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2 マキノ君の不可解な言動

 顔合わせをしてから、本格的に練習が始まった。

 勢いがついてきた、というべきなんだろうか。ケンショーの妹の美咲ちゃんも、契約が決まった、新メンバーが決まった、と聞いてから、以前にもましてちょくちょく練習にやってくる。

 だがライヴはまださすがにできない。メンバー半分入れ替わったら、なかなか合わせるのに時間が必要だ。テクニックはともかく、呼吸の問題というものがある。

 それに名はともかく、向こうは向こうで俺達の曲をただやるのではなく、向こうで演っていた曲、やりたい曲というものがあるだろう。


「やりたい曲?」


 そこでケンショーが訊ねたら、カナイとマキノは顔を見合わせた。


「自分の曲は使わないでくれ、とミナトは言ってたけどね」


 カナイは前のバンドのギタリストから言われたことをそう説明する。


「まあそうだろうな。ギタリストだもんなあ」


 我らがリーダー兼ギタリストは妙に納得した顔で、そうのたもうた。そして言ってから、ふと気付いたように、斜め向かいにいるヴォーカリストに訊ねる。


「…あ、じゃあカナイ、あの曲はやってもいいんだよな? お前のあの」

「あ、あれ? うん、あの曲だけはいいって」


 あの曲。俺が何となく訝しげな顔をしていると、ケンショーは付け足した。


「ほら、最初に対バンした時に、何かお前、ギターが弱いとか言ってた…」

「あああれか」

「あ、ギター弱かったですか?」


 マキノは初耳、というように軽く首をかしげ、目を丸くして問いかけた。するとケンショーは片手をひらひらだらだらと振った。


「あ、違う違う。正確には、ギターが弱いんじゃなくて、お前のベースが凄かったの」

「あ、そーなんだ。うん、確かにミナトはあの曲弾きにくそうだったもんね」

「あれ、そーだったんか?」

「お前のメロディって、ギタリストには鬼門だぜえ」

「…あ、そ。でもあんたは平気でしょ? 平気だよね?」


 念を押しながら、カナイはケンショーに向かってにやりと笑った。当然でしょ、とケンショーも負けず劣らずの悪党の笑いを返した。俺は何やらまた悪寒が走る自分に気付く。

 だがよっぽと奴はあの曲が気に入っていたらしい。確か、S・Sが対バンだった時も、あの曲だけはメロディを一発で覚えたらしい。あの他人の曲などどうでもいい的な見方をする我がリーダー殿が!


「メロディもそうだったしさあ、変な構成でしょ。俺もベースラインつけるの苦労して苦労して」

「何ってこと言うのマキノっ!」


 カナイはマキノの背後から近付くと、突然わしゃわしゃわしゃ、と肩をもみ出した。

 だがマキノもマキノで、あ、肩こってたのちょうどいい、とか言ってそこでいきなりくつろいでしまう。何なんだこいつらは、と俺は思わずため息をついた。



 ちなみに美咲ちゃんと年少組の二人が顔を合わせたのはそう前のことではない。

 何かと気軽にどうでもいいような会話がお互いに交わせるようになった頃のある日、彼女は缶ジュースと箱スナック菓子が山に入った袋を片手にやってきた。そして出会い頭にぶつかった。


「あ、新しい子達?」

「あ、ケンショーさんの妹さん?」


 美咲ちゃんとカナイの反応は素早く、ほぼ同時だった。だが次の反応はさすが、美咲ちゃんの方が速かった。素晴らしい機関銃言葉が次々にだらしない男達に打ち込まれる。もちろん俺も、その一人だった。


「あの馬鹿にさんなんて付けなくてもいいわよ! 不肖の兄貴、生きてる!? オズさんお久しぶり! ねえねえ君達、少年達よ、甘いもの平気?」


 一気に言い放つ。俺は元気だね、とか声をかけつつも、彼女の勢いに冷や汗半分で圧倒されていた。不肖の兄、はいつものことだと平然としている。


「俺は平気」


 すぱっとカナイは言った。


「俺は好きですよ」


 やんわりとマキノは言った。


「本当!ねえ、じゃあ練習の後、暇?」


 二人は顔を三秒ほど見合わせ、うなづいた。


「実はこの先のホテルで…」

「それは駄目っすよ!」


 べし、と頭を叩く音が耳に入ってきた。はたかれたのはカナイだ。いてーっ、と奴はあの割れ鐘の声を立てる。


「阿呆! 何考えてる青少年! ホテルのレストランで、ケーキバイキングがあるの!」

「あ、ティールームですね」


 頭を押さえつつ、カナイは苦笑している。 


「うん、ケーキ、好きは好きなんだけど、やっぱりちょーっとバイキング一人じゃ行きにくいじゃない…」


 彼女は両手を合わせて、黙っていれば似合うポーズをとった。


「だから付き合ってほしいと?」

「さすがに二人分、全額出すとは言えないけど」

「俺、いいですよ。お茶代程度なら出します」


 先にマキノが笑いを浮かべながらそう言った。


「あ、じゃ俺も。その位なら」

「本当? 良かった~ 何しろうちの猫は甘いもの苦手で」

「猫?」


 ぴん、とマキノの目が片方つり上がった。あれ。


「うん、うちの同居人。可愛い子よ」


 あ、そうですか、と一瞬張ったマキノの気が緩むのが判った。逆に張ったのは俺の方だった。

 めぐみだ。ケンショーのもと同居人。

 無論彼女は、そんな固有名詞はここでは出さないくらいのデリカシイはある。だが俺は、やや自分の手が汗をかいているのに気付いた。持っていたステイックが滑るのではないかと不安が起きる程に。

 ケンショーは気付いてか気付かずか、ギターのチューニングをしていて、妹には背中を向けている。


「でもケンショーさんやオズさんじゃまずいんですか?」


 マキノは軽く首を傾げる。


「…兄貴連れてくのは不毛よっ」


 はあ、と二人の高校生は、腕を組んで言い放つたくましいOLにうなづいた。


「それに兄貴、良かれ悪しかれ、結構目立つののよねえ。恰好悪い訳じゃないし、ポリシーがあんのは判るけど」


 美咲ちゃんは自分の恰好を指す。多少原色が入りつつも、基本的には大人しいスーツ。


「何っかほら、バランスが悪いと思わない?あれとあたしが並ぶと」

「…うーん」


 マキノとカナイは顔を見合わせた。カナイは肩をすくめて答えを返した。


「ま、つまりは俺達の方がいいセンスしている、ということですか?」

「そ。それにやっぱり食べ頃の男の子二人も連れていくのって、結構おねーさんの夢なのよ」


 …食べ頃の少年二人はやや複雑な顔になり、なるほど、と俺もうなづいた。



「元気そうだったよ」


 ケンショーは答えた。

 元気な妹が高校生組を拉致し連れ去った後、俺はめぐみのことをさりげなく訊ねてみた。

 めぐみはうちの前のヴォーカルで、ケンショーの同居人で恋人だった。

 このリーダー殿は、声に惚れると他の部分が見えなくなる、という体質を持っているので、歴代のヴォーカルは男女構わず、だいたいこいつの恋人だった。

 その中でもこないだまで居た「Kちゃん」ことめぐみは、こいつとずいぶん長く続いた方だったのだが、めぐみの失踪、ヴォーカル脱退という形で幕を下ろした。

 ずいぶんといい感じだったと、俺はずっと思っていたので、そのことは寝耳に水、という感じだった。

 当のケンショーは、意外に平気な顔をしていた。

 そしてそのすぐ後に見たS・Sのライヴで、いきなりカナイの声を気に入ってしまっているのだから全くしょうもない。

 そういうものなのだろうか、と俺は時々思う。だが奴にはそういうものらしい。それはどうしようもないことなのだ、と奴は言う。それは奴の持っている、どうしようもない業のようなものらしい。

 そのめぐみが、どうやら奴の妹の美咲ちゃんの所に居着いているらしい、と聞いたのは、ケンショーからではなく、奴の悪友である紺野からだった。

 ケンショーに面と向かってべらべらと言葉を投げつけて、なおかつそれが効果があるのは、奴の妹と、この悪友の関西人くらいなものだ。


「ま、やけどその方がめぐみちゃんの為にはええよな」


 珍しく神妙な顔で、紺野はそう言っていた。

 奴によると、ケンショーには、奴が振り回してしまうような優しい子より、奴を振り回してしまうくらいの強烈な奴の方が合っているらしい。今までそういう奴が付かなかったのが不思議だ、と紺野は言っていた。

 言われてみればそうかもしれない。


「会ってきた?」

「見ただけ。こないだ美咲が連れて歩いてるの見た」

「へえ」


 理由を聞いてはいるらしい。だが奴はそれについては一言も俺には話さなかった。悪友にももちろん。


「幸せになってほしいな」


と俺は言った。

 そうだな、とケンショーは答えた。



「あ、美味し」


と一口お茶を呑んだ瞬間、マキノはそう言った。

 おい、と隣に座っていたカナイが肘でつつく。聞こえないふりをして、そのまま奴は両手で湯呑みを持って音も立てずに茶をすすった。

 運んできた女の子は、マキノに向かってにっこりと笑った。

 翌週末の午後、俺達は、とある事務所の応接室に居た。

 応接室と言っても、そんなに大きいものではない。どちらかというと、部屋の隅をそのために仕切った、という感じである。あまり客を長居させるために作った所ではないように俺には思えた。


「比企から話と音は聞いているけれど、とりあえずははじめまして、と言うところかな」


 俺達四人の前に座った人物は言った。

 この人は暮林さんと名乗った。現在俺達四人が雁首揃えて参上している音楽事務所「フェザーズ」の社長である。

 社長と言っても、まだ若い。だいたい比企さんと同じくらいではないだろうか。

 RINGERとS・Sをそれぞれ分裂させ、そしてくっつけてしまった張本人、大手レコード会社PHONOの若手プロデューサーである比企さんは、メンバーが揃った時点で、自分の力が利く事務所を紹介してくれた。それがこのフェザーズだ。

 正直言って、俺はその名前を聞いたことはなかった。だから、話を持ち出された時、念には念を入れて、比企さんにどういう所なのか訊ねてみた。


「まあそう大きくはないよ」


 するとどうやら俺の表情は露骨に変わったらしい。


「まあそんな顔しなさんなって。…俺が思うには、たぶんそこは君達に合ってるよ」

「どういう意味でですか?」


 ケンショーも訊ねた。


「いろんな意味で。君達がついていければ、大きくなれる」

「大きく」


 マキノは目を丸くしていた。


「でも言いなりになってなんかいないかもしれませんよ」

「言いなりになるようなバンドだったら、あそこには僕は紹介しないよ」


 そう言って比企さんはにやりと笑ったものだ。

 暮林さんは俺達四人それぞれに、契約書を渡した。それは契約書と名のついたものにしては、ずいぶんと字が大きく、間隔も不自然ではなかった。つまりは読みやすいものだった。

 メジャーと何らかの契約をしたことのある俺のドラム友人は、一様に契約書については悪口雑言を投げていた。

 こう言った契約書というものは、だいたい読みにくいものらしい。

 字が小さいのに間隔が空きすぎであるとか、その文章がどういうことを言っているのかさっぱり判らない、とか、はぐらかされたような気がする、とか。

 まあ半分は、学校のお勉強という奴を好きではなかった奴が大半である俺達が悪いのだが、それでも普通の奴でも判りにくい文章であることは事実なのだ。

 だがとりあえず俺の手の中にある書類は、そういう意味で言えば、実に親切なものであったと言える。

 俺はケンショーの顔をちら、と見たが、珍しく眼鏡をかけた奴もまたやや奇妙な表情になっていた。そのくらいその書類は読み易さに重点を置いていたようなものだったのだ。


「ではちょっとばかり内容の説明をしようか」


 暮林さんは言った。

 …だが結局はちょっと、ではなかった。延々二時間、俺達はたった四ページの書類について、彼の「講義」を受けたことになる。


「これで、おおよその内容は判ったと思うけど」


 おおよそ、どころではなかった。彼は文章の意味だけではなく、例を持ち出してはその場合の双方のメリットデメリットについてまで、事細かに説明を加えたのだ。


「けどね、結局は」


 最後に彼はこうつけ加えた。


「やったものが勝ち、なんだよ。いい曲を書いて、いい演奏をして、いいプロモーションをして、それがちょうど波に乗れた時に、ブレイクって奴は起こるんだ。それが一つでも欠けたものがブレイクすることはそうそうない」


 なるほど、と俺は思った。理想論だが、間違ってはいないと思う。


「結局はうちは、君達がいいものを作った時にはいい押し出し方もできる。できる限りのことはしよう。だけど、いいものが出来ない限りは、どんなに金をつぎ込んでも無駄だから、大したこともできないんだ」

「つまりは俺達次第、という訳ですね」

「そう。それに、極端な話、いい曲はその時全然売れなくとも、後で使える場合もあるだろ?」

「下手な曲じゃあ一銭にもならない、と」


 眼鏡を取りながらケンショーは訊ねた。そう、と暮林さんはにっこりと笑った。


「まあ比企が引っ張ってくるバンドは、多かれ少なかれ何かあるからね。結構楽しみにしていたよ」

「比企さんとは親しいんですか?」


 マキノは目を大きくしたまま訊ねた。


「十年来の悪友」


 有能は有能を呼ぶ。そういうことかな、と俺は思った。



 結局、「半年後にメジャーデビュー」を目指して、俺達新生RINGERは出発することになった。


「いい曲かあ」


 ぼそっとカナイがつぶやいた。


「今までのRINGERでは誰が作ってたの?」

「ああ、だいたい俺。それにナカヤマ。歌詞は俺がつけることもあったし、代々のヴォーカルのこともあったし」


とケンショーは答えた。 


「ナカヤマさんってベースの人だったよね」


 マキノは俺の方を向いて訊ねたので、それには俺がうなづいてみせた。


「オズさんは作らないの?」

「え? 俺は駄目」


 何で、と高校生コンビの視線が俺に集中した。


「いいだろ別に。俺そういうの、向かないの」

「職人さんなんだあ」


 くすくす、とマキノは笑ってそう言った。まあな、と俺は言うしかなかった。仕方ないだろ、という言葉を自分の中でかみ殺し、話の方向を変える。


「…S・Sもギターの奴がほとんど作っていたっけ?」

「まあだいたい。ほーんの時たま、俺がぽろぽろって作るけど」

「カナイのメロディは面白いんだけどな。予想できないんだもん展開が。俺もっと聞きたいんだけど、この寡作野郎」


 マキノはふう、とため息をついた。


「仕方ねーじゃん。そうぽろぽろ湧き出る訳じゃあないんだからさ。お前こそ俺の手伝いはしてくれるけど、全然自分のアイデア持ってこねーじゃないの」

「俺はそういうのが浮かばない人、なの!仕方ないでしょ」

「まあまあまあ」


 リーダー殿は食いつきそうな勢いの高校生をなだめる。

 何となくこいつが人をなだめている図というのはおかしかった。だいたいこいつは人を振り回すことはあっても、人に振り回されることはないのだ。

 ところが、この高校生達が入ってからというもの、事態は逆転していた。しかもそれが結構楽しそうだというあたりが、判らないものだ。

 ケンショーの悪友の紺野が以前、奴には実は振り回すタイプが合ってるんじゃないか、と言っていたが、意外と的を射ていたらしい。


「ま、何にしても、いい曲書いて、いい音に… 納得のいく音作って、売ってもらおうな」


 リーダー殿は締めた。



 駅前まで来ると、ケンショーはバイトがあるから、と地下鉄への階段を降りていった。

 カナイは本屋に寄ってから帰る、と駅前の繁華街へと紛れていった。

 そして俺とマキノが残された。その日俺はバイトは休みだったので、すぐにこれという用事はなかった。

 どうしようかな、とぼんやりと考えていると、残されたもう一人が俺以上にぼんやりとしてロータリーのコンクリートブロックの上に座り込んでいた。


「お前はどうすんの? マキノ」


 え、と彼は弾かれたように俺の方を向いた。ひどく驚いたようで、大きな目を更に丸くしていた。俺は何となく、胸が飛び上がる感じを覚えた。


「…え? 今何か言った?」

「お前はどっかこれから行くとこあるの、って聞いたの」

「別に… 取りあえず帰ってもいいし、どーしようかな、と」


 そしてふらり、と首を回す。伸びかけて、さらさらした髪が揺れた。その仕草にふと、先週のことが思い出される。


「そう言えばさ、お前、こないだの週末、**駅の前にいなかった?」

「…あれ、オズさん居たの? 夜なのに」


 否定はしていない。


「うん、あの町に友達の部屋があるから… 見間違いかと思ったけれど」

「居たことは居たよ。うん」


 ふうん、と俺はうなづいた。 


「でも友達かあ。いいな、そういう時間に居てくれる友達が居るっての」

「…あれ? お前あの時連れ居たんじゃないの?」

「連れは居たけど、うん…」


 言葉をにごす。さほど言いたい話題ではないらしい。


「…ああ、そういえば最近ACID-JAMにも行ってないから、行ってみよっかな」


 そして奴はオズさんもどう? と訊ねた。特に用事はない。いいよ、と俺は答えた。

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