平行世界往復(へいこうせかいおうふく)
本日二回目の更新です。先に前話をご覧になって頂くことを推奨します。
来々軒に戻った一頭と一人は翌日の開店準備を始めた。
ほとんど無言のまま作業を進めるのは、まるで何かを忘れてしまいたいからだと言っているようでもある。
昨日も今日も明日も変わらず、この作業をするのだと。自分達の日常は何があっても変わらないのだと、そう思い込んでいるように。
スープの仕込みをしている店長の後姿が裏口から見えてなんだか涙が出そうになった。いつもの手順を変わらずこなしているレナードの背中は、逞しい。確かにあれは料理人の背中ではないだろう、剣士の身体つきなのかもしれない。友人の一人にダイカンのような戦士がいるのも頷ける。
「カナちゃん、お帰り!」
「ただ今、レナードさん。」
「シャーロット様が送ってくれたの?」
「はい。お弟子さんと一緒にすぐそこまで来てくれました。」
白い割烹着の裾で両手を拭うと、来々軒店長がこっちへ駆けて来る。私の前まで来ると嬉しそうに笑った。差し出してくれた両手を、おずおずと握り返す。ああ、つくづく男前だなあと思う。
「さあ入って入って。ライデンも中で君を待ってたんだ。お腹空いてない?大丈夫?」
「お弟子さんのご飯を頂いてきたので。」
店に入ると、小さな前足でテーブルを拭いている緑の蜥蜴がこちらを振り返った。ぽてぽてと寄ってきて、私の足元にすり寄る。そっと抱き上げて頬ずりした。
「お兄ちゃん・・・。」
「カナメ、騙すようなことしてごめんな。本当に、ごめんな。」
思わず笑いが洩れてしまった。
本名で呼ばれたのは、一体いつぶりだろう。すっかり自分の名前は『カナ』だと思い込んで仕舞っていた気がする。
「お兄ちゃんは私の事なんかとっくに忘れてしまってるのかと思ってたよ。だから、ちゃんと私の事を考えてくれてたんだって知って、嬉しい。お母さんもお父さんもまともに聞いてくれなかったのに、お兄ちゃんは私が辛かった事理解してくれてたんだね。それだけでも、嬉しいんだ。だって、誰も、誰も私の気持ちをわかってくれないって思ってたから。」
「あの頃は自分の事だけで精一杯で、カナメのことまで思いやってやれなかった。竜の姿になってこの世界に来たとき突然お前の事、思い出して、お前の心が悲鳴を上げているんだって知ったんだ。小さい時からあんなに仲が良かったのに、俺は薄情だったって思って、せめてこれからは何かしてやらなくちゃって思ったんだ。」
来希お兄ちゃんは、大学の研究室のレベルに付いて行けず、高校から続けていたバスケ部でも落ちこぼれて、落ち込んでいたのだと言う。高校まではずっと優秀で成績も部活動も一番だったから、憧れて入った都内の大学の研究室に、自分をはるかに超える天才がたくさんいたことに衝撃を受けたんだそうだ。そして、プロ入りする先輩がぞろぞろいるような大学のバスケ部でも自分の平凡さがわかってしまった。高校の頃は関東大会などへ出場したこともあったから、己惚れていたんだろう。自宅から通っていたのでは間に合わない、大学の近くに住んで、昼も夜も研究とバスケと両方に打ち込んでいた。優雅な大学生活とはかけ離れた毎日に余程疲れていたのか、ある日夕焼けの空に浮かぶ黒い飛龍の姿を見かけたのだと言う。
「ああゆうの、逢魔が時とでも言うんだろうな。魔がさす、とかさ。」
その飛龍を見て以来、時折自分が竜になって異世界の森にいる夢を見るようになった。そのうちにそれが夢ではないと知り、いつしか兄は眠っている間はこちらの世界に、意識のある時は現実の世界にいるようになったのだと言う。
「じゃあ、お兄ちゃんは私が学校で落ちたことを知って・・・?」
「焦って病院に行ったら、お前は意識不明だった。俺も意識が無い時にこちらへ来るようになったから、ひょっとしたらお前も意識が無い時にこちらへ来られるんじゃないかって思った。体に意識が戻っていないとき、心が異動しやすいんだって知ってたから、俺もその場で昏倒して、こっちへ来たんだ。・・・思った通り、お前は来々軒の前で倒れていた。」
「その場で、昏倒って・・・!?」
「こんな生活続けてるから、俺、ちょっと気を抜くとすぐに眠っちゃうようになってしまって・・・。こっちでドラゴンの姿でいる方が意識がしっかりしているくらいさ。多分、俺もそのうち向こうでは目覚めなくなるんだろうな。堀越来希じゃなくて、ドラゴンのライデンとしての自分の方がはっきりしてきたから。」
私は、小さな緑色のサラマンダーの顔を凝視した。
「え、・・・じゃ、私も、お兄ちゃんももう戻れなくなるってことなの・・・!?」
城で変化して以来ずっと赤いままの瞳でこちらを見上げるドラゴンが頷く。
「俺が向こうに戻れるのは、なんだかんだ言っても『戻らなくちゃヤバイ』って意識があるからだと思う。それでも、少しずつ向こうでの意識保つのが厳しくなってきてるしさ。お前は一度も戻ってないだろ?戻りたいと思ってない証拠じゃないか。」
「そ、それは・・・、どうすれば戻れるのか方法がわからなかっただけで。」
「気持ちは理屈じゃないんだ。お前が親や友達に会いたいって思う気持ちが強まれば戻れると思う。手段なんて俺にだっていまだにわからない。」
「ねえお兄ちゃん、お兄ちゃんはどうして人の未来がわかるの?」
「・・・いや、わかんないけど。今までは偶然予想が当たってたってだけだ。レナードは軍人になんか絶対ならないって思ったし。」
「じゃあ、どうしてカーラ姫の事知ってたの?私とそっくりだって。」
「それも偶然だ。ロンドライン伯爵の令嬢をたまたま見かけてそっくりだったって知っただけだ。ただ、俺が見たカーラ姫はとても子供っぽくて、シンに求婚されてえらく戸惑ってた。コアンの事も恋仲っていうより幼馴染って感じでさ。まあ、元々婚約することは決まってたことだから。お前が来々軒の前で行き倒れた日、姫は突然姿を消したんだ。顔や名前が似ているから、きっと彼女の方が向こうに引き込まれたのかもしれない。向こうの世界では姫は寝てるだけだろ?こっちに戻りたいと思ってもどうにもならないんだろうと思う。」
なんとなくわかって気がした。
兄の来希は、夕暮れの空で見た黒い飛龍の力を得てこちらとあちらを行き来するようになったのだろう。どうして得たのかはわからない。案外この世界とあちらの世界は近い所にあるのかもしれない。まるで鏡の裏表のように隣り合っているのかもしれない。それぞれの世界の力が作用するのは余りにも容易い気がした。私とカーラ姫のように、もしかしたらシン・クレッグと久遠のように、対になる存在がいて入れ替わるということがある平行世界のようなものなのだろう。
ということは兄の来希の対のものはきっとその黒い飛龍だったのだ。さすがは来希お兄ちゃん、平行世界での自分が魔法を持つ竜だなんてただものじゃない。
「もしかしたら、あちらとこちらの世界には、対の存在とどちらにもしているのかな。」
「そうかもな。お前とカーラ姫みたいにな。」
「それなら俺もライデンやカナちゃんの世界にいるのかな。俺の対になる相手が、そこに。」
ずっと口を挟まず黙って聞いていた店長が、初めて声を発した。
茶色のお下げが揺れて、傍らに立ったレナードが私からライデンを受け取るように抱きしめる。ライデンはそのままレナードの腕に移った。
「俺と似ていて俺と同じ名前の誰かがいるのかな。俺はそいつと入れ替われないんだろうか。俺、カナちゃんと一緒に居られるなら、よその世界へ行ってもいいよ。」
「レナードさん・・・。」
左手ででライデンを抱いたまま、右手で私の肩を引き寄せる。そうして一頭と二人で肩を寄せ合って誰からともなく嗚咽し始めた。多分、最初は自分だったと思う。私がひくっと息を詰まらせたから、まるでそれに呼応するようにライデンとレナードさんまでが泣き始めてしまったのだと思うのだ。
だって私たちはもう家族だった。
一緒に働いて一緒にご飯と食べて一緒に生活をする。辛い事や困ったことが有ったら全員で解決しようと臨む。
信頼して愛情を持っていつもお互いを大切にしていたレナードさんとライデンに救われた私は、彼らの家族として迎えて貰えてこれ以上なく幸せだった。
こんなイケメンのラーメン男子に好きだって言ってもらえて、本当に嬉しかった。優しくしてもらえて、嬉しかった。
「やっぱり、戻っちゃうんだね・・・。」
わかっていたとでも言うような表情で、レナードさんは涙を拭きながら私にそう言って軽くキスしてくれた。




