水龍飛来(すいりゅうひらい)
「レナードさん。」
「レンって呼んでくれない、カナ。俺の愛称はレンなんだ。」
小さく声に出してそのニックネームを口にする。
なんだかまるで日本人の名前みたいに思えた。
愛称で呼び合うなんて、いかにも恋人同士みたいだ。凄く照れて恥ずかしくて、それでいてとても嬉しくて。
「で、でも、誰もそう呼んでませんよね?ダイカンさんとか、剣聖様とか。」
「そう呼んでくれたのは家族だけだったから。」
胸が急激に傷んだ。音が聞こえそうなくらいの痛みだった。
家族だけがその愛称を呼んでいた。家族だけだった、ということはもうその家族は誰もいないということだ。レナードさんには家族はいない。とても孤独だったと言うのは本当だった。そして、彼の新しい家族になって欲しいと私に頼んで愛称を呼ぶように言うのは。
きっと本当にレナードさんは、私に家族になって欲しいと思っているのかもしれない。
「レン・・・?」
小さい声でもう一度呼ぶと、晴れやかに笑った。心から喜んでいるような笑顔を見せてくれる。そんな笑顔を見ると、また胸が締め付けられる。
「レンのご家族は、どうしてしまったんですか?」
「親父と祖父は戦争で死んだ。母親は病死。弟がいたけど、落馬事故で亡くなったんだ。」
階段の、私の隣りの段に腰を下ろした彼は、いつもより低い声でそう言った。
「ガチガチの軍人でさ、ほんっとにうちにいなかったよ。だから、俺が士官学校から戻ったら『名誉の戦死でした』の一報だけ。遺体も戦場で焼いたから、戻って来たのは使ってた武器くらいでさ。俺の親父も祖父も、本当に俺の家にいたんだろうかっていうくらい、俺の中じゃ影が薄かった。ご立派な勲章とか残ってるけど、それがなんなんだか俺には理解できない。三つ年下の弟も士官学校の少年部に行ってて、馬術の訓練中に落ちて当たり所が悪くって死んだ。それから一年もたたないうちに、たった一人実家にいた母親が病気で倒れてすぐ息を引き取った。我が家は落ちぶれたんだ。だって、誰も大人がいないんだから。保護者がいないから学校も止めなくちゃいけなかった。どうやって生きて行ったらいいかわからなくて途方にくれてたら、首都の王家にお仕えするっていう爺さんがシャーロット様の元へ行くよう勧めてくれた。剣の修行をタダでやらせてくれるって。確かにタダだったけど、随分働かされた。剣聖様は弟子にあらゆる仕事をさせる人だから、炊事洗濯掃除採集畑仕事狩りのやり方全部教えてくれた。きつかったけど、俺の人生の中であれほど充実してた時間はなかったかもしれない。毎日覚えることがあってさ・・・それまで俺一応貴族のお坊ちゃんだったから、皿一枚うまく洗う事も出来なくて、シャーロット様に呆れられたな。」
初めて聞くレナードさんの過去の話に夢中で聞き耳を立てた。
「剣の修行は面白かった。シャーロット様は本当にいい先生で、日に日に強くなれた気がして。・・・でも、それで強くなったとして、結局俺も軍人になる他ないわけじゃん。親父と同じ道を歩くしかない。俺は、それが嫌で、修行も止めた。どうせなら違う事のために自分を磨きたかった。料理人がいいなって思ったんだ。大切な人のために旨いもの食わせてやれたらなって思ってさ。そしたら結構ハマってすっげ夢中になってた。おかげで自分の店も持てるようになったし。」
「レンは器用なんですね。なんでも出来て・・・。」
そう呟いてから、その言葉の軽さに自分ながら呆れた。
器用とかそんな問題ではない。レナードさんはそれだけ必死だったのだ。技術をものにしなければならないという強い執念があるからこそ辛い修行も耐えられたのだ。
「ごめんなさい。」
「?どうして謝るの?」
横から手を伸ばして私の肩を抱いてくれる。
覗き込むように私の顔を見下ろす表情はとても優しい。長い茶色の髪も、私と同じこげ茶色の眼も優しかった。
「俺の家族になってよ。俺、カナのために頑張るから。」
「レン・・・。」
「もう、一人は嫌だよ。カナだってそうだろ?ずっと孤独だったんだろ?」
その言葉はずるいと言いたくなるくらいに私の胸を刺す。
ずっと孤独だった。ずっと一人だった。誰も自分を相手にしてくれなかった。だから、それなら自分も誰も相手にしない、と強がっていた。
レナードさんも立場は違えど同じように一人だったのだとすれば、私と彼は似た者同士なのだろうか。
再び力を込めて私の肩を引き寄せたレナードさんに、私も体をもたせ掛ける。
「ライデンが教えてくれた。きっとカナと俺は出会えるって。それまでの辛抱だから頑張ってくれって。シャーロット様の御山に現れた緑のドラゴンはそうやってずっと俺を導いてくれたんだ。俺の将来、俺の夢、俺の望み・・・、本当に望んでいるものは何なのか。ライデンが俺に気づかせてくれた。だからこうしてカナに会えた。」
「ライデンが」
「だから心配いらない。ライデンはどこへも行かないし必ず戻ってくるから。」
レナードさんの腕に抱かれながら、私は頭の中で緑のドラゴンは一体何者何かを考えていた。
ライデンがお城の方向の夜空に消えたその翌日、東の空に七つの影が飛来した。
その大きな影はクレッグ様のお城へ着陸し、ロンドライン伯爵の使いだと声高に名乗ったのである。
私も、その美しい七頭の竜の姿を遠目から見ることが出来た。水晶色をした、光り輝くような鱗を持つドラゴンで、水晶の透明感を持ちながら光を反射して透けないと言う不思議な色。緑のサラマンダーしか知らなかった私には、まるで宝石が飛んでいるようにさえ思えた。
「レナードさん、あの、綺麗な竜は!」
店の玄関で立ち尽くし他のお客さんと共に野次馬となって空を見上げていた私は、店主であるレナードを呼んだ。
「水龍だ。東方のドラゴンが飛んできた。・・・ロンドライン伯爵が、娘の失踪に気が付いたのかもしれない。」
眉根を寄せて唸るようにそう呟いた店長は、先ほどまで包丁を握っていたその手を強く握りしめていた。まるで恐れていたことが本当になったとでも言うように。
もしもレナードの言う通り、ロンドライン伯爵がカーラ姫の失踪に気づいて探りを賭けに来たのだとすれば、またもや私はお城に呼ばれることになるかもしれない。姫の代理を務めて欲しいと、再び城から通達があるだろう。
出来るのだろうか、私に、伯爵の娘の身代わりが。パーティでさえも倒れてしまっていたこの私が、彼女のお国の人と会ってばれないように代わりを務められるだろうか。
見慣れない空の客にタイロンの街は大騒ぎになった。
あの巨大な水晶色の竜は、ライデン同様にコンパクトサイズに変化して城内でも目立たぬようになっているそうだ。大きな蜥蜴の姿となった彼らを従えて場内を歩くロンドライン伯爵の使節団を見た。何故なら、例によって私は再びお城でカーラ姫の代理役をさせられることになっていたからである。
今回は店長が付き添ってくれていた。いつぞやみたいにまた倒れでもしたら大変なので、絶対に譲らずくっついてきてくれたのだ。なんと言ってごまかすのやら。ライデンが未だに戻ってきてくれないのが、なんだか心細かった。
「とりあえず姫との面会は明日にすると言って言い逃れた。頼むから、使節団が滞在する間だけでもカーラ姫の代理を・・・!」
ご領主様のラエルさんに何度も頭を下げられて、とうとう押し切られてしまった。あのおじさんはああ見えて中々のやり手だなぁと思わざるを得ない。




