第8話◆新渡戸の過去…エピローグ◆
新渡戸寅ノ助は尼崎杏奈と一緒に住んでいたアパートにきていた。勿論、尼崎杏奈はいない…当然である彼女は10年前に死んだのだ。いるはずもない…
新渡戸が分かったことは自分が水野直樹とのドライブ中、運転ミスにより崖から転落したこと…そして1ヶ月間目を覚ますことは無かったこと。
ちなみに事故現場はこのアパートの近くだったらしい…
「………」
「………」
今言えることはタイムスリップなど無かった…全ては夢…自分が都合の良いように作り上げた空想の世界だということ…
やはりタイムスリップなど存在しなかったのだ…
「………」
新渡戸は尼崎杏奈との部屋の前にたつ鍵は掛かっていなかった。いや壊れていた…まるで廃墟だな…と思った。当然と言えば当然かも知れない自分が生活していたのは今から10年前の事だ…
新渡戸は扉を開け部屋の中に入る…
「………」
そこで見た光景…
若干の埃があるものの当時のままだった。テーブル、タンス、書斎、キッチンにはまな板が置かれ横に包丁…下には鍋…書斎には自分の書きかけの原稿…アパートの外観とは似つかわしくまるで最近まで生活していたかのようである…
「………」
新渡戸は尼崎杏奈が死んでからこのアパートに戻ることは一度としてなかった。それは尼崎杏奈の最後を悔やみ記憶を消し去りたかったからかもしれない。そして出来ることなら過去に戻りやり直したい…潜在的に頭の中でこう思っていたからタイムスリップと言うものを新渡戸自身の頭が作り上げたのかも知れない。
「………」
新渡戸はテーブルにアグラをかく。昔、尼崎杏奈とここで食事をした。今にも『先生味噌汁どう?』…っと声が聞こえてきそうだ。
新渡戸はずっとずっとテーブルの前に座った。頭の中で尼崎杏奈との思いがよぎる。自分は何も変わらない…結局過去には戻れない…だから過去を悔やんでもしょうがない…
「……?」
この時、新渡戸はある物に気がついた。それはタンスの上の段よりはみ出ている…
「原稿?」
タンスの奥より見える物…それは紛れもなく小説の原稿であった。
小説タイトルは『ティーチャー』と書いてある
この小説はある女子学生と天才作家との恋愛を書いたものである。とても綺麗な文脈で作者の人柄がにじみ出ている。とくに恋愛における女子学生の心理変化の描写が素晴らしかった…だが残念なことにこの作品は未完のまま終わっている。
新渡戸はこの小説を読み終えるとタイトルに戻る題名『ティーチャー』の下には尼崎杏奈…っと書かれてあった…
ここからは余談なのだが皆さん『A・A&T・N』…という作家聞き覚えはないですか?
そうこの作家…今年の芥川賞受賞作品『ティーチャー』を書き上げた作家のペンネームである。
だがこの作家は一度として公の舞台に立つことはなかった…そしてこの作品いこう小説を執筆することもなかった…
そうこのペンネームA・A&T・N…新渡戸寅ノ助と尼崎杏奈の頭文字である…
そしてこの小説の最後はこう終わっている。
『天国へのアンナへ…今までありがとう…そしてごめんね…私はあなたといることで幸せだった…
あなたは今でも心の恋人です…』
日本中が涙した瞬間であった…