第1話「美しい星」
「さ、63602様、どうぞ、お入り下さいませ」
………………
…………
……
14106に促され、私は、彼の店、どんぐりの家へと入る。
フォークトの肩に留まる赤い鳥を、フォークトに悟られまいと、
私はどんぐりの家の内装へと、できる限り意識を移す努力をする。
どんぐりの家は、これまで私が入ってきたどんな店よりも狭い。
さすがに喫茶店だから、カウンターはあるが、
そこに一席しかない椅子に、フォークトは座っている。
ならば私の席はというと、フォークトの座る席の反対側に、これもまた一席のみ。
つまり、私はそこに座るくらいしか選択肢がない、
それに座席の配置から察するに、
これではフォークトと背中合わせでしか話せない。
恋の家路にしたって、商店街に来たばかりの頃は驚きを覚えたものだが、
どんぐりの家程の異様さはなかった。
けれど、この店の薄暗さと造りは、
フォークトに私の表情を隠すには有難いものとなるだろう。
「63602くん、また会えて嬉しい、儂を憶えているかね?」
貴方と別れてから、私は一日たりとて、貴方を想わなかった日などない。
「あ、ああ、確かルーエンハイムの医師の……、」
「そう、フォークトだ」
そこで私は、出逢ってから初めて、彼の屈託のない笑顔に触れた。
しかし、その笑顔に私はイラつき程度ではおさまらない怒りを覚える。
貴方は私が貴方の事を憶えていないか心配だったのか!?
私にとって貴方が、その程度の存在だと思って今まで生きてきていたのか!?
貴方の言葉は、そのいちいちが、私の怒りの矛先となるっ!!
「では、63602様、どうぞお座り下さい」
その言葉で、この場に14106が居る事を思い出せた。
幸か不幸か、私は、
私の遣り場のない想いをフォークトにぶつけずには済みそうだ。
そして、やはり予想通り、フォークトと私は背中合わせで、
お互いの顔を見ずに、狭い店内におさまった、
が、
「っ? マスター、メニュー表は?」
「63602様、大変申し訳御座居ませんが、
当店はコーヒーのみのおもてなししか御座居ません」
っ……、ふぅ…………、尋ねても、仕方ない……か……。
14106が私の店で出会った雛罌粟帳も、
私の店にしかない、いわばルールの様なものだからね……。
そう自分自身を納得させようとしていると、
早速、14106はコーヒーと――、ポピィの挿してある花瓶を、
私の席に、どこか恭しく置いていく。
コーヒーには丸みのある独特な風合いが香り、ちょっとした驚きを覚えつつ、
「有難う、マスター」
14106に感謝を伝えて、私はポピィの隣りにノキアを挿した。
さぁ、戦ろうか。
どの道を選んで、貴方が死に至るにせよ。
私は手加減をするつもりはない。
むしろ、私が貴方の息の根を止められるなら、
私は、私の中の女が震えさえする。
………………
…………
……
「見えているかね? 「死」」
戦の第一声で、私は早くも岐路に立たされた。
しかし――、
「久しぶりだわそう呼ばれたの、今ではなんの事って感じですよ」
私は、貴方を簡単には殺さない。
えぇそうよ、そう簡単に、殺してたまるものですかっ!
「そうか、変な事を聞いてすまんね」
私の背中は張り詰めて、弛んで、
14106の置いてくれたコーヒーを、十分に楽しむ余裕はない。
「君と会えなくなってから、
儂はルーエンハイムで君を待ち続けたが、
君が戻ってきてくれる事はなかった。
だが、こうしてまた再会する事ができた事を、
儂は怪物王の導きに感謝している」
何が待ち続けただ、私が必要だと言うなら、
何故私を迎えに来てくれなかった!?
「貴方と私の住む世界の隔たりは、結局埋められないものなんですよ。
それに、あの晩別れてしばらくしてから、
貴方には…………、娘さんがいらっしゃる事を知ってしまいましたから、
貴方の奥様が、私の様な女奴隷が貴方の周りにいる事を知ってしまったらと、
そう、貴方達のさぞあたたかいご家庭に気が引けてしまったんです」
私がたった「さぞ」の二文字に込めたこの激情、
怒りや悲しみ以上の感情で過ごしてきた、私の一日いちにちを、
貴方は決して理解できないでしょう? できるはずがないっ!!
「君のその心遣いは有難いが、
どうも色々と誤解があるようだね」
誤解――、だとっ!
「まず、儂は結婚というものをした事がない。
それに娘も、今では「居た」という過去形だ」
「っ!? え……、すみませんが、仰っている意味が解りません」
「それはそうだろう。
詳細に語っても君を混乱させるだけなので、幾分割愛するが、
儂の精子は、精子バンクに保存されている。
それで人工授精を行った女性がいたのだが、
母体である彼女は出産直後に亡くなった。
そうして、紆余曲折、儂の元にはその娘がやってくる流れに、儂が計らった、
という訳だ。ここまでは良いかね?」
「は――、はい、十分な理解ではないでしょうが、
精子バンクも人工授精も、概要くらいなら掴めます」
「うむ、それで良い。
そうして儂は、何もかもを克服し、
自由に、また戦う女性であって欲しいという祈りを込めて、
娘に、「シャルロッテ」という名前を付けた。
それが儂の娘、シャルロッテ・フォークト誕生の経緯だ。
儂を、信じてもらえるかね?」
信じるも何も、これまでのやりとりが全てフォークトの手の内なら、
医師よりも詐欺師として生きてきた方が、ずっと楽に儲かるだろう。
死が間近に迫った彼が、私相手にこんな手の込んだ嘘を吐いて何になる?
最初の言葉で、もう彼が長くない事を、彼自身が悟っているのは明らかなのだ。
そして、やはり私という女は今もクズのままなのだろうと、
「……娘さんが、「居た」とは、どういう事でしょうか?」
この言葉を、ほとんど躊躇なく尋ねた事で思い知らされる。
「もうこの世には居ないという意味だよ。
儂が死なせてきた、多くの人々と同様にね」
「貴方は一人も死なせないのではなかったのですか?」
決して嫌味を込めたつもりはないが、嫌な女である事は確かだ。
私は直接的に人を殺めた事はないが、救った事もない。
何様の言葉なのだろうか……。
「あの言葉は、生前の娘から学ばされたおまじないの様なものでね。
君は、フットボールが分かるかい?」
「はい、少しなら」
「ロッテは、幼少の頃から、どこか達観した娘でね。
今思えば儂の方が哀しくなるくらい、
自分の置かれた立場を弁えている娘だった。
その頃の儂には、ロッテを構ってやれる時間がほとんどなく、
金に物を言わせて、彼女の傍に人を雇い、娘は二の次三の次だ。
結果的に、儂は娘すら満足に、看ても診ても見てもいない、
どうしようもない医者だった」
「…………」
「ロッテの病いは、現在の王国でも不治のものでね。
儂が居た程度で、何がしてやれる訳でもなかったが、
まだ儂も今よりもずっと若く、精神的に成熟とは程遠かった。
娘すら救ってやれないという事実は、儂を打ちのめし、意志を挫かれた。
そんな無力感に苛まれていた中、
あるフットボールの試合をロッテと観ていた時に、
ロッテは儂にこう言った。
『フットボールの選手が世界中にある全ての職業でしたら、
パパのお仕事はGKね』とね、
そう誇らしげに笑ってくれた」
そう……、そうよね、
貴方の後ろにあるものは、もう死しかない。
「だからこそ、どれ程の患者達を死なせてきても、
儂は一人も死なせないという意志を折られる事なく、今まで医者を続けてこれた。
儂をこれまで生かせてくれたのが、娘のロッテだったのだよ」
「そうでしたか……」
私の性格からして、一点の曇りもなくとはゆかないが、美しい話だ。
何故、神というものが居るのなら、私はこんなにも醜く生まれたのだろう。
この先にある、彼と彼の娘さんの居る領域に、
私の様な者が踏み入ってよいものか考えあぐねて、
何か別の話題はないだろうかと――、そうだっ、
「あの」「それでな」
っ――、フォークトと会話が重なってしまった。
これまでの話しの重さ故のいたたまれなさに、彼の呼吸が読めていなかった。
私の失態だ。
「すみません、フォークト。私のミスです。続きをお願いします」
「こちらもすまない。背中合わせというのは難しいものだな。
ああ、それと、もう察してくれているとは思うが、儂はもう医者ではない。
君が良しとしてくれるなら、フランクと呼んではもらえないかね?」
「え……、えぇ、フランク、続きをお願い」
「うむ、娘、ロッテは何度か儂に、こんな事を言うとった。
「パパ? 今日もお外に出たら、赤い鳥を飼っている人を見かけたわ」」
「っ――、それは、まさか……」
「儂には本当の事はわからん。だが、それが君に惹かれた、最初の理由だよ」
私は思わず苦笑いしそうになる。
彼にとって私は、娘の様なものでしかなかったのか。
それなら、性の対象としてみれないのも辻褄が合う。
「そして、君は儂が愛した、最後の女性だ」
っ――、 軽々しい言葉を紡げる空気ではないが、
「信じられませんよ。そんな話しは、
……私の何処に、貴方に愛される部分があると言うんです」
「儂は別に君に信じてほしい為に、君を愛している訳ではない。
それに儂自身にも、何故君なのか今もって解らない事だからね。
しかし、君と別れたあの晩から、君がいつも儂の心に棲みつき離れなかった。
ある日儂は、「君を愛する」、そう口にしてみた。
すると、信じられないくらい、儂の心は整理され、安らぎが腑に落ちた。
人が人を愛する事を、儂は十全には解らぬが、
儂が君を愛したいと願っている事だけは理解できたのだ。
儂にも明確な答えなどない、君の言葉を遮ってすまんね。年寄りは冗長でいかん。
何か儂に伝えておきたい事があるのなら、次は君の番だ」
彼が私を愛そうとしてくれていた事、
その彼の死が間近に迫っている事、
何もかもが私の心をかき乱したが、
私はこの質問だけは尋ねずにはいられなかった。
「ルーエンハイムでの私の退院日に、貴方は私に花束を贈ってくれました。
ですが、この王国に、ウインダリアという花は存在しません」
「嗚呼、君は調べてくれていたのか、有難い事だ。
そう、ウインダリアは図鑑に記載される様な花ではない。
何故なら、儂の娘、育種家でもあったロッテの育てた、
儂ら親子の、秘密の花だからね」
「そうですか……、道理で。
ですが、私の様な者にまで、どうしてそこまで良くして下さったのですか?」
「ウインダリアに関しては、君にだけ特別に贈っているわけではない。
無事に退院していく方達に、可能な限り儂自らの手で、
ロッテと儂の想いを届けさせてもらっている」
「お二人の……想い?」
「嗚呼、ロッテと儂で考えた、ウインダリアの花言葉だ。
『あなたを死なせない』、『命の輝きの美しさ』、『支えてくれてありがとう』、
そして、『約束』」
この言葉、これまでのやりとり全てで、私の戦意は消失した。
結局私の今までの生き方など、利己的な妄執でしかないと思ってしまった。
この家族の生き方以上のものを示せる方法など、私は一切持ち合わせていない。
これ以上の蛇足もいらない、そう思い、
「フランク・フォークト医師、どうか、お元気で」
「ははは、それはまたとびきりのジョークだな。だが、有難う」
その言葉が終着だと心得ていた様に、どんぐりの家の入口とはまた違った、
壁面だと思っていた部分が静かに開けていく。
「本日はご来店、有難う御座居ました。
お出口は、今開かれましたそちらになります」
14106の言葉は、私に疑問をもたらす。
「マスター、この出口は何処につながっているの?」
「それはお答えできません」
14106のあまりの即答に、おそらく彼はこの先に入った事がない、
いや、おそらく入れないのだと推察した。
「マスターの君のお陰で、もう儂に思い残す事はない、代金はおいくらかね?」
「フォークト様、お代は「EYESYSTEM」から支払われますので結構です」
「そうかね、ではゆくとしようか」
私も14106に感謝を伝え、花瓶のノキアに手を伸ばした、
けれど、
「……63602、ノキアもこの先へは行けないポピ……
……残念だけど、ここでお別れポピ……」
「そう……、そうなのね、今まで有難うノキア。
14106、悪いけれどノキアの事、頼んでも良いかしら?」
「畏まりました。大切に致します」
そうして、私達ふたりは、共にどんぐりの家を退店した。
………………
…………
……
出口を進みしばらくするとY字路になっている。
フランクが告げる。
「どうやら、君と居られるのもここまでの様だね」
「…………、そういう事、でしょうね」
「最期に出逢えたのが、君で本当に良かった。それでは儂はもうゆくよ」
フランクの言葉に迷いはない、でもっ!
「あのっ」
「うむ、なんだい?」
「貴方は、フランクは今でも、この星は美しいと思っていますか?」
彼の雰囲気は今までよりもさらに穏やかなものになり、
「嗚呼、当然だとも。儂らの存在は、全宇宙全てと繋がっている。
美醜とは、所詮その人間個人の自我に因るものが大きい。
だが、
誰もが同じものを美しいと言い、誰もが同じものを醜いと思う事はないだろう。
そうやって、互いの違いを補いあい、寄り添いあうこの星を、
儂は、美しいと信じている」
私は、その時の私が、彼に向けてどんな顔を見せられたのか分からない。
けれど、嘘でも真でも、彼が私を愛したという言葉に、
生まれてきてから、これ以上もない程の、誇らしい気持ちを覚えた。
私達は、これから別々の道を歩む。
それでも今はこう想う、
別れも愛のひとつだと。
この――……、美しい星の上で。
きみはただしい
ぼくもただしい
さぁ せんそうだ
歌・作詞・作曲 新居昭乃 編曲 門倉聡