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食の魔女が壊れかけていたので囲い込みに行きました

「……ふう。……徹夜の刺繍明けには、この学園の優雅な朝食は重すぎて胃が受け付けないわ」


 私は、華やかな談笑が響くメイン食堂を素通りし、北校舎の隅にある離れへと足を向けた。

 そこは、他の生徒たちが無意識に避ける空白地帯。落ちこぼればかりを集めたと言われるクラスが近いからだ。

 近づくにつれ、食欲をそそる芳醇な香り――ではなく、鼻腔の奥を針で刺すような、鋭利に研ぎ澄まされた「薬草と魔力の匂い」が漂ってくる。


 扉を開けた瞬間、肌を刺す冷気に身を震わせた。

 厨房というよりは、精密機械の整備工場のようだ。並べられた鍋は一点の曇りもなく磨き上げられ、ドルカ・グラヴィスが振るう包丁の音だけが、メトロノームのように正確なリズムを刻んでいる。

 トツ、トツ、トツ。

 極薄にスライスされる根菜。その断面は、定規で測ったかのように一寸の狂いもない。彼女の動きには「料理を楽しむ」という情緒が一切欠落していた。ただ、命を最短距離で繋ぎ止めるための、切実な殺気だけがそこにある。


「……何の用。ここは許可を得た人間しか入れないはずだけど」


 立ち込める白い湯気の向こう側、鈍色の瞳をした少女が、一切の無駄がない動作で大鍋を掻き回した。彼女の周囲だけ、空気の密度が違う。


商談スカウトに来ましたの。あなたのその、食べた者のポテンシャルを限界まで引き出す『バフ料理』。私のギルドの専属シェフとして独占契約させていただけないかしら?」

「……食べ物で人を操ることにしか興味がないなら、他を当たって。どうせ、死にゆくものはあたしの料理じゃ救えないんだから」


 最初から、氷のような拒絶。だが、私は構わず彼女の前に空のカップを差し出した。


「救う? いいえ、私が求めているのは『維持』と『向上』ですわ。……とりあえず、その試作品をいただけないかしら。今の私、過労で意識が飛びそうですの」


 ドルカは忌々しげに私を睨んだが、やがて無言で、琥珀色のコンソメスープを注いだ。

 一口。舌に乗せた瞬間、全身の毛穴がカッと開くような衝撃が走った。

 ――まず、視界が変わった。

 泥を塗ったようだった景色の彩度が跳ね上がり、埃の一粒までが鮮明に見える。

 次に、呼吸が楽になった。肺の隅々まで酸素が行き渡り、鉛のように重かった心臓の鼓動が、力強いエンジン音のように脈打ち始める。


(……っ、これ……すごいわ。指先の感覚が、まるで新品に交換されたみたいに鋭敏になっていく……!)


 だが、同時に恐ろしいほどの「加速」を感じた。心臓が少し速すぎる。思考が、自分の制御を追い越して未来の工程表を勝手に書き換えていく。


(……このスープ、完成度は異常に高い。けれど、方向が「生存」じゃなく「燃焼」に向いているわ)


 一口飲んだだけで、心臓の鼓動が跳ね上がり、強制的に「活動モード」へ叩き起こされる感覚。

 それは彼女がかつて、動かなくなっていく弟の心臓を、冷えていくその体温を、「無理やりにでも燃やし続けよう」と魔力を注ぎ込み続けた残骸なのだ。

 死の淵にある者を現世に繋ぎ止めるために、残された命の火種を極限まで煽り立てる技術。

 それが、健康な人間が摂取すれば超人的なパフォーマンスを発揮する「バフ料理」へと変質してしまった。

 彼女が弟を救おうと足掻けば足掻くほど、その料理は「静かな休息」から遠ざかり、命を削って輝かせる「劇薬」へと進化していったのだ。


「素晴らしいわ、ドルカ様! このスープがあれば、私も職人たちも、三日三晩、最高効率でパフォーマンスを維持できる……!」

「……喜ぶのはそこまでにして。それはただ、残ったロウソクの芯を無理やり太くして燃やしているだけよ」


 ドルカは、冷めた手つきで鍋の火を消した。その横顔に、一瞬だけ深い影が落ちる。


「……治せないんだよ、私の料理じゃ。どれだけ栄養を最適化して、魔力で肉体を強化しても、一度壊れた器は元には戻らない。……病も、死も」


 彼女の視線が、キッチンの隅に置かれた、古びた小さな木のスプーンに注がれた。

 私はその光景を、痛いくらいに知っていた。


(……ドルカ・グラヴィス。彼女が食の魔女として闇堕ちする最大の引き金。……死んだ弟への執着……)


 ゲームのシナリオでは、彼女はこの後、弟に生き写しの婚約者に狂信的な愛情を注ぎ、その健康を管理するという名目で支配しようとして破滅する。

 かつて、彼女がどれほど研鑽を積んでも、そのスプーンで運んだスープは、病に伏した弟の喉を通ることはなかった。

 震える手で、何度も何度も口元へ運んだはずのスープ。

 けれど、幼い弟は飲み込む力さえ残っていなかった。

 カチャリ、と音を立てて床へ滑り落ちるスプーン。

 開いたまま、二度と閉じられることのない唇から、彼女の「努力」がだらりとこぼれ落ちる。

 最高級の薬草を煮詰め、魔力を極限まで込めた渾身の一皿を前にしても、死の淵に立つ者はただ静かに、その光を失っていった。

 技術が高まれば高まるほど、彼女はその「限界」という名の絶壁を、嫌というほど突きつけられてきたのだ。


「……聖女なら、治せたんだろうね」


 自嘲気味に、彼女が呟く。


「あいつらの『祈り』は、理屈抜きに壊れたものを修復する。……私が一生かけても辿り着けない場所に、あの子たちは生まれながらに立っているんだ」


 彼女は、誰よりも「努力」をしてきたはずだ。

 食材の成分を分子レベルで理解し、魔力の波長を細胞の隅々にまで同調させる。気の遠くなるような反復と研鑽。けれど、その積み上げた全てが、聖女の無慈悲なまでの「奇跡」という輝きに、一瞬で、塵のように掻き消されてしまう。

 神に選ばれなかった「技術者」が、どれだけ血を吐く思いで最適解を導き出したところで、神に愛された「無知な子供」の指先ひとつに及ばない。

 それは、合理性を重んじる私でさえ、かける言葉を失うほどに、あまりに不条理で絶対的な格差だった。


「……ねえ、リネット様。努力って、何のためにするんだろうね」


 早朝のキッチンに、彼女の問いが虚しく響く。

 

「……私がどれだけ作っても、あの子は助からなかった。……どれだけ努力を積み上げても、届かない場所がある」


 俯いた彼女の視線の先、磨き上げられた作業台に、一粒の涙が落ちて弾けた。

 それは、世界で一番贅沢な食材を揃え、誰よりも精密な魔力を練り上げ、それでも「一滴の飲み込み」さえ得られなかった絶望の結晶だ。

 彼女の技術は、もはや料理の域を超えている。

 死にゆく灯火を無理やり煽り立て、消えゆく命を現世に繋ぎ止めるための、あまりに凄絶で孤独な「足掻き」。

 だが、その最高到達点をもってしても、あの日、冷えていく弟の指先を温め直すことはできなかった。


 神に祈るだけで全てを解決する「聖女」にとって、彼女の血を吐くような研鑽は、滑稽な遠回りにしか見えないだろう。

 積み上げたレンガが空に届かないと知った時、職人は自らの手に残った泥を、呪うことしかできなくなる。


「……そんな不完全な私の技術に、何の意味があるの?」


 絶望の色を濃くしたドルカの瞳が、私を射抜く。

 どれだけ研鑽を積んでも、「奇跡」という名の才能には勝てない。

 その残酷な真実が、魔女の心を、今も凍りついたまま縛り付けていた。


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