第一章 不良と正義2
明日歩が苦手なものは、隣の家で飼われている小型犬の太郎と知美。
誰が、この女を学級員になんかさせた?
位を与えられた知美は、水を得た魚のように、俄然はじりだす。
学級委員バッチをしっかり付け直した知美が、髪を払って笑う。
ショートヘアにその動作は絶対に必要ないだろう、と思いつつ、明日歩は逃げ出すタイミングを計る。
「明日歩だけだよ、提出してないの」
ほらきた、と明日歩は視線を机へ落す。
「もう本当にだらしないなぁ。機嫌、今日までって、昨日も私、言ったよね」
明日歩の目の前に、知美は部活の申し込み用紙とペンを差し出す。
部活は、全員参加するのが校則だ。
この部活決めには、少々曰くつきだった。
幼いころ、何かとビービー泣く明日歩を見かねた歩は、片っ端から武術なるものを習わせようとした。
駅前にある柔道道場に行った時、あまりの怖さでおもらしをしてしまった。それが引き金になり、本格的に鍛えさせようと、あの手この手で、連れ出しては空手に剣道と入門させられた。
どれもこれも長続きはしなかったが、唯一、剣道だけは一年間もった経緯がある。
嫌がる割に、明日歩はメキメキと上達を見せた。
こうなると、志士を目指せと豪語する歩に、気弱な明日歩は従うしかなかった。
しかし躰というものは正直なもので、上達すればするほど、明日歩は元気をなくしていった。
原因不明の腹痛と発熱に、悩まされるようになったのだ。
それが、剣道に関連していることに気が付いたのは、母親の奈緒だった。
奈緒は奈緒でまた、薄々勘付いていたものの、天才剣士と褒められ、有頂天になっている歩に言い出せず、腕の中でぐったりと眠り込む明日歩の髪を撫でては、目を潤ませる日々が何日も続いていた。
しかしそんな二人に転機が訪れる。
しばらく仕事の都合で送り向かいをしていなかった歩が、練習に付き添うことになったのだ。
歩とて、親の端くれ。一人息子の様子がおかしいことくらい勘付いていた。
道場には行かず、公園に車を止めた歩が微笑む。
キョトンとする明日歩を、歩は抱きかかえ歩き出す。
嬉しいやら恥ずかしいやらで、明日歩の頬は緩む。
「よいっしょ。明日歩、重くなったな」
明日歩を下ろした歩が腰をポンポン叩きながら、笑って言う。
日が傾く中、のんびりとした時間を過ごした。
遊び疲れ、隣に座ってきた明日歩に、歩はポツリと聞く。
「明日歩、オレに、何か言いたいことあるんじゃないのか? 何でもいいから正直に言ってごらん」
明日歩の顔がみるみる崩れて行く。
今まで我慢していたものがあふれ出した明日歩は、切れ切れに言葉を繋ぎ始める。
「ぼく、剣道を辞めたい」
「それはどうしてだい。練習が辛いからかい?」
明日歩は大きく首を振って、袖口で目をごしごし拭う。
「まきちゃん、泣いちゃったんだ」
ん? と歩が首を傾げる。
「ぼくが、試合、先に出ちゃったから。ぼくが、勝っちゃったから。いっぱいいっぱい泣いちゃって、ぼくは試合、出なくてもいいよって言ってあげたんだけど、そしたらもっと泣いちゃって、それから口、利いてくれなくなっちゃったんだ」
「それは仕方がないことなんだ。それが勝負の世界なんだ」
「ぼくは、勝負なんてしたくない。真紀ちゃんの頭を叩くのも、胴を入れるのも嫌だ」
そう言うと、明日歩は号泣して言葉にならなくなってしまう。
その日から三日間、高熱を出した明日歩を見て、歩と奈緒は顔を見合わせる。
泣く泣く剣の道を辞めたのだったが、両親としては、折角培ったものを生かして欲しい、と剣道部を勧めるのだ。
悪くない世界。頭で分かっている明日歩だが、心が納得しなかった。かと言って、やりたいものが見つからないのも実情。できることなら、帰宅部ってものに所属した明日歩だった。
「保護者欄なら、私が代筆してあげるわよ。ほら印鑑だってあるのよ。早く書きなさいよ」
上から目線で言う、言い方が好きじゃない明日歩である。
ムッとしていることなどまったく気が付いていない知美が、お構いなしに続ける。
「もう、剣道部にすればいいじゃん。一応経験者なんだしさ。明日歩ならさ結構いい線いけるんじゃない」
うるせぇ! と言ってやりたいが、面倒になるのは分かっている。
明日歩は黙って立ち上がる。
「まさか、逃げる気?」
知美が、勘を働かせる。
こういう抜け目のないところが、明日歩は苦手なんだよな。
隙を狙って、明日歩が走り出す。
「待ちなさい」
ついでに、お節介な所も……。
間一髪で男子トイレに逃げ込んだ明日歩に、廊下で知美が逃げるなと喚き散らかす。




