茨の道
この小説は決して犯罪や暴力を支持するものではありません。そして作者の考え方を強要するものでもありません。そのことをご理解頂いた上で読んで下さい。
今日は私の人生観についての物語を描こうと思う。
そのためには私の親友であるとある青年の話を聴いてもらいたい。
私にとって生涯において最も誇れるであろう親友の話を聴いてもらいたい。
彼は誰よりも強かった。
彼は誰よりも思慮深かった。
彼は誰よりも強い信念を持っていた。
そして彼は・・・誰よりも己が罪に苦しんでいた。
最初、彼に会ったとき・・・私は彼が憎くて仕方なかった。
何故彼が憎かったのか・・・今なら解る。
私は・・・彼が羨ましかったのだ・・・。
彼には類稀なる才能があった。
彼には周りの流れを理解し、思うが侭にその場を操れるほどの才覚があった。
私の理解できないことも・・・彼は軽々とやってのけた。
そう・・・私は彼に嫉妬したのだ。
自分には到底持ち得ない才能を持つ彼に嫉妬したのだ。
だがいつのまにか私達はお互いに他の仲間たちの誰よりも強い信頼と友情を築き上げていた。
くだらない話をしては腹が捩れる程に笑いあい・・・
真摯な悩みを打ち明ければ嫌な顔一つせずに語り合った・・・。
お互いアパートでの一人暮らしの学生だったので心置きなく酒を酌み交わしもした。
ある日、彼が私にこんなことを語りだした。
「俺は一般人と呼ぶにはあまりにも罪深い・・・」と。
彼は過去に言葉では語り尽くせないほどに悲しい出来事に遭い、絶望の淵に堕ちた。
その折に非合法的なことにも手を染めてしまった・・・。
その過去から逃げられず・・・彼はその罪に泣いた・・・。
いつもは誰よりも強い彼の背中が・・・その日は誰よりも儚く見えた・・・。
だが・・・誰が彼を責められるだろうか?
私も過去に非常に苦しい日々を送り、傷つき、苦しみ、絶望した。
周りの人間に復讐してやろうと、殺してやりたいと思った。
綺麗な言葉と大義名分だけで構成されている人間など何処にも存在しない。
どんなに否定しても誰の心にも暗く醜い本質が有る。
だが、その窮地に立たされた人間には二つの選択肢がある。
一つ目は・・・何もかも捨ててしまうことだ。
怒り、殺意、憎悪、嫉妬・・・・
それらの感情に任せ気に喰わない物を片端から砕き続けるのだ。
その後には何も残らない。
未来も希望も絶望も全て捨て去って虚無という名の自由で余生を過ごす・・・。
そしてもう一つの選択肢・・・それは抗い続けることだ。
自分の醜い心に・・・
自分を否定する世界に・・・
そして全てを投げ出そうとする自分に抗い続け、人間として生き続けること。
私は二つ目の道を選んだ。
自分を否定し、蔑む視線に屈せずに自分のたったひとつの「個性」を貫いた。
そのことで私の傷は確実に増えた。
いつの時代、いつの場所でも「異端者」は忌み嫌われる。
ある日は自分の描いた作品を無残に辱められた。
またある日は集団による暴行によって左腕を砕かれた。
また別の日は不良グループに命を狙われた。
だがそれでも私は私の「個性」を貫き通した。
笑いたければ腹が捩れる程に大笑いし、納得できないことには絶対に賛同しなかった。
自分を影で笑う人間を見つけたときは彼等を指差して高笑いした。
「面と向かって文句も言わないで陰口ばっかり言って俺を笑うなんて
あんた等に誇りは無いのかい?
誰かに否定されたくないばかりに個性を捨てて無理にでも周りと協調しようとするなんて
俺には耐えられない!
そんな臆病者に何を言われようが俺の心にはこれっぽっちも響かない!」
馬鹿な生き方だろう・・・損な性分だろう・・・
だが!自分にはそれしか無かった!この道を貫く以外に誇りを見出せなかった!
決して下を向くものかと!
あんな奴らに自己の存在の全てを決め付けられたくないと!
履歴書に残るような目に見える光栄では無いが、この生き方は他の誰にも真似出来ないと!!
それこそが自分にしかない、臆病な大多数の人間には真似出来ない才覚だと信じている。
このことを知った親友は私を「個性を極めた人間」だと言ってくれた。
その一言で自分の全てが救われた気がした。
そして彼もまた私と同じように・・・否それ以上に険しい道を歩んできた。
彼は自分の罪から逃げず、真っ向から償う道を選び、日々精進を積んでいる。
彼は自身を「罪深い」と形容したが自分にはそうは思えない。
彼ほど気高く、強く、美しく生きている人間を私は知らない。
そんな男と親友になれたこの身を限りなく光栄に思う。
私はこれからも彼を支え続ける。
彼は私の掛け替えの無い尊いものなのだから・・・。
この話を聴いて何を思うのかは読者の皆様次第・・・
でもどうかほんの少しでいいから考えてもらいたい。
今の自分が居る場所は他の誰かがどんなに渇望しても手に入らない場所なのだと。
そして自分にとっての尊いものを認識して欲しい。
それがやがて「信念」へと繋がり、いずれ人生における「決断」を迫られたときに選ぶべきことを指し記す羅針盤へとなる筈だから。
投げ出すことは誰でも、何時でも簡単に出来る。
だが一度投げ出してしまえば二度と元には戻れないことを忘れないで欲しい。