御領主子息許婚(ごりょうしゅしそくいいなずけ)
意外な材料調達の方法。
夜風が頬を叩く。
私のためにスピードを抑えてくれているのだろうか、思ったほどは揺れなかった。ドラゴンの肩に乗った私はしっかりとその羽毛に見えるたてがみにしがみついている。ラーメン屋を出てすぐに、西の方角へ飛んでいるのがわかるのは、猫の爪のような三日月の位置から推測できるから。もっとも、この天体観測がこのファンタジックな世界にも当てはまれば、だが。
悠々と着地した小高い丘の上には灯り一つ無い。真っ暗だったが、星と月明かりで周囲に森があることがわかる。辺りから虫の鳴き声のような音が聞こえてくる。やけに太い泣き声がするのは梟のような鳥でもいるせいだろうか。
「ライデン・・・。」
闇が恐ろしくてドラゴンから降りられない。だが、いつまでも乗っているわけには行かなかった。あの巨大だったドラゴンは、突然その質量を変え、元の小柄な蜥蜴に戻ってしまっていたからだ。
「重いので、降りてください。カナ。」
女の子に向かって、そういう言い方はないだろう、と蜥蜴相手にむくれてしまう。
唐突にそこかしこから聞こえていた物音が聞こえなくなった。
「・・・?」
耳を済ませると、ドラゴンがシッと口にした。
何かが森の中から猛スピードでこちらへ向かっている。見えなくても、森の木々や葉の音が擦れる音で、それが判った気がした。
「ご主人様っ!!」
ライデンが短く叫ぶと、こちらに向かってきた何かが目の前に止まったのがわかる。
「なんだぁ、ライデン、付いてきちゃったのかよ。」
「レナードさん?」
「ありゃ、カナちゃんもか。お留守番してろって言ったのに・・・。」
こんなところに市場があるのだろうか。
どうみても人気も無い、建物らしいものも無い森の中に、仕入れの出来る業者があるようにはとても見えない。
暗いのでレナードのさんの姿は影にしか思えなかった。刀剣を手にしているのがおぼろげにわかるくらいだ。
「まあ、いいや。今日の分はもう獲れたし。カナちゃんも来てくれたんなら、ちょっと休憩すっか。」
勝手に付いて来てしまった事を少しも咎めず、レナードさんは刀を鞘に納めた。
私とドラゴンに後からついてくるように促し、暗い森の中を歩き出す。先を歩くレナードさんが時折腰を屈めたり、逆に天を仰いだりした。道なき道だが、歩きやすいように足元や周囲に気を配ってくれているのだろう。私は一度も転ぶことも無かった。
大きな木の根元に辿り着く。なんという木なのかは私にはわからないが、少し空気が生臭いような気がした。
「ライデン。」
レナードさんが言うと、
「かしこまりました。」
緑の蜥蜴小さく火をおこす。地面に小さな焚き火が出来た。
「あっ・・・!」
私は驚いて思わず声を上げてしまった。
木の根元には二頭の猪が横倒しになっていた。焚き火の近くには稲の束のようなものが二山、たくさんの豆が生った枝振りのいい束も二山。生臭く感じたのは猪の死体のせいか。泥臭い匂いが残っているのは植物の束には根っこがついていて、そこに付いている土がまだ湿っているせいだろう。
「獲りたてですね。」
「生きがいいだろ。」
一人と一匹主従の会話を聞いて、自分が大きな誤解をしていたことを悟った。
レナードさんの言う材料調達とは、仕入先で材料を買うのではなく。
まんま、現地調達。
想像するに、猪はチャーシューの材料、稲束のようなものはひょっとして麺にする粉、豆はまさかの味噌の材料ってことだろうか。
つまり、レナードさんはたった今夜の森の中で猪を狩り、どこかの畑、もしくは自然に繁殖していた小麦や豆を根こぎ刈り取ってきた。
・・・そりゃ、剣だの弓矢だの必要だよね。あとは鎌とかも持ってるのかも。
「明日は仕込みを手伝ってもらうからなー、カナちゃん。本当は早く寝といた方があんたのためだったのに。」
「えっ、それはどういう意味ですか」
「寝不足で肉体労働はきつかろうと。」
人の良さそうな笑顔が、焚き火の火に浮かび上がる。ニコニコ笑って、厳しいことを言ってくれる。
どんなことをさせられるのか不安になり、言葉を失ってしまった。
ふっとその時、愛想の良かったレナードさんの表情が厳しくなる。緑の蜥蜴に手を振り、何かを指図したように見えた。ライデンが私の傍へ寄って来る。
森の中を、何かが移動する音が遠くから聞こえ、何かが背後に回りこんだ気がした。反射的に振り返る。
「ギィィーッ!」
普通に日本語を喋っていたライデンが、牙を剥きだして奇声を上げた。想像するに、威嚇しているのだろう。機敏な動きをする白い何かが近寄っては下がり、また近寄ってはライデンに威嚇されて下がった。
焚き火の方で金属同士がぶつかる嫌な音が響く。
「獲物を横取りとはハンターの風上にも置けない奴だな。」
「別に珍しいことでもないだろ。・・・誰のものでもないんだから。」
聞き覚えのある声。レナードさんが対峙している相手は、常連客の、ダイカンだった。あの大きい体と刀に見覚えがある。
ということは、緑の蜥蜴に威嚇されて下がる白いものはラビさん、ということだろうか。
「ダイカン、ライデンちゃんが邪魔するのぉ~。」
闇の中でその白い体毛が目立つバニーガールが、身悶えするように訴えた。
「狩りにドラゴン同伴とは、レナードも臆病になったもんだな。」
顔の傷をわずかに歪めて皮肉っぽく笑うダイカン。それに対して、レナードさんも笑って答える。
「そら、お前。一人にしておくわけ無いだろうが。そこまで俺だって無用心じゃないわい。」
「大事にするよな、そりゃ。・・・なあ、いくら取るつもりなんだよ?俺にも一枚かませてくれよ。」
またも、剣と剣のぶつかる音。耳を塞ぎたくなるほど甲高い。
「・・・馬鹿言うんじゃねぇよ。」
最後にそう言ったレナードさんの声は、本気の怒りに満ちているような響きだった。
二人の話している言葉はよく聞こえるのだが、何を言っているのかさっぱりわからない。意味がさっぱり飲み込めなかった。
・・・レナードさんが獲った獲物をダイカンさんが横取りに来たってこと?
「ラビさん、ダイカンさんもラーメン屋さんなんですか?だから同じ材料が必要なの?」
威嚇されて下がったラビに尋ねると、ラビはきゃははは、と笑い出した。
「やだ、この子ってばおかし~い。ダイカンがラーメン屋って何言い出しちゃってるの。」
対峙していたダイカンとレナードさんが一瞬こちらへ視線を送る。
「・・・どういうワケだ、レナード。」
「お前の狙いが、ラーメンの材料だと勘違いしてるみたいだよ、彼女。」
剣士の格好をした二人が、数秒間、沈黙する。
やがて、ダイカンは剣をゆっくりと収めた。すると、ラビがひょんひょんとダイカンの傍へ跳んで行く。
「もう一回聞くが、・・・どういうワケだ?」
ダイカンはその太い指をまっすぐに私の顔に向けて、視線はレナードさんに向けて言い放った。
「あの子は御領主のご子息、シン・クレッグ様の許婚だろうが。城中の兵が探し回ってるぞ。」
びっくりして口も聞けなくなる。
シン・クレッグ?・・・知らない名前だけれど、なんだか聞き覚えがあるような、ないような。それがあの地図で見せてもらって、窓からお城が見えていた、あの御領主さまの息子の名前?
ていうか、その許婚が、・・・私???
レナードさんが、ダイカンの太い指を握って引っ込めた。
「うちの従業員を指差すな。失礼な奴だな。」
居丈高にそう言って、ふんっと鼻を鳴らした。
本人も知らなかった意外な事実。
なんでそんなことを常連客が知っているのだろう。
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