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凪洋子


 私は元々、口数が少ない。

 そのくせ黒い髪をショートカットにして、地味な服ばかり着ているから、友達が少ない。……というか、取っつきにくいんだと思う。私はそれが当然だと思うし、それを気にしてもいないから改善もされない。そうやって生きてきた。


「キレイっていうか、殺風景だな」


 夫が初めて私の部屋に来た時、まだ彼氏だった夫が私に放った言葉だ。当時はマンション住まいだった。勿論それで傷付いたりはしないが、つまり何が言いたいかって言うと、私は所謂「女性」らしくない。

 イマドキの女のように、自分を飾ったりしない。それは勿論部屋を飾らないことにも繋がる。

 私は、物にも人にも執着しない。


◇◇◇


 「おい、メシ」


「……はい」


 洗い物を済ませていた手を止め、フライパンの上の目玉焼きとベーコンを皿に上げる。一緒にご飯を食べられたら、と思うけど、今はもう7時。さすがの私でも、ここまでは待てない。仕事に遅れてしまう。


「お前さぁ、また先に食ったの?」


「すみません、先に頂きました」


「その敬語、何で?」


「昔からの癖」


「癖じゃないじゃん」


 仕方ない。謝る時は出てしまう。結婚して何年も経っているのにこんな簡単な癖も見抜けないのか、と少し嫌気が差す。そんなんでよくこれまでやって来れたな、とさえ思う。


「行ってきます。戸締まりお願いします。食器はそのままにしといて」


 無視。いつものことだ。自分より妻が先に家を出るのが気に入らないんだろうけど、仕方ない。

 玄関を出、車のエンジンを掛ける。

 結婚して早10年。オルガニストと、近所の女子高校の非常勤講師をやっている。そこがキリスト教で助かった。立派なオルガンがあり、立派な仕事がある。

 毎朝7時には家を出て、学校へ向かう。舞台袖から2階へ上がり、まだ薄暗い講堂のカーテンを1つ1つ開ける。ゆっくりと舞う埃が、射し込む朝日に照らされてはっきりと見える。

 1階に下り、舞台袖にあるオルガンのスイッチを入れる。楽器が風を送り込む音が心地好い。

 楽譜を準備しつつ、オルガンの椅子に座る。最初に音を出す時、ほんの少し緊張する。この静かな講堂に、私の音が満ちると思うと……少しだけ。でも、その余韻に浸っている場合ではない。寒い今、少しでも指をならしておきたい。


「凪先生」


「…………はい?」


 またこれだ。弾こうとしたら邪魔しに来る。悪気は無いのだろうけど。ゆっくりと振り返る。


「……熊谷先生」


「お邪魔しちゃってすみません。あの、今日お時間ありますか?」


「……3、4限以外は」


「分かりました。では、失礼します」


 スタスタと去って行く。

 彼女の悪いところは、人の予定だけ聞いて、自分の予定と何を考えているかを話さないところだと思う。


 ……まぁ良い。今はオルガンだ。時間がない。早く弾いておかないと。


「凪先生、おはようございます。本日もよろしくお願いしますね」


 この声は、校長……。


「こちらこそ、よろしくお願い致します」


 椅子の横に立ち、深々と頭を下げる。あーあ、とうとう弾けなかった。


「間もなく生徒たちが入場して参りますので」


「はい」


 仕方ない。まぁ、もう何年も続けてきた仕事だし、大丈夫か。

 ようやく暖まって来たカイロを、力を込めて握りしめた。


◇◇◇


 「どう?」


「そ……うですね……」


「やっぱり、ダメかしら?」


「……いえ、」


 学校の近所のレストラン……だと良いのだが、現実は学校付属の食堂だ。洒落っ気の欠片もない。

 目の前に置かれたそのスパゲッティは、ちゃちなプラスチックの容器に入っている。プラスチックのフォークは使いにくいので、割り箸を貰った。

 右手人差し指の第2関節の辺りを唇に当てる。いつもと同じ、グーの形。コホンと咳払いをして、答える。


「行きます」


「本当?!」


 さっきまでの申し訳なさはどこへやら、向日葵が咲いたような笑顔を向けられる。


「はい」


「良かったわ~! 本当に困っていたのよ。それに、話し始めた瞬間に考え込むポーズなんかするもんだから」


 熊谷先生は、スパゲッティをプラスチックのフォークを上手に使って頬張る。

 腕時計をちら、と見ると既に午後2時を回っている。彼女は常勤のはずだけど、ここにいて大丈夫なのだろうか。


「……考え込むポーズ……?」


「ほら、凪ちゃんよくやるじゃない? こうやって」


 軽く握った右手の人差し指、その第2関節辺りを唇に持ってくる。付くか付かないか、スレスレのところで止める。


「…………よく見てらっしゃるんですね」


「そう? これくらい普通よ」


 ウチにはその「これくらい」が見抜けない旦那がいるんですよ。そう言ってやりたかったが、ぐっと我慢する。


「ありがとうございます」


「いいえ。じゃあ凪ちゃん、これが時間割ね。中学と高校の音楽を担当して貰えれば良いから。場所は音楽室。まだ講堂は使わなくて良いから。合唱コンクールに向けて、とりあえずパート練習と合わせして、一言だけ喋ってくれたらバッチグーね」


「はい」


 妙に古い言葉を聞き流しつつ、プリントを受け取り、目を通す。……予想外に多い。


「凪ちゃんなら大丈夫よ。でさ、最近旦那がさ……」


 本当に大丈夫だろうか? 少し心配になってきた。

 長くなりそうな熊谷節を聞き流しつつ、慎重にスパゲッティを口に運んだ。


◇◇◇


 「洋子、どうした? 浮かない顔だな」


 ベッドの上で考え事をしていると、彼が隣に座った。そっと肩に腕を回される。


「え? ううん。ただちょっと頼まれ事をしただけよ」


「何だ?」


 彼が私を「洋子」と呼ぶとき、それから「浮かない顔だな」と言うときは必ず、誘っているときだ。そして、こういうときは、微塵も私の話を聞いていない。無論、「浮かない顔」だと彼が見破った訳でもない。


「来週、代わりに授業やって欲しいんだって。熊谷先生、急用で実家に帰るらしいの」


「ふぅん。熊谷ってそいつ、男か」


「女の先生よ。私より5つくらい上」


「……ふぅん」


 彼の指先が、私を弄ぼうとする。人の話くらい聞け、と思うが仕方ない。言ったって変わらないことだ。


「愛してるよ、洋子」


 耳許で囁かれ、それに若干の嫌悪感を感じてしまうが、しかし反応してしまう自分もいる。

 終には彼のキスを貪欲に受け、何もかもを委ねた。


◇◇◇


 「はーい、それじゃ授業を始めまーす」


 頭痛のする頭を押さえ、クラスに一声掛ける。元々大きな声は出ないので、少し無理して声を出す。きりーつ、きをつけー、れーい、という気合いの入らない挨拶の元、授業が始まった。


「先生誰ー?」


「熊谷先生の代わりを務めます、凪洋子と申します。よろしくお願いします」


「彼氏いるの?」


 キャー、と悲鳴が上がる。……そんなに私の男事情が気になるのだろうか。


「彼氏はいません」


 あながち間違ってない。だっているのはしょうもない「旦那」だし。


「……先生指輪着けてない?」


「マジだ!」


 何がそんなに気になるのだろう。別に結婚してようがしてまいが、どうでも良いじゃない?

 合コンの席のようにぎゃあぎゃあと人の事情を暴きたがるこの空気が嫌いだ。


「さて、」


「あ、待って」


 ……別に私は良いんだけど。高い学費を愚話で終わらせても。


「先生、いっつもオルガン弾いてる人……?」


「……あぁ、まぁ、そうですけど」


「いつもは指輪着けてない……ですよね?」


「……オルガン弾く時はね」


「ふーん……」


 何なのだろう。

 思考するような表情して。


「始めます」


 痛む頭から逃げるように、私は無理矢理授業を始めた。


◇◇◇


 何だ彼だと言って、結局私は彼が好きなのだと思う。慣れ故の安心感がある、みたいなものだろうか。とにかく、私が今まで一緒に生きて来られたのは、相手がこの人だからだ、という認識はある。……それが「好き」ということなのだろう。


「おい、飯」


「もうちょっと」


「……なぁ、今日は久々に一緒に風呂入るか?」


「え、……何で?」


「たまには良いかな、と……」


「ふーん」


 フライパンの野菜炒めを真っ白のプレートに移す。パンに付いているシールを集めて貰ったものだ。夫からは「もっとこだわれ」と言われているが、たかが皿に趣味を反映する気にはならない。


「で、どうなんだ?」


 いつの間にか真横に来ていたらしい夫は、捨てられた子猫みたいな顔で私を見ていた。


「別に……良いですけど」


「だから何で敬語なんだよ」


「特に理由はない」


 校内では非常勤ということもあり、不必要に肩身を狭く感じてしまう。そのせいで敬語が癖になっているのかも知れない。


「ま、何はともあれ楽しみだな」


「何が……?」


「風呂」


「…………」


 この人はどうしてこうも……こうなんだろう。純粋なのか変態なのか、計りかねる時がある。


「顔赤いぞ」


「嘘です」


「だから何で敬語なんだよ」


「嘘だ」


「嘘じゃねぇよ」


 ニッと笑った口から覗く歯は並びが良く真っ白で、昔はモテたんだろうな、と思う。運動部だったらしいし。


「さ、食べますよ」


「……だからー」


「良いんですよ。……良くないですか?」


「……良いけど」


 ほんの少しだけ頬を赤らめた彼は頭を掻き、視線を逸らした。


「良いけど、少しにしてくれ」


「え」


「抱きしめたくなる」


 急に後ろから抱きしめられ、持っていた野菜炒めの入った皿を落としそうになる。危ない。せっかく貰ったのに。


「…………何ですか」


「可愛いな、と思って」


「バカじゃないんですか。早く離してください」


「今更こんなことで赤くなってんなよ」


 素直に離れた夫は、顔が真っ赤だ。何と言うか…………やっぱり、こういう人だから私は一緒にやって来れたんだな、と思った。


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