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縁談



 目の前に置かれた状況を、シルビアは一瞬では把握しきれなかった。

 なぜ……屋敷の中に、父や弟以外の男性がいるのだろう。食卓で父の斜め向かいに座り、酒を飲み交わしている。


 父はシルビアが帰宅したことに気づくと、酒で少し赤らんだ顔を向けてきた。


「ああ、シルビア、帰ったのか。ちょうどよかった」

「お父さま……」

「さあ、早く座りなさい」


 久々の再会に喜ぶまもなく、シルビアは無理やり客人の前に座らされた。

 客人はシルビアよりいくつか年上に見えた。一目で高貴な家柄の人物とわかる。口元に称えた微笑も、魅力的といえばそうだった。


 青年はシルビアを熱を帯びたような目で見つめていた。背筋がぞくりとするような、嫌な予感に襲われる。そういうことはたびたびあった。ここ最近、父はシルビアと貴族の子息を引きあわせたがる。おそらく、彼は……。

 父が咳ばらいをした。


「主役が登場したところで、まず紹介しよう。シルビア、こちらは法務大臣の子息、セシル・アダムス。現在は王立学院で、父上のあとを継ぐために法律を勉強されている」


 呆気にとられてはいたが、シルビアはこれでも侯爵家の令嬢。客人にたいしての礼儀を忘れることはなかった。


「お初にお目にかかります。ロゼット家長女、シルビアと申します」


 相手の青年もわざわざ立ちあがり、シルビアにたいして敬礼の姿勢を取った。


「突然お邪魔して申し訳ございません。セシル・アダムスです」

「お父上様のお噂はかねがね伺っておりますわ」


 貴族子女として、最低限の愛想は守った。あとは父に疑問をぶつけるのみ。

 シルビアはセシルに見えないよう心がけながら、横目で父親をにらんだ。途端、ロゼット侯爵はぎくりと身を固くさせた。


「あー……。シルビアや。聞くところによると、彼はまだ独身で、心に決めた女性もいないとか」

「まあ、そうなのですか」


 やっぱりその手の話か。シルビアは内心うんざりしつつ、それを表情に出さないよう努めた。


「それで?」

「それで、だな。私が彼におまえの話をしたら、ぜひ縁談をということになったので……」

「ええ、ですから?」

「だ、だから、おまえさえよければ、一度ぐらい食事でもと……」


 気の毒に、侯爵はしゃべるたびに声がどんどん小さくなっていく。普段政治に鋭い意見を切りつける彼とは、まるで別人のようだった。

 ロゼット侯爵は最終的に、蚊の鳴くような声で告げた。


「べつに無理強いするつもりはないんだが、先方がせっかくここまで来てくれたのだし、夕食ぐらいはともにしてもいいだろう。その後どうするかは当人同士に任せるつもりだ。私としては、シルビアにはシルビアが選んだ人と結ばれてほしいとは思っているし……」


 そういいつつも、父はチラチラと青年の顔をうかがっている。ここで断れば、父の立場が悪くなることは明白だった。シルビアは淑女の笑顔を張りつけた。


「もちろん、お食事ぐらいでしたら喜んでお受けいたしますわ、お父さま。セシルさま、どうぞおかけくださいませ。うちのシェフが腕によりをかけて、最高のディナーを作ってごらんに入れますわ」


 セシルはキラキラとした笑顔を向けてきた。


「それは楽しみです。最近はどうも忙しくて、あまりまともな食事にありつけていないもので」

「まあ、それでしたら栄養があるものをお出ししませんと。お待ちくださいませ」


 シルビアは上品に会釈をすると、食堂から廊下へ出た。ドアを閉めた途端、どっと疲れが襲ってきた。

 父親の突撃お見合い作戦は、今にはじまったことではない。それこそシルビアの成人前から、ちょくちょくこういうことがあった。ただ最近はなりを潜めていたので油断していた。まさか今になって見合い相手を連れてくるとは。

 それに、とシルビアは考える。あのアダムスという男、ニコニコと愛想笑いばかりで本質が見抜けない。貴族としては当然といえばそうなのだが、そのような男を生涯の伴侶なんて、勘弁こうむりたい。


 シルビアは近くを通ったメイドに、厨房宛ての言付けを頼んだ。客人のために栄養のある最高のディナーをお出しするようにと。

 相手がだれであろうと、客は客だ。客人をもてなすのは、その家の女性の役目。母親が晩餐会へ参加中の今夜、もてなしを仕切るのはシルビアの責任だった。


 シルビアは自分に言い聞かせた。落ち着け、落ち着くのよシルビア・ロゼット。これは非公式の見合いよ。両家そろっての顔合わせではないのだから。こちらも母がいないし、あちらに至っては両親ともに来ていない。これですぐに婚約成立なんてことはあり得ない。たとえ相手が大臣の息子であったって。


 軽く頭を振ってから、シルビアは再び笑顔の仮面をかぶった。その表情をうまく保てるよう祈りつつ、食堂へ戻る。


「失礼をいたしました。まもなく夕食の準備が整いますので、それまでは食前酒とおしゃべりでもいかが?」


 セシルはにこにこしたまま答えた。


「私もそう考えていたところです、レディ・ロゼット。ぜひあなたのお話を伺いたい」

「わたくしはあなたのお話を伺いたいわ、セシルさま」


 するとセシルは上機嫌に、自分の話をしてくれた。内容は今自分が勉強しているという法律に関するものが多く、シルビアは時折ちんぷんかんぷんになっていたが、それに気づくとすぐにわかりやすく説明してくれた。勉強熱心で努力家、生真面目さがうかがえる丁寧な話し方だった。


 シルビアも次第に警戒心が薄れ、気になったことをどんどん質問した。もともと王太子の婚約者候補の一人でもあったシルビアは、政治に関する勉強も叩き込まれている。セシルの話は興味深いものであった。

 やがてディナーが運ばれてくると、セシルは外交に関する話を中断し、前菜のサラダの盛りつけの美しさをほめた。


 食事中はさすがにおしゃべりを控え、時々料理に関する意見を交わす程度になった。セシルは食事が出てくるたびに、色々な言い回しで料理をほめちぎっていた。その無邪気な様に、シルビアは幼かった頃のジェレミーを思いだした。レムも昔、うちで出るデザートを見て同じ顔をしていたわ。


 メインディッシュが出てきた頃、急に屋敷の中が騒がしくなった。母が帰ってきたのだろうかと思ったが、どうやら違うようだった。メイドたちが悲鳴をあげる声が聞こえてくる。ただ事ではない。

 父もそう感じたのだろう。ナイフとフォークを置き、ドアを開けて外に大声でたずねた。


「なんの騒ぎだ? 客人の前だぞ」

「だ、旦那さまっ」


 父の声に金切り声で返したのは、ロゼット家に四十年以上勤めあげる執事のチャールズだった。チャールズは年老いてしわだらけになった顔を引きつらせ、いっそうしわを濃くさせていた。

 ロゼット侯爵は苛立たしそうに彼にいった。


「なんなんだ、いったい。騒々しい」

「旦那さま、緊急事態でございます」


 チャールズは青ざめた顔で告げた。


「隣の領地で火事が起きております。近くの貴族の館が火の海になっておりますぞ」


 シルビアは危うくスプーンを取り落すところだった。この近くにある貴族の館といえば一軒のみ。そう、ウォルツ男爵家だった。

 セシルが立ち上がった。彼もまた険しい表情だった。


「被害の状況は?」

「今はまだなんとも。ですが、火事から逃れた市民たちが、続々とこちらに向かっています。幸い、燃えているのはその館と周辺の森だとか……」


 思わずシルビアは立ち上がった。


「そ、その館の住人は、どうされたの?」


 チャールズはちらりとシルビアを見て、一瞬迷うように口を閉ざした。彼はシルビアが、だれの身を案じているのかわかっているのだ。

 やがて彼はぽつりと告げた。


「ご令嬢はどうにか火が全体にまわる前に逃げられたとか。近くの病院で手当ては受けているそうです」

「そう」


 アメリアが無事と聞き、ほっとしたのもつかの間。次の心配が襲ってきた。


「では、屋敷の夫妻は? ほかの方は?」

「……お嬢さま以外の方は、まだ見つかっておりません。ですが今夜は住人の方は皆さま屋敷にいらしたそうです。全力で消火にあたっているそうですが、もう屋敷はほとんど焼け落ちているそうで……」

「そんな……」


 再び廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。音の正体を見て、シルビアは心底驚いた。ウォルツ家の侍従の一人が、息を切らしながら立っていた。顔は煤だらけで、服も所々に焼け焦げがあった。

 彼はロゼット侯爵の姿を見ると、膝をついた。


「ご無礼をお許しください、侯爵閣下。緊急事態ゆえ、勝手ながらわたくしの独断でまいりました。どうぞ、閣下のお力をお貸しください」


 ロゼット侯爵はうなずいた。


「よい。屋敷の方はどうだ?」

「先ほど鎮火し、アメリアお嬢さまのほか、使用人八名の無事を確認したところです」


 シルビアは侍従のもとに駆け寄ってたずねた。


「ほかの方はどうなさったの?」


 侍従は口に出すのも苦痛だというように、顔をゆがめた。しかし、いずれこれも伝えなくてはいけないことと腹をくくったらしい。首を垂らしながらいった。


「男爵夫妻が、食堂のあった場所から発見されました……すでにお二人とも、息を引き取られておりました」


 シルビアはあっと口を押えた。男爵夫妻……ジェレミーとアメリアの両親が、死んだ。


「そ、それでは……。夫妻の子息は? もう一人、屋敷には残っていたはずでしょう!?」


 今にも掴みかからんばかりの勢いでシルビアがたずねると、ロゼット侯爵に抑えられた。


「落ち着きなさい、シルビア。冷静になれ」


 侍従はまだ頭をさげたままだった。それがことさら、シルビアの不安を募らせた。


「若旦那さまも、ご自身の部屋から見つかりました」

「無事なの? ねえ、そうなんでしょう?」

「……一命はとりとめております」


 生きている。それを聞いただけで、シルビアはほっとして足元から崩れた。あわてて父が支えた。

 だが次に侍従が放った言葉は、シルビアの心をどん底まで突き落とした。


「ですが、障害が残りました。若旦那さまには現在、左足がございません」



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