第一章 不良と正義6
「ちょっと聞いた?」
知美が、ものすごい剣幕で教室に入って来たのは、克己が学校に来なくなってしまってから、一週間目の月曜日だった。
「克己のバカ、何で学校に来ないと思う?」
知美が明日歩の前を陣取り、顔を寄せてくる。
「先輩に、ボコられたんだって。何か余計なことを言ったんだってさ。それで先輩の反感をかったとかでさ、サッカー部の子から聞いてもうびっくり。明日歩、あいつから何か聞いていないの? 私が思うに、あいつのことだから、ベラベラと相当バカなことを言っちゃったんだよねきっと、じゃなきゃ、先輩たち全員が怒るなんてしないもんね」
その話を聞いた明日歩の顔色が悪くなる。
心当たりが大有りの明日歩なのだ。
明日歩の脳裏に、しまったままのドアが浮かぶ。
もしあそこに上級生の誰かがいたとしたら、完璧にあの豪語はサッカー部の先輩の耳に入ったに違いない。克己は確かにサッカーは上手い。だけど縦の社会とか、ルールとかに皆無と言っていいくらい疎い。それで何度か失敗もしているはずなのに……。
忠告するたびに見せていた笑顔を思い出した明日歩は、頭を抱えてしまう。
「明日歩、あんた何か知っているの?」
知美に詰め寄られ、明日歩はつい仰け反ってしまう。
確信はない話だ。迂闊に言って、大きくされては困ると思った明日歩は、言葉を濁す。
「あのさ、こんなのは、私が言うのもどうかと思うけどさ、心配にならないの? 友達でしょ? 幼馴染みなんだよ私たち。力になってあげようとか思わないわけ?」
苦笑する明日歩を見て、知美がいきり立つ。
「ちょっと、訊いてんの? あんた、友達が学校へ来なくなっちゃっているんだよ。それ放っておいて平気なの?」
知美はみんなの注目を浴びてしまっていた。
今にも泣きだしそうな目で睨まれ、明日歩はしどろもどろだった。
痛いところを突かれてしまっていた。
明日歩は、かどやの一件が頭から離れなかった。
そんなこと言ったって。
明日歩にだって言い分はある。
試合続きで、練習だってあるし、行っている暇ないんだから仕方がないだろ。友達だから、何でもかんでも力になれるって、思うなよ。俺だって、俺だってな。
腹の中でたらふく文句を言った明日歩は、嘯く。
「行ってるよ」
「本当?」
語尾を上げて、知美は怪しむ。
本当本当と繰り返す明日歩は、内心焦りを感じていた。
「もう仕方がないなぁ。私も一緒に」
「いや、最初は俺一人が良いと思う」
明日歩は慌てて知美の言葉を遮る。
それだけはどうしても避けたい、明日歩だった。
何度か足を運ぶが、克己は一向に部屋から出てここ様とはしなかった。毎日のように知美にはなじられるは、練習はきついはで、明日歩はパンパンになってしまっていた。
七月に入り、拍車がかかる。
このままでは身が持たないと思った明日歩は、ある決意をしていた。
今日も大会を終わらせて、明日歩はその足で克己の家へやって来ていた。
一週間もすれば、夏休みにはいてしまう。
明日歩は何としても、克己にまたサッカーの練習に出て欲しいと思っている。何がなくてもサッカーをしているときの克己は、キラキラとしていた。無理無理させられている明日歩と違って、克己がサッカーへ向ける情熱は、まったく別物。こんなことで終わりにさせたくないのだ。
克己の部屋を見上げ、明日歩は大きく深呼吸をする。
さんざん考えて、明日歩は昔、克己とやった遊びを思い出していた。
ガサガサと伸びた枝を伝っていく。
あの頃は低学年で、躰も小さく、何より体重が軽かった。
何本か枝が折れる音を聞きながら、やっとの思いでベランダに飛び移った明日歩は、克己の部屋の窓を叩く。
ゲームをしていた克己が目を真ん丸にして、開けてくれた。
「隊長、作戦成功であります」
明日歩は、敬礼をして見せる。
ご自慢の体脂肪率の姿は全くなく、二倍以上に膨れ上がった克己が力なく微笑む。
その先の言葉が思い浮かばない明日歩を無視した克己が、またゲームをし出す。
何度か話し掛けたものの、まったく反応を示さない克己に、明日歩はやれやれと首を振る。
話すのはあまり得意ではない明日歩である。
おしゃべりな克己に相槌を打って、いつも会話を成立させていた二人なのだ。
ベッドの上にあったものをおもむろにどかした明日歩を、克己がチラッと見る。
何を思ったか、明日歩はカバンから出したものを並べ始め出していた。
消毒液にヘアカラー。裁縫セットにファンシーショップの袋。
何がしたいんだという目で見ている克己に、明日歩は引き攣り笑顔を見せる。
「克己、氷ねえ?」
無視しようとする克己の顔を覗き込み、明日歩は一字一句切って尋ねる。
「だ、か、ら、こ、お、り」
そんな明日歩を、克己は舌打ちをして煙たがる。
ここで怯むわけにはいかない明日歩だった。
かなりの気合を入れて、ここへやって来ているのだ。
正直、吐きそうである。
「オレ、変身することに決めた」
いきなり胸を張って言う明日歩を見て、克己は笑いそうになる。
「変身って、バカかお前?」
「バカはどっちだよ」
「何、ケンカしに来たわけ?」
「ちげーよ。良いから氷」
「氷なんて、何に使うんだよ」
「良いから早く」
「大体これ、何?」
「変身道具」
「はっ、何がしたいの俺んちで?」
そう言われても困る明日歩だった。
何とかしてやりたい気持ちはあるのに、明日歩には名案が浮かばなかった。どんどん月日は過ぎて行ってしまい、毎日のように知美は攻めたてて来るしで、そんな時だった。ご飯を食べ終わって、風呂に入るのも面倒に思っていた明日歩の目に、秘策が飛び込んで来る。
直感が走り、名案が閃く。
テレビ画面を食い入るように、明日歩は見ていた。
「新しい自分に出会える。あなたも変わって、出かけてみませんか」
ヘアカラーのCMだった。
単純に、納得してしまった明日歩は、これしかないと思い込んでしまっていた。
本当は克己を変身させればいいのだが、知美にその案を打ち明けた時、思いきりバカにされて、変更せざるを得なくなってしまう。
「髪なんか染めたら、ますます先輩とかに目をつけられちゃうじゃん」
ごもっともの意見に、明日歩は委縮してしまう。
「でも、案外それいいかも。普段そんなこともやりそうもない明日歩が、勇気振り絞ってやってあげたら、明日歩以上に単純な克己なら、感動してくれるかも」
端々に、苛立ちを覚える明日歩だったが、やると決めてしまった以上、引っ込みがつかなくなってしまっていたのも事実。
「そっかな」
「そうだよ。絶対いけるって」
薬局屋で品定めをしているところに知美が現れ、嫌な笑みを浮かべる。
こういう笑みを浮かべるときに知美は、ろくなもんじゃない。
嫌な予感は的中だった。
店を出た途端、悪乗りをした知美はこれも有だよねと、袋を差し出してきた。
訝る明日歩に、知美はひらひらと手を振る。
「私のおごりよ。お礼は明日、私に一日付き合ってね」
え?
袋の中身は、髑髏のピアスだった。
「あとで連絡するね」
ええ。そう言う条件なら、絶対いらないと、突き返したい明日歩だが、自転車で来ていた知美の姿はあっという間に見えなくなってしまっていた。
こうなったら破れかぶれの明日歩である。
「そんなことをしたら、ヤバくねぇ」
「ヤバいに決まっているでしょ。んなこと言われなくたって、知っているし」
「何でキレているんだよ」
「良いから早く、氷だよ氷」
舌打ちをした克己が階下へ氷を取りに行き、明日歩は泣きたい気分になった。。




