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香りの魔女に査定されたので直接営業してきました

「……ふう。……あんなに分かりやすく『異常』を見せつけられると、普通なら逃げ出すところね」


 放課後の自習室。西日に照らされた机の上で、私は手元の刺繍布に銀糸を走らせながら、脳内の損益計算書を更新していた。

 ミレイユ・ローランは危険だ。

 あのケイン様が、本能的な恐怖で顔を強張らせるほど、彼女の「香りの支配」は完成されている。乙女ゲームの中ボス? 冗談じゃない。調合の精度、魔力の乗せ方、どれをとっても一級品の技術スキルだわ。

 だが、リスクが高い案件ほど、独占した時の利益リターンは大きい。


「……落とす価値はあるわ。あんな高精度の感情制御ができるなら、極上の安眠アロマや、針仕事が捗る集中力アップ剤だって作れるはずよ。それを……ただの『いじめ』や『取り巻きの維持』に浪費させておくなんて、資源に対する冒涜だわ。あんな多人数を操る魔力があるなら、もっと生産的な……そう、私のブランドの付加価値を高めるために使うべきよ」


 一針、力強く銀糸を刺し通す。

 ターゲットは定まった。彼女を私の「魔女会」の調香・精神管理部門責任者として迎え入れる。

 問題は、どうやってあのプライドの高い「魔女」の懐に飛び込み、首輪を……いえ、専属契約書を交わすか、だったけれど――。


「――リネット・エルバート様。ミレイユ様より、お茶会へのお招きですわ」


 ふいに、機械的な声が鼓膜を叩いた。

 顔を上げると、そこには昨日ミレイユの後ろを一糸乱れぬ動きで歩いていた令嬢の一人が立っていた。

 その瞳は少し焦点が甘く、まるで夢遊病者のようだ。口角だけが左右対称に、ピンとはね上げられた操り人形のような笑顔。


(……怖っ。ホラー映画の導入部じゃない。でも、向こうから仕掛けてくるとは、調査費用が浮いて好都合ね)


 私は、刺し終えたばかりの「香気遮断用フィルター入り刺繍」をそっと指先でなぞった。これは、昨夜私が命懸けで解析したミレイユの香り――魔香を、魔術を込めた銀糸で打ち消すように設計した私の自信作だ。


「お招きいただき光栄ですわ。せっかくのお誘い、断る理由がありませんもの」


 私は優雅に立ち上がると、裁縫箱を閉じ、勝算という名の武器を胸に抱いた。


「さあ、案内してくださる? 『魔女様』が、どんなおもてなしを用意して待っているのか、楽しみですわ」


 令嬢は返事もせず、ただ踵を返して無機質な足音を響かせ始めた。

 私はその背中を追いながら、脳内で商談のシミュレーションを開始する。

 

 ――待ってなさい、ミレイユ。

 あなたのその「呪い」、私が最高に高く売れる「魔法」に変えて差し上げますから。




 案内されたのは、学園の古い塔の最上階にあるサロン。

 一歩足を踏み入れた瞬間、濃厚な、むせ返るような花の香りが全身を包み込んだ。


「ようこそ、リネット様。……昨日の勇ましい提案が、あまりに素敵だったので。……ねえ?」


 ミレイユが優雅に指を鳴らす。すると、周囲の令嬢たちが一斉に、まるで機械仕掛けのオルゴールのように同じ角度で首を傾げた。


「「「素敵ですわ、リネット様」」」


 重なった声が、壁に反射して脳を揺さぶる。

 サロンの空気そのものに、強力な精神干渉薬が気化して混ざっている。吸い込むだけで、思考の防壁が薄氷のように溶けていくのが分かった。……これは「お茶会」じゃない。剥き出しの「査定」だ。


「さあ、お茶をどうぞ。……本音で語り合いましょう?」


 差し出されたカップからは、昨日番犬をキメさせたあのハーブの香りが立ち上っている。

 ミレイユの瞳が、獲物を観察するように細められた。


「教えて? あなた、あんなに執着していたケイン様を、どうして急に捨てたのかしら。……それとも、あのハンカチは、ただの『演技』だったの?」


 香りが脳を焼く。嘘をつこうとすると、思考が霧に巻かれるような不快感が襲う。

 周囲の令嬢たちが、じりじりと距離を詰めてくる。逃げ場のない、魔女の絶対領域。


「……ふう。……演技、ですか。そんなコストの悪いこと、致しませんわ」


 私は、震える手でカップを置いた。

 意識が遠のきそうになるのを、指先に隠した銀針を掌に突き立てることで強引に繋ぎ止める。


「……あの方は、もはや私にとって『負債』でしかありませんの。……執着という名の在庫を抱え続けるのは、経営者として三流ですわ」

「……経営者? 在庫?」


 ミレイユが怪訝そうに眉を寄せた。

 私は、首元のブローチを握りしめ、魔力を込める。すると、刺繍の効果で意識が急速にクリアになった。


「ミレイユ様。あなたの技術は素晴らしい。……でも、使い方が下手すぎて、見ていられませんわ」


 私は立ち上がり、彼女の目の前で、自分のブローチを解体して見せた。中から現れたのは、特殊な糸――ハーブを織り込んだ、重層的な立体刺繍。


「香りで人を操る……結構。でも、それは一過性の支配です。……私が欲しいのは、あなたのその『調香術』と、私の『刺繍』を組み合わせた、永続的な価値です。……あなたの香りを、私の糸で固定する。……そうすれば、あなたはわざわざこんな場所で令嬢たちを操らなくても、世界中の貴族をその香りで膝伏せさせ、莫大な富を手にできるのよ?」

「……私に、商売をしろと言うの?」

「いいえ。……私を『対等なパートナー』として認めろと言っているんです。……私を操ろうとしても無駄ですよ。私の脳内は、既に『利益』という名の猛毒で埋め尽くされていますから」


 静寂が、サロンを支配した。

 ミレイユはしばらく私を凝視していたが、やがて、狂ったような、けれど澄んだ笑い声を上げた。


「……あはは! 本当に、本当におかしいわ、あなた! ケイン様のストーカーだった頃より、ずっと化け物じみている!」


 彼女が再び指を鳴らす。すると、令嬢たちの瞳に生気が戻り、当惑したように周囲を見渡し始めた。支配が解かれたのだ。


「……いいわ。完全には信じないけれど、あなたの言う『価値』とやら、少しだけ興味が湧いたわ。……でもリネット、次があると思わないで。……もし私の期待を裏切ったら、あなたのその器用な指先を、自分自身の喉に突き立てさせてあげる」

「……ええ。……その時は、最高の刺繍で死に装束を飾らせていただきますわ」


 私は優雅に一礼し、サロンを後にした。

 背中でミレイユの視線を感じる。……「敵」から「観察対象(ビジネスパートナー候補)」への格上げ。

 一歩前進。けれど、石造りの廊下に出た瞬間、肺の奥に溜まっていた毒々しい甘さを吐き出すように、大きく息を止めた。


(……一歩、間違えれば終わっていたわね)


 ミレイユの香りの裏側に、一瞬だけ混ざった、あのドロリとした『精神の弛緩剤』の匂い。

 あれはミレイユ自身さえも、何者かに「試されている」ような、そんな不気味な余韻を残していた。

 ガタガタと震えそうになる膝に力を込め、私は何食わぬ顔で歩き出す。

 角を曲がった、その時だった。


「――リネット!」


 彫刻のように整った顔を、苦悶に歪めた男が立っていた。ケイン・アッシュフォード。

 彼は私の姿を認めるなり、弾かれたように駆け寄ってきて、私の両肩を掴んだ。


「君、無事か!? ミレイユ嬢のサロンに行ったと聞いて……あそこは、生徒会でも問題視されている場所なんだ。中に入った者はみんな、自分を失って――」

「……アッシュフォード様。またいらっしゃったんですか」


 私は、彼の必死な形相を冷めた目で見上げた。

 感動の再会? いいえ、今の私にはこの「高スペックな心配」さえも、残業時間を削りにくるノイズにしか聞こえない。


「無事も何も、ただの商談ですわ。それより肩を離してください。衣服にシワが寄ります。……あ、クリーニング代、請求してもよろしいかしら?」

「……君、その指……」


 ケインの声が、微かに震えた。

 彼の視線が、私の右手に落ちる。

 意識を繋ぎ止めるために、自分で銀針を突き立てた掌。そこから一筋、赤い血が指先を伝って床に滴り落ちていた。


「血が出ているじゃないか。……そんなに、手が震えて……。やっぱり、無理をしていたんだろう? 医務室へ行こう。僕が抱えていってあげるから――」

「ああ、これですか。問題ありませんわ」


 私は、彼が差し伸べた「王子様のような手」をパチンと叩き落とした。

 そして、傷口をハンカチで無造作に押さえながら、事務的な笑みを浮かべる。


「職人の指先にとって、これくらいは『想定内の損耗』です。むしろ、この程度の痛みでミレイユ様の技術を独占できたのですから、原価償却としてはお釣りが来るレベルですわよ」

「……損耗? 原価……?」

「ええ。それよりアッシュフォード様。心配してくださる暇があるなら、私のブランドの『お得意様』として、新作の予約リストにでも名前を連ねておいていただけます? 宣伝効果としては、あなたの顔面が一番有効ですので」


 呆然と立ち尽くすケインを置き去りにして、私はヒールの音を高く鳴らし、今度こそ猛スピードで歩き出した。


(……さて、一歩前進。でも、問題はあの『弛緩剤』よ)


 鼻腔に残る、あのドロリとした異質な匂い。

 ミレイユの調香術とは明らかに毛色が違う。あれは「外から取り入れる」もの……そう、例えば「食事」に混ぜて摂取させるような、体内から防壁を溶かす性質のものだ。


(学園内で、あれほどの劇物を「食品」として扱える人間なんて、一人しかいないわ)


 脳内の「魔女リスト」が更新される。

 次なるターゲット。あらゆる食材に魔力を込め、食べた者の肉体と精神を「強化」も「弱体」も思いのままに操る料理の天才。


(――食の魔女。彼女が弛緩剤の供給源なら、私のギルドの福利厚生……いえ、栄養管理担当として是が非でも確保しなきゃ!)


 夕闇の廊下を突き進む私の瞳には、もはや「恋」の字も、「魔女の恐怖」も写っていない。

 ただ、輝かしい「納期と利益」、そして「最高の社員食堂」のビジョンだけが、道標のように光っていた。

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