至高爬虫類(しこうはちゅうるい)
その久遠が、部屋の片隅で警戒している私を本当に困ったような顔で見つめている。
「カーラ。どうしたんだよ、俺を忘れちゃったのか?」
「来るな!寄るな!あんたが私に何をしたのか、あんたは忘れても私は絶対に忘れない!私は絶対にあんたを許さないんだから!」
ただ事ではない私の剣幕に腰が引けたのか、久遠はそれ以上近付いては来なくなった。
「無理矢理婚約させたこと、そんなに怒ってるのか。」
心底悲しそうに呟いた久遠がワインレッドのソファへ腰を下ろす。
そんな顔をしても騙されない。こいつにとって演技など簡単なのだ。警戒を解かず、ずっと壁の隅に縮こまっていた。
「カーラ様・・・。」
再び兵隊達が寄って来る。また口を塞がれて両手を封じられるのかと身構えた。
「やめろ、近衛兵。無体はするな。俺の婚約者だぞ。」
誰がお前となんか婚約なんぞするもんか。
心の中でそう叫びながらも、兵隊を止めてくれたことに私は少し驚いた。久遠は、取り巻きの少年に私を羽交い絞めにさせて顔を殴った事だってあったのに。
領主の子息に止められて、兵隊さんは身を引いた。出入り口の扉の傍で三人とも静かに控えている。
ひょっとして、顔は同じでも本当は別人、という奴なのだろうか。私とカーラさん、という人と同様に。
大きく溜め息をついた領主の息子はソファにさらに深く腰を沈めた。
「どうやって城を抜け出した?女の子一人で抜け出して町へ下りられる筈などないのに。」
尋ねられた質問に、勿論当人ではない私は答えられないので、別の事を言った。
「私はカーラじゃない。人違いです。今すぐ帰して下さい。」
「なんでだよ?俺の事ちゃんと知ってるんだろ。カーラだ。俺が海の向こうの島国まで行って結婚の約束を取り付けてきたロンドライン伯爵の娘だ。」
ほぇぇ、伯爵の娘!?
絶対に違う。間違いなく違う。有り得ない。まだラーメン屋のお手伝いの方が私らしい。
「あの、とにかく違います。私は堀越要と言って、駅前のラーメン屋さんの見習いで・・・。」
「人違いなら何故俺を見てあんなに怯えたんだ。」
「・・・私も人違いしたからです。貴方が、知り合いに似ていたので。」
やっとまともな会話になりそうになったところで、彼の方を見る。久遠ではないのなら、恐れても仕方が無い。
皮肉な話だ。この不可解な世界に来て初めて知った顔に出会ったというのに、それが、不倶戴天と言ってもいい久遠の顔だったなんて。
「そいつは、お前をそこまで怯えさせるほどのことをしたのか。」
私は躊躇うことなく頷いた。
似てる顔の他人が居るという事実と、その人物がしでかした事にショックを受けたのか、彼は大きく溜め息をついた。
「それにしても、似てるな。近衛が間違えて連れ帰ってきたのもわかる。・・・すまないことをした。カーラは、婚約者はいなくなってもう三日になるのだ。世間知らずの彼女がどこでどうしているのかと思うと心配でならなくてな。」
うん、絶対に久遠じゃない。
こんないい人ではない。相手の話をきちんと聞き、許婚の安否を心配するなんて、凄くご立派じゃないか。
「それに、もしもこんな事が相手側に知れたら大変なことになる。必ず大事にすると言い切って無理矢理婚約させて連れてきたのに、行方不明だなんて・・・。」
これは政治的な判断って奴だろうか。
まあ、怒るだろうなぁ。お嬢さんを下さい、必ず幸せにしますって言って連れ帰ったらすぐに行方不明になったなんて、相手は絶対に許さないだろう。
「ホリコシカナメと言ったな。なんと呼ぶのがいいのだ?」
「あ、レナードさんはカナって呼んでくれています。」
「レナード?」
「店長です。」
「駅前来々軒の?」
後領主様のご令息はラーメン屋さんをご存知なのか。食べに行くのかしら。
「そうです。」
正直に肯定した私は隅っこからやっと出て来る気になれた。お互いが人違いならば、何事も無いままに終わりたいものだ。
彼は顎をしゃくって近衛兵を促した。
「送ってやってくれ。・・・人違いなのにつれてきたりして悪かったな。すまなかった。」
「いえ、わかってもらえればそれで。」
今度は口を押さえられることもなく、両手をつかまれることもなく。
自分から馬車に乗り込んでお店まで送ってもらった。
忙しい時間帯だったラーメン屋の店内に入ると、レナードさんが驚いた顔でこちらを見る。
「カナちゃん!」
「カナ!」
ライデンが走って駆け寄ってきてくれた。思わず抱っこしてしまう。蜥蜴を抱っこ出来るなんて、私も変わったもんだ。
「どこ行ってたの?探したんだよ?お客さんが引けたらまた探しに出るつもりだったんだよ。」
白い割烹着の裾で両手を拭ったレナードさんが血相を変えてこちらへ走り出てきた。店内にいたお客さんも野次馬根性まるだしに、なんだなんだと注目している。さもあらん、こんな目立つ兵隊さんを三人もつれて戻ってきた従業員は珍しいだろう。
「シン・クレッグ様の婚約者と間違いってしまいました。失礼しました。」
近衛兵と呼ばれていた三人のうちの一人が、レナードさんにそう告げると、彼はふん、と鼻を鳴らした。
明らかに彼よりも年長と思われる兵隊さんに躊躇いもなく言い放つ。
「領民を勝手に拉致するのがご領主さまのやりかたですか。」
兵隊さんはカチン、ときたようだったが黙って聞き流す。
「今度こんなことをされたら、俺は実力行使に出ますよ。」
拉致したときとは打って変わって丁寧に私を送ってくれた近衛の兵隊さんを、レナードさんは殺気立ったような目つきで睨みつけた。
「あ、あの、お店混んでますね、私手伝います!」
剣呑な雰囲気になるのが怖かったので、ことさらに明るくそう言ってライデンを胸から下ろす。
「ありがと、カナちゃん。着替えてね。」
レナードさんと近衛の兵隊さんはそれ以上なにも言葉を交わすことなく離れ、兵隊さんは黙って店を出て行った。
厨房に戻ってきた店主に、受けた注文の確認を頼んだ私は、間近まで顔を寄せられていることに気がついて狼狽する。
近い近い近いです、レナードさん。どぎまぎしてしまう。
彼の茶色の髪が、三角巾で押さえられていなければ私の頬に当たるんじゃないか、というくらいに顔を近づけてくるので、思わずあとじさった。
「・・・駄目だ、人間の匂いってのは区別がつかん。余りにも雑多すぎて・・・」
ひょっとして体臭を匂われているのか。
そう気がつくと、更に後ずさってレナードさんから離れた。こんな男前に、臭い、とか思われるのはいやだった。
「仕方ありませんね。それが人間ですからね。」
何故だか神妙な顔をしてやたら匂いの話ばかりをふっかけてきた。実は私は加齢臭がそんなにひどいのだろうかと思うと自己嫌悪に陥ってしまう。
「ああごめんごめん。カナちゃんの匂いを嗅いでいるわけじゃないんだ。カナちゃんがお城に行ってきたから、お城の匂いが少しうつっているんでね。」
ええ、お城の匂いが?
思わず自分の匂いを確かめたくて袖をくんくんするが、ラーメン屋の匂いしかしない。
「ご主人様の鼻は特別なんですよ。カナ、真似しても無駄です。」
特別な鼻?
わんこみたいに嗅覚が発達してるとか、そういうことだろうか。
閉店時間になり、お客が引くとレナードさんが夕食を出してくれた。海苔を巻いたお結びにおかずとしてチャーシューと野菜炒めを付けてくれるまかない。美味しい。労働後の食事だからこそ余計そう思うのだけれど、レナードさんの作る食事は本当に上手いなぁと思う。
隣りでチャーシューを食べているライデンがお皿まで綺麗に舐めた後にぼそりと言った。
「領主の息子にあったのでしょう、カナ。どんな感じでしたか。」
野菜炒めが喉に詰まる。
用意されていた水を飲んでいると、ライデンが小さな羽根で私の背中を軽くトントンしてくれた。優しいし、可愛い。
爬虫類って余り好きじゃなかったのに、緑の蜥蜴の姿をしたドラゴンにすっかりなれてしまった自分がいる。不思議なものだ。
そして、そのライデンに聞かれたことを思い出した。思い出したくも無い顔を思い出し、思い出したくも無い過去を思い出して嫌な顔になってしまう。
「そんなに嫌なことされたのですか?」
「・・・あ、いや、領主の息子さん、なんて人だっけ。」
「シン・クレッグ」
「そう、その人は、兵隊さんに無理矢理連れて来られた私を帰してやれって言ってくれたんで、割といい人なんじゃないかと思うんだけどね。」
「その割には随分嫌そうな顔してますよ、カナ。」
それは否めない事実だ。
だけど、それは彼が悪いのではなく彼と同じ顔をした久遠の奴が最低なだけであって。同じ顔を思い出すと最低なことを思い出すからで。
「ひどい事されたのなら正直に言ってください。きっとご主人様が仕返しして下さいますから。」
「レナードさんが?」
「カナを誘拐したってことだけでもかなり怒ってましたから。」
もくもくと厨房で後片付けをしているレナードさん。
「店を休んでも探しに行くっていきり立ってたのを止めて、どうにか営業させてたんです。お城に連れて行かれたんなら、少なくとも傷つけられることはないでしょうって言って。」
そうなんだ。心配してくれていたんだ。
悪かったなぁって思うけれど、私にもどうしようもなかった。相手は兵隊さんだったから、逃げるにも逃げられなかったし。仮に馬車から飛び出すことが出来たとして、歩いて店まで戻ってこられただろうか。この世界にきてまだ数日しか経っていない私には、とても無理だろう。
「ご心配かけましたって一言言ったほうがいい?」
ライデンの顔を見ても余り表情はわからないけれど、その時は笑っているように思えた。
ドラゴンって爬虫類でいいんでしょうか。