臆病令嬢と溺愛の騎士 後編
新婚夫婦が再びあいさつ回りに向かうと、ノースがさて、といった。
「残ってどうするつもりだ? ずっと壁の花にでもなるつもりか」
「い、いけませんか?」
「パーティーが終わる頃には根っこがはえてるな」
ノースはふっと笑みをこぼすと肩をすくめた。
「普通の貴族のご令嬢だったら、今ごろ目の色をかえて自分のパートナーを探すだろうに」
「ごめんなさいね、私は普通ではありませんの」
思ったよりも刺々しい声が、アメリアの口から出た。
「ノースさま、でしたわね。先ほどは危ないところを助けていただいて感謝しております。それに、兄たちにもわざわざ気を遣っていただいたことも。ですが私のことは、お気になさらなくて結構ですわ。一人は慣れてますもの」
「年頃の女性の言葉とは思えないな」
「兄も申し上げたでしょう? 私、こういう場があまり好きではありませんの」
まばゆい照明を放つシャンデリア。笑いさざめく人々。色とりどりのドレスで着飾った貴婦人や令嬢。親睦を深めあう紳士。豪勢な食事に数種類もの酒。気をよくした人たちは、また一層おしゃべりにいそしむ。
この雰囲気が、どうしてもアメリアには馴染めなかった。もともと田舎の男爵家の娘であったアメリアは、ここが華々しくもよそよそしく感じてならなかった。パーティーとは上流階級の貴族が大勢集まる場所。そんなところに下級貴族の男爵の娘がいけば、そう感じてもふしぎではない。
デビューしたばかりの頃は、アメリアだって頑張った。シルビアに色々教わりながら、きれいに着飾って挨拶して、おしゃべりをして。兄の役に立てるよう、人脈作りに励もうとした。
だがアメリアがいくら努力をしても、アメリアに向けられる視線には好意とはまるで違うものがいくつもあった。
『あれがウォルツ家のご令嬢よ』
『ああ、ご当主が車イス生活なんでしょう?』
『なぜそんな人物が、侯爵令嬢と婚約をしてるんだ?』
『大方、同情を誘ったのだろう。ご令嬢の方も、憐れみのあまり断れなかったのさ』
三年もたてば、皆事件のことなど忘れる。とりわけアメリアと同世代の子たちは、ジェレミーが今のような体になってしまった経緯なんて知ったことではない。
身体障害の兄を持つ可哀想な子。同情から伯爵位を得、侯爵家との縁談を結んだ家。たいした苦労もせず、侯爵家からの恩恵を受け続けている恥知らずな貴族。
身体の事情から公の場に姿を見せることのないジェレミーにかわり、すべての悪意はアメリア一人に向けられていた。夜会に出ればクスクスと笑われ、お茶会にいけば、アメリアの分だけイスがない。少し身分のある男性と話をすれば、今度はその家を金蔓にするのかと陰口を叩かれ、シルビアとともに行動すると、侯爵の権力を笠に着ているといわれた。
これらのことは、兄にもシルビアにも話したことはない。兄は責任を感じるだろうし、シルビアは相手を探しだし、罰しようとするかもしれない。そんなことをすれば余計に、自分やジェレミーが悪者になるとアメリアは思った。
ノースは黙って、アメリアが語りだした話を聞いてくれていた。けっして面白い話ではない。むしろ不愉快な気分にさせてしまっただろう。なのに彼は、ほんの少ししゃくりをあげてしまったアメリアの頭を、またポンと優しくなでてくれたのだ。
「きみは、強いな」
「……強くなんて、ありません」
一人にさせてほしいなんていったくせに、私はズルい。アメリアはふと思った。こんなふうに泣きだしそうな女の子がいたら、放っておけるはずがないのに。無意識のうちに、一人ぼっちにはなりたくないと思ってしまっている。
「そうか?」
ノースはアメリアの頭をなでていた手を離した。ほんの数秒間あったぬくもりが消えたことを少し寂しく感じる。
「でもきみはそんなことがあっても、今日のこのパーティーには出席したんだろう? 並の令嬢だったら耐えられないだろう」
「だって今日は、兄さまとシルビアさまの大事な日なんですもの。それに、ロゼット侯爵さまの目の前で、私や兄に手を出す人たちはいないわ」
アメリアがそう答えると、ノースはわずかに笑った。確かに、と小声でつぶやく。
その後はしばらく沈黙が訪れた。ノースは無言になったものの、この場を動こうとはしない。アメリアももう彼にほっといてくれなんていうつもりはなかった。
見た目は少し冷たいけど、とても温かい心の人。ノースの印象は徐々にそこへ落ち着いてきた。少しつりあがった藍色の瞳も、見慣れると星空のように煌めいて見えた。顔立ちもやはり王宮騎士なだけあり整っている。甘いマスクとはいえないが、ふっと笑みを浮かべれば、なんともいえない妖艶さがあった。
知らず知らずの間に、ノースの顔をじっと見つめていたらしい。ふとこちらに視線を向けてきたノースと、バッチリ目が合った。
「……どうした?」
「いっ、いえ、なにも!」
あわてて誤魔化すも、頬が熱くなってくる。男性をあんなふうにじっと見るなんて、淑女として失格よアメリア!
「あの、ノースさま。本当にここへいても大丈夫なんですか?」
「なにを今さら」
「そ、そうですけど、私なんぞと一緒にいたら、ノースさまにまであらぬ噂が立つんではないかと……」
いいながらどんどん言葉がしぼんでいく。自分で口にしておいて落ち込むなんて、どういうことだ。
ノースはほんの少し目を見開いたあと、静かに告げた。
「俺は今、自分の意思でここにいる。だからなんの心配もいらない」
「兄さまたちのことでしたら、お気になさらなくても……」
「ウォルツ伯爵も関係ない。本当に、俺のためなんだ」
そういってきたノースの目が、まっすぐアメリアに向けられる。その真剣さに思わずドキリとした。
「三年前、ウォルツ伯爵家で行われた復興パーティーに、俺も父と参加していた」
そうノースは語りだした。
「俺はあの頃、騎士団に入団もしていない見習い騎士で、父からはそっちの才能がないんじゃないかって思われていた。あの日パーティーに参加していたのも、将来俺が騎士を辞めざるを得なくなった時、有能な貴族とつながりを持っていた方がいいと父がいったからだ」
「ノースさまが……?」
アメリアは驚いて聞き返した。先ほどシルビアから聞いた話では、彼はとても優秀な騎士のようだったのに。オールディンを追い払ったあの時の身のこなしからも、彼の腕前は想像に難くない。
ノースは弱々しく笑った。
「子どもの頃は貧弱でな。兄と剣の稽古をしても、手を抜いてもらってるにもかかわらずに負けていた。それでどこか卑屈になってた面もある。俺が精いっぱいの努力をしてみたところで、しょせん父や兄の影に霞むんだろうって」
だけど、とノースは続ける。
「あのパーティーではじめて、強くなりたいと思った。父や兄を超えるためじゃなく、だれかを得るため、守るために。死に物狂いで稽古を積んだ。何度も倒れて、命の危険もあった。でも諦めきれなかった。アメリア、もう一度きみに会いたかった」
「……え?」
真剣さの中にどこか熱さを孕んだ瞳で、ノースはアメリアをじっと見つめてきた。免疫のないアメリアは、それだけで顔をほてらせてしまう。
「ご冗談でしょう?」
「そんなことあるわけない」
ノースの声色は、依然として変わらない。ただ真面目に、まっすぐとアメリアに向かってきている。
「水色の愛らしいドレスを着た、まだあどけない顔をした女の子だった。自分の家に訪れたたくさんの人に、瞳をキラキラさせて、どこか恥ずかしそうで。結い上げた髪が大人っぽすぎて、少し似合わなくて。緊張しているのだろうに精一杯背筋を伸ばして、一生懸命笑っていた。国一番といわれた侯爵令嬢よりも、俺にとっては断然彼女の方に目がいった」
一目惚れなんだ。ノースはそうつぶやいた。
「アメリアに会いたくて、きみにふさわしい男になりたくて頑張った。きみにこれから求婚してくる男はきっと大勢いる。あのパーティーの時点で、きみに好意を抱く男がどれほどいたことか。そいつらに勝つために強くなった。アメリアの傍にいられるようになるため、俺は王宮騎士団に入った」
いきなりノースはかがむと、アメリアにひざまずくような体勢になった。スッと右手を取られ、手の甲に唇を落とされる。先ほどもオールディンに手を触られはしたが、あの時は嫌悪感しかなかった。ところがおかしなことに、今ノースにそれ以上のことをされても、ふしぎとそんな感情は湧いてこない。それどころか、どんどん体中に熱がまわっていく。
「今日の仕事を引き受けたのも、きみに余計な虫をつけたくないというのもあったが、一番はやっぱりきみの姿を一目でも見たかった。警備の合間に遠くからでも眺められれば、と思っていた。でも今は、ここにいる」
アメリアの手を優しく取っていた指が、ほんの少しだけ力が入る。触れられた部分だけがやけに敏感になり、肩までビクンとさせてしまう。
「で、でも私……、あなたのこと、なにも知らなくて……」
「仕方のないことだ。俺たちは今まで、直接言葉を交わしたことはなかった。俺が一方的に見ていただけなんだから」
「ノースさまなら、好いてくださる女性もたくさんいらっしゃるわ。私よりも、きれいで気立てがよくて、頭もいい素敵な人が」
「王宮騎士を好きになる女性はたくさんいる。でも、俺自身を好きになってくれる女性はなかなかいない」
「私があなたを好きになるとは限らないわ」
「わかってる。でもまずは、俺という存在を知っていてほしい」
いいながら、ノースは口元に微笑を浮かべた。いきなりのことに混乱していたアメリアだが、その表情に再びドキドキと心臓が高鳴る。
「たった一目しか会ったことのない少女に三年も恋い焦がれている、バカな騎士の存在を」
胸がきゅぅっと締め付けられる感覚に、アメリアは息苦しさを覚えた。それはけっして不快ではなく、今まで感じたことのない心地よさすらあった。だが経験のない感情に、アメリアは困惑するばかりだった。
「ノースさま……私は……」
「ノア」
口を開いたアメリアを遮り、ノースはいった。
「俺のことをいつか、そう呼んでほしい。俺の愛称だ」
「あ、愛称って」
さすがのアメリアでも、これは大変なことだとようやく気づいた。ジェレミーとシルビアは子どもの頃から互いに愛称を教え合っていたが、それは本来であればタブー。愛称とは魂を預けあえるほどの親しい間柄ではないと、教えてはならない。愛称はその人の心の奥深くへ入るカギのようなもの。そのカギを相手に教えるということはすなわち、自らの心をさらけ出すのと同じこと。そうした理由からこの国では、愛称を明かすことがプロポーズの証となっている。
つまり今アメリアは、ほぼ初対面の男性にいきなり、プロポーズをされたことになる。
「……えぇっ!?」
驚きのあまり頓狂な声が出た。すぐ近くにいた人がなにごとかと振り返っていたが、そんなことももはや気にならない。
「は、早まりすぎではありませんか?」
「いいや、むしろ遅すぎる。三年も待ったんだ。きみの兄上が結婚するまで、きみとは接触しないという約束だったしな」
「だれとの約束ですか!?」
「きみの兄上とだ」
兄さまと? アメリアは絶句した。まさか兄が、ノースとそんな約束をしていただなんて聞いていない。
「でもさっき、兄とははじめて会うようなことを……」
「三年前は父と一緒に一言挨拶しただけだからな。ちゃんと言葉を交わしたのは今日がはじめてだ」
「それでどうして兄と約束なんてしてるんです!?」
「父に頼み込んで、きみ宛てに手紙を書いた。すると兄上から、そのような返事がきた。『あなたが妹にふさわしい男になり、なおかつ自分が結婚するまでは安心して嫁にはやれない』って」
ようやく先ほどの兄夫婦の言動の説明がついた。おかしいと思ったのだ。男性に免疫のないアメリアを、あの二人がわざわざノースと二人きりにさせようとするだなんて。シルビアもグルに違いない。
「み、みんなして騙すなんてひどいわっ」
「人聞きが悪いな」
ノースはにやりと笑った。優しい微笑みは彼を大人びてみせるが、今は年相応の青年の表情だった。それにすらどぎまぎとしてしまう。
「俺はただ、アメリアとどうしても一緒になりたかっただけさ」
カッと顔に熱が集まる。ささいな言葉にすら反応してしまうことが恥ずかしく、思わず顔をそむける。だがノースはなおもアメリアに、優しい眼差しを向けていた。
「あとはきみの心ひとつだ、アメリア」
うつむいたことで、まだつながれたままだった手が視界に映る。ノースの指が弄ぶようにアメリアの指先をなぞる。ただ指を触られているだけなのに、羞恥で蒸発してしまいそうだった。
「きみの愛称を教えてくれたらうれしい」
「あ、あの……」
「俺の愛称を呼んでくれたら、もっとうれしい」
囁くようにいわれ、また指先をつっと撫でられる。
「あ、の……」
「ん?」
「私、は……」
「うん」
恥ずかしさに涙が出てきて視界が曇る。そんな中顔をあげると、すぐそこに星空があった。まっすぐに自分を射抜く、今までに見たこともないぐらいの美しい星空が。それに促されるように口を開いた。
「……ア」
「ア?」
「……ミー」
星空がますます輝きを増した。ノースの声が、優しく呼びかけてくる。
「アミー」
「………」
「アミー」
「……はい」
つい空いていた方の手で自分の顔を覆い隠してしまう。
いってしまった。流されるようにして愛称を明かしてしまった。どうしよう、はしたない娘って思われる!
ノースは未だ、何度も繰り返しアメリアを愛称で呼んでいた。確かめるかのように。そして、再びアメリアに笑顔を向けてきた。ドキドキしすぎて心臓が壊れるかと思った。自分では確かめようもないが、きっと私の顔はリンゴのように真っ赤に違いない。
ふと遠くから、手を叩くような音が聞こえてきた。ハッとして周囲を見渡すと、壁際に立っていたにもかかわらず、大勢の人々から注目を浴びていた。その中心には、兄の姿もあった。
ジェレミーは車イスに腰かけたまま、アメリアに向かって拍手を送っていた。そのうしろに立つシルビアもまた、微笑ましいものを見るかのような生温かい目をこちらに向けていた。
そのしてやったりといわんばかりのジェレミーの笑顔に、アメリアはすべてが兄の手のひらの上だったことを思い知る。途端急に、兄に対してなにか叫びたい衝動に駆られた。だがこの大勢の人が見守っているさなか、そんな淑女らしからぬ行動ができようはずもない。アメリアはただ、公衆の面前において婚約したも同然になった原因を、にらみつけるほかなかった。
兄さまの意地悪っ!
『臆病令嬢と溺愛の騎士』はこれにて完結です。
本来はもう少し長いお話だったんですが、少し短くしました。
だってこれ以上やると、アメリア嬢が爆発してしまいそうなんですもの……。
以降も気まぐれに、思いついたら番外編を更新しようかと思っております。
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