甘くて痛い、貴女の罠
何時も正しくて、往々にして美しい。空を切り取った様に澄んだ光を宿す瞳で見つめられれば、体の底から痺れ上がる。そして何よりも優しいから、皆から頼られて、信頼されて。誰もが憧れる、理想を詰め込んだみたいな貴女。
けれど、それは本当の貴女じゃない。
「花菜、」
壁際に追い詰めて囁いた分かり易い猫撫で声と、首筋を撫でた冷たい指先が何よりの証拠。
「いや、やめて…」
拒んで肩を軽く押すと、貴女は笑いを漏らした。そして優しく手馴れた手付きで私の手首を掴むと下におろし、大丈夫だから、と言う。こんな状況なのに余りに艶やかな笑顔を見せるから、堪らずぎゅっと目を瞑った。私は、私の最愛の人も貴女の最愛の人も、裏切りたくは無いの。
「ね、怖くないでしょ?」
空色の目の奥が冷たく光る。本当の貴女は、狡くて恐ろしい人。
才能に恵まれているから意図も容易く人の警戒を解く事が出来て、頭が良いから人を貶める事も知っている。貶めるのには自分を信頼する人間の方が都合が良い事も分かっていて、親しい人を踏みつける事も厭わない。自分の欲する物はどんな手を使っても手に入れる。
誰もが頼るのはそう仕向けているから。優しく見えるのはそう見せ掛けているから。
狡くて冷酷で恐ろしくて美しい、貴女は蜘蛛の様な人。
「駄目と言って…凪子……っ」
一度獲物になったら最後、滅茶苦茶な迄に食い尽くされるだけ。愛しい人の為に必死にもがいた。私が好きなのは美珠ちゃんだけだった。穢れを知らない彼女を、傷付けたくはなかった。
「良いの…誰にも言わなければ、私達だけの秘密になるんだから…」
貴女の言葉には背徳感なんて微塵も感じられない。凪子だって、彩花ちゃんが一番好きな筈なのに。
逃れようとする程、手足が動かせなくなる。どんどん逃げられなくなってしまう。心まで、絡め取られてしまう。
曲がった方法で、自分の欲の為に他人を食らう蜘蛛。何処までも汚いやり方を、私は最低とすら思う。その筈だった。
「ねえ、花菜」
「うん…?」
「愛してるって、言って?」
「…え、あの……」
「ほら、早く、」
気付いた時には逆撫でされた神経から感じる吐き気にすら、私は甘く酔っている。
ごめんね、美珠ちゃん。ごめんね、彩花ちゃん。
でも、私は、
「……愛してるよ、凪子」
満足げに微笑んだ貴女に、最愛の印のキスを落とした。