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1 新メンバーと改めてご対面。

「本当に手に入れたのかよ!」


 俺は電話の向こうの友人に向かって声を張り上げた。


『…うん、まあ、いろいろありつつも』


 奴にしては珍しく、実にはっきりしない口調で言葉を返してきた。


「どんないろいろだよ」

『…うるさいな、いろいろはいろいろだ。とにかく明日集合!』


 …何となくその口調に照れが混じっているような気がして、俺は背中に悪寒が走った。



 だが何はともあれ、どういう「いろいろ」かは結局さっぱり判らないが、とにかくその翌日、俺は行きつけのスタジオに足を向けていた。

 バイトの後に出向いたそのスタジオは、混み合う時間よりはやや前だったせいか、ずいぶんと静かだった。廊下の薄汚れたビニルタイルに張り付くような自分の足音が、露骨に耳に入ってくる。そしていつも使っている部屋の扉を開けた。


「あ?」


 いくつかスタジオが入っているそのビルの中で、俺は一瞬自分が場所を間違えたのか、とも思った。扉を開けたら、低い音が耳に届いた。

 小柄な制服姿の高校生が、大きな目を俺に向けていた。

 俺はあ、すいませんと慌てて扉を閉めようとする。だが中に居た高校生は、その途端ぱっと駆け寄ってきて、その扉を押さえた。


「間違ってないよ」


 え、と問い返すと、高校生は続けて言った。


「RINGERのオズさんでしょ?」

「ああ」

「俺も今日の集合に呼ばれてるの。俺、知らない?」


 知らない? と問われても。こんな大きな、猫の様な目の奴は。

 待てよ、と俺は記憶をひっくり返す。この日「RINGER」のリーダーにしてギタリストのケンショーに呼ばれて集まる予定なのは、ドラムスの俺と、あとは…


「俺、『S・S』でベース弾いてたマキノだけど。覚えてない?」

「ああ…」


 自己申告。そう言えば、そうだった。

 言われてみれば、あの時、ずいぶん小柄なベーシストが、ずいぶんと凄い演奏をしていたのを思い出した。

 だが顔までは記憶していなかった。あの時の打ち上げには、こいつは来なかったはずだし。


「…あ、ごめん、覚えてなかった」

「正直だね」


 くすくす、とマキノは笑った。俺もつられて笑った。ややつり上がり気味の大きな目が思いきり細められる様は、何だか実家に置いてきた猫を思い出させた。ああ今どうしているだろう?


「オズさんも今日は一人で来たの?」

「うん? だいたい俺達はばらばらに来るよ?そんな女子高生のようなこと、いちいちするかあ?」

「ま、そうだね。今日はカナイもバイト済ませてから来るって言ってたから、やや遅れるかもしれないよ」

「へえ。バイト… マキノ君は何かやってるの?」

「俺? うん、一応」


 彼は肩を軽くすくめ、言葉をにごした。

 そうこうしているうちに、無造作に髪をくくったケンショーがギターをかついでやってきた。

 睡眠不足だか何だが知らんが、近眼のくせに眼鏡かける習慣がなくて目つきの悪い奴は、その度合いをパワーアップさせている。


「うーっす」


 俺は手を上げて奴に合図する。低音の極地、とでも言いたくなるような声で、奴は同じ台詞を返した。


「ケンショーさん、カナイちょっと遅れるかもしれない」

「…ああ… あ、お前、マキノ?」


 奴は目を細めてマキノを見る。そのくらいすると焦点が合うらしい。いい加減眼鏡をかけろよ、と俺は口には出さずにつぶやく。


「うん。お久しぶりです」


 …あれ? 何となく訝しく思う。俺にはタメ口利いてたはずなのに、ケンショーには敬語か?


「ああそう。じゃ、ま、いいか。奴とは一応、俺達顔合わせできてるから…」


 はい、とマキノはにこっと笑った。あ、可愛い。



 さて、この新しいメンバーの二人は仮名井文夫と牧野京介という名だという。この二人はつい最近まで、「S・S」というバンドを組んでいた。

 つい最近まで、という但し書きを見れば判るように、現在そのバンドはない。まあはっきり言えば、俺達が壊してしまったようなものだ。

 「S・S」は、先月、俺達のバンド「RINGER」が、アクシデントのせいでライヴが出来なくなった時の対バンだった。

 さすがにあの時はびっくりした。その当時のうちのヴォーカリストで、ケンショーの恋人でもあった奴が、メジャーの話が来たところで失踪したのだ。

 ところが、思ったよりは落ち込まなかった我がバンドのリーダーは、何故かこの対バンの音を聞いて、こともあろうに、向こうのヴォーカリストを入れたい、などと言い出してしまった。

 何を考えているんだ、と俺はさすがに思った。

 これまでも声に惚れて見境がなくなったことは多々ある奴だが、逃げられたからと言ってすぐに次を見つけてしまうあたりが。


 …てなこと言っているうちに、今度はうちのベーシストが抜けてしまった。これもまたヴォーカル同様、メジャーへ行くことに不安を持ったらしい。

 残されてしまった俺達だが、こちらがそうこうしているうちに、S・Sの方でも一波乱あったらしい。

 どうもそれはケンショーと、このヴォーカルのカナイの間に何かあったらしいが…

 妙なところで口の堅いこのリーダーは、その間にあったことは俺には言わなかった。あんまり聞いても馬に蹴られそうな気もするし。

 十分くらいして、カナイもやってきた。

 結構時間に遅れることを気にしていたようだ。駅から全力疾走してきたようにはあ」はあと肩で息をついていた。 


「遅れてすいませ~ん!」


 おおっ、と俺は思わず後ずさりしていた。でかい声だ。強烈な声だ。割れ鐘を威勢良くぶっ叩いた時のような感触が、その中にはあった。


「遅い、カナイ」


 くすくす、と笑いながらマキノは友人にそう言った。


「仕方ねーだろ? バイト今日、手がなくて」

「駅前のミスタードーナツだっけ」

「ええ、そうですよ」


 お、こっちは俺に対してやや敬語だ。


「そーゆー時は、隙を見て逃走してくるもんだ」

「俺あんたと違って真面目なんだよーだ。この時間、カウンター誰もいなくなっちまうって言うんだからさ、仕方ねーじゃん」


 ぬかせ、とケンショーはくくく、と声を押さえて笑った。ありゃ。


「それにしてもマキノは練習熱心だな。確かお前、部屋防音だろ?」

「あ、そーですよ。ピアノあるから。でもやっぱりどーもウチでベース弾いても何か違うって感じが」

「ピアノあるの!」


 俺は思わず訊ねていた。あるよぉ、と奴はうなづいた。ありゃ、またタメ口だ。


「弾けるんだ…」

「弾けるなんてものじゃないすよ」


 カナイが口をはさむ。


「こいつ、俺と会った頃は、音大志望のばりばりのクラシック野郎だったんだから。一体どう道を誤ってしまったのやら」

「俺を口説き落としたのは一体誰でしたかねー」

「馬鹿やろ、駄目もとだったんだよ」


 なるほど、と俺はこの二人の出会った状況を何となく推察していた。

 それにしても、そのベースには、見覚えがあった。

 高校生が持つにしては、ずいぶんとモノがいい。黒地に、螺鈿の模様が綺麗な曲線を奔放に描いていた。何って言っただろうか?細工の名前までは忘れたけれど、結構いいものだということくらいは俺にだって判る。

 それに何処かで見たことがある。そんな気がしていた。だけどそれが何処だったか、俺には思い出せなかった。


   *


「お久~」


 金曜日の夜、紗里は手を振りながらそう言った。同郷の友人は、今日も元気だった。


「どーしたのよオズ、あんたが呼び出すなんて珍しい」


 会社帰りらしい。大人しいシャツにタイトスカート、淡い黄色のスカーフ、それにきちんと整えた髪。

 オフィスワーク八時間労働した後に、どうしてこうきちんきちんとしているのか、と一度聞いたら、帰る前に洗面所で整えていくのよ、とのこと。最もだ、とその時の俺は思った。

 紗里は高校時代の恋人だ。そして現在のガールフレンドだ。この場合、ガールフレンドは必ずしも恋人とイコールではない。そういう部分もあるが、全面的に同じではない。

 はっきり言って、高校時代の方が深いお付き合いという奴はしていた。馬鹿みたいに熱病のような感情もあった。

 だがそれにピリオドを打ったのは俺だった。

 高校を卒業して、上に兄貴が居るのをいいことに、すぐに家出同然に上京してしまった俺は、新幹線で東京に三時間はかかる郷里を出る際、彼女に何一つ言わなかった。

 実際、もう会うことがあろうとは思わなかったのだ。


 ところが運命の偶然という奴は恐ろしい。

 高卒ですぐに地元企業に就職した彼女だが、何やらその生活が性に合わず、半年で辞めてしまったらしい。そして一年経った時に、それこそ一念奮起して、こちらの大学に合格してしまったのだ。

 何があったか知らないが、同じ空の下に住むようになってしまった俺達が再会するのには時間がかからなかった。

 彼女は当時言ったものである。


 もしも俺がまだドラムをやっていたら、自分に黙って行ったことを許してあげる、だけどあきらめてしまっていたら、一発殴って完全に縁を切ろうと思っていた、と。


 一度進学をあきらめた後のブランクを埋めたのと同じ根性で彼女はライヴハウスを回り、とうとう俺を見つけだした。

 そしてまあ、俺はとりあえず殴られずに済んだ訳だ。

 だが昔と全く同じという訳にはいかなかった。

 離れていた時間というのはまだ今より若かった俺達には長かった。熱が冷めてしまっていてもおかしくはない。

 その代わりに、俺達の間には、妙な連帯感というか友情のようなものが目覚めてしまった。郷里を離れた者同士、というか、同じ土地の記憶を持っている者同士、というか。

 この春、彼女は大学を卒業し、他の四年卒女子より一つ上のOLになった。

 昨年の夏など、よく俺は彼女の愚痴に付き合ったものだ。就職口がなかなか見つからない、と。一浪コネ無し女子四大卒なんて辛いものよ、とかなりの剣幕でまくしたてていた。

 俺は俺で、動員数の伸び悩みとか、腹の立つ「事務所のお誘い」などついて彼女に愚痴ったものである。

 そしてお互い、飲み明かした夜明け頃、がんばらなきゃね、と言い合って眠っていた。ただ眠ることも多かったし、そうでない時も時々はあった。

 端から見たら、俺達は立派に恋人同士、という奴だろう。だがどちらにも、そういう意識はなかった。拡大解釈された友人。それ以上にもそれ以下にもなりえない。

 俺はそう思っていたし、紗里もこう言った。


「きっと数年後にはお互いそれぞれの誰かと一緒に居るんだろうね」


 そうだろうな、と俺もその時答えた。


「で、何?」

「や、どーやら俺の方も、何とかなりそうで」

「と言うと… 何、メジャーデビュー決まったの?」


 決まったというか、と補足するかしないかのうちに、彼女はおめでとー、と大きく両方の肩を叩いた。


「や、まだ、完全に決まった訳じゃないんだけどさ、でも、もう、殆ど決まり」


 やったぁ、と紗里はばんばんばん、と今度は俺の両腕をはたいた。実際浮かれてもいい夜だった。

 そしてそのまま俺達は彼女の部屋のある方へ向かった。近くのスーパーで買い出しをして、荷物持ちはまあ、俺の分担だ。お互い一人暮らしが長いので、ケンショーの妹ほどの腕はなくとも、食えるものは作ることができる。ものによっては俺の方が美味いものもあるし、その逆もまた然り、だ。


「何にしようね」


 野菜や加工肉の冷蔵庫のあたりでうろうろしながら彼女は訊ねる。


「弁当めいてるけどさあ、アスパラのベーコン巻きとか」

「あ、それ面白いなあ。弁当メニューで呑むってのも悪くないね」

「ほんじゃ、これも外せないな」


 俺は冷凍食品の棚からカニクリームコロッケを取り出す。


「何か思い出すね、高校ん時の、昼どき。あんたら男子って欠食児童みたいなもんだからさあ」


 彼女はかさかさとコロッケのパッケージを振って見せる。


「ああ? あーそーいや」

「あたしは何度おかずを取られたことか!」


 そんなこともあったっけ、とうそぶいてみせる。

 俺も覚えてはいる。今は今で貧乏ではあるが、当時は今より金が無かった。

 何と言っても、ドラマーなどやっていると金がかかるのだ。ついつい昼飯代がスタジオ代に消えてしまうことも珍しくはなかった。

 その都度彼女のお弁当から一つ二つとつまんだものである。馬鹿かあんたは、と言いつつも彼女は、御母堂特製の二段重ね弁当の中から分けてくれたものだ。

 野菜にベーコン、冷凍食品、カンヅメ、飲み物果物、スナック菓子と言ったものを手慣れた手つきで三つの袋に詰めてぶらぶらと外に出ると、もう完全に夜だった。


「あ」


 スーパーからやや歩き出したところで、彼女は足を止め、小さく声を立てた。


「何?」

「悪いオズ、ちょっと駅まで引き返してくんない?」

「いいけど…」


 重くて手に食い込みそうなスーパーの袋を俺はちら、と見た。


「本当にごめん!今日で定期切れてたの忘れてたの!」

「明日じゃまずいの?」

「んー…」


 彼女はやや不服そうな顔になる。まあいいよ、と俺は来た方向へ歩き出した。彼女には彼女なりの理由というものがあるのだろう。 


「怒ってる?」

「ま、お前のことだし、慣れてる」

「悪いなあ」


 はははは、と乾いた笑いが耳に届く。俺は荷物を両手にしたまま、肩をすくめた。荷物が重いとそんなことにも力が要るのだが。


「本当に悪いと思ってるなら、腕ふるえよ? 磯部揚げ!」

「判ってる判ってる」


 そしてまたばんばん、と彼女は俺の背中を叩くのだ。

 どうやら時間制限があったようで、ぎりぎりだったらしい。彼女はスーパーの袋を俺の足元に置くと、駅のサービスセンターへ飛び込んで行った。

 俺もさすがにやや腕が疲れたので、彼女が置いたところでひとまず袋を下ろした。肩を上下させると、ぽきぽき、といい音がする。

 湿気が多いせいか、何となく汗ばんでいるペンキ塗り鉄骨の駅柱にもたれて、ちょいと一服、と俺は煙草を取り出した。紗里は煙草は嫌いなので、彼女の部屋に行くと吸えない。今のうち、だ。

 ふう、と息をつきながら、ぼんやり、辺りに視線を飛ばす。

 この時間は、勤め帰りの連中のラッシュがひと段落する時間だった。そして次第に「駅前」にガキどもが集まり出す時間だった。

 時々紗里の部屋に行く関係で、この駅はよく俺も利用している。

 週末なんぞは、何処からやってくるのか、中坊高校生のガキどもがうじゃうじゃと集まってくる。古典的ヤンキーからチーマーやら、ロックやってます兄ちゃんだの、ゲーマーだの、何処から見てもただのガキ、とか、塾さぼってやがるなこいつ、まで千差万別だ。

 だから、その姿を見かけた時も、俺は別に疑問に思わなかった。


 …マキノ?


「お待たせ。あれ、どうしたの?」

「ん、いや、知ってる奴じゃないかなって…」

「高校生?」


 うん、と俺はあまり目立たないように彼女に示す。


「小柄だね。華奢ぁ。可愛い子じゃない」

「可愛い?」

「だって、そう思わない?」

「…おい、うちの新しいバンドのメンバーだぜ?」

「へ? 高校生って言ったじゃない」

「高校生は本当。だけどすげえ上手いの。ベースの腕はぴか一」

「ふーん… まああんたのベースに関する目は信じましょ」


 そして彼女はよいしょ、と一度置いたスーパーの袋を持ち上げた。


「挨拶してかないの?」

「え? …あれ」


 どうやら連れが居るらしい。奴は少し目を離したすきに、別の誰かと話していた。


「…ま、別にいいさ。また会えるし」

「ふーん…」

「それよっか俺、腹減った。急ごう」


 そーよね、と彼女は言った。 

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