第2章 レジスタンス
話し声がする。低い男の声。
――誰?
なじみのない声。
――とすると、ここは自分の部屋じゃないのか。どこだっけ?
紙野夏毅は目をあけると、周囲を見回した。
――え?
全然知らない場所だった。薄暗い室内。倉庫のようなところで、薄ら寒い印象。
二人の男が小さなたき火をはさんで向かい合っていた。一人は見覚えのある顔だった。
夏毅はそれでやっと思い出した。目が覚めたとき、いつもの生活がつつがなく流れている……わけではなく、あれは現実だったのだ。ゴーストタウン化した大和高田。誰もいない街でさまよっていた、帰ることもできずに。そして――。
「お、目が覚めたようだな」
さっきの若い男が夏毅の様子に気づいた。「どうだ、気分は?」
言って、歩み寄ってきた。出会ったときのような武装はしていなかった。薄汚れたTシャツに濃緑色のズボン。
夏毅は傷んで破れ目だらけのソファに寝かされていた。どうやら意識を失っている間にここへ運びこまれたようだ。あのとき、急に気分が悪くなって、それで……。そうか、この人たちが……。
「ん……。ずい分よくなってるみたいです」
夏毅はぎこちなくこたえた。
「……ありがとうございます」
男は夏毅の額に手を当てると、
「まだ熱っぽいな。もう日も暮れた。めしを食ったら、またゆっくり休んでくれ」
「あの……」
夏毅は気になってしかたがなかった。今こそすべての説明を聞くときだ。自分のおかれている状況は謎だらけで不安このうえない。
「いったい、なにがどうなっているんですか?」
「そうだな……」
男はたき火の前にもどり、干し肉を乗せた皿と水の入ったペットボトルをとると夏毅に差し出した。
「悪いが今はこんなものしかないんだ」
夏毅はペットボトルをつかむと、いっきに飲み干した。ずっと喉が渇いていたから、涙が出るほどうまかった。大きく息をつく。
「ま、なにも知らないではでは落ち着いて眠ることもできんか……。おれのわかる範囲で説明してやってもいいが、かえって不安になるかもしれんから、覚悟して聞いてほしい」
そう言って、彼はソファの傍らにすわりこむ。
夏毅は心臓がキュウと痛くなるのを感じた。いったいなにを言われるのか、自分の身に起こったことがどれほどのことなのか。「覚悟」という言葉は、不治の病を宣告される患者のような気分にさせた。
「だがまずは自己紹介といこうじゃないか。おれは田村ラルフ。ラルフでいい」
「あ……おれ、紙野……紙野夏毅です」
ラルフは口の端を曲げて笑った。
「歳は?」
「十七」
「そうか……。やはりまちがいないな……。じゃあ、説明するぞ、夏毅くん」
一人で合点して、なにがまちがいないのか夏毅にはさっぱりわけがわからなかったが、説明すると聞いて居住まいを正した。
ラルフはひと呼吸つき、
「ここはきみのいた世界とはまったくちがう世界だ。無数にある並行世界のひとつなんだ」
「ええっ?」
夏毅は眉をひそめた。なにをいきなり言いだすんだ、この男は。並行世界? 夏毅はその言葉を舌の上でころがし、吟味する。
並行世界についてはどこかで聞いたことがあった。この世には歴史の異なる無数の宇宙が並行して存在していて、自分の生きているのはそれらの宇宙のうちの一つであるというのだ。宇宙物理学にはそのような説をとなえる学者もいたが、もちろん科学的に証明されたわけではなく、あくまでSFの領域だ。
だがその話を頭から否定できない夏毅だった。なにしろこの目で見てきた光景が壮絶なだけあって、その事実を説明しようものなら、かなりの荒唐無稽なことでももちださないと整合性がとれない。しかしそうはいっても、素直に受け入れられるほど常識離れしてもいなかった。
不審な表情の夏毅に、ラルフは言った。
「今、ここでは戦争がおこなわれている。街の様子を見ればわかるだろう。だがおれたちは軍人じゃない。祖国解放のために悪逆政府軍と戦っているレジスタンスだ」
「…………」
夏毅は声を失っていた。にわかには信じ難かった。もしラルフの説明がすべて事実だとしたら――。
なんとなく予感していたが、未来の世界という予想はやはりちがっていた。そして戦場であるという事実……。
なんてことだ。こんなことがあるなんて。非現実的にもほどがある。
夏毅は受け入れ難かった。いきなりそんな突拍子もないことを言われても、戸惑うばかりだ。
少なくとも夏毅のいた周囲では、そんな話を真面目にするやつはない。どこまで本当なのか確かめたかった。
「標識には『大和高田』ってあったけど、並行世界ってのは、もっと似かよっている世界じゃないんですか……」
夏毅の住む大和高田とはおよそかけ離れていた。
そうだな、とラルフは認めた。
「元々は似ていたと思うよ。その証拠に言葉も通じる。元来、近い世界だからこそトリップが可能だともいえる。違うと感じるところが多いときみが思うのは、たぶん、政府軍の転換装置のせいだろう」
「転換装置……?」
「並行世界からトリップしてきた原因は、政府軍が用いた並行宇宙転換装置にある。それがために、この世界でも環境が激変してしまった。大和高田にも以前は人が大勢住んでいた。それがこうなってしまったのは、並行宇宙転換装置によって並行世界間の物質が移動してしまったためなんだ。質量保存の法則は知っているだろ?」
いきなり話題が跳躍して、夏毅はきょとんとした顔になる。
質量保存の法則。理科で習った記憶はある。化学変化をする前と後では、物質の総質量は変わらないというやつだ。化学式を思い浮かべ、もうすぐ期末試験だというのを思い出した。
ラルフは説明を続ける。
「別の並行世界へ物質を飛ばしてしまうと、宇宙における物質量のバランスが崩れる。それを釣り合わせるように、並行世界同士が物質量を勝手に調整してしまう。それで環境が激変したし、そのせいで、きみはこの世界へ跳ばされてきた」
大和高田市のある奈良盆地全体がその影響を受け、こんな灼熱の地域となってしまったのも、夏毅がここへ跳ばされてきたのも、質量保存の法則がはたらいたためだというラルフの説明は、夏毅の理解を超えていた。
そこで重ねて質問する。
「でも……だからといって、どうしておれが異世界人だなんて?」
「異世界からトリップしてきたのは、きみだけじゃないからさ。様子をみればだいたいわかる。政府軍が転換装置を使い続けるかぎり、きみのような人間が今後もあとからあとから現れるだろう」
なんだか頭が痛くなってきた。ここが未来の日本ではないことはどうやらはっきりした。となると、もう興味はなかった。どうすれば帰れるかが、夏毅のいちばん知りたいことだ。
「それで……おれは……?」
「元の世界へ帰れるのか、だな?」
ラルフは先回りして言った。夏毅の考えがわかっているようだった。
「残念だが、それはおれたちにはできない」
「じゃ……、おれは一生、ここで?」
夏毅は思わず声が上ずってしまった。
「不可能とは言ってない」
まあ、おちつけ、とラルフ。
「非常にむずかしいが、帰ることはできる。だがそれが実現するまでの間は、おれたちといっしょにいろ。でないと、死ぬぞ」
「そう脅すなよ。ビビってんじゃねぇか」
夏毅とラルフのやり取りを、たき火の前にすわったまま静かに聞いていたもう一人の男が、明るい口調で割りこんできた。
「それより、詳しいことはまた明日にしたらどうだ。そいつの頭も混乱しているだろう」
「そうだな」
ラルフは立ち上がり、たき火のそばへ戻ろうとした。が、急に立ち止まる。一瞬にして空気が張りつめた。
すわっていた男も立てかけてあったライフルに手をのばした。
二人の動きは素早かった。
たき火を消すと、闇の中を窓へ近づき、外の様子をうかがう。
耳が痛くなるほどの静寂。
夏毅は息を殺して、なにかが始まるのを待った。
が、そこまでだった。
緊張が解かれる気配。
「大丈夫だ」
ラルフの乾いた声。
「誰もいない。風の音だ」
「近くに政府軍が?」
不安になっていた夏毅は思わず訊いた。
「いや、今のはちがった」
「おれたちは、ある任務をおびてここへ来ているんだ」
「おれは念のため外へ出てみる。ポウルはここにいてくれ」
「了解した」
ラルフは出ていった。
夏毅と、そしてもうひとりの男、今池ポウルという名前だった――が残された。たき火が再びおこされた。弱い光の中に浮かぶ男の顔は若く、ラルフとそれほどちがわないような歳のように見えた。細面で、揺らめくたき火の光が顔の陰影をより際立たせていた。
「ま、そう心配するな」
不安そうな夏毅の表情を見て、ポウルは明るい口調で言った。
「まだ信じられないようだな」
「あたりまえですよ」
だいたい異世界だなんて。
だが外のあの光景を見てしまっては嘘だと言いきれず、それが夏毅の気持ちを沈ませた。
一人でいろいろと考えているうちに眠りこんだのは、明け方近くだった。
街はきのうのままだった。翌朝になればすべてが夢であった、というのははかない希望であった。
移動するぞ、とラルフは言った。
「仲間と合流するんだ」
「仲間? 二人だけじゃなかったんですか」
「大和高田には、我々は十六人で来たんだ」
田村ラルフと今池ポウルは夜明けとともに出発の準備をし、出発直前に夏毅を起こした。
夏毅の風邪はまだ全快ではなかった。きのうよりは幾分楽になってはいたが、いきなり過酷な環境に放りこまれてしまったことによるストレスが、体力を予想以上に消耗させていた。それがなければ、家でおとなしく薬を飲んで寝ていれば、薬も効いて学校へ行くこともできただろう。
学校か、と夏毅は思った。そういえば、みんなどうしているだろう。突然行方不明になったわけだから、ちょっとした騒ぎになっているのではないかと想像したが、連絡がとれない以上、どうにもできない。
建物の外は、早くも太陽に灼かれはじめていた。この異常気象も政府軍の転換装置のせいだと言われても、人工的にそれができるとは、夏毅にはぴんとこない。
廃虚となったビルが立ち並ぶ道路。近鉄大和高田駅がすぐ近くに見えた。
歩いて移動する。ポウルもラルフもリュックに武器やその他の荷物をつめ、両手にはライフルを持ち、これで迷彩の戦闘服なんか着ていたら、立派な正規軍兵士だ。
二人の荷物の多さに、夏毅はなにか持とうかと申し出たがあっさり断られた。これぐらいは平気だとラルフは言った。風邪引きの素人には任せていられないのかもしれない。
歩きながら、夏毅は、この世界のことを聞いた。
レジスタンスの青年たちは親切に教えてくれた。
そもそものはじまりは今より十年ほど昔に遡る。
この国に突然、出現した並行宇宙転換装置――。
国はそれを管理し、研究した。そして人類は並行宇宙を知った。
将来、それがどのように利用できるかが多いに期待されていたが、先に軍事利用へと着手されていた。ある一定の範囲の空間をべつの多元宇宙とそっくり入れ替えることができるこの装置の能力は、兵器としてじゅうぶん利用可能というわけなのだ。
研究が推し進められていたある日、悲劇が起こった。軍がおこなった並行宇宙転換装置の実験が失敗し、その影響は広範囲に及んでしまった。
急激な環境変化が地球規模で起こり、日本の人口は約半分に激減した。国家は崩壊し、混乱の時代に突入してしまう――。政治は不安定となり、やがて内戦へと発展していった。
日本政府は、反政府を掲げる勢力を武力弾圧する一方で、並行宇宙転換装置の研究を続け何度も使用した。十年前の失敗から学び、装置の暴走を防ぐことに成功したのだ。
だが転換装置をもってしても、反政府勢力を根絶やしにすることはできなかった。今も内戦は終息する気配もなかった。
ラルフは夏毅に説明しながらも、周囲に気を配っていた。政府軍がどこに潜んでいるかわからないというのだ。
「広い範囲の空間をいっぺんにべつの世界と入れ替えてしまうから、当然のことながら並行宇宙間に歪が生じる。その歪に偶然、運悪く飲みこまれてしまったのが、きみというわけさ」
夏毅はなんとか納得しようと務めた。だがこんなにも自分のいた世界とちがっていると、理解しようという気も失せてしまう。
ただ、元の世界へ戻るのが困難だというのは承知した。
「じゃ、今のところ、元の世界へ戻る技術を持っているのは政府軍だけってことですか?」
「そうだ」
「なら、政府軍に接触できれば……」
「なんとかなるかもしれん。だが、どうなるかわからん。なにしろ戦争中だからな」
「ああ……」
嘆息。状況はかなり悪い。相当苦労しそうである。希望の光は遥か彼方の闇の奥といった感じだ。ここでどれだけ時間を費やすことになるのかまったく読めない。元の世界へ戻ったとき、授業がどれだけすすんでしまっているかと夏毅は心配した。それどころか大学受験に間に合わない可能性もあった。
「とりあえずはここで生きることが先だろう。焦りは禁物だ」
ラルフは達観した口調で言った。
それはそうかもしれないが、と夏毅は思いながらも、
「おれには、呑気にしている時間がないんです。なるべく早く帰りたい」
「ま、事情はあるだろうが、命は大切にするこった」
夏毅は黙った。どうもあまり親身になってくれそうな感じではない。自分たちではどうにもできないというのが、その理由だろう。
ラルフやポウルたちレジスタンスにとっては、現政府は憎むべき敵なのだろうが、夏毅にとっては関係なかった。敵も味方もない。たまたまここで初めて出会った人間が反政府側だったというだけだ。
政府軍がどんなものかは知らないが、異世界人を敵と見てはいないだろうから、投降したっていいのではないか、と夏毅は素人感覚で分析した。このままレジスタンスと行動を共にしたところで、どうも状況はよくなりそうにない。政府軍に攻撃されて殺されることにもなりかねない。
――冗談じゃない!
なんとかして政府軍と接触しなければ光明は見えてこない。
だが……と夏毅は思った。一人で目的を果たすのは雲をつかむがごとくだった。協力者が必要だ。だがラルフの言うとおり、まず生きていくことが先となれば、協力者を探すなどそう簡単にはいきそうにない。目的地は天竺のような彼方で、これからの長い道のりを思うと、夏毅は気が遠くなりそうだった。
「着いたぞ」
ラルフは立ち止まった。十五分ほど歩いていた。
「あそこだ」
彼の指さす先に、薄汚れた建物があった。たぶん砲撃を受けたのだろう。それでも崩れずに建っているのだから頑丈にできているにちがいない。ラルフたちが陣地を張るのに選ぶわけだ。
「もうみんな集まっているかもしれない」
レジスタンスはかなり大きな組織だった。外国の援助を受けながら、もう二年も戦いつづけていた。ひとつの目的を達成する信念によって集まった力は、いかな政府軍とて簡単にはつぶせなかった。やがて構成員三五〇〇人もの大所帯に膨れ上がり、もはや侮り難い存在となっていた。地の利を生かしたゲリラ戦を展開し、政府軍にとって頭痛の種だった。
かつて大和高田市と呼ばれた、もはやゴーストタウンとなりはてた街に小隊が派遣されたのは、ここで政府軍の動きがあるという情報を確認するためだったという。
ラルフたち十六人はいくつかの班に分かれ、街を調査していたが、今のところ政府軍の姿は発見されていなかった。代わりに現れたのが紙野夏毅だった。
ラルフとポウルがその建物に入っていくと、
「よ、お帰り」と奥から声がした。
現れたのは、やはり若い男だった。
「報告。政府軍は発見できず」
ポウルが言った。
「了解した」
と男は応じた。
「ところで隊長、後ろにいるのは捕虜ですかい」
――隊長だって?
ラルフの後ろに立っていた夏毅は驚いて、なにかの冗談かと思って振り返る。こんなに若いのに。
「いや、捕虜じゃない」
ラルフは背後の夏毅を一瞥し、視線を戻した。
「もう、みんな集まってるのか」
「全員帰還してます。しかし政府軍を発見したという報告はありません」
「よろしい。ちょうどいい、ビッグニュースを持ってきたんだ。――夏毅、準備はいいか。行くぞ」
奥へ入って行くラルフ。
「準備って……? なんの話?」
夏毅は意表を突かれて戸惑う。
「ま、大げさに考えなくていいよ」
含み笑いを浮かべるポウルに促されて、夏毅は部屋へ足を踏み入れた。
外の直射日光に慣れた目では、室内は暗くてよく見えなかった。しかし大勢の人間がいるのははっきりわかった。レジスタンスの構成員たち。なんとなく圧倒されそうな気配が部屋を満たしていた。命をかけて戦う兵士たちの息といっせいに向けられる鋭い視線。
夏毅はその雰囲気にたじろいだ。目が慣れてくると、若い男たちが銃の手入れをしているところが見えて、自分が如何にも場違いな存在に思えなんともいえぬ居心地の悪さを感じた。
「みんな、ちょっと聞いてくれ」
ラルフが静寂を破った。それまで雑多な感じだった空気がピンと張る。
「新しい仲間だ。名前は夏毅」
「えっ?」
夏毅は目をぱちくりさせた。な、な、なにを――。
「どこで見つけてきたんだ」「スパイじゃないですか」「まだ小僧だせ」「隊長、信用できるんですか」
レジスタンスの兵士たちが口々に意見を言う。それも突然の訪問者に懐疑的なものばかりで、歓迎の言葉はひとつもない。
夏毅にしても、うれしくはなかった。
「ちょっとまってくれよ。おれはべつに、いっしょに戦うなんて――」
「おれたちには人手が必要なんだ」
ラルフは諭すように言った。
「いきなり戦うなんて無理は言わんから、元の世界へ帰るまでは手伝ってほしい。そのかわりめしは食わせてやる。銃ぐらいは扱えるだろ」
「とんでもない! 本物のピストルさえ触ったことがないのに、軍用のライフルなんか」
「おまえ、十七歳だろ。学校で習わないのか」
「習わないよ、普通は」
「そうか、じゃ、今から習っとけばいい。兵学校へ進学したときに役に立つ」
「そんなところ、ないよ」
「なに? じゃ徴兵を受けたらどこへ行くんだ」
「徴兵なんかないよ」
「信じられないな……。おまえの世界では軍隊なんかないのか」
「隊長、そいつ、どこから来たんです」
二人のやりとりに業を煮やした隊員のひとりが割りこんだ。
「ああ、そうだったな」
と、ラルフは夏毅との会話を打ち切り、
夏毅は、実は異世界の人間なんだ。例の転換装置の影響だ」
ざわめきが起こった。
「それはまちがいないんですか」
騒然とした中から質問がとんだ。
「ああ。だから、いろいろとおもしろい話が聞けるかもしれんぞ」
隊員たちの笑い声。しかしラルフの冗談に笑えない夏毅だった。
――ああ……。なんか、とんでもないことになりそうだ。
気が滅入ってきた。
それでも他に選択の余地はなく、今のところは彼らについていくしかない。まったくの他人であるおれを受け入れてくれたのだから、と夏毅は腹を決めた。
だが不安は当然あった。なんの経験もない普通の高校生になにができるというのか――。足手まといにしかならないのではないか。だいたい戦争なんて遠い外国の出来事であって、自分には縁のないものだと思っていた。戦闘になれば、いの一番で殺られてしまいそうで、そう思うと泣きそうな気分だった。
「全員の名前は無理でも、顔だけは憶えておくんだ。それで戦闘になっても、少なくとも敵味方の区別はつく」
ラルフの忠告も上の空だった。
夏毅は思う。自分がいた日本は平和すぎるのかもしれない。国を守るために戦うなどという発想は一生思いもつかない。それが今の日本なのだ。だから戦いがあたりまえの世界というのは異常だった。こんな世界から一刻も早く帰りたかった。
気がつくと、ラルフは熱っぽく演説をはじめている。
「異世界人は、何か我々にはない特別な能力を持っているかもしれないし、政府軍ではその研究がひそかにすすめられているときく。転換装置だけではあき足らず、異世界の未知のテクノロジーを利用して国民を支配しようとしている。しかし我々はそれに屈しない。祖国解放のその日まで、我々は前進する。共に戦おう」
おー、と拳を上げて一同。
夏毅はますます居心地の悪さを感じた。ここは自分のいる場所じゃない、絶対に――。
そのとき、奥のドアが開いて、一人の青年が入ってきた。
「隊長、たった今、通信が届きました」
部屋の全員の注目が、そっちへ移動した。
ラルフがうなずいて促すと、青年は手にしたメモを読んだ。
「調査を中止し、本部へ帰還せよ。以上です」
「調査中止だと?」
「はい」
うむ、とラルフはあごに手をあてる。
「わかった。直ちに帰還すると伝えてくれ」
「了解」
青年は出ていった。
ラルフは一同に視線を戻した。
「というわけだ。すぐに出発の準備を始めてくれ」
言うと同時に全員が動きだした。各自の役目がしっかりと決まっているのだろう。
「ポウル、夏毅をたのむ。新人を教育してくれ」
「はいよ」
ポウルは夏毅に向かって、
「そういうことだから、行こうか」
「な、なにをするんですか」
急な展開に夏毅はついていけない。レジスタンスの時間の中に取りこまれて、逆らえずに流されて、行き着く先はどこだろうか。
「クルマの準備をするんだ。トラックに荷物を運ぶ手伝いをしてくれ」
夏毅は肩をすくめた。
「とんだアルバイトだな……」
「なんだ?」
「なんでもないです」
ここにはここのルールがある。今のところそれを守るのが筋というものだろう。彼らがいなければ、街で見たミイラと同じ運命をたどっていたかもしれないのだから。
ポウルについて外へ出ると、今度はべつの建物へ入った。うちっぱなしのコンクリートの壁面。もとから駐車場スペースだったらしい。そこに、クルマらしきものがあった。タイヤがついているところからすると、クルマに間違いないのだろうが、普段見るようなワックスピカピカのクルマとは似ても似つかない、無骨な、まるで組立途中のような骨組みだけのクルマだった。
トラックというぐらいだから、たしかに荷物を乗せられるスペースはあるのだが、かき集めてきたガラクタで作ったような車体はものが積みにくそうだし、乗り心地も見るからに悪そうだ。
全部で四台あった。うち二台がトラックで、あとの二台は普通車ほどの大きさだ。
大きな機銃がついている。後部に台座で固定され、射手が手動で旋回させて周囲の敵を撃つことができるようになっていた。ほとんどフレームだけの車だったから、それはものすごく目立った。トラックを護衛するための装備だろうが、冗談のように思える。
クルマのわきには、汚い麻袋がいくつもおいてある。けっこう大きい。
「こいつを全部荷台に乗せてくれ」
ポウルがそれを指し示した。
「なんですか、これ」
「予備の食料と水だ。おれはエンジンを調整しているからな」
ポウルはトラックの運転席のほうへ回りこんだ。そして工具を使ってエンジンの調整を始める。
肩をすくめ、夏毅は言われたとおり、荷物を荷台に乗せはじめた。
「ところで、これからどこへ行こうっていうの」
「本部だ」
「本部……。遠いんですか?」
「そうだな。クルマで走って半日ほどかかる」
「半日?」
半日……夜までかかってクルマで行ける範囲を夏毅は思い浮かべる。
「そうだ。だからエンジンをちゃんと調整しないとな。途中でリタイアしてもらったら困るんだ」
こんなクルマで大丈夫だろうか。夏毅は心配になってきた。それにこの行程は、病み上がりにはきつそうだ。ここの人間は慣れているから平気かもしれないが。もし目的地が楽園なら少しぐらいの苦しさは我慢できるが……。
「それで、本部というのは、どんなところなんですか?」
見た目以上に重い麻袋(なんでこんなに重いんだよ)を荷台に運びながら、夏毅は尋ねた。
「大阪の梅田にある――」
ポウルは、軽業師のように足を高く上げ、運転席へ飛び上がる。
「その本部は地下だ。つまり地下街だな」
エンジンをかける。だが一発では始動しない。何度か挑戦してやっと動きだした。が、ひどい騒音だ。消音器の性能がよくないのだろう。アクセルを吹かして調子をみると、エンジンを停止させる。
「梅田の地下街? 地下街が生きてるんですか?」
「いいや」
ポウルは否定した。
「電気も通じていないし、そもそも本部だと政府軍に露見してしまわないよう廃墟のようになっている。だがそこが我々のねらいなんだ。政府軍の目をごまかせる」
トラックの運転席から飛び降りると、今度はもう一台のトラックへ移った。おしゃべりしながらも手を休めない。
「ふうん……」
夏毅はうなずいた。暗く荒廃した地下街に潜伏するレジスタンス……。
大阪梅田……。しかしクルマで一日もかかるだろうか?
「ま、行けばわかるよ。夏毅のいた世界では、梅田はどうだった?」
「地下鉄とかがあって、かなり広くて、なんどか迷子になったことがある」
冗談ではなく、「梅田ダンジョン」と呼ばれるほど、複雑で広大な地下街だった。大阪人でも慣れていないと迷ってしまう。
「そうか……。どれだけ違っているか、着いてからのお楽しみだな。もっとも、無事に到着すればの話だがな」
「え?」
「どうも、おまえには緊張感がない。異世界人らしいや。戦争中だということを忘れるな」
「…………」
夏毅は黙った。返す言葉がなかった。小型車の上に据え付けられている武骨な機銃が決して飾りなんかではなく、実際に使用されることがあるということに、背筋が寒くなった。