境界線
Aという国とBという国がありました。土地続きな地域なので、白いラインで境界線が敷かれていました。
実はどちらも全く同じ国で同じ国民なのです。どのくらい同じかと言うと、国の仕組みはもちろん言語や人種、価値観、人口、面積及び人口密度、挙げ句の果てには家の形や名産まで。第三者からすれば、まさに瓜二つな国同士なのです。
しかしある日、第三者Cの国がこう言いました。
「これだけ瓜二つなら、合併しちゃえばいいじゃないか」
これは論ずるまでもなく、真っ当な意見でしょう。全く同じ性質を持った物質を合わせても、なんら反発することはないのですから。
ところが、二つの国は賛成しつつも、
「そんなことできるかっ」
と、口を揃えて反論しました。
そう、実は全く同じ国ではなかったのです。先ほど物質の例えをしましたが、彼らにしてみれば、磁石の同極同士を近づけるに等しい事柄があったのです。
それは……安楽死の賛否でした。Aは安楽死に対して反対の立場にあり、Bはその逆なのです。先ほど、全く同じ国だと言いましたが、唯一これだけが正反対なのでした。むしろこれのおかげで、お互いに〝パクリ〟であると批判しなかったのです。ただし、合併する件は前向きな姿勢です。国が大きくなれば、国力や経済市場が大きくなるからです。
早速、第三者を交えた大討論会が実施されました。互いの国のトップからその右腕、社会学者、経済学者、倫理学者、医師など、各界の権威を招来し、論を交えます。
まずは安楽死反対のAの意見です。各界の権威が難しい言葉を使いこなし、発言しました。まとめると、以下になります。
「安楽死を望むということは積極的自殺と同義。それによって困るのは医学界と経済界である。彼らは終末期医療によって商売をしており、その利用者を減らすことになるので、利潤が減ってしまう。また、安楽死を利用した殺人事件も多発することは間違いない。さらに、本人の承諾が得られない状態での安楽死は無闇に判断ができない。まずは安楽死を望む人を減らす仕組みを考えるべきだ」
一方、賛成のBはこう唱えました。
「安楽死を望む人は何も寝たきり患者だけではない。人生に行き詰まった人もいるのだ。もちろん、行き詰まった人を支援する政策はあるが、細部にまで行き届かないのが現状である。また、自殺の問題は深刻化しており、公共機関その他のいわゆる投身自殺は社会に多大なる悪影響をもたらす。医学界と経済界も安楽死による別の商売を行うこともできなくはないし、尊厳死や個人の選択権から判断しても、反対する理由がない」
この議論は休憩を挟みつつ、数時間かかりました。しかし、同じ国だからでしょうか、参加者が同じレベルなので、話が平行線です。
少しして、場が動き始めます。反対派Aの自殺に関する専門家の発言がきっかけでした。
「では、どちらの方が自殺者が少ないか比較しませんか?」
お互いに話し合い、それぞれこう答えました。
「Bでは三万人です。Aの方はいかがでしょうか?」
「Aも三万人です。同じ結果ですな」
同じお国柄、自殺者数も同じなのは想像がつきます。
しかし、反対派Aのトップがニヤリとして言い放ちました。
「これは同じではありませんな。我々は安楽死、つまり積極的自殺を含めないで三万人です。ところが、そちらは含めて三万人です。つまり、我々反対派が賛成すれば、自殺者がもっと増えるはずです。これはよくないことですな」
ところが、賛成派Bのトップもニヤリとしました。
「我々の場合、安楽死による死亡者は一万五千人です。よって残りの一万五千人が純粋な自殺者数となります。仮に、そちらの言う自殺者を減らす仕組みを考案したとしましょう。また、自殺予備軍が純粋自殺者の十倍いると仮定します。すると、そちらでは三十万人もの人を保護せねばならない。しかし、こちらの場合はその半分。国益としたら、どちらの方が経済的にも倫理的にもメリットがあるか、論ずるまでもありませんな」
反対派Aは唸りました。確かにその通りだ、どうにか反論できないか? ネガティブな雰囲気がにじみ出て来ます。
ところが、思わぬ方向に話が移りました。反対派Aのひょんな一言でした。
「こんなにも違うのなら、なぜ我々は同じ国としてなり得たのでしょうか?」
賛成派Bは論点のすり替えだ、真面目にしろ、と批難が殺到します。しかし、しばらくすると批難がどよめきに変わりました。
「確かにそうだ。安楽死の賛否だけでも国はガラリと変化するはず。しかしなぜ同じ国になるのだ……?」
そんな素朴な疑問が場を埋め尽くしました。
二つの正反対の国は一緒に議論していきました。かつての論争がウソのように、調和し始めたのです。
「国家予算はどのくらい?」
「×××です。そちらは?」
「同じです。ニート総数は?」
「◯◯です」
「やはりこちらも同じ……」
驚くことに、安楽死に関係するデータはほぼ一致していたのです。差はもちろんあるものの、同じと見ても問題ないほどなのです。
「……分からない。なぜなんだ?」
当事者同士では解決できなかったので、この珍事を第三者Dの国に伺ってみました。
「それは……境界線が影響してるんじゃないか?」
「境界線?」
「境界線は国土を主張する重要な線だけど、思想を上手く分断させていたんじゃないか? もし賛否両論で混じっていたら、その人数によって差は大きく開いていただろう。しかし、君らは綺麗に賛成派と反対派に分かれている。そのために奇跡的にデータが一致したのかもしれない。あくまで推論にすぎないがね。しかし君らは本当に双子みたいだよ」
二つの国は親近感が芽生えていました。
そして、ついに、
「我々は合併するべきだろう」
「そうだな」
ABそれぞれの国は合併することに決まりました。まさに遠く離れた双子が奇跡の再会を果たすようでした。盛大にパレードが催され、互いの国が同じしきたりで酒を交わし、笑い合い、とても楽しい時間が流れていきました。
しかし、間もなく国は崩壊しました。
「そりゃ無理に決まってんだろ。全く異なる思想が一つの土地に押し込められれば、自然と争いが始まるに決まってる。せっかく二つの思想が綺麗に分かれてたのに、一つにまとめる馬鹿がどこにいんだよ」
「全くだ。あの二つの国は同じくらいに馬鹿だったってことか」
「まさか、本当に境界線を取っ払うなんてな。マヌケの極みだぜ」
「ははっ、違いねぇ」
下卑た笑顔で眺めるのはCとDの国でした。
お久しゅうございます。水霧です。今回は少し趣向を凝らしてみました。〝安楽死〟と〝思想の混入〟、この二つを無理やりねじ込んで物語を作りました。
本作の〝安楽死〟の賛否の意見は筆者がない頭絞って考えたものですので、さらっと流し読み程度にしてください(汗)。本当の安楽死の討論はこんなチンケなものではありませんので、あしからず。もし、〝安楽死〟が気になるようでしたら、ググってみてはいかがでしょうか?
〝思想の混入〟というのは、いわゆる宗教問題だったり賛成反対だったりのことです。経済の問題や領土問題なら解決できる見込みがあるのですが、宗教問題はそう簡単にはいきません。下手をすると、地球が滅んでも解決できるか分からないくらいなのです。
ところで、なぜこれらをネタにしたのか? まぁお風呂でくつろいでいて、ぱっと思いついたものをさらさら書いただけでして、特に理由がないんですよね(笑)。ここでうんたらかんたら語ったら、後付けそのまんまですから(笑)。
いろいろ無駄口をたたいてしまいましたが、お読みいただきありがとうございました!
P.S.
涼しくなってきてうれしいっ! もっと涼しくなってくれ~!