優柔不断経験不足(ゆうじゅうふだんけいけんぶそく)
どういう意味なのだろう、という疑問は勿論あった。
それ以上に、何故そんなことをライデンが知っているのかという疑問がたたみかける。レナードさんのペットのドラゴンは、大陸中に鳴り響く高名な剣聖様の事情に何故それほど詳しいのだろう。
ご立派な剣聖様が嘘をつく、と言った竜の言葉が心にひっかかる。
明日の準備のためにも早く寝なくてはいけないのに、私はどうしても考えるのを止められない。店の仕込みを手伝わなくちゃいけないのに。
緑のサラマンダーのライデンは普通の竜ではないのだろう、ということだけは確信した。
どうしても眠れなくて布団から抜け出した。小さな出窓へ体を伸ばして、夜の風景に目をやる。
遠くに見えるご領主様のお城に影が見えた。月明りの影がお城に影を落とす風景に、どこか違和感を感じて目を凝らす。あんな高い建物に影を落とすなんて、よほど大きな飛行物体が近くを飛んでいるとしか思えない。
「・・・ライデンだっ!!」
黒光りするような緑色の鱗。コウモリの皮膜に似た大きな羽がゆっくりと上下しているのがわかる。
どこへ行くのだろう。私は寝間着のまま屋根裏部屋を飛び出した。ドタバタと大きな音を立てて階段を駆け下りると、何事かと自分の寝室から出てきたレナードさんと出くわす。
「どうしたんだい、カナちゃん。何かあったの?」
お下げをしていないレナードさんが驚いたように尋ねる。一階へ降りる途中の廊下で引き留められた。寝ていたのかもしれない、起こしてしまったのは悪かった。
髪を下ろしているとなんだか大人っぽいなぁと思ってから、すぐに我に返る。
「今、ライデンが飛んでるのが窓から見えたんです。」
「おお?そうなの?」
慌てている私にびっくりしている店長。
「どこへ行くんでしょう、お城の方へ、ううん、お城の向こうへ飛んで行ったように見えたんです。」
「・・・まあ、ライデンは飛べるから、その気になれば随分遠くまで行けるんだけどね?」
「レナードさんは気にならないんですか?ライデンがどっか行っちゃったらどうするんです!?」
「ちゃんと帰ってくるから大丈夫だよ。」
「だって、だって・・・!」
窓から見えたあの大きな影は、次第に夜の空へ溶けるように消えて行ってしまった。見間違いでなければ、あれはライデンだ。もっとも他のドラゴンが飛んでいるのを見たことが無いから断言は出来ない。でも、私は目がいいのだ。
「カナちゃん。落ち着いて、ライデンは必ず戻ってくるから心配いらない。」
そう言い切れると言う事は今までにもあのドラゴンは夜空へ消えて行った事があると言う事か。
「レナードさん。ライデンは本当にドラゴンなんですか?普通のドラゴンじゃないんですよね?あの白い髪の人が言ったように。」
「黙って、カナちゃん。」
ぎゅっと両手で肩を捕まえられ、突然口づけられた。
あんまり突然だったので私は目を大きく開いて硬直する。
どうしていいかわからずじっとしている私は、そのままの姿勢でレナードさんが離してくれるのを待った。歯を食いしばって微動だにしない私をどう思ったのか、レナードさんはそのまま体を密着させて来る。温かい体温が接して初めて、レナードさんの体の大きさを意識してしまった。
「ライデンは必ずいいようにしてくれる。だから大丈夫、信じて。」
「・・・?それってどういう事ですか。」
「まだ訊くの?困ったな。明日の仕込みのために早く寝ようと思ったのに。」
自分の脹脛が何かに当たって思わずよろけた。そのまま後ろへ尻もちをつく。階段に腰を下ろしてしまった。立ち上がろうとして、出来ない。
座り込んでしまった私にかぶさるみたいに体を屈めたレナードさんが邪魔をしているからだ。こういうのは壁ドン、ではなく、階段ドンとでも言うのだろうか。
「ねぇ、カナちゃんは俺とずっと一緒に居てくれるんでしょう?ライデンは必ずそれが出来るようにしてくれるからここでじっとして待ってればいいんだ。」
「レナードさ・・・。」
どういう事だろう。ライデンはレナードさんと私がずっと一緒に居られるようにしてくれる。どうやって?
おかしい。一緒に居るかどうかは私自身とレナードさん自身が決めることであって、ライデンがどうこうするのではないはずだ。ご領主様に迷惑をかけたことも、ライデンがとりなしてくれたわけではない。レナードさんがご領主様と元々仲良しだったからである。
「いいでしょ?今夜・・・。」
彼らしくもない、どこかくぐもった低い声が耳元で聞こえた。肌が波立つ。
「いいって、何がですか。」
「俺のものになって?」
何を言われているのか最初はわからなかった。
けれど、その悩ましいような声音と、いつもより密着しすぎている姿勢のおかげでレナードさんの言わんとすることが理解できる。
理解した瞬間に、顔から火が出るように熱くなったのがわかった。
柔らかな茶色の長髪が肌をかすめて心臓が早鐘を打つ。
「いやかい?やっぱ、俺じゃダメ?」
「いやではないです。でも、まだそれはちょっと早いんじゃないかなって。私まだ中三だし。」
それだけ答えるだけでもいっぱいいっぱいだ。
こんな状況想定してなかった。いや、まったく想定していなかったわけじゃないけれど、むしろ妄想とかはしていたけれど。それは、今ではなかった。
「ちゅうさん?」
「だから、その、まだ、心の準備とか体の準備とか。」
「ずっと俺と一緒にいて。」
片膝を階段についてまた顔を近づけるレナードさんは、今度は額や頬にキスしてくれた。まるで宥めるように。
出会ってからこんな短い時間で、そこまで思いつめるなんて不思議で仕方がない。
男前で優しくて料理もうまいレナードさん。嫌われていた私の過去を知っても少しも怯まずそれでも好きだと言ってくれた彼の求めに応じたいと思わないわけじゃなかったけれど。
自分に自信が無さ過ぎて。
くびれてない自分の体の事とか、無駄毛の処理とかしてないこととか。経験が全くないから落胆させてしまうんじゃないかとか色々考えてしまって、とてもじゃないけど無理だった。
「レナードさんのこと好きです。だけど、まだわからないことがたくさんあるのに、流されちゃっていいのかなって不安で。」
「不安?どうして?俺ちゃんと君を大事にするし、生活力もあるよ。」
なんだかもう結婚するのかしらっていうセリフをさらっと吐いてくれる。特に生活力のところが。
「でも、ライデンは普通のペットじゃないし。私は領主様に迷惑かけたし。あの白い剣聖様には戻れって言われたし。」
「・・・その不安、俺を好きかどうかとは直接関係ないことばかりなんだけど。」
だから、レナードさんのことは好きだよって認めたのに。




