弟子見習世間話(でしみならいせけんばなし)
私がお城でぶっ倒れてから三日後の夜遅く、シャーロットさんがお店に来てくれた。
あの時の黒い制服姿だったので、警備のお仕事を今も続けているのだろうか、とふと思う。
「あ、いらっしゃいませ。お二人様ですね?」
宴会会場で紹介してもらった、お弟子さんも一緒だった。彼も、青の制服のままである。
「こんばんは。レナードはいますか?」
「はい。呼んできますね。どうぞ、テーブル席へお座りください。」
お冷を出して厨房へ戻ると、忙しく立ち働いていたレナードさんが振り返った。
「レナードさん、シャーロットさんがお見えです。」
「はいはい。今行くよ。」
割烹着の裾で軽く手を拭うと、彼は三角巾を無造作にはずした。
もうすぐ閉店時間、という頃なので他のお客さんも二組しかいない。そして、どちらも注文を届け終わっていたので、彼は厨房で食器を洗っていたのだ。
額にわずかに汗が滲んで髪の毛が張り付いている。それをレナードさんは軽く袖で拭った。
「残りの洗い物やっときましょうか?」
「うん、悪いね。頼めるかい?」
そう言うと、彼はゆっくりと剣聖の席の方へ歩いて行った。それを見送った後に、いつの間にか足元に来ていた緑の蜥蜴が、
「手伝います、カナ。」
いつものように話しかけて来る。
「ありがと。じゃ、終わらせちゃおうね。」
調理場の作業台の上にひょんと飛び乗った蜥蜴の足を綺麗に布巾で拭いてやる。その動作はとても気持ちいいらしく、ライデンが目を細めて恍惚の表情を浮かべた。
やがて彼が前足で汚れた食器を一つ一つ丁寧に水を張ったシンクの中へ沈めていく。私がそれを引き上げて洗剤でしっかりと洗ってすすぎ、乾燥させる台の上に置いた。
「本当に、ライデンは器用だねぇ。竜がこんなことしてくれるなんて夢にも思わなかったから、本当に凄いって思うよ。」
手を止めずに、口も動かした。
ライデンは私と初めて会った日だってレナードさんの店の手伝いを普通にやっていた。体の高さが足りなくて出来ない事以外、ほとんど普通の人間と変わらないくらいの労働をこなしているような気がする。
「それほどの事でもないですよ。」
こともなげに答えたライデンは、黙々と作業している。前足は小さいので、丼一つを持ち上げて沈めるまでの動作が慎重だ。きっと彼の手には余る重さなのだろう。それでも彼は店の手伝いをすることに躊躇がない。
時折顔を上げて、ホールでお客さんと話し込んでいる店長の背中をこっそりと見つめた。
優しくて男前のレナードさんのお下げが時々揺れて、談笑しているのがわかる。髪が揺れるのは笑っているからだろう。
その向こうでシャーロットさんとお弟子さんも笑っている。茶髪、白髪、赤毛とカラフルな髪が派手なのでよくわかった。
「カナ、当分はお城に上がることは無いんじゃないですかね。」
「え?どうしてわかるの、ライデン。」
「だって、剣聖様がわざわざお見えになったってことは、それを伝えに来たんじゃないですか?だって、ご主人様があんなに嬉しそうですよ。」
なるほど、そういうことか。さすが長年の付き合いのライデンは、主人の挙動一つで深い推論に達することが出来るようだ。
単に昔の先生がまた自分を訪ねてきてくれたから機嫌がいい、というのとは違うのだろうか。
コップを持ってこちらへ歩いてくる姿に気が付く。
「あ、申し訳ありません。取りに行きましたのに。」
両手にコップを持ったお弟子さんはにっこり笑った。白い肌に真っ赤な髪のお弟子さんは一番レナードさんに年齢が近そうだった。
ライデンが何歳なのかは見当もつかないし、剣聖様に至っては何歳と言われても納得いかないような年齢不詳な外見をしているが、パーティー会場で出会ったこの少年はレナードさんと同世代に見える。
良く焼けているけれど元々はきっと色白なのだろうな、と思わせる肌はとても血色がよくていかにも健康そうだ。一重に思える切れ長の瞳はよく見ると奥二重っぽい。赤い癖っ毛が奔放に跳ねている様子がいかにも元気そうで溌剌として見えた。
「いいんです、お師様とこちらのご主人が話し込んでしまって退屈だったので。わたし、お城の宴会場でお会いしたんですけど覚えてる?」
「はい。剣聖様が紹介して下さったお弟子さんですよね。クレハさん。」
少年は嬉しそうにおお、と小さく叫んだ。
「あの日は大丈夫でしたか?意識を失ってた貴方をお部屋まで運んだのはわたしなんですよ。」
「えっ!」
そうだ、誰があの天蓋付きのベッドまで運んでくれたのか、気になっていたけれど結局わからないままだった。
「それは、ご迷惑をかけてすみませんでした。・・・その、重かったでしょう。」
「鍛えてますから、全然平気ですよ。安心してください。」
陽気に笑って制服の袖をまくり、二の腕の力こぶを見せてくれた。
店の外へ出て剣聖様のお弟子さんとしゃがみ込んで話し込んでいた。
営業時間を過ぎ、店はとっくに閉めたのだけれど、、それでもシャーロットさんとレナードさんは話が終わらず、飽きてしまった私とクレハさんは竜と共に店の外へ出た。
『紅羽』と、地面に漢字で名前をひっかいた少年は、持っていた木の枝を私に手渡す。店の中の明かりが僅かに外に漏れているのでどうにか読めた。
「これでクレハと読むんです。わたしの母は外国人で、母の国ではこういう文字を使うのだと教えてもらいました。」
はっとして彼の方を見る。
ひょっとして、彼のお母さんの国と言うのは日本なのだろうか、と淡い期待が浮かんだ。
だが、その直後にその期待はさっと消えた。漢字を使う国は日本だけではないし、仮に日本だったとしても私の知っている日本ではないだろう。
だったらとっくに私は日本に帰れているはずだった。彼の母親が嫁いできているのならそれなりに国交があるはずなのだ。このタイロンの町が僻地であろうとも、ここまで世界観が違うのは絶対におかしい。私のいた世界には存在しなかった生き物を横目でちらりと見てそう思う。
ライデンは通りに植えられた背の高い樹木に登ったり下りたりして遊んでいた。
「私も、こういう文字知ってますよ。私の名前はこれです。」
木の枝で自分の名前を地面に刻む。すると彼は嬉しそうに笑った。
「ひょっとしたら、カナさんは母の国の人なのかもしれませんね。記憶障害ってお師様から聞きましたけど、思い出したら案外そうなのかも。」
「・・・そうかもしれませんね。違うかもしれないけど。」
そのことについては確たることは何も言えない。私はこの世界の人間じゃないのに下手な事を口走るわけにはいかなかった。
ふと、名前の事を話していると、少し気になった事を思い出した。
剣聖様の名前は、私の世界では確か英語の名前で女性の名前だったはずだ。どうにも、剣聖という人には不似合いに思えてならなかった。もっともあの外見ならば似合わないとは思わないけれど、この世界では違和感はないのだろうか。
「あの、シャーロット様って、凄く綺麗な名前ですよね。剣の使い手、なんて響きにはちょっと意外な感じで。」
「お師様のお名前は、お師様のお師匠だった方のお名前を継いだものなんだそうですよ。意外に思えるのも無理もないかもしれませんね。」
「えっ。剣聖様の、さらに先生が・・・?」
「シャーロット、という名は師から受けたものです。その人は育ての親でもあり、剣の師でもあり、女性でした。」
ふいに上から降ってくるような声が聞こえて慌てて立ち上がる。
「私は捨て子でしたので、その女性に拾って貰い育てていただきました。当時から私は美人だったので、女性名を名乗っても誰も何も言わなかったのです。そのまま私の名前として定着したので、今更覚えてもいない本名は名乗れませんしね。」
「お師様!お話は終わりましたか。もう帰れます?」
両手を軽くたたいてホコリを落としたクレハさんは、店から出てきたシャーロットさんの方を見た。
「ええ。大変待たせてしまったようですね。帰るとしましょうか、クレ。」
「はい。レナードさん、ラーメンごちそうさまでした。とっても美味しかったですよ~。また来ますね。カナさんもまた会いましょう。」
「今度、お母さまのお国の話を聞かせて下さいね。」
玄関にいる店長に手を振り、それから私の前に手を差し出す。握手すると、彼はまた陽気に笑った。
そんなお弟子さんを連れて、白い髪のシャーロットさんは真っ暗になってしまった通りを歩いて帰っていった。
木登りするライデンを呼んで中に入るように促したレナードさんに頷いて、私も店の中へ戻る。
「カナ。」
抱っこした緑の蜥蜴はこっそりと私の耳もとで囁いた。
「さっきの剣聖様の名前の話、半分は嘘ですからね。」
「・・・え。」
「ご立派な剣聖様だって嘘をつくことはあるんですよ。」
呆然とする私を、腕の中で訳知り顔のライデンが見上げていた。




