虚偽虚構真実(きょぎきょこうしんじつ)
夜食を作ってテーブルに並べると、彼女は再び怪我人の手当てをするために宿屋を出て行った。
「クレハさんは一緒に食べないんですか?」
「いいんです、あれも修行のうちですから。」
野菜をいためた皿、肉と卵を煮込んだ皿、白い布を被った焼き立てのパンが置かれた皿が並んだテーブルは、見た目は地味でもいかにも美味しそうな香りが漂っていた。レナードのまかないを食べ続けているためすっかり舌が肥えてしまった私も、彼女が料理上手であることは理解できる。
どうぞ、と小さく言うと剣聖様はおもむろに手を皿に伸ばした。
食欲があるか、と言われればそれ程あるわけではないが、いかにも美味しそうな芳香を放つ料理が腹の虫を刺激する。
「あの時シャーロット様は何もおっしゃいませんでしたね。」
「先ほどの地下牢での話し合いの時、ですか。」
「それは、これからどうなるかってわかっていらっしゃるからですか?」
未来が見えると言う能力を持つのならば、きっと知っているのだろう。
姫が戻ってくるのか、それとも私がこの世界に残るのか。その後はどうなってしまうのか、全て将来がわかっているのならば、何も言う必要などない。
「他所の世界に干渉する程の力などありませんと申し上げました。貴方がどうするかは貴方が決めることです。私に貴方の未来は予測できませんよ。」
どうなるのかがわかっているのならばそれを教えてもらうかと、ちらっと思ってしまっていた。
どうしていいかわからない自分が、はがゆい余りに。
「え・・・」
明らかに落胆した声を出した私は、思わず両手で口を押さえる。
「平たく言ってしまえば、私には関係ありません。姫が戻ろうと貴方がいなくなろうと知った事じゃないんです。冷たいようですが、それが私に言える事ですね。ライデンという竜が歪めた運命のせいで私に関わる点は、レナードと今の弟子のクレのことくらいですが、もうレナードは知っての通り独り立ちしていますのでね。」
「じゃ、クレハさんが?」
「ロンドライン伯爵の令嬢は事によるとクレに関わることがあるのです。ここだけの話ですが、クレは王女なので貴族の令嬢と関わりをもつことが有るかもしれません。ですが、それがどう彼女に関わろうと、私は彼女をどこへも逃がしたりしませんから。」
「お、王女!?」
「紅羽・ニールと言って、メステリュアレの王の一人娘です。諸事情があって私の元で修行しているのです。」
「い、いいんですか、そんなお姫様にこんなことさせて・・・。」
「王女であろうと弟子は弟子ですから。そのように扱えと、彼女の父王からも言われておりますので。」
「そ、そうなんですか。変わった王家なんですね。」
「ええ。王室とは言っても、彼女の父親が初代の成り上がりですからね。色々と融通が利くのですよ。この国が統一されてからまだそれほど時間が経っていないのです。クレも世が世なら、別に姫でも王女でもなんでもなかったわけですね。」
「なるほど・・・。そう考えればそうですね。」
「あそこにいた人間の中では私は唯一の中立と言った所です。ですから夕食にお誘いしました。姫を戻したいとも、貴方にここに居て欲しいとも思っておりませんのでね。あんなに思いつめたレナードやラエル様の前では貴方は思った事など言えないでしょう。だから少し頭を冷やしたらいいですよ。どんな結論を出してもいいんです。貴方が後悔しないように、貴方が決めなさい。」
私の動向に無関心だと言っているのだから、随分冷たい人だなと思えるはずなのに。
今は何故かそれがほっとする。
私がどうするかによって大して影響がないと言われるのは寂しいと思う反面、責任を感じさせないでいてくれる事には感謝したいと思った。
冷たいようなことを口にしていながら、私の事を考えてくれているのだとはっきりと伝わる。
この人が一番最初に私に警告を促したのだ。今の状態は普通ではないと教えてくれたのは、この人だった。人間離れした神通力を持つ剣聖だからわかることを、彼なりに私に教えてくれていたのだろう。いきなりその竜は偽物だ、などと言うよりははるかに耳を傾けやすい。
そう考えると、妙に頭が冷静になり昂った感情が静められる。
「ライデンが現れた時点で、疑っていらっしゃったのですか?」
「いいえ、おかしいと思ったのは貴方にお会いしてからですよ。貴方にお会いして初めて、過去の自分の行動に疑問を持ったのです。この国に竜などいない、緑のサラマンダーなど存在しない、武門の出で剣の腕にも秀でているレナードを簡単に手放すなどおかしい、と。多分、レナードも貴方の異質さには気が付いていたのだと思います。それを補って余りあるほど、貴方を求めているのでしょうね。・・・彼は、本当に寂しがり屋でしたから。」
シャーロット様の元で修行していたレナードの幼い時代を思い出しているのだろう、灰色の瞳はここではないどこかを見つめる目になる。
「だから、いるはずの無い竜にも心を寄せてしまったんでしょうか。」
「寂しさだけではないと思います。ライデンがレナードに尽くす気持ちは本物だったと思いますよ。貴方だってレナードの事好きでしょう?彼はとても心根の優しい少年です。」
でもそれと同じくらいカーラ姫をシンやコアン様は求めているはずだ。
レナードが私を離れたくないと思う気持ちやライデンが私を幸福にしたい気持ちと同様に、彼らだってカーラ姫を求めている。
顔しか知らないお姫様はどんな人なのか想像もつかない。一度くらいは話してみてかった気もするけれど。きっと、素敵なお姫様なのだろう。あれほどに惜しまれいるのだから。シン・クレッグに悪いが、水龍の騎士様とのロマンスを是非にも詳しく訊いてみたいくらいだった。
私が帰らずに姫がこの世界へ戻ってくる方法があればいいのに。そんな都合のいい話があるわけないけれど。
「私はどうしたらいいんでしょうか・・・。」
つい、口をついて出てしまった問いに、白い髪の男は、弟子の作った料理に舌鼓を打ちながら応じた。
「答えは自ずと出ているんじゃないでしょうか、心に嘘は付けませんから。」




