さまよったわたしが出会った人
好きな人ができたんだ。
友達の理子がそう話してくれたのは、高校二年目も最後の月のことだった。
相手は同じクラスの栢山くんだった。確かに顔はいい。背も高い。成績もまあまあだし、評判も悪くない。
好きになったきっかけを聞いたら、理子はカーラーで丁寧に巻いた毛先をひっぱりながら、大人びた顔を赤くして教えてくれた。
何のことはない。理子が授業前にプリントを運ぶ時、彼が重そうだからと代わりに運んでくれたのだという。
「少女漫画みたいなシチュエーションだったんだけど、それに妙に感動しちゃって」
それからというもの、理子はクラスの皆に対する彼のさりげない心配りに気づいて、優しい彼に引かれていったのだという。
だけど同じクラスというだけで、彼と理子は他に接点がない。
堂々と男子に話しかけるのには勇気がいるし、急にそんなことをしたら、クラス中に自分の変化がわかってしまうだろうからと、何もできずにいたらしい。
「どうしても振り向かせたいの。ね、千紗も協力して?」
頼まれて、わたしはすぐにうなずいた。
こんな軽い動機で、理子の『友達の恋を応援する』おまじないに協力したのが一週間前のこと。白い石のついたストラップを理子に渡され、それを携帯にくっつけてるだけでいいと言われた。
何も変化がないまま春休みに突入し、おまじないの事も忘れかけながら、三月の中旬には理子やイズミと一泊旅行に出た。
「のろのろとバスに乗ってダベりながら行こーよ」
というイズミの提案に乗り、バスを三度乗り換えて、楽しく温泉地へ向かっていた。
――はずだったのだが。
◇◇◇
「どーして起こしてくれなかったのよー!」
恨みがましい、そして本気度高めの涙声で訴えると、携帯電話越しに二人分の笑い声が返ってくる。
「いや、もうちょっとしたら電話で起こすつもりだったんだってば!」
ごめんごめん、と謝る理子の声のバックに、うひゃひゃという笑い声がBGMのように被さってきて、全くもって反省しているようには聞こえない。
「ちょっとイズミ、笑いすぎよ!」
電話口で理子がイズミを叱っているが、声、笑ってるってば。
「だってさ、終点まで気づかないとか、どんだけ爆睡してんだよって感じじゃない?」
旅行だからと派手に睫毛を盛ったイズミが、大口開けて笑う姿が目に浮かぶ。今夜眠った後に、エクステを布団の下に隠してやろうと、わたしは決意した。
「とにかく、あたしらバス停近くにファミレスあるからそこで待ってるよ。戻ってきたら一品おごるから、ね?」
「機嫌なおしてよー千紗。じゃあね」
と理子は電話を切ってしまう。
ツーツーと鳴くばかりになった携帯電話を見つめながら、わたしはため息をついた。
どうせこのいたずらも、イズミが考えたのだろう。あの子はいつもわたしや理子にいたずらをしかけて遊んでいるのだ。悪気がないのは分かっているんだけど。
「知らない町に着くまで放置されるとは……」
頭をかきむしりたいような気持ちになって髪に触れる。バスの中で寝たせいか、ヘアゴムがゆるんでる。直すのも面倒だったので、肩までの髪をほどき、トボトボと戻りのバスの時間を確認しに行くことにした。
反対車線の歩道へ向かって、道路を渡る。田舎すぎるせいか、車の影も形も見えないので、のったりと車道を渡っても平気だ。
日焼けして茶色く変色しつつあるバスの標識の前へ来ると、今の時間を携帯で確認。十四時三十分だ。
「十四時台のバスはっと……」
時刻表を確認しようとしたわたしは、その瞬間に血の気が引いた。
時刻表は十四時以降がまっさらで、何も書かれていなかったのだ。
◇◇◇
「どんだけ田舎なのよ、もうっ」
ぶつぶつと文句を呟きながら、わたしは歩きはじめた。
といっても、バスの路線を逆にたどっているわけではない。路線図を見ても目的のバス停が見つからなかったので、別なバスがないかを人に尋ねることにしたのだ。
……ジーンズにスニーカーを履いてきて良かった。サンダルだったらすぐに足が痛くなっていただろう。
が、人の姿すら見かけない。コンビニどころか、周囲に見える店も、どこも軒並み『日曜日は休業』と書かれた紙が閉じたシャッターに貼られている。
他に開いている店はないかと、バスの通っているらしい車道を離れてみた。が、今度は住宅ばかりで店の姿すらない。
「うう、誰か通りがかってくれないかな……」
だんだん心細くなりながらも、歩き回ることしかできない。携帯でお店を検索しても、全部日曜日休業と書かれているのだから、他にやりようがない。
ようやく営業している店を発見したのは、三十分も歩いた頃だったろうか。
そのドーナツショップを見つけた瞬間、砂漠でオアシスを見つけた旅人のような気持ちになる。インターネットにも情報がかかれていなかったドーナツショップだったからなおさらだ。
「ああ、助かった……」
呟きながらお店のガラス戸を開ける。もちろん自動ドアなんかじゃない。開閉式だ。
それでも、バス通りの店よりは都会的な外観と、内装の店だった。そんな所も、古びたシャッターばかり見てきたわたしに、ほっとするものを感じさせた。
「いらっしゃいませお嬢ちゃん」
ドーナツを並べたカウンターの向うにいたのは、白髪のおばあさんだった。でも、人に会えただけで十分だ。
「あの、間違ってこの町でバスをおりちゃったんですけど、戻るバスが無いか教えていただけませんか? もしくはどっちに歩いていけば、戻れるんでしょう? バス路線図を見ても、降りるはずだった停留所の名前が無くて……」
おばあさんは、最初こそ「うっかりだな」とほほえましそうな顔をしていた。なのに、最後まで聞き終わると急に表情を変えた。
「停留所の名前がない?」
「そうなんです。ほんの三つ分くらいしか離れてないはずなんですけど」
うなずくと、今度は目的の停留所の名前を聞かれた。
「どこに行くつもりだったの?」
「門ノ橋……」
おばあさんは真っ青な顔色になった。なんで? そんな怖がるような事を言ったっけ?
混乱する間に、おばあさんはわたわたとカウンターから出てきて、客席の奥へ向かって叫んだ。
「ゆうちゃんや! ちょっとこの子!」
おばあさんは「この子、この子」と連呼しながらわたしの腕を掴んで引っ張っていく。
一体その先に何があるのかと思ったら、藤編みのパーティーションの向うには微妙な光景が広がっていた。
ドーナツショップにご老人がいるのはいい。高齢化社会だし、よく見かける光景だ。
しかし老人四人に囲まれた少年が、一人もくもくとドーナツを食べている姿は、さすがにお目にかかったことがない。親戚の爺さま婆さまが多い子なんだろうか?
しかし、甘やかしたくなるのはわからないでもない。
黒のパーカーを羽織った少年は、わたしよりは年下だろう。中性的な顔をしていて、髪が長めのせいか、うつむくと女の子と勘違いしそうなほど可愛らしい。わたしがおばあちゃんでも、あれやこれやと世話をやきたくなったに違いない。
そして少年の前にだけ、山のようにドーナツが積んであった。ぱっと見で十個はある。一人ではとうてい食べられなさそうな量だ。
少年はドーナツを口に含んでもぐもぐと咀嚼しているが、苦悶の表情を浮かべていた。
「なぁ悠司。ドーナツが飽きたなら、今度はあんみつ屋に……」
「今の若いもんならファミレスの方がいいじゃろ? ゆうちゃん。移動するべか?」
「まぁ、ドーナツも旨いがのぅ」
と言いながら、老人達はドーナツには手をつけない。
彼らの言葉を聞いて、わたしは認識を改めた。違う。これは甘やかしているのではない。どっちかというと甘い物を強制的に食べさせる虐待?
が、少年の方も負けちゃいなかった。
「あんみつもケーキも論外。俺にはこれが限界だ。異論は認めん」
顔に似合わぬ雄々しい返答をした少年は、再度ドーナツ店員のおばあちゃんに呼ばれ、ようやくこちらに気付く。
「ゆうちゃん、こ、この子見てちょうだい!」
店員のおばあちゃんに言われた瞬間には、わたしと彼は視線を合わせていた。
真正面から見ても可愛いわーと思っていると、彼はどうしてなのか「あーあ」とため息をつきそうな表情に変わり、手招きしてきた。