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逃避



 ウォルツ家の屋敷は、跡形もなく燃え尽きていた。原因は森の中に落ちていた、たった一本のマッチだった。狩猟に来ただれかが、たき火でもしようとしたのかもしれない。マッチ棒のまわりにはいくつかの木の枝が落ちており、すべて焼け焦げていた。おそらく、一度は火を消したつもりが、消えきっていなかったのだろう。火は森の木々に引火しさらに大きくなった。そしてそれは、森のすぐそばにあった屋敷まで広がったのだ。


 アメリアは幸い、庭先で花の手入れをしていたということで、すぐに火事に気付いて逃げられた。彼女の悲鳴に気づいた屋敷の使用人も、次々に脱出に成功した。だが屋敷の主人とその妻、二人を探し回った執事とメイドが数人、帰らぬ者になっていた。

 火事の日から二日経ち、シルビアは男爵家の領土を訪れたが、そのあまりの悲惨さに、声も出なかった。


 傷もなくすぐに病院を出られたアメリアは、現在ロゼット侯爵の厚意で侯爵家に寝泊まりをしている。彼女も一緒に来ていたが、実家のあった場所を見て、ふらふらと後ずさった。


「アメリア」


 シルビアは幼いアメリアを支えようとしたが、自分もかなり限界だった。たった一晩で、すべてがなくなってしまった。彼らの住む家も、彼女が世話した庭や花々も、彼らが愛した両親も。

 アメリアはシルビアの胸に体をあずけ、すすり泣きをはじめた。シルビアは彼女の頭をなで、幼子にするようにあやした。


 生き残ったウォルツ家の使用人たちは、一様に自分たちを責めていた。守らねばならない屋敷の主人を置いて、逃げ出してしまった。仕えるものとして失格だと、嘆く者もいた。

 そんな彼らに、シルビアは一喝した。


「嘆く暇があるなら、今すぐここに新しい屋敷をたてなさい。よろしいですか? この家の新しい主が戻ってくるまでに、元通りの屋敷を復活させるのです」


 もちろん、新しい主とは、アメリアの兄のことだった。アメリアは涙を止めて、シルビアを見た。


「シルビアさま、無理よ。だって兄さまは……」


 シルビアもジェレミーの状態を思いだし、胸を痛めた。たった一度しかまだ見ていないが、無残の一言だった。

 彼は自分の部屋で、焼けて倒れた本棚の下敷きとなって発見されたらしい。気絶したところを救助され、どうにか命は助かった。だが、下敷きとなった左足は――跡形もなく、焼け焦げていた。残った右足もひどい火傷の痕が残っている。生きているのが奇跡といえるほどの大けがだった。


 ジェレミーはすでに意識を取り戻し、今の自分の状況を冷静に受け止めていると聞く。だが彼が再びここに戻ってきて、新しい男爵としてやっていけるかどうかは別の話だった。


 シルビアにも、ジェレミーがこれから先どうするかはわからない。だが、今自分にできることはほかになかった。

 自分とアメリアに言い聞かせるようにして宣言した。


「無理なんて言葉、わたくしの辞書にはなくてよ。わたくしがあなたの兄上に命じ、ここを必ずや復興させます。アメリア・ウォルツ。あなたも男爵令嬢なら、協力なさい。ロゼット侯爵家が長女、シルビア・ロゼットからの命令です」

「……はい」


 堂々たる物言いに圧倒されるように、アメリアはいった。


「仰せのままにいたします」











 それから数日間、シルビアとアメリアはともに、領民たちの力を借りながら、屋敷の再建に努めた。どうにか工事の予定も決まり、アメリアの表情も徐々に明るくなりはじめた。


 男爵夫妻の葬式は、領内にある小さな教会で、ひっそり行われた。動けなくなったジェレミーでも気兼ねなく来れるようという配慮だったのだが、彼は病院から一歩も出ることはなかった。

 アメリアは気丈に振る舞い、喪主として両親を見送った。シルビアは妹のような存在の幼馴染の成長に、少し心が救われた。


 葬式からさらに一週間ほど経ち、シルビアはジェレミーを見舞った。アメリアも一緒に来ている。さすがに身内の付き添いなしでは、侯爵令嬢といえど病室に乗り込むことはできない。


 ジェレミーは侯爵家の領内にある大きな病院の、個室のひとつに入院していた。アメリアが毎日世話に来ているので、シルビアは彼と会うのは事故以来久々だった。

 アメリアが慣れた様子で病室に入っていった。シルビアは様子を見ようと、ドアの近くで待った。

 中から兄妹の会話が聞こえてくる。


「兄さま、お加減はどう?」

「うん……悪くないよ。アメリア、きみはどうだ? 無理して僕を見舞う必要はないよ」

「なにをいってるの? たった一人の兄さまですもの。私が見舞わなくてどうするの?」


 でも、とアメリアはいった。


「私以外に、兄さまのことが気になって仕方ない方が、もう一人いらっしゃるけど」

「だれ?」

「一緒にいらしてるわ。呼んでもいい?」


 病室のドアがわずかに開き、アメリアが顔をのぞかせた。シルビアが目で「大丈夫なの?」とたずねると、彼女はにこっと微笑んだ。


 シルビアはおそるおそる病室の中に足を踏み入れた。ジェレミーがハッと息を飲んだのがわかった。


「シルビア……」


 久しぶりに名前を呼ばれ、シルビアは胸が苦しくなるのを感じた。

 ジェレミーはベッドを半分だけ起こし、背をもたれる形で座っていた。いくらか痩せて、顔色もよくない。だが妹と同じハニーブロンドと、深緑の美しい瞳は健在だった。


「ごきげんよう、ウォルツ男爵」

「シル……いや、レディ・ロゼット。なぜここへ?」


 この前ここに来た時、まだジェレミーは眠ったままだった。なのでジェレミーにとっては、事件の直前以来の再会となるはずだ。

 シルビアは彼の痛々しい下半身を見ないようにしながら、まず淑女らしく礼をした。


「交流がほとんどなくなってしまったとはいえ、わたくしたちは幼馴染ですわ。困難な時に助け合うのは当然でしょう?」


 ジェレミーがシルビアを見つめてくるのがわかった。


「同情ですか?」

「……していないといえば、嘘になります」


 素直に答えると、ジェレミーはわずかに笑った。自虐的ともとれる笑い方だった。


「あいかわらず正直な方だ。私に同情はいりません、レディ・ロゼット。気の毒なのは私の両親と、巻き込まれた妹だけですよ」


 それに、とジェレミーは続ける。


「私なんぞに関わっていたら、あなたの評判に傷をつける。大事な大臣家との婚約話を、無駄にしたくはないでしょう?」


 シルビアはぎくりとした。ジェレミーがそのことを知っているとは思わなかった。

 だがそれは事実だった。あの非公式の見合いの翌日、アダムス家から正式な婚約の申し込みがあった。互いの家に利益をもたらす、最良の縁談といえた。


 今はまだ答えを保留とさせてもらっている。現段階ではウォルツ家の再興で手いっぱいだ。とても自分の結婚を考えている暇はない。

 それに、想い人からほかの男に求婚されたことを話題にされるのは、苦しくてたまらなかった。


「あなたはこれからどうなさるおつもりなの? いつまでも病院暮らしでは、男爵としての仕事が務まりませんよ」


 シルビアはややきつい口調でいった。幼少期はいつもそうだった。常に堂々と自分の意見をいうシルビア。それに従い、時には意見を交わすジェレミー。そしてそれを崇めるように見つめるアメリア。

 幼い時と同じように振る舞えば、彼もこの他人行儀な空気を壊してくれる。そう思った。


 だがジェレミーは、かわらずよそよそしい口調だった。


「私には爵位を継ぐ資格はありません。領民たちもこんなのが領主では、不安に思うでしょう? アメリアがいつか、立派な殿方と結婚し、その方に継いでもらえればいいと思っています」


 その言葉に、アメリアは大きく目を見開いた。


「兄さま、そんな……」


 シルビアも思わず反論した。


「アメリアはまだ十四歳よ。成人もしてないのに、婚姻は認められません」

「なにも今すぐではありません。おそらくアメリアが土地を受け継ぐまでは、私たちの叔父が管理してくれるでしょう。叔父は話がわかる人ですので、私がいえばアメリアにいつか土地を返還してくれます。アメリアにふさわしい男性も、きっとすぐに現れますよ」


 アメリアは目に涙を浮かべて、ふるふると頭を振った。


「兄さま。そんなことおっしゃらないで。うちを継ぐのは兄さまだわ。私にできっこない」


 ジェレミーは妹に、慈愛のこもった瞳を向けた。


「アメリア、きみならできるさ。僕だって、なにかあれば力になることぐらいはするよ」

「ダメよ。兄さまじゃないとダメ」


 アメリアはぐすぐす泣きだし、シルビアに抱きついた。シルビアは彼女の背をなでた。


「レム……。あなた、どうしてしまったの? これしきのことで卑屈になるなんて、あなたらしくないわ」


 ジェレミーは鼻で笑った。紳士らしからぬ行動をする彼ははじめてで、シルビアはぞくりとした。


「これしき、ですか」

「そ、そうよ。昔のあなたなら、これぐらいのことでくよくよ嘆いたりしないはずだわ。逆境も成長の糧と、私に教えたのはあなたじゃない!」


 ジェレミーは窓の外を見つめた。遠くを眺めるような目だった。


「そんなことをいった日もあった」


 ふと彼の手が自分の下半身に触れたのを見て、ドキッとした。そこは掛布団で隠れていたものの、左足にあたる部分だけ盛り上がりがない。


「レディ・ロゼット。あなたは今まで、体を動かすのにいちいち、体に命令を出していましたか?」


 突然問いかけられ、シルビアは戸惑った。


「い、いいえ。ないわ」

「そうでしょうね。私もこうなるまではそうでした。なにも考えずとも、立とうと思えば立てました。歩こうと思えば、自然に足が動きました。ところが今では、立つことも歩くことも、指の一本すら、いくら命令しても動かないのです」


 ジェレミーは目を伏せた。


「左足を失っただけなら、義足という手もあったでしょう。でも、右足は動かそうとするたびに傷痕をうずかせる。いくら努力してももとのようにはいきません。これが男爵? 土地を治める領主? 笑わせるな!!」


 癇癪を起こしたように、ジェレミーの手がすぐ近くにあった花瓶を撥ね飛ばした。花瓶は壁に当たって砕け、近くにいたアメリアが悲鳴をあげた。


「アメリア!」


 シルビアは驚いて彼女に駆け寄った。


「大丈夫? ケガは?」

「あ、ありません。大丈夫です」


 アメリアは震えながらも答えた。

 彼女になにもないことを確認すると、シルビアはキッとジェレミーをにらみつけた。


「ジェレミー・ウォルツ。大概になさい。いくら嘆いても、失ったものはもとに戻りませんよ」


 ジェレミーは落ち着きを取り戻したようだった。だが、妹に謝罪を口にするまでには、まだ時間がかかりそうだった。

 彼はベッドを水平に戻すと、布団を頭までかぶった。


「少し頭を冷やします。今日は帰ってください」

「レム!」

「いいから、早くお帰りください」


 頑固な口調で二度いわれ、シルビアもさすがに押し黙った。

 アメリアがそっと腕をひいてきた。


「シルビアさま……」

「……わかったわ」


 シルビアはしぶしぶ告げた。


「今日はもう帰ります。だけど、わたくしはあきらめなくてよ。ジェレミー・ウォルツ、わたくしからの命令です。いつか必ず、男爵としてあの屋敷に戻るのです。あなたとアメリアの二人で、あなた方のご両親のあとを継ぎなさい」


 返事はなかった。だがもうそれでよかった。

 今はまだ、混乱しているだけだ。近いうちに必ず、もとの彼に戻ってくれる。優しくてにこやかで、だが芯は強くて気高い彼に。シルビアが幼いころから憧れつづけた、あの日の彼の姿に。



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