第二章 不滅のヒーロー15
最愛の人を失くしてしまった奈緒。それでも妻として凛として振る舞おうとするのは、歩の為。
庭のきゅうりは収穫期を迎えていた。
二度と目を覚ますことのない、歩から離れようとしない奈緒は、やつれ果て、化粧っ気のない顔は青白く、黒い服を着ているせいもあって、別人のように見える。
昨日から霧雨が降っていた。
あんなに暑かったのが嘘のように、涼しい風までが吹いている。
「歩らしいな」
中島が受付の準備をしながら、呟く。
通夜の時間までには、少し時間がある。
手伝いを買って出てくれた隣に住む夫人が、そんな二人の元へやって来る。
「もう少し、ゆっくり見送ってもいいんじゃないかしら。あんなに仲が良かった夫婦ですもの。奈緒さん、気持ちの整理が付かないんじゃないかしら」
「そうですね。それも一理あると思います。だからこそ、こんな悲しい行事は早く終わらせてあげなければいけないないんじゃないかしら」
「そうおっしゃりますけどね。あの憔悴の仕方、見ているのが辛くって」
「お優し言葉、ありがとうございます。でも、別れを長引かせても、辛くなるだけだから」
「本当に気の毒で気の毒で。あんなに仲が良い夫婦だったのに」
涙ぐむ夫人に、二人は丁寧に頭を下げる。
「まったくあいつったらどうしようもないバカ。奈緒さんを一人にして」
夫人が行ってしまうと、薫子は空を見上げ涙声で言う。
「こんな気の使い方なんかいらない。あのバカ、今度会ったらとっちめてやる」
泣きはらした目でぎこちなく笑うが、すぐに泣き顔に変わってしまっていた。
翌日、雨こそ降っていないが、そんなに暑くならず、葬儀はしめやかに執り行われていた。
一般人とは思えないほどの弔問客が、列を作っている。
一人一人に頭を下げながら、明日歩は、どういう繋がりなんだと首を捻る。
テレビや雑誌で見かけるような人や、どこの人だよと訊きたくなるような年配の人までが、口々に生前は良くしてもらったと礼を言っては、焼香を済ませて行くのだ。
その先頭にいたのが、島根である。
島根はぐちゃぐちゃな泣き顔で、奈緒に封筒を手渡してきた。
「もっと早くに返しに来れば良かった。すいません。少ないけど、全然足りないけど、これ、先輩に借りた金です」
しばらく考え込んでいた奈緒が、何かを思い当ったように少し目を見開いてから、微笑む。
一緒に暮らしだしたばかりの頃、歩が給料袋ごと失くしてしまったと、帰って来た時があった。
「何とかなるよね」
「本当なの? 警察には届けたの? 」
「そんなの面倒だからいいよ」
話を誤魔化されてしまっていた。
「大丈夫。歩は、そんな小さな男じゃないわ」
島根は、せめて罪滅ぼしに葬儀の手伝いをさせて欲しいと言って、今は薫子に代わって、中島と受付をしている。
葬儀が終わり、いよいよ出棺の時だった。
小さな男の子を連れた若夫婦が、奈緒の元へと歩み寄って来たのは。
父親であろう男性は、地面に頭を擦り付けるように謝り出す。母親の後ろで怯えるように隠れる男の子の足には、包帯が巻かれている。
奈緒も明日歩も、その人たちが誰なのか一目で分かった。
奈緒はそっと屈み、手を引かれている男の子と目線合わせてから、微笑んだ。
「ボク、いくつ?」
奈緒の問いかけに、男の子は手を大きく開いて見せる。
「そう、5歳なんだ。あんよ痛む?」
男の子は母親の後ろに隠れるようにしがみ付く。
そして、首を大きく横に振ってみせた。
「智ちゃん、ちゃんと謝って」
母親が無理矢理、前へ出そうとするが、頑として男の子は動こうとしなかった。
「あのね、あのおじちゃんはヒーローなんだよ」
奈緒は、写真の中で笑う歩を指差す。
「ヒーローって大変なんだ。どんな状況でも必要であれば命を掛けても、助けに行かなければならない任務があるのよ。分かる?」
男の子は母親にギュッとしがみ直し、コクンと頷く。
「本当に申し訳ございませんでした。謝っても許されないことって解っています。もしあの時ご主人が助けてくれなかったら、この子の命はなかったと思います。こんな場で礼を言うなんて、失礼だと思います、でも言わせてください。ありがとうございました」
「もう済んだことですから、どうかお気になさらないで」
泣き崩れる母親を慰めた奈緒は、そっと微笑んで見せる。
「そうだおばちゃん、僕にお願いがあるんだ訊いてくれる?」
頷く男の子を見て、奈緒は一度歩の遺影写真を振り返り、にっこり微笑む。
「あのおじちゃんが守ったその命を、大切にして欲しいの。約束だよ。指切りげんまん」
奈緒が小指を差し出すと、男の子はそっと小指を重ねてきた。




