。
レジスタンス警備隊員が現場に向かった。
事故なのか、敵が侵入を図ったのか、その調査するのだ。
落盤、という可能性が一番高かった。
人が管理しなくなると、地下街は荒廃した。改修されることなく老朽化がすすむ地下街は、落盤などがときどき自然に起きていた。レジスタンスが使用している区画はまだましだが、放棄された区画ではそれが顕著だった。今回の爆発音も事故かもしれなかった。
大阪駅前第3ビルの本部から各所に数人のグループ単位で散っていった。
敵の侵入の可能性もあったから、やはり武装して調査に向かう。本部の存在を敵に知られるわけにはいかない。
国内各地に散在して活動しているゲリラ部隊の、ここは中枢なのだ。政府軍に発見され、空爆で破壊されてしまっては、全レジスタンスの士気にかかわる。
第4ビルの地下二階にも調査に向かった一隊があった。三人だった。
本部ということもあって、あまり緊張感がない。ぼそぼそとしゃべりながら歩む。
そのため交差する通路の陰から突然現れた侵入者への対応が遅れた。
「なにっ?」
驚いた次の瞬間、銃火が瞬いた。
一瞬で終わった。たちこめる火薬の匂い。
恩地少尉、松戸軍曹、桂伍長の三人は、すかさず、死体を調べはじめた。流れ出た血が通路に広がっている。所持していた銃は中国製の軍用自動小銃だった。身分証明書らしきものはなかったが、レジスタンスの一員であることを示すバッジを付けていた。それで十分だった。
恩地少尉は立ち上がると、小型カメラで写真を撮った。
「隊長、これからどうします?」
死体を調べおわった松戸軍曹は立ち上がった。
「引きあげますか?」
「いや、調査続行だ。先を急ぐ。この死体が発見されるのは時間の問題だ。レジスタンスがここを根城のひとつとして使っているのはまちがいないが、どの程度の機能があるのかを調べる必要がある。議長がいれば、ここは本拠地だ」
「三人とも殺しちまったのは失敗でしたね。一人だけでも生かしておいてたら、白状させられたのに」
「まだチャンスはある。行くぞ。こいつらがどこから来たのか、それをたどる」
さらに通路を進んだ。
第4ビルに入った。
ここからは先はより慎重に行動しなければならない。もしレジスタンスの本部となれば、そこにいる人数も多いはずである。いきなり敵の正面に出てしまうかもしれない。大勢の敵を前に、たったの三人では戦いにならない。
まだここがレジスタンスの本部だという決定的な証拠がない。それさえ手に入れば、即座に帰投するのだ。
進むにつれて、通路が明るくなってきた。天井に照明が増えてきて、互いの顔が確認できるほどの明るさになっている。中心部に近づいているからなのだろうか――。
しかしこれでは、と恩地少尉はほぞを噛んだ。ほとんど直線のトンネルだ、かなり遠くからでも容易に見つかってしまうだろう。前方、かなり遠くまで見通しがよかった。身を隠す場所すらない。
心配は的中した。
集団が通路の向こうから現れた。
「隊長!」
松戸軍曹があわてた。
「わかってる」
恩地少尉は周囲を見回す。さっきからどうすればいいかと考えていた。
ところどころに並行に走る通路をつなぐ横道があった。そこへ飛び込んだ。
しかし遅かった。寸前で発見されてしまった。通路内に誰何する声の反響するのが聞こえる。
階段を駆け上った。地下二階から地下一階へ。追ってくるレジスタンス。
松戸軍曹が階下に向けて自動小銃を発砲した。連射する。跳弾が火花を散らした。悲鳴があがり、レジスタンスも銃を撃ってきた。
「退がるぞ!」
恩地少尉は後方へと駆け出す。松戸軍曹と桂伍長もそれに続いた。
「恩地隊長!」
今度は別の方向から声がかかった。さきほど別れた四人だった。
「こちらへ!」
「なにか見つけたか?」
恩地少尉は問う。
「ここには、議長がいますよ」
「なに?」
「こいつを尋問しました」
兵士は、ひとりのレジスタンスの首根っこをつかんでいた。
「ここは間違いなくレジスタンスの本部です」
「ううっ」
首を押さえられ、苦しそうにうめくレジスタンス。拳銃をつきつけられ、逃げられない。
「よくやった。ならば、直ちに脱出だ」
恩地少尉はうなずいた。
議長がいるとなればもう間違いない。
議長がいたからといって、暗殺までは考えていなかった。それが可能だとしても、恩地少尉は実行するつもりはなかった。偵察が目的で、それ以上のことはしない。命令違反だ。
捕虜に向かって言った。
「だれもいない出口へ案内しろ」
ここはレジスタンスの本部だ。道案内なしで動けば、当然、レジスタンスと遭遇するリスクも高くなる。侵入が露見してしまった今、彼らは血眼になって偵察部隊を探しているだろう。ただレジスタンスにしても地下通路に精通しているわけではないのだ。すべてに管理が行き届いている要塞基地ならこうはいかないだろう。急ぐ必要があった。
「頼む、撃たないでくれ」
囚われのレジスタンスが情けない声で訴えた。
「我々に協力するなら、殺さないと約束しよう」
恩地少尉は顔を近づけた。
男は顔面蒼白になってうなずいた。いくら決意のあるレジスタンスとはいえ、この状況でそうそう冷静でいられる人間は少ない。
「こっちなら、だれもいない……」
捕虜が通路の先を指さす。
「よし、いい子だ。案内しろ」
地下一階の通路を行く。階段を上がれば地上階であるが、出入り口がほとんど閉鎖されていた。迂闊に進めば袋小路に入り込んでレジスタンスに攻撃されてしまう。その意味で、道案内は貴重だった。
別の階段から一度地下二階へ下りる。
照明がほとんどない通路は、どこをどう進んでいるのかわからない。
ディアモールに入った。
北へと進む。分岐路に出た。
まっすぐ行くとJR大阪駅。右へ行くと、地下鉄東梅田駅だ。振り返ると、梅田DTタワーの吹き抜け階段あった。ガラスドアが割れて、冷たい空気が下りてきていた。仰げば、そびえ立つビルが見えている。この階段を駆け上がれば地上だ。
「ここから出られる」
捕虜は恩地少尉に向かって言った。
「脱出できたら、無事に釈放してくれるんだろうな」
「ああ、軍旗に誓って保証しよう。おかしな真似さえしなければな」
恩地少尉は時計を見る。夜明け前には脱出しなければならない。乗ってきた偵察ヘリまで見つかってしまっては、収集した情報を持ち帰ることができなくなる。
偵察隊員たちは警戒しながら階段を上がった。
地上にでた。周囲に立ち並ぶビルの間から星空が見えていた。
「さ、ここまで連れてきたんだ。約束どおり解放してくれ」
「いや、まだだ。ここはどのへんだ? 大阪駅の北側の空き地まで戻りたい。そこまで案内してくれ」
「空き地……?」
「大阪駅の向こう側にあったろう?」
「あ、貨物駅跡か……」
捕虜は合点した。
「なら、こっちだ」
「あってます」
と、念のため地図で確認していた松戸軍曹。ここへきて捕虜がまだ素直に従うかどうかわからなかった。この状況に少しは慣れて、嘘を教えて時間を稼ごうとするかもしれなかった。数の上ではレジスタンスのほうが圧倒的だ。冷静にそれを考えれば、救出される見込みさえある。
だが、彼はそうはしなかった。
貨物駅跡まではそう遠くなかった。
時間がなかった。もうすぐ夜明けだ。
大阪駅を正面に見て、ビルの間の道路を左に曲がると、大阪中央郵便局の背の低い建屋が見えた。そこを北へと曲がり、JR大阪環状線のガード下をくぐった。
周囲にレジスタンスの姿もなかった。だが間一髪だろう。すでに侵入口は露見しているだろうから、どうやってここへ来たかを知るため地上にも人員を出しているかもしれない。
だだっ広い貨物駅跡の敷地内へ、フェンスの破れ目から入った。日の出はまだだったが、東の方がぼんやりと明るくなってきていた。
ぎりぎりの時間だ。エンジンをかけて、離陸の準備だ。
松戸軍曹が乗りこみ、発進準備をおこなう。
「ご苦労だった」
捕虜に向かって、恩地少尉は言った。
「もう行っていいのか?」
「ああ、約束だからな」
軍用拳銃をホルスターにおさめ、敬礼する。
「協力を感謝する」
男はほっとした表情になった。
ヘリのエンジンが動きだした。回転を始めるローター。
「隊長、早く乗ってください」
搭乗口から桂伍長が叫んでいる。
そのとき、銃声がした。自動小銃の連射音。
振り向くと、大阪駅の北口からグランフロント大阪とをつなぐ空中通路にいくつもの人影が見えた。レジスタンスだ。高いところからヘリを見て銃撃してきたのだろう。だがまだ距離がありすぎて命中しない。それでもぐずぐずしてはいられなかった。すぐに発進だ。
恩地少尉はきびすを返し、ヘリに乗りこんだ。
「待ってくれ!」
だがドアを閉めようとしたそのとき、解放したはずの男が叫んだ。
「なんだ、まだいたのか」
「おれも連れていってくれ」
「なに?」
「このままおいていかれたら、まちがわれて仲間に撃たれてしまう」
ローターの起こす風が強くなる。
恩地少尉は少しの間考え、決断した。
「いいだろう。乗れ」
男は飛び乗った。ドアが閉まる。内側からロック。
離陸を阻止しようと、レジスタンスは走りながら銃を撃ってくる。
操縦する松戸軍曹は、エンジンの回転数をさらに上げ、操縦桿を引いた。離陸。
上昇していくヘリに向けてなお銃撃をしてくるレジスタンスだったが、もはや弾丸は届かない。
コクピットの後部シートにおさまっているレジスタンスの男に、恩地少尉は言った。
「もう、戻れないぞ」
男は正面を向きながらこたえた。
「いいさ……。あんたなら、おれの命を預けられる気がする……」
「ふん。男に惚れられたかないぜ」
恩地少尉は笑った。
小さな窓から機内に差しこむ朝日がまぶしかった。