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体調不良と白昼夢

「久住さん今……」


 何か言ったかと聞こうとしたとき、籬さんが話し出す。


「少ぅし、はしゃぎすぎたようだな。すまんかった」

「いいえ、そんな」


 しみじみと謝罪されて、なんだかこちらの方が申し訳なくなる。しかし籬さんは「いや」と首を横に振る。


「本当にわしらは、会話に飢えておったのよ」


 そしてぽつりぽつりと話し出す。


「ずっと限られた場所にいてな。側にいる者らには、わしの声など小さすぎて聞こえやせんし」


 声が出せない病気だったのだろうか。だとしたら、寂しくてたまらなかっただろう。こんなに話好きで詮索好きになっても、仕方ないのかもしれない。


「だから悠司が来てくれるまで、話せることの喜びすら忘れておった。その反動なのかもしれん」


 声は、道路脇に林立する木々のざわめきに消えそうなほど小さい。昔のことを思い出して意気消沈しているのかと思ったが、籬さんの足は疲れを知らないかのように、力強く先へ歩み続けていた。

 わたしはぜいぜいと息をしながら、置いて行かれないように足を急がせる。


 ――あれ?


 急にわたしは疑問が心に浮かぶ。なんだかおかしい。

 軽く腰が曲がったおばあさんが、どうしてわたしと同じ歩調で歩き続けられるんだろう?

 わたしはもう、こんなに足が疲れて体も重いのに……。


 気付けば視界が傾いていた。斜めになって見える悠司くんが驚いた表情で振り返り、受け止めてくれた時、ようやく自分が倒れかけていたことを知る。

 けれど自力では立ち上がれない。ただ背中を支えてくれる悠司くんの腕が温かくて、なんだかほっとした。ああでも、重くないんだろうか。


「おい、ちょっと予想より早すぎないか?」


 悠司くんが焦った表情で、変なことを言い出す。予想って……何?

 ぼんやりした頭で首をひねっていると、視界にさらに二つの顔が入り込んでくる。籬さんと久住さんだ。


「こりゃまずいのぅ」


 顔をしかめる久住さん。一体何がマズイの? 体調が悪そうなこと?


「しかし現物がないと、如何ともしがたかろ?」


 現物って何なの籬さん?

 そもそもどうしてわたし、こんなに具合が悪いんだろう。さっきまで、風邪を引いた様子もなかったのに。


「もっと早くたどり着ける代物でも呼ぶかいな?」

「そうしてくれ」


 悠司くんの返事を聞いた二人の顔が引っ込む。ふとつられるように視線を転じたわたしだったが、そのまま姿を見失った。

 ……あれ? 確か今そこにいて、濃紺のもんぺの端とか灰色の着物の端とかが見えてたのに。

 首をひねっていると、小さなつぶやきが聞こえて振り返る。


「くそっ、もう少し後だと思ったのに……」


 悠司くんと視線が合う。彼はじっとわたしを見た。

 それまでの不機嫌そうな表情とは違う。観察しているのとも違う。とても真剣で、でも迷っているような視線。わたしはなぜか吸い込まれるように目を離せなくなって……。

 急にドーナツを口に突っ込まれた。


「もふがっ!」

「とりあえず食え。食えば少しは良くなるはずだ」


 ぐりぐりと悠司くんがドーナツを口に押し込んでくる。

 ちょっと待って! 具合悪い時にドーナツを押し込まないで!


「ぐふぇっ、何かんがえもふんっ!」


 何考えてんのよ! と口にいっぱいほおばったまま抗議したら、気管にドーナツが入りそうになった。目に涙がにじむほど苦しみながら、なんとかドーナツを飲み込む。


「ちょっ、窒息死したらどうすんのよ!」

「こんなんで死ぬわけ無いだろうが。それより、少し良くなったんじゃないか?」

「……え?」


 言われて見れば、なんだか胸の奥がすっきりした気がする。舌先に残った『砂糖~っ』と言わんばかりの甘さから考えると、逆に胃もたれしそうなものなのに。


「立てるか?」


 そう言って、悠司くんはわたしを立ち上がらせてくれた。

 ドーナツの件はもうちょっとやり方があるだろうとは思ったが、庇おうとしてくれた男気に、水に流そうかと思える。


「あの、ありがとう」


 礼を言ったところで、またふらついた。倒れる前にしゃがみこんでしまおうと思ったら、まだ背中に添えられてた腕に力が込められる。


「無理しなくていい」


 支えてくれた悠司くんが、言葉少なに言ってそっぽを向く。

 ええと……これは、具合が悪いならよっかかってもいいってこと、だよね? 明後日の方向を見てるのは、もしかして、慣れないことしてる照れ隠し?


 悠司くんが照れているのかもしれないと思うと、なんだかこっちまで気恥ずかしくなってきた。身長はそれほど高くないのに、体温が高いこととか、自分よりちゃんと肩幅広いこととかを、意識してしまう。

 年下だけどちゃんと男の子なんだな。


 妙な所に感心したその時、携帯の着信音が鳴る。

 風鈴みたいにりんりんと鳴る音を聞きながら携帯に手を伸ばした瞬間、わたしはふと白昼夢を見た。


   ***


 わたしは、どこかのバス停の前にいる二人を見ていた。

 一人は白いスカートに低めのミュールを履いて、髪を巻いた理子。もう一人は髪をアップにして華やかに散らした髪型に、Tシャツとデニム姿のイズミだ。

 二人で交互に電話をかけるが、同じ回数だけ『電源が入っていないか……』というアナウンスが漏れ聞こえてきた。


「電話、出ないにしても程があるジャネ?」

「もしかして、わざと置いてったから怒った……?」


 話し合う二人は、不意に声を掛けられて振り向く。


「あれ、イズミと藤間さんじゃないか?」

「あ、栢山くん!」


 理子がぱっと顔を輝かせて振り向く。彼女の片想い相手の栢山くんの顔を見つける。柏山くんも休み中だから制服ではなく、ジーンズをはいてシャツを羽織った格好をしていた。

 理子にイズミがささやいた。


「よかったじゃん、わざわざバッティングしそうなトコに行く手間がはぶけて」


 手間がはぶけた?

 その言葉に、わたしは『まさか』という気持ちがわき上がる。

 さっきの『都合が良い』というのもそうだ。もしかして理子とイズミは、栢山くんがここに来ているのを知っていて、偶然を装って会いに行くつもりだったのだろうか?

 だとしても、どうしてわたしを置いて……?


 自分だけが何も知らされていない、という事実にショックを受けたわたしは、理子と栢山くんの会話をほとんど聞いていなかった。

 ただ、栢山くんが「そういえば水城さんは?」と尋ねた瞬間、理子が一瞬不愉快そうな表情になったことに気づき、胸が射貫かれたように苦しくなる。

 やがて栢山くんは「買い物の途中だから、またな」と言って理子達に背を向けた。そのとたん、イズミが携帯を取り出す。


「もう連絡するの?」

「だってさっき繋がらなかったじゃん。あれからもう三十分は過ぎてるし」


 しかし電話からはまたしても『電源が入っていないか……』という音声が流れてくるだけだ。イズミはしつこく掛け直したが、その数が十回を越えた所で顔が真っ青になる。


「何コレ失踪なんじゃないの?」

「そんなわけないよ。怒ってるだけじゃないの? 千紗、けっこうしつこいもん」

「いやだって。怒ってるにしろなんでずっと電波の届かない所なのさ? 町の中なら電話ぐらい通じるじゃない」


 ウッソ、千紗ってば返事してよ~! とイズミは携帯に向かって呼びかける。理子はため息をつきそうな表情でぽつりとこぼす。


「もうちょっと待ってみようよ。電話の電源切ってんでしょ?」

「や、絶対変だって! 千紗の場合、怒ったからって電源まで切るわけがないし! やっぱ警察に電話? 一一九番だっけ?」

「警察は一一〇番だけど、どうしたんだ?」


 大騒ぎするイズミに、再び道を戻ってきた栢山くんが声を掛けた。

 手に下げているビニール袋からすると、彼の買い物とは、近所にジュースを買いに行くだけのものだったのだろう。


「か、栢山君……」


 理子はさっと目を潤ませ、すがるように彼に話した。

 千紗は用事があって、理子達を追って別なバスで到着することになっていたのだ、と。しかし少し先のバス停に間違って降りてしまったという連絡の後、連絡がとれないのだと。

 話を聞いた栢山くんは顔をしかめた。


「これがイズミだったら、いたずらのつもりでわざと戻ってこないでいるんだろうと思うんだが……」

「ちょっと、それ酷くない?」


 思わずといった風にイズミが突っ込む。


「けど水城さんはそんな事するわけがない」

「そ、そうなのよ。だから警察に言った方が良いんじゃないかって」


 理子がうなずいてみせたが、栢山くんは首をかしげる。


「でも、水城さんは一体どこのバス停から引き返してきてるんだ?」

「終点だったみたいなんだけど……」


 イズミの返事を聞いて、栢山くんはバスの時刻表を見て提案した。


「終点は三つ先の停留所だ。そこからゆっくり歩いてきてるのかもしれない。見に行こう」


 栢山くんの提案に、イズミはうなずき、理子はもちろん片想い相手の栢山くんがついてくるというので喜んで同意した。

 それから三人は『わたしが降りたと思われる』バス停まで歩きだした。

 わたしは呆然とそれを見送り――

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