小林瑠璃
「ミサキー、ちょっと良いか?」
「え? またですか? 毎日昼休みに話して何か変わるってんですか? 全く……」
「良いやないか。とりあえず安心するしな」
「えー……」
わざわざ教室に「面倒くさい」アピールをして、お弁当を持って教室を出る。それだけかと思ったら、最後にもご丁寧に「行ってきまーす」と嫌そうな顔で舌を出す。
同じクラスなら、私が佐川っちを嫌いなら、ミサキを好きになっていただろう。でも、私はそうじゃない。だから、彼女の抜け目なさが嫌で嫌で堪らない。
どうせクラスを出て2人になったら楽しそうにするくせに。佐川っちの話、楽しそうに聞くくせに。
いつもそう。誰にだってそう。みんなに優しくて、みんなに愛されてる。
優しくて面白くて茶目っ気があって、ちょっと抜けてて。
その「嫌う理由がない」ところが嫌いだった。
佐川っちの隣を、お弁当を持って歩くミサキ。そこは私の居場所のはずなのに。毎日、毎日、何を話しているんだろう。ミサキは、学級委員であることを利用しているんじゃないか? 本当は佐川っちを好きなんじゃないか?
私が生徒会役員になったのには、大きな理由がある。簡単だ。佐川っちに見てもらう為。私の頑張ってる姿を少しでもたくさん見てもらうために、面倒な雑用係なんかに立候補したんだ。なのに、佐川っちは私を見てくれなかった。少なくとも、褒めてはくれなかった。
どうして彼を好きになったか――それも簡単だ。始まりは、この学校に入学した時まで遡る。
◇◇◇
周りは知らない人ばかり。私立だからお金持ちのお嬢様が多いのかと思ったら、全然そうじゃなかった。
周りにはたくさんの、浮かれた女たち。――気持ち悪い。女だらけの場所なんて、吐き気がする。だから女子校は嫌だって言ったのに。
でもまぁ、私がここに入ったのは、友達と同じ学校が良かったからってのもあるから良いんだけど。
中学の頃からの大親友。頭が良くて浮いたところのない、自慢の親友だった。高校に入っても同じクラスでいれたことに、ものすごい喜びを感じていたくらい。
でも、そう思っていたのは私だけだったみたい。
「だよね、あり得ない!」
「でしょでしょ?! ねぇ今度男釣りに行こうよ」
「駅前のカフェとかどうよ? あそこのケーキ絶品よ!」
……幻滅した。
そう。彼女も所詮、金を持った尻軽女だった。私が付き合うような相手じゃない。そう思って彼女から離れた。……私が突き放されたという事実にも気付かず。だってその直後に、彼女は真面目に戻ったから。成績は学年トップを争うくらいで、学級委員にも立候補し、何と言うか……負けたな、と思った。
ある昼休み、廊下を歩く彼女を見付けた。最後に話してから、優に半年が経っていた。
「ミサキ、今度遊ぼうよー。誕プレ一緒に選びに行こう?」
「えー? そんな、悪いよー」
「絵里香」
ハッとした顔で振り返った彼女は、しかしすぐに顔色を変えた。
「…………どうしたの? えっと……同じクラスの小林さん……だよね?」
驚いた。まさか、ここまでされるなんて。
何も言わずに固まっている私を気味悪そうに見た彼女は、隣にいる子――ずっと一緒にいるから、きっと仲の良い友達なのだろう――と、歩いて行ってしまった。
隣にいる子があの「ミサキ」と同一人物だと気付いたのは、最近になってからだ。
気付いたら、私の周りには誰もいなかった。
そりゃそうだ。入学したての頃に、全員が自分の努力で自分の居場所を勝ち取るのだから。あんな奴に気を取られていた私が馬鹿だった。これからでも、何とか出来ないか――そう思ったが、無理だった。
そんな時、現れたのが佐川っちだ。
「そんな顔してどうした? もう弁当は食べたんか?」
髪はもう随分白いものが混じっていて、ちょっと太り気味で、お世辞にも「イケメン」とは言い難かったけど、カッコいいとは思った。この人には、人を幸せにする力があると思った。
「な、泣くな泣くな。どうしたんだ? ちょっと第2会議室で話そうか」
どうして会議室なのか。
先生のロマンの欠片もない感じが、逆に素敵だと思った。少し笑ってしまった。
先生は、本当に第2会議室で話を聞いてくれた。
自前だという炊飯器から、炊けたご飯をお茶碗によそってくれた。そして自分もご飯を口一杯に頬張ると、食べなさい、とでも言うように私を見た。
そのご飯の温かさで、私はまた泣いてしまった。いや、先生の温かさも原因だったかも知れない。会議室の温かさ、先生の温かさ、ご飯の温かさ。これがあれば十分だと思った。
きっかけは、と聞かれれば、あの日しかない。
そう。あの時私は、佐川先生に恋したんだ。
◇◇◇
気に入らない。
また佐川っちと一緒にいる。楽しそうに会話して。
ミサキ、あなたは私からいくつ奪って行けば気が済むの?
ねぇ佐川っち、少しでも良い。その笑顔を私に向けて。
「佐川っち」
「ですから、先生は気にしすぎなんですよ~。もう高校生ですよ? 例え何かあっても自分たちで何とか出来ますって」
「でもなぁ……話すと安心するしなぁ……」
……私は邪魔者ってこと? そういうことなの?
「ええ~……てかそれより、先生は最近何か無かったんですか? ……不倫とか」
「ははっ、無いわあほう! 私は遊ぶ方やないから」
楽しそう。
そんな無邪気な笑顔、生徒に向けるものじゃないでしょ? ……もしかしてミサキは、佐川っちにとって生徒じゃないの? 「優秀な教師」がそんなことして良いの?
……あ、そうか。
ミサキが悪いんだ。
ミサキが無理言って一緒にいるんだ。
――ミサキのせいで、佐川っちが責められる。
私が守らなきゃ。
ミサキを手に掛けるのは、簡単だった。
その日ミサキは、自分から殺されに来たんだから。
放課後私は、いつもの通り生徒会室にいた。何の仕事もないけど、ここにいれば居場所に困らない。1人でいても不自然じゃない。
そしたら、ミサキが来たんだ。
「あ、えっと……今日ここ使う……?」
敵を作らない言い方を心得ているつもりだろうが、私はあんたの敵だぞ?
そう内面だけでほくそ笑む。
「ううん、今日は掃除したら終わり。すぐ終われば使わないよ?」
「そっか、良かった……。何しようか?」
手伝おうか? じゃなくて、何しようか?
もう良い。分かってる。私よりもあなたが何倍も素敵だってことは。だから、言わないで。私をこれ以上追い詰めないで。
「窓とか拭いてくれると嬉しいな。上の方とか私の身長じゃ届かないから」
「そうなの? あんまり変わんない気がするけどなぁ……」
私を足の爪先から頭の先までじっくり眺めると、彼女は笑った。
「小林さん、だっけ? 可愛いね。今まであんまり関わり無かったけど、今日から仲良く出来ると良いな。……そういえば小林さん、佐川先生のこと好きだよね?」
最後の部分は耳打ち。
この人はどこまで私を馬鹿にすれば気が済むのだろう。
「い、良いから早く登って」
「うわっ、図星だ~」
手近にあった椅子を踏み台に、ミサキが窓枠に登る。
「意外と足元頼りないね~……怖いっ」
明るい笑顔と、軽い言葉。
あなたはこうやって、私の全てを奪って行くのね。
「でさぁ、佐川先生だけど、」
「さようなら」
「えっ?」
本当に簡単だった。
人を殺めるのが、こんなに楽で良いのかと思った程に。
力一杯ミサキの足と腰の辺りを押した。
雑巾を持った彼女の手は簡単に窓枠から離れ、落ちて行った。
さようなら、ミサキ。
私はあなたの思い通りにはならない。
◇◇◇
ミサキは消えた。
もう、私と佐川っちを邪魔する者はいない。だから佐川っち、私と一緒にいてくれるよね?
「佐川っち」
「……おぉ、小林さん」
ミサキはミサキなのに、どうして私は小林さんなの? ミサキと私の違いは何?
「相変わらず反応がおじいちゃんだなぁ、もう。あ、先生いつまで“さん”付けなんですか? 瑠璃で良いって言ってるじゃないですか」
何も言わない佐川っち。……どうして? ミサキはどうやってあの呼び方を勝ち取ったの? あぁ、最後にそれだけ聞いておけば良かったなぁ。
「……やっぱり、寂しいですか?」
「…………」
どうしたら、どうしたらこの人はこっちを向いてくれる? せっかく敵はいなくなったんだよ? どうしてこっちを見ないの?
「……私、実は…………その……信じたくなくて……まさかそんな、同級生が自殺しちゃうなんて、考えられなくて……」
「小林さんは、ミサキと仲が良かったのか?」
これには即反応。
ナニソレ。ミサキの話題になら応じるってこと?
「……いいえ、全く。1年生の時もクラス違いましたし……お話したこともないです」
「そうか…………分かった。ありがとう」
何がありがとうなんだろう。私は全然ありがたくないよ?
ふらふらと行ってしまう佐川っち。……あぁ、ミサキがそんなに佐川っちを占めていただなんて。これからミサキを超えるにはどうしたら良い? そんなことが私に出来る?
◇◇◇
出来ないなら、無理矢理振り向かせれば良い。
どうしてこんなに簡単なことに気付かなかったんだろう。
待ち伏せ作戦は簡単に成功した。
昨日のミサキと言い待ち伏せ作戦と言い、運が私に向いている。私の時代はこれから始まるんだ――そう思っていた頃が懐かしい。
目の前にはピクリとも動かない佐川っち。本当は言ってしまうつもりだった。ミサキは私が殺したんだよって。でも、言えなかった。彼があんなに落ち込むなんて。
あぁ私ってば最悪。でも、仕方ないよね?
振り向かないのが悪いんだから。振り向かないなら、いなくなっちゃえば良いんだから。
佐川っちが悪いんだよ。ミサキばっかりだから。
さようなら、佐川っち。――ううん、佐川先生。
◇◇◇
次の日、学校は騒然となっていた。
まぁそりゃあそうだろう。むしろ、ミサキが死んだ後の落ち着いた対応が異常だったんだ。
顔色の悪い先生たちが、芸能人のスキャンダルとでも勘違いしているような生徒たちを講堂に移動させている。
列に並びつつポケットに手を突っ込むと、カサ、と紙が触れた。
……何だろう?
そっと紙を取り出す。
くしゃくしゃになったそれは、私の記憶を呼び起こす。
――そういえば、何しに来たの?
――実は今日これから……大切な人に大切な話をするの。
――大切な人?
――そう。あ、この紙、その時に渡すやつだから落としたら大変。ちょっと持っといてくれない?
どうせ佐川への手紙だろう。中身など確認したくもなかったが、何となく開いてみた。
――早苗へ
……あれ? 早、苗?
嫌でも続きが目に入って来る。
――急にごめんね。伝えたいことがあって。早苗とはもう大分長いから、知っておいて欲しかったの。1年生の頃とか早苗、私が隣のクラスの学級委員と2人で職員室に行くのでさえ嫌がったよね。今思い出すと、面白い(笑)
前置きが長くなっちゃったけど、ズバッと言っちゃえば、私は普通じゃないの。あれ? ズバッと言えてないね(笑) 要するに……私、歳上の女の人にしか興味が無いの。興味って言ったら語弊があるね。……歳上の女の人が恋愛対象なの。変なのは分かってる。でも、事実なの。
早苗が気持ち悪いと思って、私と縁を切りたいならそうして。仕方ないから。
ゆっくりで良いから、ちょっと考えてみて欲しいな。
岬千鶴
p.s.元々ちゃんとした便箋に書いてたんだけど、無くしちゃったみたい……内容が内容だけに、早く探さなきゃ。
嘘、でしょ?
誰でも良いから嘘だと言って。
ミサキが佐川を好きじゃなかったなんて。佐川が呼んでいた「ミサキ」が名字だったなんて。岬が絵里香を奪った訳じゃなかったなんて。
講堂のステージでは、校長先生が沈痛な面持ちで話していた。
「――事件の概要は、以上です。まだ亡くなった原因は分かっていません」
警察が調べるのだろうか。だとしたら? 私が佐川を好きなのが、周知の事実だったとしたら?
――私が捕まるのは、時間の問題――
逃げなきゃ。いや、むしろ動かない方が良い? あぁ、佐川を殺したのが私だと知れたら、岬のことも露見するのだろうか?
私はどうすべきなの?
私は殺されるの?
……分からない。
今となっては、頼る相手もいない。




