表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雛罌粟の練習帳  作者: 恋刀 皆
4/5

第1話「美しい星」

「さ、63602様、どうぞ、お入り下さいませ」


………………

…………

……


 14106に促され、私は、彼の店、どんぐりの家へと入る。


フォークトの肩に留まる赤い鳥を、フォークトに悟られまいと、

私はどんぐりの家の内装へと、できる限り意識を移す努力をする。


 どんぐりの家は、これまで私が入ってきたどんな店よりも狭い。

さすがに喫茶店だから、カウンターはあるが、

そこに一席しかない椅子に、フォークトは座っている。

ならば私の席はというと、フォークトの座る席の反対側に、これもまた一席のみ。


 つまり、私はそこに座るくらいしか選択肢がない、

それに座席の配置から察するに、

これではフォークトと背中合わせでしか話せない。


 恋の家路にしたって、商店街に来たばかりの頃は驚きを覚えたものだが、

どんぐりの家程の異様さはなかった。

けれど、この店の薄暗さと造りは、

フォークトに私の表情を隠すには有難いものとなるだろう。


「63602くん、また会えて嬉しい、儂を憶えているかね?」


 貴方と別れてから、私は一日たりとて、貴方を想わなかった日などない。


「あ、ああ、確かルーエンハイムの医師の……、」


「そう、フォークトだ」


 そこで私は、出逢ってから初めて、彼の屈託のない笑顔に触れた。

しかし、その笑顔に私はイラつき程度ではおさまらない怒りを覚える。


 貴方は私が貴方の事を憶えていないか心配だったのか!?

私にとって貴方が、その程度の存在だと思って今まで生きてきていたのか!?

貴方の言葉は、そのいちいちが、私の怒りの矛先となるっ!!


「では、63602様、どうぞお座り下さい」


 その言葉で、この場に14106が居る事を思い出せた。

幸か不幸か、私は、

私の遣り場のない想いをフォークトにぶつけずには済みそうだ。

そして、やはり予想通り、フォークトと私は背中合わせで、

お互いの顔を見ずに、狭い店内におさまった、


が、


「っ? マスター、メニュー表は?」


「63602様、大変申し訳御座居ませんが、

当店はコーヒーのみのおもてなししか御座居ません」


 っ……、ふぅ…………、尋ねても、仕方ない……か……。

14106が私の店で出会った雛罌粟帳も、

私の店にしかない、いわばルールの様なものだからね……。


 そう自分自身を納得させようとしていると、

早速、14106はコーヒーと――、ポピィの挿してある花瓶を、

私の席に、どこか恭しく置いていく。

コーヒーには丸みのある独特な風合いが香り、ちょっとした驚きを覚えつつ、


「有難う、マスター」


14106に感謝を伝えて、私はポピィの隣りにノキアを挿した。




 さぁ、ろうか。

どの道を選んで、貴方が死に至るにせよ。

私は手加減をするつもりはない。

むしろ、私が貴方の息の根を止められるなら、

私は、私の中の女が震えさえする。




………………

…………

……




「見えているかね? 「ラ・モール」」




 戦の第一声で、私は早くも岐路に立たされた。

しかし――、


「久しぶりだわそう呼ばれたの、今ではなんの事って感じですよ」


 私は、貴方を簡単には殺さない。

えぇそうよ、そう簡単に、殺してたまるものですかっ!


「そうか、変な事を聞いてすまんね」


 私の背中は張り詰めて、弛んで、

14106の置いてくれたコーヒーを、十分に楽しむ余裕はない。


「君と会えなくなってから、

儂はルーエンハイムで君を待ち続けたが、

君が戻ってきてくれる事はなかった。

だが、こうしてまた再会する事ができた事を、

儂は怪物王の導きに感謝している」


 何が待ち続けただ、私が必要だと言うなら、

何故私を迎えに来てくれなかった!?


「貴方と私の住む世界の隔たりは、結局埋められないものなんですよ。

それに、あの晩別れてしばらくしてから、

貴方には…………、娘さんがいらっしゃる事を知ってしまいましたから、

貴方の奥様が、私の様な女奴隷が貴方の周りにいる事を知ってしまったらと、

そう、貴方達のさぞあたたかいご家庭に気が引けてしまったんです」


 私がたった「さぞ」の二文字に込めたこの激情、

怒りや悲しみ以上の感情で過ごしてきた、私の一日いちにちを、

貴方は決して理解できないでしょう? できるはずがないっ!!


「君のその心遣いは有難いが、

どうも色々と誤解があるようだね」


誤解――、だとっ!


「まず、儂は結婚というものをした事がない。

それに娘も、今では「居た」という過去形だ」


「っ!? え……、すみませんが、仰っている意味が解りません」


「それはそうだろう。

詳細に語っても君を混乱させるだけなので、幾分割愛するが、

儂の精子は、精子バンクに保存されている。

それで人工授精を行った女性がいたのだが、

母体である彼女は出産直後に亡くなった。

そうして、紆余曲折、儂の元にはその娘がやってくる流れに、儂が計らった、

という訳だ。ここまでは良いかね?」


「は――、はい、十分な理解ではないでしょうが、

精子バンクも人工授精も、概要くらいなら掴めます」


「うむ、それで良い。

そうして儂は、何もかもを克服し、

自由に、また戦う女性であって欲しいという祈りを込めて、

娘に、「シャルロッテ」という名前を付けた。

それが儂の娘、シャルロッテ・フォークト誕生の経緯だ。

儂を、信じてもらえるかね?」


 信じるも何も、これまでのやりとりが全てフォークトの手の内なら、

医師よりも詐欺師として生きてきた方が、ずっと楽に儲かるだろう。

死が間近に迫った彼が、私相手にこんな手の込んだ嘘を吐いて何になる?

最初の言葉で、もう彼が長くない事を、彼自身が悟っているのは明らかなのだ。


 そして、やはり私という女は今もクズのままなのだろうと、


「……娘さんが、「居た」とは、どういう事でしょうか?」


この言葉を、ほとんど躊躇なく尋ねた事で思い知らされる。


「もうこの世には居ないという意味だよ。

儂が死なせてきた、多くの人々と同様にね」


「貴方は一人も死なせないのではなかったのですか?」


 決して嫌味を込めたつもりはないが、嫌な女である事は確かだ。

私は直接的に人を殺めた事はないが、救った事もない。

何様の言葉なのだろうか……。


「あの言葉は、生前の娘から学ばされたおまじないの様なものでね。

君は、フットボールが分かるかい?」


「はい、少しなら」


「ロッテは、幼少の頃から、どこか達観した娘でね。

今思えば儂の方が哀しくなるくらい、

自分の置かれた立場を弁えている娘だった。

その頃の儂には、ロッテを構ってやれる時間がほとんどなく、

金に物を言わせて、彼女の傍に人を雇い、娘は二の次三の次だ。

結果的に、儂は娘すら満足に、看ても診ても見てもいない、

どうしようもない医者だった」


「…………」


「ロッテの病いは、現在の王国でも不治のものでね。

儂が居た程度で、何がしてやれる訳でもなかったが、

まだ儂も今よりもずっと若く、精神的に成熟とは程遠かった。

娘すら救ってやれないという事実は、儂を打ちのめし、意志を挫かれた。

そんな無力感に苛まれていた中、

あるフットボールの試合をロッテと観ていた時に、

ロッテは儂にこう言った。

『フットボールの選手が世界中にある全ての職業でしたら、

パパのお仕事はGKゴールキーパーね』とね、

そう誇らしげに笑ってくれた」


 そう……、そうよね、

貴方いしの後ろにあるものは、もうゴールしかない。


「だからこそ、どれ程の患者達を死なせてきても、

儂は一人も死なせないという意志を折られる事なく、今まで医者を続けてこれた。

儂をこれまで生かせてくれたのが、娘のロッテだったのだよ」


「そうでしたか……」


 私の性格からして、一点の曇りもなくとはゆかないが、美しい話だ。

何故、神というものが居るのなら、私はこんなにも醜く生まれたのだろう。

この先にある、彼と彼の娘さんの居る領域に、

私の様な者が踏み入ってよいものか考えあぐねて、

何か別の話題はないだろうかと――、そうだっ、


「あの」「それでな」


 っ――、フォークトと会話が重なってしまった。

これまでの話しの重さ故のいたたまれなさに、彼の呼吸が読めていなかった。

私の失態だ。


「すみません、フォークト。私のミスです。続きをお願いします」


「こちらもすまない。背中合わせというのは難しいものだな。

ああ、それと、もう察してくれているとは思うが、儂はもう医者ではない。

君が良しとしてくれるなら、フランクと呼んではもらえないかね?」


「え……、えぇ、フランク、続きをお願い」


「うむ、娘、ロッテは何度か儂に、こんな事を言うとった。

「パパ? 今日もお外に出たら、赤い鳥を飼っている人を見かけたわ」」


「っ――、それは、まさか……」


「儂には本当の事はわからん。だが、それが君に惹かれた、最初の理由だよ」


 私は思わず苦笑いしそうになる。

彼にとって私は、娘の様なものでしかなかったのか。

それなら、性の対象としてみれないのも辻褄が合う。


「そして、君は儂が愛した、最後の女性だ」


 っ――、 軽々しい言葉を紡げる空気ではないが、


「信じられませんよ。そんな話しは、

……私の何処に、貴方に愛される部分があると言うんです」


「儂は別に君に信じてほしい為に、君を愛している訳ではない。

それに儂自身にも、何故君なのか今もって解らない事だからね。

しかし、君と別れたあの晩から、君がいつも儂の心に棲みつき離れなかった。

ある日儂は、「君を愛する」、そう口にしてみた。

すると、信じられないくらい、儂の心は整理され、安らぎが腑に落ちた。

人が人を愛する事を、儂は十全には解らぬが、

儂が君を愛したいと願っている事だけは理解できたのだ。

儂にも明確な答えなどない、君の言葉を遮ってすまんね。年寄りは冗長でいかん。

何か儂に伝えておきたい事があるのなら、次は君の番だ」


 彼が私を愛そうとしてくれていた事、

その彼の死が間近に迫っている事、

何もかもが私の心をかき乱したが、

私はこの質問だけは尋ねずにはいられなかった。


「ルーエンハイムでの私の退院日に、貴方は私に花束を贈ってくれました。

ですが、この王国に、ウインダリアという花は存在しません」


「嗚呼、君は調べてくれていたのか、有難い事だ。

そう、ウインダリアは図鑑に記載される様な花ではない。

何故なら、儂の娘、育種家でもあったロッテの育てた、

儂ら親子の、秘密の花だからね」


「そうですか……、道理で。

ですが、私の様な者にまで、どうしてそこまで良くして下さったのですか?」


「ウインダリアに関しては、君にだけ特別に贈っているわけではない。

無事に退院していく方達に、可能な限り儂自らの手で、

ロッテと儂の想いを届けさせてもらっている」


「お二人の……想い?」


「嗚呼、ロッテと儂で考えた、ウインダリアの花言葉だ。

『あなたを死なせない』、『命の輝きの美しさ』、『支えてくれてありがとう』、

そして、『約束』」


 この言葉、これまでのやりとり全てで、私の戦意は消失した。

結局私の今までの生き方など、利己的な妄執でしかないと思ってしまった。

この家族の生き方以上のものを示せる方法など、私は一切持ち合わせていない。

これ以上の蛇足もいらない、そう思い、


「フランク・フォークト医師、どうか、お元気で」


「ははは、それはまたとびきりのジョークだな。だが、有難う」


 その言葉が終着だと心得ていた様に、どんぐりの家の入口とはまた違った、

壁面だと思っていた部分が静かに開けていく。


「本日はご来店、有難う御座居ました。

お出口は、今開かれましたそちらになります」


 14106の言葉は、私に疑問をもたらす。


「マスター、この出口は何処につながっているの?」


「それはお答えできません」


 14106のあまりの即答に、おそらく彼はこの先に入った事がない、

いや、おそらく入れないのだと推察した。


「マスターの君のお陰で、もう儂に思い残す事はない、代金はおいくらかね?」


「フォークト様、お代は「EYESYSTEM」から支払われますので結構です」


「そうかね、ではゆくとしようか」


 私も14106に感謝を伝え、花瓶のノキアに手を伸ばした、

けれど、


「……63602、ノキアもこの先へは行けないポピ……

……残念だけど、ここでお別れポピ……」


「そう……、そうなのね、今まで有難うノキア。

14106、悪いけれどノキアの事、頼んでも良いかしら?」


「畏まりました。大切に致します」




そうして、私達ふたりは、共にどんぐりの家を退店した。




………………

…………

……




 出口を進みしばらくするとY字路になっている。




フランクが告げる。


「どうやら、君と居られるのもここまでの様だね」


「…………、そういう事、でしょうね」


「最期に出逢えたのが、君で本当に良かった。それでは儂はもうゆくよ」


 フランクの言葉に迷いはない、でもっ!


「あのっ」


「うむ、なんだい?」


「貴方は、フランクは今でも、この星は美しいと思っていますか?」


 彼の雰囲気は今までよりもさらに穏やかなものになり、


「嗚呼、当然だとも。儂らの存在は、全宇宙全てと繋がっている。

美醜とは、所詮その人間個人の自我に因るものが大きい。

だが、

誰もが同じものを美しいと言い、誰もが同じものを醜いと思う事はないだろう。

そうやって、互いの違いを補いあい、寄り添いあうこの星を、

儂は、美しいと信じている」


 私は、その時の私が、彼に向けてどんな顔を見せられたのか分からない。

けれど、嘘でも真でも、彼が私を愛したという言葉に、

生まれてきてから、これ以上もない程の、誇らしい気持ちを覚えた。


 私達は、これから別々の道を歩む。

それでも今はこう想う、


別れも愛のひとつだと。








この――……、美しい星の上で。



 きみはただしい

ぼくもただしい

さぁ せんそうだ

歌・作詞・作曲 新居昭乃 編曲 門倉聡

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ