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過去と現在



 ロゼット侯爵家の長女として生まれたシルビア・ロゼット。彼女はすべてにおいて完璧な美少女であった。


 侯爵家の令嬢にふさわしい教養と堂々たるたたずまい。物腰も優雅で淑女の鑑ともいうべき上品さ。十歳とは思えない、大人のような機転の良さと美しい容姿。

 ゆくゆくは王太子の妃か、有力な貴族の妻か。いや、他国へのパイプとなる縁組を結ぶのもよい。

 まだ幼い少女には、多くの貴族の期待が募っていた。


 シルビアは確かに、同年代の貴族令嬢と比べると、頭がよく気品にあふれ、可愛らしい顔立ちをしていた。プラチナブロンドの長い髪も、薄紅色の瞳も、他者から見るととても魅力的である。

 だがシルビアは、自分の容姿や才には、あまり頓着がなかった。好きな人と結ばれて、幸せな結婚をしたい。そう願う、ごく普通の少女だったのだから。


 彼女には幼馴染の兄妹がいた。一人は二つ年上の男爵家の長男、ジェレミー・ウォルツ。もう一人はその妹のアメリア。身分の差は大きいが、領地が近いこともあり、三人はよく一緒に遊んでいた。

 シルビアは二人のことが大好きだった。アメリアは本当の姉のように慕ってくれている。ジェレミーはいつも、お姫様のようにシルビアを扱ってくれた。


 最年長であったジェレミーは、シルビアのこともアメリアのことも、よくかわいがってくれていた。シルビアは柔らかい物腰と優しい顔立ちに、徐々に惹かれていった。初恋だった。

 いつかはお互い身分の壁と政略結婚で離ればなれになる。そうわかっていても、幼い恋心は止まらなかった。


「ジェレミー、わたくしのことはこれから、「ルビ」って呼ぶのよ。わたくしもあなたを愛称で呼ぶわ」


 ある日、突然シルビアがそう宣言すると、ジェレミーは驚いたように目を丸くさせた。


「ダメだよ、シルビア。今はいいかもしれないけど、大きくなったら僕たち、そう簡単に話すらできなくなるんだから。あまり深く関係を持っちゃいけないんだよ」


 次期男爵として早いうちから自分の立場をわきまえていたジェレミーは、そういってやんわりと断ろうとしたが、シルビアは引き下がらない。むしろぐいぐい意見を押してきた。


「あら、あなたは将来、お父上の爵位を継ぐのでしょう? なら、侯爵令嬢のわたくしとつながりを持っていた方がいいんじゃなくて?」

「それは……」

「いいから、わたくしを愛称で呼んで。これは命令よ、ジェレミー。侯爵令嬢である、わたくしからの」


 ジェレミーはため息をついた。幼馴染として、シルビアの性格は熟知している。そう簡単にあきらめることを知らない、ということも。


「仰せのままに、僕のわがままなお姫さま」


 この時のシルビアはまだ知らなかった。この国で愛称を呼び合うということはすなわち、プロポーズに等しいことだということを。







 ――七年後。



 シルビア・ロゼットは十七歳の誕生日を迎えようとしていた。成人も果たし、いつ嫁いでもおかしくはない年頃。現にロゼット侯爵家には、縁組を希望するものが殺到していた。

 シルビアはどの縁談にも乗り気ではなく、わがままと知りつつ断り状を送っていた。こういう時、侯爵家の娘でよかったと思う。自分より上の身分が少ないからだ。公爵や王家からの縁談ともなれば、断るなんてことは不可能だろう。


 だがそろそろ、年貢の納め時かもしれない。いい加減婚約者を決めないと、嫁ぎ遅れとみなされてしまう。

 憂鬱のあまりため息がこぼれる。するとお茶をともにしていた幼馴染の少女が、心配げにこちらを見た。


「シルビアさま、どうなさったの? ため息ばかりですわ」

「あら……そうだったかしら。ごめんなさい」


 十四歳に成長したアメリアは、引っ込み思案だが心優しい、可愛らしい令嬢になっていた。あいかわらずシルビアのことを慕い、こうして互いの家で茶会を開いたりもする。今日はウォルツ男爵家でのお茶会だった。

 裕福とはいいがたい男爵家では、アメリアが紅茶やお菓子の準備をしているらしい。今日は庭になっていたというイチゴで、ストロベリージャム付きのスコーンを作ってくれた。シルビアはアメリアの自由な暮らしがうらやましかった。シルビアが家でお菓子を作りたいなどといったら、侯爵家は騒然としてしまうだろう。


 アメリアはティーカップを受け皿に置くと、不安そうにシルビアに目をむけた。


「やっぱりシルビアさま、おかしいですわ。いつもはもっと快活におしゃべりしてくれますのに」

「わ、私はいつも通りよ、アメリア。ただちょっと馬車で酔ってしまって……」

「……兄さまのことを気にされてますのね」


 シルビアは口を閉ざした。さすがに長い付き合いなだけあって、アメリアにはすべてお見通しだった。


 あの日以来、ジェレミーと会う機会は格段に減っていった。ジェレミーは爵位をいつか継ぐための勉強に忙しく、シルビアが会いにいってもなかなか取り合ってくれないことが増えていた。

 避けられていると気づいたのは、二年ほど前か。社交界デビューして間もない頃、たまたま出席した晩餐会で再会し、シルビアは嬉しくなってダンスの相手を希望した。だがジェレミーは冷静にこう返したのだ。


「レディー・ロゼット。お久しぶりのところ申しわけございませんが、わたくしはあなたとダンスを踊れるような身分ではありません」


 他人行儀な言い方に、シルビアは戸惑っていた。


「レム……。あなた、なにをいってるの? わたくしからの命令よ。一曲だけでいいから踊って」


 命令よ。そういえば、優しいジェレミーはいつだって承諾してくれた。苦笑しながら「仰せのままに、かわいいわがまま姫さま」といって。

 だがジェレミーは、上っ面だけの愛想笑いを浮かべるだけだった。


「わたくしとダンスなどしたら、素晴らしいあなたの評判にキズが付きますよ」

「レム」

「それから、むやみやたらに昔の知人でしかない男性を、愛称で呼ばないように。特にこういう場では。誤解を招きますよ」


 そういってジェレミーは、人混みの中に消えていった。それ以来、シルビアは一度も、他人の前では彼を愛称で呼んでいない。

 相手はそのジェレミーの妹と知りつつも、シルビアは愚痴をこぼさずにはいられなかった。


「レムは冷たいわ。小さい頃はあんなに仲よくしてくれたのに」

「あの頃は私たちも幼かったんですもの。身分なんてあってなきが如しでしょう」

「でもアメリアは、今でも私と仲よくしているわ。そうでしょう?」


 アメリアは兄とよく似た、困ったような微笑をうかべた。


「私はシルビアさまと同じ女性ですもの。同性の友だちとしての付き合いに、身分は関係ありませんわ」

「レムだって昔は」

「兄は男ですわ、シルビアさま。シルビアさまがいつかご結婚される時、自分が邪魔になってはいけないと思ってるだけです」


 アメリアはきっぱりというと、シルビアのカップにお茶を注ぎ足した。


「兄だって、シルビアさまのことを嫌ってるわけがありません。むしろ今でも、シルビアさまのことを気に揉んでらっしゃるわ」

「本当に?」

「ええ。シルビアさまとお茶をした日は、必ずどんな様子だったかと、わざわざ聞きに来るんですもの」


 無関心というわけではないということに、シルビアはまずほっとした。


「レムはあいかわらず優しいのね」

「なにひとつとして、かわっていませんわ」


 アメリアはクスクス笑った。


「この間もお父さまと一緒に森に狩りにいったのだけど、兄は一匹も狩れなかったんです」

「ふふ、理由がわかるわ」


 思わずシルビアも笑った。ジェレミーのことだ。人間の勝手な楽しみで殺される動物に、同情していたに違いない。


「おまけにお父さまが捕まえた動物も、かわいそうだから森に返してやれって迫ったそうで。お父さまったら、その日はしょんぼりして帰ってきましたわ」

「ウォルツ男爵もおかわりがないのね」


 しばらくの間は思い出話に花を咲かせた。シルビアはこの時間が好きだった。アメリアとともに昔の話をしていると、そのころに戻れたような気分になれる。無邪気にジェレミーを恋い慕っていた、あの頃の自分に。


 日が暮れかけてきたのに気づくと、シルビアはあわてて今日の予定を思い出した。


「いけない、これからお父さまと夕食を一緒にするんだったわ」

「まあ、ロゼット侯爵がお戻りになったんですのね」

「ええ、そうなの。一ヶ月ぶりだから、久々に家族全員でとおっしゃられてて」


 政に深くかかわる仕事をしている父のロゼット侯爵は、一年の大半を王都にある別邸で過ごしている。こうして帰ってくることは稀だった。


 バタバタと帰り支度をした後、シルビアはアメリアに見送られながら馬車に乗り込んだ。


「ごめんなさいね、アメリア。帰り際に急がせてしまって」

「お気になさらないでください。私たちはまたいつでも会えますわ」


 アメリアはそういって、にっこり笑いながら手を振ってくれた。

 優しい娘だ。兄とそっくりだった。


 その時、屋敷に向かって疾走してくる馬が視界の隅にうつった。驚いてそのまま馬車を止めていると、馬は屋敷の前で止まった。

 そこからさっとおりた人物を見て、シルビアはますます驚いた。今日は領地の視察に行っていて明日まで帰らないと聞いていたのに。


 ジェレミーは羽織っていたマントをさっと背中に払うと、シルビアに向かってひざまずいた。


「これはレディ・ロゼット。お久しぶりでございます」

「え、ああ……。ごきげんよう、ジェレミーさま。お変わりはなくて?」

「おかげさまで」


 ハニーブロンドの髪が風でふわりと揺れた。前に会った時よりも少し伸びただろうか。うしろでひとつに束ねているらしい。中性的な顔立ちとよく似合っていた。


 ジェレミーは深緑の瞳を馬車に向けた。


「申し訳ない。お帰りになられるところでしたね。とんだお邪魔を」

「いえ、かまわないわ。久々に顔を見れて、こちらこそ嬉しかったわ」


 世辞ではなく本心だった。最近ではジェレミーは、社交の場にめったに顔を見せない。

 もともと男爵の子息である彼は、下級貴族と呼ばれあまり立場は強くない。幸い彼らがおさめる領地は自然に富み、わりと裕福な方ではあるが、貴族は階級がものをいう。上級貴族の間では、男爵など平民とほぼ同等と考える者すらいた。


 それにジェレミーは、幼いころから華やかな場所があまり得意ではないことも知っていた。昔はシルビアに引っ張られてともにパーティーに参加したものだが、そのころもかなり嫌々だった。

 おまけに彼は、身分こそ低いが、十分に美男子と呼べる顔立ちをしている。夜会に参加すれば、独身の貴族令嬢がこぞって群がった。シルビアとアメリア以外の女性の相手に慣れていない彼が、その令嬢たちの相手に四苦八苦するのをよく見かけた。そのたびに、シルビアは胸を痛めた。


 アメリアは兄と似た若草色の瞳を大きく見開いた。


「兄さま、お帰りは明日ではなかったの?」

「その予定だったんだけどね。明日、急な仕事ができた。だから馬を飛ばして、一人で帰って来たのさ」


 ジェレミーは昔と変わらぬ、どこか困ったような苦笑を浮かべた。シルビアは彼のこの表情が好きだった。この顔が見たいがために、小さい頃はよくわがままをいったものだ。


「アメリア。僕は自室にいるから、なにかあったら呼んでくれ。レディ・ロゼット、このような挨拶になって申し訳ございません」

「いえ、いいのよ。わたくしもこれから用があるので」


 シルビアも微笑みかえしながら、従者に命じた。


「出してちょうだい」


 ガラガラと音をたて、馬車はゆっくり進みだした。




結構シリアスが多めの小説です。

いつもラブコメっぽいものを書こうとして失敗するので、思い切って切なめに。

あまり長くする予定ではありませんので、どうぞお付き合いくださいませ<(_ _)>



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