理想自営業(りそうじえいぎょう)
不思議なお客さんが店を去って行くのを見送る。
黒い馬の背に揺られて消えていく姿は夜の闇に仄白く浮かんでいるように見えた。
「剣聖ってなんですか?」
ずっと疑問に思っていたことを尋ねる。
顔を上げた私の方を振り返ったレナードさんは、店の戸を閉めながら歌うように答えた。
「滅茶苦茶強い剣の使い手。どこの国へ行っても知られているほど強い人なんだ。普段はメステノンの北にある高山に住んでいて、用事があるとああやって山を下りて来るんだよ。」
割烹着ど三角巾をはずした手がそれらを丁寧にたたむ。茶色のおさげが揺れて、彼の綺麗な顔がまたこっちを見た。
私はなんとなく視線をはずす。
レナードさんの過去を初めて知った今日、なんどなくまともに顔が見られない気がした。
下を向いた私の視界に、心配そうに見上げてくるライデンの姿が入ってくる。
「そんなに気になりますか?ご主人様が元剣士見習いだったってことが。」
「い、いや・・・武門の家柄の人だったんだから当然だと思うよ?それに、食材を調達している時の様子も見てるからさ、ま、強い人なんだろうなってなんとなくわかってたから、そこはそんなにひっかかる所じゃないよ。」
私が気になるのは、シャーロットさんが言っていた言葉の方だ。
・・・あなたが戻らない限り、カーラ姫も戻ることはないでしょう。
あれは、どういう意味だったの。
まるで私のせいでカーラ姫が行方不明になったみたいな言われようだ。だけど、私は何もしていないし、この世界にきて初めて姫の存在を知ったくらいなのだ。彼女が見つからないことの原因が私に起因すると言われても見当もつかない。
「姫が見つからないのはカナのせいじゃありませんよ。」
緑のドラゴンが私の考えをまるで見透かしているように告げる。
そして、そんなライデンに対して、レナードさんも優しく告げた。
「そして、俺が剣を捨てたのも別にライデンのせいじゃない。俺が自分で決めたことだし、ライデンはただのきっかけに過ぎなかっただけだよ。」
「ご主人様・・・。」
私は思わずライデンを抱っこして、そしてもう一度レナードさんを見つめた。
理由はわからない。けれど、なんだか自分がとても彼に対しても姫に対しても申し訳ないことをしているような気持がした。
きっとライデンも同じなのだろう。ドラゴンが、自分のせいで主人の人生を変えたのかもしれないと、心配になってしまったのだ。
「そんな顔しないでよ、カナちゃん。俺、何も後悔してないよ。だってこうして君に出会えた。・・・俺、ずっと寂しかったんだ。剣の修行をしている時も、実家が没落する前も。なんかいつも満たされなくてさ、まるで魂の半分がどっか行っちゃったみたいな喪失感が拭えなかった。でもね、店の前で行き倒れていた君を見つけたとき、俺はやっと見つけたんだって思った。」
優しいこげ茶の瞳がゆっくりと細くなった。レナードさんが、ライデンを抱いたままの私の傍へ近寄ってくる。
「何も思い出さないで、ずっとここにいてよカナちゃん。どこへも帰らないで。・・・俺の半身は君だ。」
軽く私の両肩に手を置きながら優しく呟く。
顔が熱くなったのが、自分でもわかった。そんな告白、されたこともしたこともない。照れや恥ずかしさを通りこして、圧倒されてしまうような気がした。
「れ、レナードさん。でも、私達ってまだ会ってから10日くらいしか・・・。」
動揺のあまり陳腐な言い訳しか思いつかない。
「一目惚れに時間なんてさして重要じゃないよ。ね、ずっと俺の傍にいて。」
ライデンが私の腕から飛び降りて、そそくさと厨房の方へ消えてしまう。まるで気を利かせているようだ。
「言ったでしょ。君が好きだからラーメン作ってるんだって。君が好きだって言ってくれるならどんな職業にでも変わるけど、出来たら君の好きなものを作ってあげたかった。剣士なんてきっと君の好みじゃない。君と一緒に商売をして、一日中ずっと一緒に仕事して、ずっと一緒にいて、そして家族になりたいんだ。いつも一緒にいられる家庭が、君の理想でしょ。俺はそれを叶えたい。・・・それでやっと俺は満たされる。」
おさげの髪が私の肩にぶつかる。
どうしていいかわからないから、私はただ動かずにいるしかなかった。
初めてしたキスの感触は、ちょうどお肉のお刺身のような感じ。いかにもナマモノな触り心地で軽く触れる。
すぐにレナードさんは顔を離すと少しだけ照れくさそうに笑って、私の肩を引き寄せて抱きしめてくれた。呆然とする私はやっぱりただ、されるがままで。
だって、抵抗する理由もなければ、受け入れる理由もなくて。
好きか嫌いかで言われれば勿論好きだし恩人なわけだけれど。
なんて言うか、現実味があまりにもないと言うか、レナードさんは自分ではなく別の誰かに熱を上げているようにしか思えなくて。
誰にも大切にされたことがないからそんな風に考えてしまうのか、それとも、実は、彼は自分ではない人を見ているのか。そのどちらとも判断がつかなくて。
あの白い剣聖様の言葉が、心のどこかでひっかかる。
・・・『戻る』って、あの人は言っていた。あの人は、ひょっとして私がこの世界の人じゃないことに気が付いているのだろうか。
レナードさんも、ライデンも、他の誰も私がどこから来たのか知らないようで、どうやって戻ったらいいのかもわからなかった。そもそも彼らには私がいた世界の概念などないのかもしれない。だからただの記憶喪失、という言葉で納得しているのかもしれない。
温かい、優しい腕が柔らかく私を抱いてくれる。
レナードさんはとても優しいしいい人だし男前だし。大好きなラーメンも作ってくれるし。
もういっそこのままずっとここにいればいいじゃない、と心の中で囁く声がする。
いじめらればかりいた学校も。そんな私のためになにも出来ないでいた家族も。全部いらない。必要ない。好きな人も友達も何もなかった。
でも、本当にそれでいいのだろうかと、同じ私の心の中で何かが警告する。
だって、まるで何かに騙されているような、何かを騙しているような、何かを犠牲にしているかのような罪悪感が心のどこかに渦巻いている気がするのだ。
「カナは考えすぎですよ。ご主人様のどこに不満があるというのですか?」
屋根裏部屋の出窓に肘をついて、窓の傍に座っている緑のドラゴンと話をする。私はもう寝られるような格好になってくつろいでいた。
月が綺麗な夜だった。窓の向こうにご領主様のお城が見える。夜空の星もよく見えた。
レナードさんはまた材料を仕入れに出かけている。その間留守番と私に危険がないようにドラゴンのライデンを傍に付けてくれている。ライデンを連れていくと獲物が近寄らない、という理由もあるだろうけど。
「不満・・・。不満なんてないけどさ。」
そもそも、私に一目惚れなんて話が安易に信じられない。生まれてこの方自分がそんな風に言われるなんて思ったことはないし、容姿に自信など少しもない。
真面目に私を口説いてくれたレナードさんのことは大好きだし尊敬もしているし、あわよくば、などと考えないでもなかったけれど、実際にそうなってみるとなんだか信じられない気がしたのだ。
・・・私まだ中三だし。将来のこととかまだ考えられない。でも、自営業っていいなぁって思ってた。
いつも家族が一緒で、両親は飽きるほど毎日顔を合わせていて阿吽の呼吸。子供は学校から帰ると商売の手伝いなんかをして、文句を言いつつも仲がいい。そんな、渡る世間○・・・のホームドラマみたいな、そんなのに憧れていた。
共働きの両親はいつも家にいなかったし、年の離れた兄は家を出てしまっていたから、私は自分の辛さを誰にも言えなかった。
そういう意味では、寂しかったというレナードさんと同じで、私も寂しかったのだろう。
いつも一緒にいられる家庭が理想でしょ、と彼が言ったときドキッとした。なんでそんなことを彼が知っているんだろうって。
・・・私はこの世界のこと何も知らないのに、どうしてレナードさんやあの白い人は私のことをよく知っているみたいに言うんだろ。
「ご主人様はいい方です。ドラゴン使いが荒いのがたまに傷ですけど、きっとカナを大事にしてくれますよ。」
「ねぇ、ライデン。どうしてライデンはレナードさんに剣を捨てるようすすめたの?」
「・・・向いておられないと思ったからですよ。」
「どうして?狩りだってあんなに上手なんだよ、向いてないことはないんじゃない?」
ライデンは沈黙する。
割とよく会話してくれるこの緑のドラゴンの沈黙がなんだか怖くなり、慌てて私は話題を変えた。
「え、ええと、あのシャーロットさんは、サラマンダーなのに緑色って珍しいって言ってたけど、そういうもんなの?ライデン。」
「・・・知りませんよ。」
「え、知らないって。」
また蜥蜴は黙ってしまった。どうもこの話題も彼のお好みではないようだ。
あの白い剣聖の言葉が出るとライデンは不機嫌になるみたい。お店に来たときは、普通に歓迎しているように見えたのに。
私は小さくため息をついて、出窓から体を動かし、寝床へと移動した。ごそごそと毛布の中に入ると、ライデンがてとてとと歩いてくる。
「おやすみなさい、カナ。」
「おやすみ、ライデン。また明日ね。」
彼はやがて出窓ではなく、出入り口の方へ歩いて行き、そのまま降りて行ってしまった。ご丁寧にも、扉を占めてくれる。本当に器用なドラゴンだ。
告白されたカナですが、素直に信じられないご様子。




