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僕の身辺には未知が多い。無論それは僕が浅学菲才であるという原因によるもので、言ってしまえば知識量の問題だ。
例えば豚カツ。僕は当たり前のように学食で豚カツ定食を日々食べているし、僕は豚カツが何かを当たり前のように知っている。豚肉を衣で包み、油でこんがり揚げた美味しい食べ物だ。しかし、豚カツを豚カツたらしめるそれら要素について、豚さんの生物学的な特徴だとか、小麦粉や油だったら如何にして製造されているとか、その辺りの知識については皆無である。
例えば恋愛。僕は高校生であり、それはつまり思春期でもある。だから、誰か素敵な異性と恋仲になりたいとはよく思う。しかし、好きという感情がどういうものなのかも分からない。恋の始まりがどのようにして起きるのかも分からない。人はそれを望んでしまうほどに、恋愛とは良いものなのだろうか。辛いこともあるだろうし、だったらしない方が賢いのではないか。どうして人は恋をしたがるのか。そもそも恋とは何だ。意味不明である。
例を挙げれば際限が無いだろうからこの辺にしておこう。家の中でも、外に出ても、どこにいても自分を取り囲み生活を豊かにしてくれる僕にとっての当たり前たちが、僕にとって当たり前ではない未知によって構成されている。でもそれらは特段気になるようなことでもなかった。「意味不明だけどもそういうことなのだろう、だって現にそうなのだから」と、曖昧模糊な認識でいることに満足していたからだ。
鵜飼菜古は、当たり前を覆したような、未知の権化のような人間だった。でも彼女は特段気になるようなことばかりであった。「意味不明だけどもそういうことなのだろう、だって現にそうなのだから」と、曖昧模糊な認識でいられなかった。
だから僕は彼女について色々と調べ、まとめることにした。
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この手記を読み始める読者各位に初めに伝えておきたいのが、失った時間を取り戻すことは不可能であるということだ。
この物語には、読み終えた暁にこれまでの人生観を一変させるような教訓などは載っていないし、ましてやこれから生きていくうえでの役に立つ情報も無い。自己啓発書でも読んでいたほうが大いに人生を豊かにしてくれるに違いない。
読者の貴重な時間を割いてまで読了したとき、時間の無駄だったと叱責されても一切の責任を取る気は当方持ち合わせてはいないので、今一度このまま読み進めるのか自分の胸に手をあてて熟慮してほしい。
ここまで読んだからといって、この先も、そして最後まで読む必要は毛ほども無いし、なんなら今この時点で破り捨てても構わない。もしくは、常に懐に入れて持ち歩いておけば、たとえ遭難したとしても、この本に火をつければ暖を取ることだってできる。その際に、ライターを持っておらず着火できなかったとしても、やはり一切の責任を取る気は当方持ち合わせていないので悪しからず。