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たどりついたその場所は

「…………っ」


 急に胸がまた苦しくなる。めまいを感じて、車の中でひとりだけぐるぐる回っているような錯覚に陥った。


「おいっ、しっかりしろ」


 かろうじて薄く開いた目に、悠司くんのすごく焦った表情がうつる。

 何? わたしそんなにひどい感じなの? それにこれは風邪じゃない。熱が出るのとはなんか違う。

 苦しくて、体が重くて、もうこのまま死んでしまうんじゃないかと泣き出しそうになる。いや、もう涙が浮かんできて、頬を滑っていく。


「怖い……ほんとにわたし、大丈夫なの? これ、風邪なんかじゃ……」


 しゃくりあげたせいで、言葉が途切れた。


「この後みんなでお腹いっぱいご飯食べるのに。夜中に遊ぶつもりで、トランプだって用意したのに。ベタに温泉まんじゅう買って帰って、家族に嫌な顔されようって決めてたのに……。死にたくないよう」


 自分の状況がよく分からなくて酷く不安だった。それにここは家じゃない。近くに病院がありそうな場所じゃない。

 いつまでも抜けられない山道、どこまでも続く車道。予想以上に遠い目的地。どれもが不安を煽って、大声を上げて子供みたいに泣いてしまいそうになる。

 すると――。


「大丈夫だ。俺が死なせない」


 そういって、悠司くんが抱きしめる腕に力を込めてくる。こつんと頬に触れた彼の額が、暖かい。慰めてくれる気持ちがすっと心の中にしみこんできて、恐怖で一杯だった心の中を、ほんの少しだけ埋めていく。

 こんなに迷惑ばかりかけてるのに。目の前にいるから見放すわけにはいかないのかもしれないけど、優しい人だ。年下なのに、なにもかも頼りたくなってしまう。


「ごめ……」

「謝らなくて良い。何も気にするな」


 謝ろうとしたら、すぐに拒否される。


「お客さん、ぐ、具合悪いんですか?」


 不意に、運転手さんが声をかけてきた。わたしが返事をするまでもなく、悠司くんが応えた。


「気にしないで下さい。それよりこの先に、ガードレールが壊れた所とかがあったら、そこで止まって下さい」

「え……ガードレールが壊れた、ところ?」


 なんだか運転手さんの声が怯えている。しかも、妙に隣の助手席を気にしている。籬さんが気になるんだろうか。

 その後、運転手さんは小さな声で「ウソだ。でもまさか。いやでも今は彼岸だし……」と妙なことを口走りながら運転を続けている。

 それは悠司くんの指定した、ガードレールが壊れた箇所へたどりつくまで続いた。


「おっ、おきゃくサン! ありましたヨ!」


 完全にうわずった声で知らせた運転手さんに、わたしはもはや応える気力すら失っていた。


「俺が降りてもまた戻ってくるので待っててもらえますか?」


 悠司くんの指示を受けて、タクシーはゆっくりと停車する。


「ここで待ってろ」


 耳元にささやきを残して、悠司くんはここまでの支払いをした上で、タクシーを降りていった。

 タクシーは扉を開けたままで、薄目を開けたわたしの視界に歩いていく悠司くんの黒いパーカーが見える。

 道路を外れたのか、草をふみしだく音が続く。一旦遠ざかった足音は、ややあってタクシーの方へと戻って来た。


「すいませんが、車の牽引ロープありますよね?」

「はっ!? ろ、ロープですか?」


 運転手の顔がさらに青くなる。どうしてかは全く分からない。


「積んでいるでしょう? 事故が起きたのか、あっちでバスが横転してるんです。ロープを出して、その後通報して下さい」


 悠司くんは冷静に伝えながら、車の中で横たわっていたわたしをひきずりだした。


「もうすぐだ。しっかりしろ」


 軽い木箱のように、わたしの体は難なく抱え上げられる。悠司くん、見かけによらず力があるみたいだ。

 ぼんやりしているうちに、道路脇に降ろされる。悠司くんはそのまま車のトランクに向かい、運転手から細いロープを受け取って出てきた。


 肩に捲いたロープを掛けたその姿は、冒険をしにきたやんちゃな少年のようだ。その仏頂面が全てを裏切っているが、これは仕方のないことだろう。

 戻って来た悠司くんがわたしを再度抱え直した。それから道路から一段下がった草地へ降りようとしたその時だった。


 バタン。扉が閉まる音がした。

 え? と振り向いた時には、タクシーは走り出そうとエンジンを吹かしていた。

 が、一向にタクシーは前に進まない。


 宙に浮いたようにむなしく回転する車輪。山道に音をとどろかせる車のエンジン。

 運転手はなんだかぎらぎらとした表情で一心に前だけ見ている。隣にまだ乗っている籬さんが、ブレーキを横から踏んでいるんだろうか? でも、なんでこの運転手さんは逃げようとしているの?

 訳が分からないまま見ていると、ややあって悠司くんが籬さんに言った。


「いい。そんな怯え方をしている奴ではどうしようもない。行かせてやれ」


 すると、籬さんはふっとため息をつくような動作をして『扉をすり抜けて』出てきた。


「…………え?」


 走り去るタクシーの姿も、ほとんどわたしの目には入らなかった。

 だって人が、どうやれば、ドアを素通りして……。

 ふと、運転手さんの青い顔や、しきりに籬さんの方を気にするそぶり、寒気がするように震えていたことを思い出す。なんで気付かなかったんだろう。それら全てが、ある一つのことを指し示している。


 ――籬さんて、もしかして幽霊?


 わたしは声もなく、近づいてくる籬さんを見つめる。

 一方、籬さんの方はこちらへにやっと笑ってみせただけで、何事もなかったように悠司くんと話す。


「本当に解放して良かったのか? 悠司よ」

「怯える男の面倒まで見てられるか。そっちの方が手間だ。それよりあそこだ」


 悠司くんが指で指し示すために体の向きを変えたので、わたしにもようやくそれが見える。見事にカーブを描いて斜めに倒れたガードレールの先、雑木林の中に、横倒しになったバスがあった。

 脱線したままスリップし、近くの木にぶつかって止まったのだろう。なぎ倒された低木や草によって、軌跡がはっきりと残されている。

 そのバスを見た瞬間、心臓が強く拍動した。


「あ……」


 見覚えがある、衣川バスの文字。枝で引っかけて傷だらけになった車体に施された、白地に青と紫のカラーリング。


「どうして……」


 今まで忘れていたんだろう。わたしが乗ってきたバスは『こっち』だったのに。

 このバスに乗り換えたのがお昼前だった。理子やイズミと三人で乗って、他に誰も乗ってないからと、荷物を後部座席に放り投げたのを覚えている。

 理子たちが先に降ろしてくれたから、荷物はそこにはない。ただ、木に寄りかかるように斜めになったバスの中、後ろから二列目の席の上の、前の乗客の忘れ物。どこかのデパートの紙袋はそのまま……。


 息を飲むと、背中を優しく叩かれた。

 はっとしてすぐ側にある悠司くんの顔を振り返る。あいかわらず仏頂面だったけれど、割合やさしい声で彼は言った。


「さ、帰るんだ。本当の君の時間に。でも目が覚めたら、まずは暴れるなよ」


 謎かけみたいな言葉と共に、ふっと体が軽くなる。

 そのまま強く吹き付ける風に巻き込まれて悠司くんの手を離れた瞬間、わたしの体が浮き上がる。そして高い場所から、紙袋の下の座席で目を閉じる『わたし』の姿が見え……。

 その瞬間、意識が暗転した。

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