求婚
一ヶ月が経つと、ジェレミーは退院した。だがなにが回復したというわけではない。もう治療すべき箇所がなくなったというだけだった。
シルビアは彼の退院祝いに、王都から取り寄せた車イスをプレゼントした。これさえあれば歩けずとも、自分で移動することができる。
あの日以来ジェレミーはますますやせて、無口になっていた。だが自分のために特別に用意された車イスを見ると、素直に「ありがとう」と口にした。
屋敷の完成までの間、ウォルツ兄妹は領内にある別邸に住まうこととなった。シルビアとしては、そのまま二人とも侯爵家に住んでもかまわなかったのだが、二人がそれを拒否した。そこまで甘えるわけにはいかないと、そろって首を振ったのだ。
屋敷が元通りにできあがるまで、残り二ヶ月といったところか。だが設計の修正が必要になる。車イスを使って屋敷の中を移動するには、階段を減らしスロープを増やすべきだ。
シルビアは工事にあたっていた責任者にそう命じると、ただちに設計に手が加えられた。屋敷の階段のおよそ八割をスロープに変え、手すりもつけた。そしてもしもの時のために、すぐに人を呼べるようにと、あちこちにベルを取りつけた。
退院後、ジェレミーは工事中の屋敷をシルビアと一緒に見た。彼は事故直後の屋敷を見ていなかったが、早い復興作業に驚いていた。
「全焼したと聞いていたのに、もうここまで……」
シルビアは胸を張った。
「私が指示したんだもの。当然でしょう?」
ジェレミーは、自分の車イスを押しながら自慢げに笑うシルビアを、あっけにとられて見つめていた。だが、すぐに自分も笑いだした。
「はは、それもそうか。あなたの命令だったら、さすがにだれも逆らえませんね」
「そうでしょう? なんたって、侯爵令嬢のわたくしの命令ですもの」
ジェレミーが笑ってくれたことがうれしくて、シルビアはますます胸をそらした。
「でもねレム、ここの工事にあたってくれている人たちは、私の命令だからやっているわけじゃないわ。あなたとアメリアの役に立ちたいから、率先して頑張ってくれているの。私はその背中を押しただけ」
「……そうですか」
「ええ。だから、あなたも……」
ジェレミーは車イスを自分で前進させた。
「もう十分です。私は戻ります」
「では、私もご一緒に」
ジェレミーは笑みを引いた。
「身内でもない男性と同じ馬車に乗るのは、淑女としていかがなものかと思いますよ」
「でも、あなた一人では危ないわ」
「大丈夫ですよ。従者を二人連れてきています。あなたの手を煩わせたりはしません」
煩わされているつもりはないのに。シルビアは不服だったが、とりあえずうなずいた。
「わかりました。では、また後日お会いしましょう。アメリアにもよろしく」
「ええ。レディ・ロゼット、あなたもお気をつけて」
ジェレミーはそういって微笑むと、すぐ近くに控えていた従者に目線を送った。従者はすぐに反応し、彼の車イスを押して去っていった。
この前のように突然暴れ出すということはなくなったが、あいかわらず自分があとを継ぐという考えはないらしい。さりげなく屋敷に戻る話をすると、やんわりと話を遮られてしまう。
自身も屋敷に戻るために馬車に揺られながら、シルビアはため息をついた。ジェレミーを元気づけるために屋敷の再建を企てたが、肝心の本人が帰る気がないのであれば、すべて台無しになってしまう。なにかいい方法はないだろうか。
さまざまな考えが浮かんでは消えていく。だんだんと頭痛がしてきた。ここ最近、工事や事故の後処理に追われてシルビアはろくに寝ていなかった。本来ならジェレミーの仕事だが、すべてシルビアが肩代わりしていた。
せめて、ジェレミーの整理と決心がつくまでは。そう思っているうちに、問題はどんどん山積みになっていく。関係者でもないシルビアができることは限られている。領の統治に関することは、一切手出ししていない。だがそれも、少しずつ処理をしていかないと、あとあと大変なことになるだろう。
考えているうちに、馬車は侯爵邸に着いた。従者が馬車の戸を開け、踏み台を足元に置いてくれる。それを待ってから、シルビアは外に降り立った。
すぐ屋敷に入って休もうと思ったが、ふと今自分がおりた馬車のすぐ近くに、別の家の家紋が入った馬車が停まっていることに気づいた。シルビアはドキッとした。あの家紋は、もしや……。
屋敷の中に入った途端、シルビアの嫌な予感は当たった。出迎えてくれるメイドは、いつもシルビアを世話してくれているベテランのマリアではない。まだ入ったばかりの、若いメイドだった。
メイドはおどおどした態度でシルビアに頭をさげた。
「おかえりなさいませ、お嬢さま」
「ただいま。マリアはどうしたの?」
「マ、マリアさんでしたら、今はその、お客さまのお相手を……」
やはり。シルビアはため息をついた。
「お客さまはどちらに?」
「旦那さまの応接室でございます」
「そう。ありがとう」
シルビアは礼を口にすると、応接室に向かって早足に進んだ。
屋敷の前に停まっていたあの馬車。見間違いでなければ、あの家紋はアダムス家のもの。今現在、アダムス家がわざわざロゼット家を訪れる理由は、ひとつしかない。
応接室に出向くと、ちょうどメイドのマリアが、中から出てくるところだった。シルビアに気づくと、マリアはほっとしたように微笑んだ。
「シルビアさま、お帰りなさいませ」
「ええ。お父さまも中にいらっしゃるの?」
「そうでございます。アダムス家のご当主とご子息が、そろっておいでになりました」
マリアは不安そうに顔を曇らせた。
「お嬢さま。ばあやはあなたさまのお気持ちを、よく知っております。あなたさまが拒否なさるのであれば、全力でお力添えをいたしますので」
「わかってるわ、マリア。ありがとう」
シルビアは彼女に微笑むと、応接室の戸を叩いた。
「お父さま、シルビアです。お待たせいたしました」
「入りなさい」
中から父の声が聞こえてきた。
戸を開けて、シルビアは中に足を踏み入れた。この間の夕食の席とは違う、どこか張りつめた空気が中に充満していた。
セシルは父親のアダムス大臣とともに、ロゼット侯爵の正面に腰かけていた。シルビアが姿を見せると、うれしそうに笑いかけてくる。
「レディ・ロゼット。またお会いできて光栄です」
「こちらこそ、度重なるご訪問、感謝いたします」
シルビアの手にセシルはそっと唇を落とした。
「この間の返事をいただきにまいりました」
さっそく本題に入ってきた。シルビアは気を引き締めた。
「セシルさま。はじめてお会いした日、この近くで火事があったでしょう? 被害に遭ったのは、わたくしの古くからの友人とその家族です。わたくしは友人のために、屋敷の再建に今務めております。お申し出はありがたいのですが、今は自分のことを考えている余裕がないんですの。できれば、お返事はまた後日に……」
セシルは穏やかに微笑んだ。
「きっとそうおっしゃるのではないかと思いました」
「……わかっておいででしたの?」
「ええ。あなたの活躍は、王都まで聞き及んでいますので」
アダムス大臣が口を挟んできた。
「シルビア嬢。こうされてはいかがだろうか。その屋敷……確か、亡くなられたウォルツ男爵のものでしたな。その屋敷が完成するまで、私たちも婚姻はあきらめます。ただそのかわり、完成次第、王都にあるアダムスの屋敷に来ていただきたい」
「ずいぶん早急ですのね」
「そろそろ私も、爵位を息子に譲りたい。だが息子が独身のままでは、いささか不安でね。しっかり者の女性と結ばれてくれればと思っていた時に、息子があなたを気に入ったといったもので。あなたの噂はよく聞いている。ぜひとも、我が家に嫁いできてもらいたい」
二人の熱のこもった視線に、シルビアは思わずたじろいだ。
「わたくしは……。まだ、ここを離れるのは、不安で」
「ウォルツ男爵家の子息のことでしょう?」
セシルがすばやく答えた。
「彼の身体のことは、すでに聞いております。気の毒でした。でも、男爵家の存続に関しては、ご心配いりません。私ができるかぎりのサポートをさせていただくつもりです」
「でも、あなたはあの家とは、なにも関係が……」
「あなたの友人は、あなたの婚約者となる私の友人でもあります。友人の窮地を救うのに理由がいりますか?」
シルビアが言葉に詰まっていると、セシルは続けた。
「彼が今後仕事をしやすいように、私が信頼する部下を数人、ウォルツ男爵家に配属させましょう。あと、専任の医者もいた方がいいですね。屋敷のすぐ近くに病院をたてられるか、後で確認いたします。ウォルツ領の特産は確か農作物でしたね。それらをうまくさばけるように手配してみます」
「な、なにもそこまで」
あわてるシルビアだが、セシルは笑顔を崩さない。それどころか、ますますにっこり笑いかけてくる。
「どうです? これならば、あなたがここを離れても安心でしょう?」
ゾッと背筋に冷たいものが走った。まるで、シルビアがジェレミーに固執しているのを見抜いているかのような言い方。いや、本当にわかっているのかもしれない。
おびえていることだけは相手に悟られないよう、シルビアは精いっぱい背筋を伸ばした。
「少し考えさせてください。何分急でしたので、少々整理が必要かと」
「ええ、結構ですよ。ではまた一週間後、お返事をお伺いにまいります」
セシルは父親とともに、最後まで笑みを絶やさずに去っていった。
応接室からは、マリアが外に案内してくれた。おかげでシルビアは、ロゼット侯爵によろよろと体をあずけられた。
「お父さま」
「すまない、シルビア」
ロゼット侯爵は、心から申し訳なさそうに娘を見た。
「この婚姻が断れる可能性は、万が一にもない。おまえの気持ちはわかってるが……」
「いいの。結婚は私の義務だわ。でも」
シルビアは父親の手をぎゅっと握りしめた。
「ジェレミーをあんな状態で一人にしておくなんて、私は嫌よ。アメリアだって、いつかは嫁いでしまう。そうしたらそのあとは、だれが彼のそばにいるの?」
「シルビア……」
「レムには私しかいないのに。あの人たちの提案は、ジェレミーの仕事を楽にしてくれるかもしれない。でも、ジェレミー自身を救ってくれるわけじゃないわ」
話しているうちに、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
こんなにも傍にいてあげたいと願っているのに、どうしてそれが叶えられないんだろう。私しか彼を支えてあげられる人はいないのに。私までいなくなったら、彼はどうやって生きていくのだろう。
ロゼット侯爵は、娘の髪を梳くように撫でた。その弱々しい手つきに、ますます悲しくなってきた。どうにもできないことを、改めて突きつけられているかのような気分だった。
「シルビア……」
侯爵はつぶやくように告げた。
「私からひとつ、提案がある」