激震
本社では、
「須崎さん・・今度は北海道支社の副支社長ですってよ。つまり役員に一番近い筆頭部長格に今度は出世したのよね。急激よね、これはミステリアスだわ・・まさしく」
新田が、三鍋と話をしている。
何故か、今度は三鍋が、須崎が頑張りすぎて、あちこちで衝突が起きないかと心配していた。案の定・・
その1週間後、北海道支社の全体営業所長会議が行われた。安藤の根室所長就任と、旭川営業所長の屋鍋が紹介された。更に、それらの営業所長会を取りまとめるエリア長に須崎が、あっと言う間にこの位置まで数ヶ月間で駆け上がったのである。就任の挨拶の横で、屈辱に満ちた屋鍋の顔が見え隠れした。君成社長退陣までは、彼には読めなかった。その後の粛清人事も彼には無く、数ヶ月はその役職のままで、仁科と共に異動も無かったので、ほっと胸を撫で下ろしていた途端の、旭川営業所長と言う降格人事の発表。仁科も、和歌山営業副所長として異動を命じられた。やはり時間差で粛清人事が来たのであった。黒田体制は急激で、そして徹底していた。彼が人事を掌握していた強みと、会長の後押しが決定的でもあったからだ。次第に黒田体制が、㈱RECをこれまで以上の強権ワンマン体制に変えつつあるのを、彼らも悟った。




