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臆病令嬢と溺愛の騎士 前編





 アメリア・ウォルツにとって、今日ほど幸せな日はないと思えた。


 自分が見つめる先には、尊敬してやまないたった一人の兄と、今日から義理の姉になる幼馴染の晴れ姿がある。依然として車イス生活の兄も、今日はグレーのタキシードに薄いブルーのネクタイを締め、男性にしては長めのハニーブロンドを、オールバックにしていた。

 だが人目を引くのはやはり、国の中でもトップの美しさを誇るといわれた今日の主役、花嫁であるシルビアであった。アメリアはその姿を見た途端、思わず泣いてしまったほどだ。


「二人とも、とても素敵だわ」

「ありがとう。泣かないで、アメリア」


 二十歳になったシルビアは、今が人生最高の時といわんばかりに輝いていた。純白のウエディングドレスも、陽の光でキラキラと反射するティアラも、彼女自身の前では色あせてしまいそうなほど。自他ともに認める口下手な兄ジェレミーは、普段よりも口数が減っていたが、目が愛おしそうに花嫁を見つめている。


 歳若くして爵位を継ぐことになったジェレミーは、三年間の月日を経てようやく、安定した生活を保障することができた。身体障害を抱えた若き伯爵の身では十分早い結果だった。だが愛し合う恋人兼婚約者だった二人にとって、三年とは長い月日であっただろう。


 めでたい日に感極まって涙する妹を、ジェレミーは困ったように笑ってみていた。


「アメリア、相変わらず泣き虫な子だ」

「なっ、泣き虫じゃないわ! 私はただ、兄さまとシルビアさまの幸せそうな笑顔が、とてもうれしくて……」


 いいながら、また大粒の涙が頬を伝っていく。シルビアは笑いながら、手袋をはめた指で拭ってくれた。


「ほらアメリア、笑いなさい。十七歳の淑女の顔じゃなくてよ」


 シルビアにいわれ、アメリアはようやく自分でも目元をぬぐい、笑顔をつくった。シルビアは満足げにうなずいた。


「それでこそ、わたくしのかわいい妹よ」







 挙式は身内のみで行う地味なものであった。それは純潔の花嫁に、誓いを済ませるまで人目に触れさせないためでもあった。だが、若くして優秀な伯爵と、国一番の美しい令嬢を祝うため、披露宴は国中から大勢の人々が集まった。さすがにウォルツ伯爵家の屋敷では面積が足りず、ロゼット侯爵家が所有するパーティーホールで行われた。


 ウエディングドレスから淡いブルーのドレスに着替えたシルビアは、夫となったジェレミーとともに、会場で輝くような姿を見せつけた。胸元にはジェレミーからの贈りものである、薄紅色の宝石のネックレスをつけている。

 本来なら新郎新婦が並んで歩くところを、シルビアがジェレミーの車イスを押して登場した。この姿をだれかは、貴婦人として嘆かわしいというかもしれない。だがアメリアにはわかっていた。シルビアにとって車イスを押すなんてことはさしたる問題ではない。重要なのは、それをほかの人間にやらせることなのだ。案外嫉妬深い彼女は、いつだってこの役を自ら買って出ているのだから。


 二人が祝福に訪れた人々に挨拶して回っているのを遠目で見ながら、アメリアは一人壁際におさまっていた。本来ならアメリアも、身内として挨拶回りに加わらねばならないのだろう。だが、大勢の人々が集まる場所は未だに苦手だ。それもこんなに多くの人を見るのは、デビュタントの時以来だ。一応、薄いピンクのドレスを着てはいるが、こんな隅に縮こまっているような娘、だれも声をかけてこないだろう。

 ……と思っていたのだが。


「失礼いたします」


 新郎新婦をぽうっと見つめていると、突然声をかけられた。振り返ると、すぐそばに見知らぬ青年が立っていた。


「レディー・ウォルツですね? このたびは兄上のご成婚、まことにおめでとうございます」

「あ、ありがとうございます」


 今まで近い歳で異性の男性といえば、兄ぐらいしか接したことがない。アメリアは緊張しつつも淑女の礼をとった。相手はしまりのない緩んだ笑顔をアメリアに向けてきた……いや、普段兄しか見たことがないからそう思うのだろう。もしかしたら、王都で人気がある男性は、こういう人なのかもしれない。

 アメリアは笑顔が引きつらないよう心掛けた。


「ご挨拶もせず申し訳ございません。えっと……」

「ああ、こちらこそ名乗らずにご無礼を。アレックス・オールディンと申します」


 青年は歯を見せながら笑うと、いきなりアメリアの手を取った。


「あ、あの……」

「噂には聞いておりましたが、なんと可憐で美しいご令嬢でしょう。芽吹いたばかりの緑を思わせるような若草の瞳が、なおのこと初々しい」

「手をお放しくださ……」

「どうか美しいあなたを独占する権利を、私めに与えてはいただけないでしょうか。今宵のダンスのお相手をしていただきたい」


 アメリアがなにかをいおうにも、青年は遮るようにして口を開き、なかなか言葉が伝わらない。地味で引っ込み思案なアメリアは、今までダンスに誘われたことがない。よって、こういう場合どうすればいいのかさっぱりわからない。

 返事をしないアメリアに焦れたのか、青年は無理やり腰を抱いてきた。強引といえるやり方に、ゾッと背筋に寒気が走る。


「ご心配いりませんよ、レディー・ウォルツ。私はダンスが大得意でして。さあ、次の曲がはじまってしまいますよ。早く」

「や……っ」


 放して! そう叫ぶ寸前、急に青年がパッと距離を取った。連れていかれるまいと足に力を入れていたアメリアは、反動で後ろに倒れこむ。だが予期したような痛みはなく、尻餅をつく前にだれかに助け起こされた。


「立てるか?」


 声をかけてきたのは、アメリアとそう歳のかわらない、騎士服を着た青年だった。短く切り上げた黒髪と、夜空のような深い藍色の瞳に、アメリアは一瞬びくりとした。


「だ、大丈夫です」

「そうか。……おい」


 不意に低い声を出され、反射的にまたビクッとする。だが騎士が声をかけたのはアメリアではなく、オールディンの方だった。


「めでたい席でなに未婚の令嬢に手を出そうとしている?」

「て、手を出すだなんて、なにを人聞きの悪い……」

「同じだろ。腰に手をまわしてたじゃないか」

「ダンスを踊るなら当然の距離だ」

「彼女は嫌がっていたように見えたが?」


 騎士の鋭い瞳に射抜かれ、オールディンは青ざめていた。未婚の若い貴族の令嬢に声をかけるのは、なかなか覚悟がいる行動だ。その一挙手一投足に、責任が求められるのだから。

 態度を見る限り、彼は本気でアメリアを口説こうとしたのではないようだ。大方、ロゼット侯爵家と深いかかわりを持つ令嬢と知り合いになりたいと、その程度のものだろう。騎士が出てきたとたんに手を離したのだから、なにか噂をたてられても困ると思っていたのは間違いない。


 オールディンが黙ったのを見て、騎士は冷たく言い放った。


「今日のところは不問にしてやる。彼女も無事なようだし。だが次はないと思え」


 高圧的な宣告に、オールディンは無言で去っていった。アメリアは肩で大きく息をした。自分でもあまり意識していなかったが、どうやらほとんど息を止めていたらしい。


「おい、本当は大丈夫じゃないんじゃないか?」


 騎士が呆れたようにこちらを見てきた。アメリアは震えかけていた足を必死にしゃんとさせた。


「だ、大丈夫ったら大丈夫なんです。でも、助けていただきありがとうございます」

「礼には及ばない。それが仕事だからな」


 騎士はふと、まじまじとアメリアを見つめてきた。目の前に立たれると、もともと小柄なアメリアは、ますます自分が小さく感じた。騎士は身長百八十センチ以上はあり、アメリはとは三十センチ近くも差があった。


「あの、なにか……?」

「いや」


 騎士はじっとアメリアを見たまま、あごに指をあてた。


「とりあえず、今みたいな輩がまた出るとも限らない。会場内に知り合いはいないのか?」

「……はい?」

「こういう場は若い男女にとっては出会いの場だ。年頃の女性が一人でうろつくようなところじゃない」


 騎士はまじめな顔でいったが、アメリアは内心困惑した。この中にいる知人といえば、今日の主役である兄夫婦以外にはいない。だがまさか、その兄夫婦にずっとひっついているわけにはいかないのだ。

 とりあえず適当にごまかしながら、この場を立ち去るよりほかはあるまい。


 そこへ、馴染みのある声が向かってきた。


「アメリア。なにかこちらで騒ぎがあったみたいだけど、大丈夫?」


 シルビアだった。ジェレミーと一緒に近くまで来ていた。どうやら先ほどの様子を見た周囲の人々が、わざわざ二人にまで知らせてくれたらしい。


「大丈夫です、義姉さま。こちらの方に助けていただいたので」

「あら、そう……。ああ、ノースさまね。ごきげんよう」


 シルビアはアメリアと一緒にいた騎士をそう呼んだ。


「彼が一緒だったなら安心ね。ジェレミー、アメリア、紹介するわ。王宮騎士団長モルセット伯爵のご子息、ノース・モルセットさま。彼自身も今年、王宮騎士団に入団なさったのよ」


 モルセット伯爵の名なら覚えている。三年前、ウォルツ家の屋敷の復興パーティーにも参加してくれた。以来、当主とジェレミーは懇意にしているようだった。

 ノースは今宵の主役二人に頭をさげ、祝福の言葉を述べた。


「ノース・モルセットです。このたびはおめでとうございます」

「ありがとうございます」


 ジェレミーは年下の騎士に対しても、しっかりと礼を告げた。


「お父上にはいつもお世話になっております。今宵のパーティーにも一緒に?」

「いえ。私は警備の一人です。妹君がお困りのようだったので、声をかけさせていただきました」

「そうだったのですか。なにぶん妹はデビュタント以来、こういう場にはなかなか参加していなくて。不慣れな身で一人にしておくのは少々不安だったのですが、お優しい方に声をかけていただいてよかった。引っ込み思案な性格でして。私としては、もっと積極的に社交界に出てほしいのですが」


 ジェレミーがちらりとアメリアに視線を向けてきた。アメリアはふいっと顔をそむけ、聞こえなかったふりをした。


 シルビアは気づかわしげにアメリアの肩を抱いてきた。


「アメリア、先に屋敷に帰ったら? 疲れたでしょう」


 アメリアは首を振った。


「平気ですわ、義姉さま。私もウォルツ家の一員として、今日この場にいなくてはいけませんもの」


 だがシルビアは、なおもアメリアの顔をのぞきこみ、不安そうに眉を寄せていた。花嫁に似つかわしくない表情だ。アメリアは安心させようと一所懸命笑顔を保ったが、やはりそこは長年の幼馴染。簡単にごまかせはしなかった。


「強制はしないわ。私もレムも、あなたのことが心配なのよ。もしまたなにかあったら……」

「なにかあった、その時は」


 不意にアメリアの背後に、ノースがスッと立った。剣の訓練でごつごつとした手がポンと、アメリアの結い上げられた頭に触れる。


「私がお守りしますよ、レディー……いや、ウォルツ夫人」


 まだ慣れないであろう呼び名を口にすると、シルビアの頬がぽっと赤く染まった。普段凛々しさを覚えるぐらいにたくましい彼女にしては珍しい、年相応の乙女の顔。シルビアはその顔のまま、しょうがないわね、とつぶやいた。


「まあ、王宮騎士のノースさまがいればこちらとしてもありがたいけど。でも警備の方はよくって?」

「ご安心を。十分な人数を配備しておりますので」


 確かに、よくよく会場内を見渡せば、騎士の服をまとったものが何人もまぎれている。招待客としてきた人もいるのだろう、曲に合わせてパートナーと踊る者もいた。


「私一人が抜けたぐらいで、警備に穴があいたりはしませんよ」

「そう?」


 シルビアはジェレミーと顔を見合わせた。


「それならやっぱりお願いした方がいいわね」

「ああ。アメリアが残るのなら、だれかについてもらった方が安心だし」


 いいながら、再びジェレミーはこちらを横目で見てくる。反論は聞かない、とその目がいっている。アメリアは黙って兄をにらみつけた。私が人見知りなの、知ってらっしゃるくせに!







以前から考案しておりました、アメリア嬢のお話です。

活動報告でも載せましたように、本来はシルビアではなく、彼女が主人公のはずだったこの小説。

ようやく彼女がメインの話を書けたことに涙です……!


シルビアが社交界の華ならば、アメリアはめったに人前に出ない稀少な蝶。

ひそかに人気を二分していた二人でありました。


後編は一月三十一日、十二時に更新する予定です。

どうぞお読みくださいませ<(_ _)>



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